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<title>中ぶんなの日記</title>
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<item rdf:about="http://hatibunbun.cocolog-nifty.com/blog/2026/06/post-ece7dd.html">
<title>2026/0６/07　聖餐式礼拝説教　インマヌエル綜合伝道団秋田・盛岡キリスト教会（兼牧）　神谷光一牧師</title>
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『聖霊と火で～バプテスマを授け』　マタイの福音書3章1～17節（説教題をクリッ...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p><a href="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/img_20260607_1021041jpg6.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 3px auto; display: block;" title="Img_20260607_1021041jpg6" src="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/blog/images/img_20260607_1021041jpg6.jpg" alt="Img_20260607_1021041jpg6" width="359" height="359" border="0" /></a></p>
<p><span style="font-size: 12pt; color: #000080;"><a href="https://www.youtube.com/watch?v=r6lGrUI6_8M"><strong>『聖霊と火で～バプテスマを授け』</strong></a>　マタイの福音書3章1～17節</span><span><br /></span>（説教題をクリックしてお聞きください）<span><br /><a href="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/img_20260308_1232231jpgjpg_20260612144801.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 3px;" title="Img_20260308_1232231jpgjpg_20260612144801" src="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/blog/images/img_20260308_1232231jpgjpg_20260612144801.jpg" alt="Img_20260308_1232231jpgjpg_20260612144801" width="153" height="185" border="0" /></a> <br /><span style="color: #003300;"><strong>1 </strong></span></span><span style="color: #003300;"><strong>そのころバプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教えを宣べ伝えて、</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>2 「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」と言った。<br />3 この人は、預言者イザヤによって<br />「荒野で叫ぶ者の声がする。<br />『主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ』」<br />と言われた人である。<br />4 このヨハネはらくだの毛の衣をまとい、腰には皮の帯を締め、その食べ物はいなごと野蜜であった。<br />5 そのころ、エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川周辺のすべての地域から、人々がヨハネのもとにやって来て、<br />6 自分の罪を告白し、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていた。<br />7 ヨハネは、大勢のパリサイ人やサドカイ人が、バプテスマを受けに来るのを見ると、彼らに言った。「まむしの子孫たち、だれが、迫り来る怒りを逃れるようにと教えたのか。<br />8 それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。<br />9 あなたがたは、『われわれの父はアブラハムだ』と心の中で思ってはいけません。言っておきますが、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを起こすことができるのです。<br />10 斧はすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木はすべて切り倒されて、火に投げ込まれます。<br />11 私はあなたがたに、悔い改めのバプテスマを水で授けていますが、私の後に来られる方は私よりも力のある方です。私には、その方の履き物を脱がせて差し上げる資格もありません。その方は聖霊と火であなたがたにバプテスマを授けられます。<br /></strong></span><span style="color: #003300;"><strong>12 また手に箕を持って、ご自分の脱穀場を隅々まで掃ききよめられます。麦を集めて倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」<br />13 そのころ、イエスはガリラヤからヨルダン川のヨハネのもとに来られた。彼からバプテスマを受けるためであった。<br />14 しかし、ヨハネはそうさせまいとして言った。「私こそ、あなたからバプテスマを受ける必要があるのに、あなたが私のところにおいでになったのですか。」<br />15しかし、イエスは答えられた。「今はそうさせて欲しい。このようにして正しいことをすべて実現することが、わたしたちにはふさわしいのです。」そこでヨハネは言われたとおりにした。<br />16 イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると見よ、天が開けて、神の御霊が鳩のようにご自分の上に降って来られるのをご覧になった。<br />17そして、見よ、天から声があり、こう告げた。「これはわたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」</strong></span></p>
<p>【<strong>神谷牧師による説教の要約</strong>】<span><br /><span style="color: #808000;"><strong>　ヨハネのもとにバプテスマ(洗礼)を受けに来られたキリストに向かって、ヨハネが「私こそあなたからバプテスマを受ける必要があるのに」と語ったのは、キリストが罪なくきよい方だと知っていたからである。</strong></span><br /><span style="color: #808000;"><strong>　また、キリストがバプテスマを受けた時、神の御霊が鳩のように降り、天から「これはわたしの愛する子～」と声が聞こえたのは、キリストが神に受け入れられ、聖霊によって洗礼を授ける方であることを示す。</strong></span><br /><span style="color: #808000;"><strong>　それは私たちにとって、キリストが私たちの罪を解決ことで、その名によって洗礼を受ける者にも聖霊が与えられ、愛されている神の子どもとしての自覚が与えられることを意味する。</strong></span><br /><span style="color: #808000;"><strong>　この自覚をもとに、親しみを込めて「天の父なる神～」と祈りたい。</strong></span><br /><br /></span></p>
<p>＜ブログ管理人のひとりごと＞<span><br /><span style="color: #000080;">　はなしはちょっと飛躍しますが、あちらには壮麗な教会が数々。一歩踏み入れたなら足がすくむのではないか。サン・ピエトロ、ケルン、ノートルダム大聖堂、ウェストミンスター、セントポール等々、見上げただけで身が引き締まるような。彫刻、絵画、柱一本にも驚嘆と溜息。このところよくメディアにはサグラダ・ファミリア。設計はガウディ。真夜中に目覚めたときにTVを見るとたまに流れている、ヨハネ騎士団の遺構や修道院、数々の教会。現地に行ってもこうは、この角度からこのように見ることはできないだろうと、空撮のすばらしさに引き込まれる。とにかく美しく立派な建物が次々に。その時は目を奪われていた。確かに。</span><br /><span style="color: #000080;">　ところがこの6月7日、聖餐式で心洗われ神さまへの感謝を新たにし、午後の一斉会堂清掃にのぞんだ。仕事や親戚の法事関係で他出の方があるなどして、作業人数はぎりぎり。月に一度盛岡に来てくださっている神谷牧師夫妻も加わって下さる。帰り、秋田までの運転が案じられたのだけれども。皆さまがほんとうに汗だくになって床のワックスがけをして下さったり、蛍光管を外して拭いてくださったり、草刈り機で一斉に雑草を始末してくださったり、ごみ袋に詰め込んだり。ガラスや桟を拭いたり。またもや私は簡単な作業の方。スミマセン。スリッパの底を拭いてくださったり。枝の剪定をしてくださったり。100％完璧にやりおおしたとはいかないが、しかし、誰一人大変ではあっても嫌な顔をせず、譲り合いいたわり合いながら行っている姿を、家に帰って一段落したころに思い起こし、じわりと来るものがあった。建物じゃない。教会はある意味ステンドグラスでもパイプオルガンでもない。ほんとうにキリストを愛し、その礼拝の場をまもり、その仲間たちを慈しみあう教会が教会。これがほんとうの教会だ。私の意識の中で壮麗な伽藍はあっさりとひっくり返り、このようなありようの教会が意識の中に穏やかで温かな光彩を放っていたのです。個々の問題課題はあっても、否、あるからこそ、祈り合い、上を仰ぎ歩むことを止めない兄弟姉妹がいる。</span><br /><span style="color: #000080;">　久しく忘れてましたが、イエスさまのおことば、「二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。」(マタイの福音書18章20節)<br />　そこにイエスさまがいらっしゃるか、いらっしゃらないか、教会にとって最も重要なのはこのこと。キリストによって生かされた人々が集まっているならそこは立派な教会。ある意味、会堂が傾きかけたバラックでも。すばらしい建物があればそれはそれで感謝ではある。しかしそれがなくても主が耀き出でる場というものがある。ふしぎなことです。<br /><br />　写真は教会の案内板。國光牧師夫妻が引退されてからは、I姉が、そして今はK姉が、教会にはK姉が何人かいますが、large　Kさんがいつのまにかやってくださっています。<br />　この週は夜の祈祷会のために会堂に明りがつきました。ほとんどの方はズームでの参加、私も夜は自宅でズーム参加ですが。T兄が教会に出向き、明かり、これは私には松明のようにも思われましたが、灯りを点けて会堂で祈祷会をまもってくださいました。思えば画期的なことです。<br />　それにしてもこの日の教会カレー、シェフも顔負け、というよりは、かつてはシェフも務まったA兄のカレーはやっぱり美味しかった。忙しい中を作り持参くださったM姉のサラダは今や我が家でも定番メニュー。感謝です。この日、教会に来られなかったY姉、T姉もいつも祈っていてくださる。あれもこれもそれも感謝です。「神が私たちとともにおられる」(マタイ1：23)</span></span></p>
<p> </p>
<p><span> </span></p>
<p><strong>インマヌエル秋田キリスト教会　　</strong><span><a href="https://localplace.jp/t100303888/"><strong>https://localplace.jp/t100303888/</strong></a><br /></span><strong>インマヌエル盛岡キリスト教会　</strong><span><a href="https://sites.google.com/view/igm-morioka/"><strong>https://sites.google.com/view/igm-morioka/</strong></a></span></p>
<p><span> </span></p>
<p>&#x23F0;19時33分更新</p>]]></content:encoded>


<dc:subject>教会</dc:subject>

<dc:creator>中ぶんな</dc:creator>
<dc:date>2026-06-13T19:33:37+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://hatibunbun.cocolog-nifty.com/blog/2026/06/post-d0cdd6.html">
<title>2026/05/31　聖日礼拝説教　インマヌエル綜合伝道団秋田・盛岡キリスト教会（兼牧）　神谷光一牧師</title>
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<description>
 
『父の家にいるのは当然』　ルカの福音書２章41～52節（説教題をクリックし...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p><a href="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/img_20260531_1151041jpg20260531.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 3px auto; display: block;" title="Img_20260531_1151041jpg20260531" src="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/blog/images/img_20260531_1151041jpg20260531.jpg" alt="Img_20260531_1151041jpg20260531" width="300" height="293" border="0" /></a></p>
<p> </p>
<p><strong><span style="font-size: 12pt; color: #000080;"><a href="https://www.youtube.com/watch?v=ZlXoH015QLU">『父の家にいるのは当然』</a>　ルカの福音書２章41～52節</span></strong><span><br /></span>（説教題をクリックしてお聞きください）<br /><a href="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/img_20260308_1232231jpgjpg_20260603220701.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 3px;" title="Img_20260308_1232231jpgjpg_20260603220701" src="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/blog/images/img_20260308_1232231jpgjpg_20260603220701.jpg" alt="Img_20260308_1232231jpgjpg_20260603220701" width="158" height="191" border="0" /></a></p>
<p><span style="color: #003300;"><strong>41 さて、イエスの両親は、過越の祭りに毎年エルサレムに行っていた。<br />42 イエスが十二歳になられたときも、両親は祭りの慣習に従って都へ上った。<br />43 そして祭りの期間を過ごしてから帰路についたが、少年イエスはエルサレムにとどまっておられた。両親はそれに気づかずに、<br /></strong></span><span style="color: #003300;"><strong>44 イエスが一行の中にいるものと思って、一日の道のりを進んだ。後になって親族や知人の中を捜し回ったが、<br />45 見つからなかったので、イエスを捜しながらエルサレムまで引き返した。<br />46 そして三日後になって、イエスが宮で教師たちの真ん中に座って、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。<br />47 聞いていた人たちはみな、イエスの知恵と答えに驚いていた。<br />48 両親は彼を見て驚き、母は言った。「どうしてこんなことをしたのですか。見なさい。お父さんも私も、心配してあなたを捜していたのです。」<br />49 すると、イエスは両親に言われた。「どうしてわたしを捜されたのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当然であることを、ご存知なかったのですか。」<br />50 しかし両親には、イエスの語られたことばが理解できなかった。<br />51 それからイエスは一緒に下って行き、ナザレに帰って両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた。<br />52 イエスは神と人とにいつくしまれ、知恵が増し加わり、背たけも伸びていった。</strong></span><span><br /><br /></span></p>
<p>【<strong>神谷牧師による説教の要約</strong>】<br /><strong><span style="color: #808000;">　12歳になったキリストのことを福音書の記者であるルカが記したのは、少年イエスが普通の子どもででありながら、神の子としての心を持っていたことを示すためである。</span></strong><br /><strong><span style="color: #808000;">　また、家族と共に上った祭りの後、神殿に身を置き続けた少年イエスが「わたしが父の家にいるのは当然」と話したのは、キリストの心の土台は神との関係であって、むしろ家族はその神から遣わされた場だったからである。</span></strong><br /><strong><span style="color: #808000;">　キリストが語った父の家とは、当時、礼拝がささげられ、神がそこにおられ支配している神殿を指していたが、それは特定の建物を超えて、被造物であるこの全世界をも含むものといえる。</span></strong><br /><strong><span style="color: #808000;">　神が臨在し、また支配するこの世界で、神が遣わされた目の前の人に仕えて歩みたい。</span></strong><span><br /><br /></span></p>
<p>＜ブログ管理人のひとりごと＞<span><br /><span style="color: #000080;">　先ほど誰かに「おそい」と言われた気がしてはっと目を覚ました。何が遅い、ブログの更新が。居眠りをしながらも、気に掛けていたのだろう。誰かにというよりも、自分が自分に、遅い、遅れると目を覚まさせようとしていたのかもしれない。</span><br /><span style="color: #000080;">　ここのところ微熱が続くように思い検査をしたところ異常なし。ほっとしてまた軌道をもとのペースに。この時、みなさまの「祈っているからね」「祈ってますよ」という言葉が心に沁みた。逆に自分はどれだけ祈ってるだろうかと照らされる。祈りにはまたさまざまな意味があるけれども、これらの祈りは神さまに届き、人の心に届き、人の、周りの何某かを生かそうとする力に作用すると私には感じられる。そうだ、もっと真剣に丁寧に、心をこめて祈ろう。</span><span style="color: #000080;">きょう新しい朝をお与えくださり、そして一日を生かしてくださった神さまに、そして賛美の心を与えてくださった主に感謝のことばを捧げよう。</span></span></p>
<p><span><span style="color: #000080;">　この日の講壇のお花はS姉です。</span><br /><br /></span></p>
<p><span> </span></p>
<p><strong>インマヌエル秋田キリスト教会　　</strong><span><a href="https://localplace.jp/t100303888/"><strong>https://localplace.jp/t100303888/</strong></a><br /></span><strong>インマヌエル盛岡キリスト教会　</strong><span><a href="https://sites.google.com/view/igm-morioka/"><strong>https://sites.google.com/view/igm-morioka/</strong></a></span></p>
<p><span> </span></p>
<p>&#x23F0;21時09分更新</p>]]></content:encoded>


<dc:subject>教会</dc:subject>

<dc:creator>中ぶんな</dc:creator>
<dc:date>2026-06-06T21:10:21+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://hatibunbun.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-df9abd.html">
<title>2026/05/24五旬節礼拝　説教　インマヌエル綜合伝道団秋田・盛岡キリスト教会（兼牧）　神谷光一牧師</title>
<link>http://hatibunbun.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-df9abd.html</link>
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『召される人ならだれにでも』　使徒の働き２章22～42節（説教題をクリック...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p><a href="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/img_20260524_1210561jpg.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 3px auto; display: block;" title="Img_20260524_1210561jpg" src="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/blog/images/img_20260524_1210561jpg.jpg" alt="Img_20260524_1210561jpg" width="256" height="256" border="0" /></a></p>
<p> </p>
<p><span style="font-size: 12pt; color: #000080;"><strong><a href="https://www.youtube.com/watch?v=-fXvczcnbK8">『召される人ならだれにでも』</a>　使徒の働き２章22～42節</strong></span><span><br /></span>（説教題をクリックしてお聞きください）</p>
<p><a href="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/img_20260308_1232231jpgjpg_20260530213001.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 3px;" title="Img_20260308_1232231jpgjpg_20260530213001" src="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/blog/images/img_20260308_1232231jpgjpg_20260530213001.jpg" alt="Img_20260308_1232231jpgjpg_20260530213001" width="158" height="191" border="0" /></a> <br /><span style="color: #003300;"><strong>22 イスラエルの皆さん、これらのことばを聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと不思議としるしを行い、それによって、あなたがたにこの方を証しされました。それはあなたがた自身がご承知のことです。<br />23神が定めた計画と神の予知によって引き渡されたこのイエスを、あなたがたは律法を持たない人々の手によって十字架につけて殺したのです。<br />24 しかし神は、イエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、あり得なかったからです。<br />25 ダビデは、この方について次のように言っています。『私はいつも、主を前にしています。主が私の右におられるので、私は揺るがされることはありません。<br />26 それゆえ、私の心は喜び、私の舌は喜びにあふれます。私の身も、望みの中に住まいます。<br />27 あなたは、私のたましいをよみに捨て置かず、あなたにある敬虔な者に滅びをお見せにならないからです。<br />28 あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前で、私を喜びで満たしてくださいます。』<br />29 兄弟たち。父祖ダビデについては、あなたがたに確信をもって言うことができます。彼は死んで葬られ、その墓は今日に至るまで私たちの間にあります。<br />30 彼は預言者でしたから、自分の子孫の一人を自分の王座に就かせると、神が誓われたことを知っていました。<br />31 それで、後のことを予見し、キリストの復活について、『彼はよみに捨て置かれず、そのからだは朽ちて滅びることがない』と語ったのです。<br />32 このイエスを、神はよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。<br />33 ですから、神の右に上げられたイエスが、約束された聖霊を御父から受けて、今あなたがたが目にし、耳にしている聖霊を注いでくださったのです。</strong></span><span><br /><span style="color: #003300;"><strong>34 </strong></span></span><span style="color: #003300;"><strong>ダビデが天に上ったのではありません。彼自身こう言っています。『主は、私の主に言われた。<br />35あなたは、わたしの右の座に着いていなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで。』<br />36 ですから、イスラエルの全家は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」<br />37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。<br />38 そこで、ペテロは彼らに言った。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。<br />39 この約束は、あなたがたに、あなたがたの子どもたちに、そして遠くにいるすべての人々に、すなわち、私たちの神である主が召される人々ならだれにでも、与えられているのです。」<br />40 ペテロは、ほかにも多くのことばをもって証しをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って、彼らに勧めた。<br />41彼のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。<br />42 彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。</strong></span></p>
<p>【<strong>神谷牧師による説教の要約</strong>】<span><br /></span>　<span style="color: #808000;"><strong>預言者ヨエルが語った「あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る」とは、神の霊が注がれ、神さまのみ思いを知り、神さまが見ておられるものを見ることができるようにされることである。<br />　また、聖霊を与えられた弟子たちが他の人が見ても、それがわかるようなかたちで、外国語で神のことばを語り出したのは、ユダヤ人の持つ律法や割礼の儀式に縛られることなく、ただ信仰によって異邦人も救われることが、誰の目にもわかるようになるためである。<br />　今の私たちにとって、キリストの証人となる、とは、御霊の働きによってキリストに似る者とされることである。無力な自分の真の姿を知らされた上で、それに失望することなく、かえって全面的に聖霊にゆだね、このお方によって、キリストのごとく造り変えられてゆくことを期待しつつ、進み行きたい。</strong></span><span><br /><br /></span></p>
<p><span style="color: #000080;">＜ブログ管理人のひとりごと＞</span><br /><span style="color: #000080;">　聖霊降臨を記念する礼拝のこの日、すこし健康に不安があり、もう致し方ない、今日は教会に行くのは休んだ方がいいかなという思いに傾いていた。しかし、さまざま考えて、ここはすこし頑張ってみようと、出発時間には思い直し、いつもご一緒する方に行きますと連絡。彼女はもう一人で行くつもりで家を出るところだった。すんでのところで間に合った。これでよし！</span><br /><span style="color: #000080;">　教会に着くと、駐車場の傍らに若いI姉が植えてくれた苺が幾つも美しく実っていた。雑草も勢いがついてきているが、公園に隣接する側はＫ姉、教会には何人かのＫ姉がいらっしゃるが、控えめで真実なＫ姉がいつの間にか草取りをしてくださっていたのだった。申し訳ないと思いつつ、中に入りいつもの席に着く。すこしすると玄関に来会者の気配。振り返ると何と関東圏に住む弟夫婦が現れたのだった。所用で来ており、日曜にかかったので礼拝に来たのだ。私にとっては、これは思いがけない神さまからのプレゼントだった。休まずに来てよかったと思った。スマホに入っている写真を見せながら久しぶりに語り合うことができた。礼拝が終わって、しばらくＴ兄とはなしていたが、教会前で見送った。「元気でいてね」。クルマで来たらしい。今からまたそちこち用を足してあるくのだろう。</span><br /><span style="color: #000080;">　人生の要所要所であった聖霊の諭し。それは神さまが何等かを通して自分に顕れてくださった瞬間だったと思う。愚かなときにはそれを忘れていたり軽んじたりもする。しかし今はわかる。たいしたこともないこの自分にも神さまは聖霊さまを介し、これまで導きつづけてくださった、これが神さまのご愛。なぜにわたしに、なぜにわたしが、これが神さまのご愛であることを、今しみじみと思い返させられている。</span><br />　<span><br /><br /></span></p>
<p><span> </span></p>
<p><strong>インマヌエル秋田キリスト教会　　</strong><span><a href="https://localplace.jp/t100303888/"><strong>https://localplace.jp/t100303888/</strong></a><br /></span><strong>インマヌエル盛岡キリスト教会　</strong><span><a href="https://sites.google.com/view/igm-morioka/"><strong>https://sites.google.com/view/igm-morioka/</strong></a></span></p>
<p><span> </span></p>
<p>&#x23F0;22時14分更新</p>]]></content:encoded>


<dc:subject>教会</dc:subject>

<dc:creator>中ぶんな</dc:creator>
<dc:date>2026-05-30T22:15:37+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://hatibunbun.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-644119.html">
<title>2026/05/17聖日礼拝　説教　インマヌエル綜合伝道団秋田・盛岡キリスト教会（兼牧）　神谷光一牧師</title>
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『わたしを通って入るなら』　ヨハネの福音書10章1～18節 （説教題をクリック...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p><a href="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/img_20260426_1156161jpg.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 3px auto; display: block;" title="Img_20260426_1156161jpg" src="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/blog/images/img_20260426_1156161jpg.jpg" alt="Img_20260426_1156161jpg" width="300" height="362" border="0" /></a></p>
<p><span style="color: #000080;"><strong><span style="font-size: 12pt;"><a href="https://www.youtube.com/watch?v=w6wR9OgHvpc">『わたしを通って入るなら』</a>　ヨハネの福音書10章1～18節<br /></span></strong></span><span></span><span> </span>（説教題をクリックしてお聞きください）<br /><a href="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/img_20260308_1232231jpgjpg_20260520101901.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 3px;" title="Img_20260308_1232231jpgjpg_20260520101901" src="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/blog/images/img_20260308_1232231jpgjpg_20260520101901.jpg" alt="Img_20260308_1232231jpgjpg_20260520101901" width="159" height="193" border="0" /></a> <span><br /><span style="color: #003300;"><strong>1 </strong></span></span><span style="color: #003300;"><strong>「まことに、まことに、あなたがたに言います。羊たちの囲いに、門から入らず、ほかのところを乗り越えて来る者は、盗人であり強盗です。</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>2 しかし、門から入るのは、羊たちの牧者です。</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>3 門番は牧者のために門を開き、羊はその声を聞き分けます。牧者は自分の羊たちを、それぞれの名で呼んで連れ出します。</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>4 羊たちをみな外に出すと、牧者はその先頭に立って行き、羊たちはついて行きます。彼の声を知っているからです。</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>5 しかし、ほかの人には決してついて行かず、逃げて行きます。ほかの人たちの声は知らないからです。」</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>6 イエスはこの比喩を彼らに話されたが、彼らは、イエスが話されたことが何のことなのか、分からなかった。</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>7 そこで、再びイエスは言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしは羊たちの門です。</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>8 わたしの前に来た者たちはみな、盗人であり強盗です。羊たちは彼らの言うことを聞きませんでした。</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>9 わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら救われます。また出たり入ったりして、牧草を見つけます。</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>10 盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかなりません。わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>11 わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>12 牧者でない雇い人は、羊たちが自分のものではないので狼が来るのを見ると、置き去りにして逃げてしまいます。それで、狼は羊たちを奪ったり散らしたりします。</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>13 彼は雇い人で、羊たちのことを心にかけていないからです。</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>14 わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っており、わたしのものは、わたしを知っています。</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>15 ちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じです。また、わたしは羊たちのために自分のいのちを捨てます。</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>16 わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊たちがいます。それらも、わたしは導かなければなりません。その羊たちはわたしの声に聞き従います。そして、一つの群れ、一人の牧者となるのです。</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>17 わたしが再びいのちを得るために自分のいのちを捨てるからこそ、父はわたしを愛してくださいます。</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>18 だれも、わたしからいのちを取りません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、再び得る権威があります。わたしはこの命令を、わたしの父から受けたのです。」</strong></span></p>
<p>【<strong>神谷牧師による説教の要約</strong>】<br />　<span style="color: #808000;"><strong>キリストが門であるとは、私たちが神の国に入り、救われるために、この方がただひとつの入り口だということである。</strong></span><br /><span style="color: #808000;"><strong>　また、この門である方を通して救われるとは、このからだのいのちではなく、永遠の神とともに生きるいのち、神と歩む生涯を豊かに持つことを指している。</strong></span><br /><span style="color: #808000;"><strong>　そのためにキリストがしたことは、いのちを自分から捨てて、十字架にかかって死ぬことであった。それは神と人の間にある罪の妨げを取り除き、キリストと同じ性質のいのちをもたらした。</strong></span><br /><span style="color: #808000;"><strong>　誰であっても信じるなら、この門を通って救われることができる。</strong></span><br />　<span><br /><br /></span></p>
<p>＜ブログ管理人のひとりごと＞<span><br /><span style="color: #333399;">　先週は寒暖差についていきかねてか熱を出し、コロナ・インフルの検査を二度も。どちらにも罹ってはいなかったが、要注意。極力外出を控えた。ゆるくゆるく家の中で過ごしている。</span><br /><span style="color: #333399;">　思えば、教会の日曜礼拝に説教がお休みだった日はなかった。先代の、また現在お世話になっている先生も、日曜礼拝を欠かしたことはなかった。体調が思わしくないこともあったかと思う。それでも日曜の礼拝は守られてきている。どんな状況下にも主を見あげることなのだ。<br /><br />　写真はKさんが掲げてくださったみことば<strong>「あなたの若い日にあなたの創造者を覚えよ」</strong><br /></span><br />　<br /><br /></span></p>
<p><span> </span></p>
<p><strong>インマヌエル秋田キリスト教会　　</strong><span><a href="https://localplace.jp/t100303888/"><strong>https://localplace.jp/t100303888/</strong></a><br /></span><strong>インマヌエル盛岡キリスト教会　</strong><span><a href="https://sites.google.com/view/igm-morioka/"><strong>https://sites.google.com/view/igm-morioka/</strong></a></span></p>
<p><span> </span></p>
<p>&#x23F0;６時13分更新</p>]]></content:encoded>


<dc:subject>教会</dc:subject>

<dc:creator>中ぶんな</dc:creator>
<dc:date>2026-05-24T06:14:12+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://hatibunbun.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-e91379.html">
<title>2026/05/10聖日礼拝　説教　インマヌエル綜合伝道団秋田・盛岡キリスト教会（兼牧）　神谷光一牧師</title>
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<description>
『はたしてそのとおりかどうか』　使徒の働き17章1～12節（説教題をクリックし...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p><a href="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/img_20260511_1030571jpg.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 3px auto; display: block;" title="Img_20260511_1030571jpg" src="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/blog/images/img_20260511_1030571jpg.jpg" alt="Img_20260511_1030571jpg" width="437" height="437" border="0" /></a></p>
<p><span style="color: #000080;"><strong><a href="https://www.youtube.com/watch?v=eRHwnubvtNA">『はたしてそのとおりかどうか』</a>　使徒の働き17章1～12節</strong></span><span><br /></span>（説教題をクリックしてお聞きください）<br /><span><a href="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/img_20260308_1232231jpgjpg_20260514045201.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 3px;" title="Img_20260308_1232231jpgjpg_20260514045201" src="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/blog/images/img_20260308_1232231jpgjpg_20260514045201.jpg" alt="Img_20260308_1232231jpgjpg_20260514045201" width="150" height="182" border="0" /></a> <br /><span style="color: #003300;"><strong>1 </strong></span></span><span style="color: #003300;"><strong>パウロとシラスは、アンピポリスとアポロニアを通って、テサロニケに行った。そこにはユダヤ人の会堂があった。<br />2 パウロは、いつものように人々のところに入って行き、三回の安息日にわたって、聖書に基づいて彼らと論じ合った。<br />3 そして、「キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならなかったのです。私があなたがたに宣べ伝えている、このイエスこそキリストです」と説明し、また論証した。</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>4 彼らのうちのある者たちは納得して、パウロとシラスに従った。神を敬う大勢のギリシア人たちや、かなりの数の有力な婦人たちも同様であった。<br />5 ところが、ユダヤ人たちはねたみに駆られ、広場にいるならず者たちを集め、暴動を起こして町を混乱させた。そしてヤソンの家を襲い、二人を捜して集まった会衆の前に引き出そうとした。<br />6 しかし、二人が見つからないので、ヤソンと兄弟たち何人かを町の役人たちのところに引いて行き、大声で言った。「世界中を騒がせてきた者たちが、ここにも来ています。<br />7 ヤソンが家に迎え入れたのです。彼らはみな、「イエスという別の王がいる」と言って、カエサルの詔勅に背く行いをしています。」<br />8 これを聞いた群集と町の役人たちは動揺した。</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>9 役人たちは、ヤソンとほかの者たちから保証金を取ったうえで釈放した。<br />10 兄弟たちはすぐ、夜のうちにパウロとシラスをベレアに送り出した。そこに着くと、二人はユダヤ人の会堂に入って行った。<br />11 この町のユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも素直で、非常に熱心にみことばを受け入れ、はたしてそのとおりかどうか、毎日聖書を調べた。<br />12 それで彼らのうちの多くの人たちが信じた。また、ギリシアの貴婦人たち、そして男たちも少なからず信じた。</strong></span></p>
<p>【<strong>神谷牧師による説教の要約</strong>】<span><br /><span style="color: #808000;"><strong>　ベレアの町の人々が、パウロの語るみことばが果たしてその通りかどうかを調べたとは、キリストの十字架と復活が、本当に聖書に書かれている預言であるかどうかを確かめたといえる。</strong></span><br /><span style="color: #808000;"><strong>　そのように、パウロがキリストを伝えた時、それを信じた人と信じない人の違いは聖書を読んだ結果、自ら正しくあるために努力するか、自分が持つ罪の事実を悟って救いを求め、それをキリストに任せてゆくかの違いである。</strong></span><br /><span style="color: #808000;"><strong>　聖書を読み進むとき、神が私たちに願っていることは、私たちの罪が赦されるために、十字架にかかってよみがえったキリストを信じることである。</strong></span><br /><br /></span></p>
<p>＜ブログ管理人のひとりごと＞<br /><span style="color: #000080;">　11日、葛巻まで行ってきました。凡そ40年前に盛岡市の日赤病院産科病棟の一室で、私の隣のベッドに入院していたTさんに会いに。是非葛巻高原を見に来てくださいと招いてくださったのだ。息子たちが中学校当時のいわばママ友であるIさんを8時に拾い、一路4号線を281号線を駆けること1時間半、Tさんの待つ小屋瀨中学校に到着。それ以上の運転は自信がないという私の健康を気遣ってくれ、途中まで迎えに出てくださった。そこからTさんのクルマに乗せてもらい、袖山高原に。途中の白樺林の新緑はすばらしく、白樺の樹下には一面に二輪草の白い群落、ところどころに紫の花が点在。何の花かは後で調べよう、そう思い写真を撮らずに来たところが、花の名はいまだ特定しかねている。樹間には躑躅の堅い蕾、ややに開きかけた蕾が開花に向けて待機。瑞々しく清々しい景観の連続でした。Tさんとは数十年ぶりの面会。北上山系開発の入植者として、50年の人生をこの岩手につぎ込まれた方だ。女性ながら巖のように不屈で堅い意志が刻まれた日に焼けた面差しに、私は深い感慨と感動を覚えていた。<br />　北上山系開発というのは、国土開発が北上山地にブルドーザーを入れ高原に牧場を切り開き、住居、搾乳機械、バルククーラー、サイロ、牧草地等などの設備をワンセットに入植者の方々を募った。これは農水省の事業として行われたが、当時の私には国土開発と農水省のやりとりまでには考えが及んではいなかった。この事業は確かに農水省の夢だったのだ。夢の酪農団地。結果的にこの事業で儲けたのは誰か、損をしたのは誰々かにまでには考えが及んではいなかった。しかし、のちの乳価の暴落が夢を打ち砕いた。借金は酪農家の方々の肩にのっちりとのしかかり、県への陳情での回答は、利子の一定期間の先延ばしがせいぜいであったと思う。資料はしまい込んでしまいまた取り出すには時間を食うので、曖昧な書き方になっている。どこぞの指摘があるやもしれない。何れ元金そのものの肩代わりは一切一円たりともなかったはずだ。入植者の方々の死に物狂いの戦いがそこから始まる。その一連を知っていただかないと、Tさんに数十年ぶりに会った瞬間の感情は理解してはいただけないかと思う。もしかすれば彼女に会う最後の機会であったかもしれない。<br />　日赤病院で隣だったTさん。私はもう一つの聖書のことばを話していたらしい。何も彼女の助けになることが出来ない、その力もない、私にあるのは聖書のことばだけと思われた。「神さまにゆだねなさい」と私はいったらしいが。お子さんの心配、お子さんのことは神さまにおゆだねすれば、とたぶん言ったかもしれない。それを聞いた時、思い煩いから救われたとTさんが語ってくれた。神のことばである聖書には確かにそういう力があるのだ。私自身が縋り付く思いで言ったのに違いなかった。そしてそれから50年、不屈の努力で借金は返濟なさったと聞いている。これは世の中に公にされていることでもあり、書いても差し支えないかと思う。何よりもT夫妻が過去に病気や怪我を潜られはしたが今はお元気で働かれている。そして二人のお嬢さまが今お幸せでいらっしゃることが嬉しかった。<br /><br />　実はその翌々日、珍しく夜中に７度７分の熱。ちょっと疲れが出たのだろう。それでも翌朝には６度３分に。コロナやインフルではなさそう。木曜日の祈祷会のYouTubeで元気をもらって、この週のクラシック倶楽部が何とバッハの古楽器演奏。カンタータ125番「安らぎと喜びをもって私は行く」、そして1番ではキリストのすばらしさ。金星、明けの明星よ、「輝く暁の星の麗しさよ」。2台のナチュラルホルンの自然に透っていくような高らかな響きが心地よかった。その翌日だったか、やはり古楽器。チェンバロとフルートトラヴェルソ。バッハの「アンダンテによるファンタジア」、今朝の演奏者であるロマニウクとトラヴェルソの柴田さんの編曲、これが華やぎを感じさせてくれた。<br />　この頃は、バッハが流れてくると無条件にほっとする自分がいる。毎週礼拝に間に合わせて作曲をしていたバッハ。何か神の霊感がスピリチャルさが安心をくれるのだ。<br /><br />　そして水曜日の祈祷会のYouTubeで元気をもらい、この土曜日に何とか滑り込んでいる。</span><span><br />　<br /></span></p>
<p><span> </span></p>
<p><strong>インマヌエル秋田キリスト教会　　</strong><span><a href="https://localplace.jp/t100303888/"><strong>https://localplace.jp/t100303888/</strong></a><br /></span><strong>インマヌエル盛岡キリスト教会　</strong><span><a href="https://sites.google.com/view/igm-morioka/"><strong>https://sites.google.com/view/igm-morioka/</strong></a></span></p>
<p><span> </span></p>
<p>&#x23F0;20時45分更新</p>]]></content:encoded>


<dc:subject>教会</dc:subject>

<dc:creator>中ぶんな</dc:creator>
<dc:date>2026-05-16T20:46:17+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://hatibunbun.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-2c2101.html">
<title>2026/05/03聖日礼拝　説教　インマヌエル綜合伝道団秋田・盛岡キリスト教会（兼牧）　神谷光一牧師</title>
<link>http://hatibunbun.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-2c2101.html</link>
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伝道礼拝説教『そのすべてのことばを聞いたとき』　エレミヤ　36章9～26節（...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p> <a href="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/img_20260505_0546151jpg.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 3px;" title="Img_20260505_0546151jpg" src="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/blog/images/img_20260505_0546151jpg.jpg" alt="Img_20260505_0546151jpg" width="312" height="230" border="0" /></a><a href="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/img_20260505_0546271jpg.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 3px;" title="Img_20260505_0546271jpg" src="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/blog/images/img_20260505_0546271jpg.jpg" alt="Img_20260505_0546271jpg" width="338" height="251" border="0" /></a><br /><br /></p>
<p>伝道礼拝説教<br /><strong><span style="font-size: 12pt; color: #0000ff;"><a href="https://www.youtube.com/watch?v=n-VVUD0gW3Q">『そのすべてのことばを聞いたとき』</a>　エレミヤ　36章9～26節</span></strong><br />（説教題をクリックしてお聞きください）</p>
<p><a href="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/img_20260308_1232231jpgjpg_20260509104901.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 3px;" title="Img_20260308_1232231jpgjpg_20260509104901" src="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/blog/images/img_20260308_1232231jpgjpg_20260509104901.jpg" alt="Img_20260308_1232231jpgjpg_20260509104901" width="163" height="198" border="0" /></a> <br /><span style="color: #003300;"><strong>9 ユダの王、ヨシヤの子エホヤキムの第五年、第九の月、エルサレムのすべての民と、ユダの町々からエルサレムに来ているすべての民に、主の前での断食が布告された。</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>10 そのときバルクは、主の宮で民全体に聞こえるように、その書物からエレミヤのことばを読んだ。そこは、主の宮の、新しい門の入り口付近の上庭にあった、書記シャファンの子ゲマルヤの部屋であった。</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>11 シャファンの子ゲマルヤの子ミカヤは、その書物にあるすべての主のことばを聞き、</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>12 王宮にある書記の部屋に下ったが、見よ、そこには、すべての首長たちが座っていた。すなわち書記のエリシャマ、シェマヤの子デラヤ、アクボルの子エルナタン、シャファンの子ゲマルヤ、ハナンヤの子ゼデキヤ、およびすべての首長たちである。</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>13 ミカヤは、バルクがあの書物を民に読んで聞かせたときに聞いた、すべてのことばを彼らに告げた。</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>14 すべての首長たちは、クシの子シャレムヤの子ネタンヤの子ユディをバルクのもとに遣わして言った。「あなたが民に読んで聞かせたあの巻物、あれを手に持って来なさい。」そこで、ネリヤの子バルクは、巻き物を手に持って彼らのところに入って来た。</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>15 彼らはバルクに言った。「さあ、座って、私たちにそれを読んで聞かせてくれ。」そこで、バルクは彼らに読んで聞かせた。</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>16 そのすべてのことばを聞いたとき、彼らはみな互いに恐れおののき、バルクに言った。「私たちは、これらのことばをすべて、必ず王に告げなければならない。」</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>17 彼らはバルクに尋ねて言った。「さあ、あなたがこれらのことばをすべて、どのようにして書き留めたのか、私たちに教えてくれ。エレミヤが口述したことばを。」</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>18 バルクは彼らに言った。「エレミヤがこれらのことばをすべて私に口述し、私が墨でこの書物に記しました。」</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>19 すると首長たちはバルクに言った。「行って、あなたもエレミヤも身を隠しなさい。あなたがたがどこにいるか、だれにも知られないようにしなさい。」</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>20 彼らは巻き物を書記エリシャマの部屋に置き、王宮の庭にいる王のところに行って、このすべての事を報告した。</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>21 王はユディに、その巻き物を取りに行かせたので、彼はそれを書記エリシャマの部屋から取って来た。ユディはそれを、王と王の傍らに立つすべての首長たちに読んで聞かせた。</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>22 第九の月であったので、王は冬の家の座に着いていた。彼の前には暖炉の火が燃えていた。</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>23ユディが三、四段を読むごとに、王は書記の小刀でそれを裂いては、暖炉の火に投げ入れ、ついに、巻物をすべて暖炉の火で焼き尽くした。</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>24これらのすべてのことばを聞いた王も、彼のすべての家来たちも、だれ一人恐れおののくことはなく、衣を引き裂くこともしなかった。</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>25 エルナタンとデラヤとゲマルヤが、巻物を焼かないようにと王に懇願しても、王は聞き入れなかった。</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>26 王は、王子エラフメエルと、アズリエルの子セラヤと、アブデエルの子シェレムヤに、書記バルクと預言者エレミヤを捕らえるよう命じた。しかし、主は二人を隠された。</strong></span></p>
<p><br /><strong>【神谷牧師による説教の要約】</strong><br /><span style="color: #808000;"><strong>　ここで首長たちが恐れおののいた、預言者エレミヤが巻物に書いた預言、神のことばとは、神が下すわざわいで、バビロンの王が来てこの国を滅ぼすということである。</strong></span><br /><span style="color: #808000;"><strong>　そのことを聞いた王さまが、預言の書かれた巻物を焼いてしまったのは、エレミヤが語る神のことばより、今、自分が仕えているエジプトの王とその力を頼りにしたからといえる。</strong></span><br /><span style="color: #808000;"><strong>　聖書がすべての人にはっきりと語っていることは、すべての人が死後、いわゆる「天国と地獄」の分かれ目となる神の裁きを受けることと、そこで永遠の滅びに定められる人の代わりに、キリストが十字架にかかられたということである。</strong></span><br /><span style="color: #808000;"><strong>　信じる者がその裁きを免れるという、これこそ聖書がすべての人に伝えている福音(良き知らせ)である。</strong></span></p>
<p> </p>
<p>＜ブログ管理人のひとりごと＞<br /><span style="color: #000080;">　緑のグラデーション耀くこの節季、さす光に瑞々しく静かな生命力を曙光のごとくに投げかけてくれる。すばらしい光景です。写真は5日朝に自宅バルコニーからの景色です。カメラの性能上そのすばらしい輝きを十分に映り込ませることができず残念です。それにしても遠くまでクルマを走らせずとも、このような生命力あふれる景色を一望にできる。盛岡市に住む幸いを覚えます。</span><br /><span style="color: #000080;">　そういえば、この日の説教のYouTubeには、愛知県犬山市出身の方が縁あって盛岡市に移住。この教会の会員となられ、信仰の体験談を語ってくださいました。これがこの日の説教のYouTubeの冒頭に収録されています。何しろこの方には一方ならぬお世話になっている我が家です。一昔前は私のPCトラブルは主人が解決、しかし現在、昔のようにというわけにもいかず、主人が自らこの方にSOSを発信。そのたびに駆け付け解決いただいております。この方がスマホにchatGTPを入れてくださって以降、その頻度は減りましたが、また一件出てきたという主人のはなしです。</span><br /><span style="color: #000080;">　このことばかりではなく、教会の管理、運営に関して、牧師先生方、また会員の方々の創意、工夫の出し合いには、私はいつも感嘆、感動しています。些末なことかと思われるかもしれない、さっさと買い替えればいいじゃないか、すぐに業者さんを呼べばといった考え方、方策もあるでしょうが、たとえば鍵ひとつのことでも、監視カメラを設置するかどうかに関しても、その他諸々、一つとして蔑ろにせずに真剣に考えてくださっていることに頭が下がります。みな無報酬です。社会的な仕事のため、なかなか奉仕に参加しかねる方でも、日々聖書を読み、祈るというデボーションを励行されています。</span><br /><span style="color: #000080;">　勿論、何十年という長い間には、この教会を去られた方もいらっしゃいます。しかし、私は、この教会側の事情、たとえば遠隔地に移転するなどで私がこの教会から去らなければならないとしたらそれは致し方がない、しかし自分側の屁理屈や欲のためにこの教会を去ろうと考えることがあるとしたら、自分という人間はおしまいだろうな、そう思っています。</span></p>
<p><br /><span style="color: #000080;"><strong>インマヌエル秋田キリスト教会　　https://localplace.jp/t100303888/</strong></span><br /><span style="color: #000080;"><strong>インマヌエル盛岡キリスト教会　https://sites.google.com/view/igm-morioka/</strong></span><br /><br />&#x23F0;16時48分更新</p>
<p> </p>]]></content:encoded>


<dc:subject>教会</dc:subject>

<dc:creator>中ぶんな</dc:creator>
<dc:date>2026-05-09T16:48:58+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://hatibunbun.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-3fc162.html">
<title>2026/04/26聖日礼拝　説教　インマヌエル綜合伝道団秋田・盛岡キリスト教会（兼牧）　神谷光一牧師</title>
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『同じ有様で、またおいでに』　使徒の働き１章３～14節（説教題をクリックして...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: 12pt; color: #0000ff;"><strong><a href="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/img_20260426_1023251jpg.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 3px auto; display: block;" title="Img_20260426_1023251jpg" src="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/blog/images/img_20260426_1023251jpg.jpg" alt="Img_20260426_1023251jpg" width="243" height="319" border="0" /></a> </strong></span></p>
<p><span style="font-size: 12pt; color: #0000ff;"><strong><a href="https://www.youtube.com/watch?v=6KCecmciCjE">『同じ有様で、またおいでに』</a>　使徒の働き１章３～14節</strong></span><span><br /></span>（説教題をクリックしてお聞きください）<br /><a href="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/img_20260308_1232231jpgjpg_20260502213201.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 3px;" title="Img_20260308_1232231jpgjpg_20260502213201" src="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/blog/images/img_20260308_1232231jpgjpg_20260502213201.jpg" alt="Img_20260308_1232231jpgjpg_20260502213201" width="184" height="223" border="0" /></a> <br /><span><br /><span style="color: #003300;"><strong>3 </strong></span></span><span style="color: #003300;"><strong>イエスは苦しみを受けた後、数多くの証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。四十日にわたって彼らに現れ、神の国のことを語られた。<br />4使徒たちと一緒にいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。」<br />5 ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです。」<br />6 そこで使徒たちは、一緒に集まったとき、イエスに尋ねた。「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。」<br />7 イエスは彼らに言われた。「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです。<br />8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」<br />9 こう言ってから、イエスは使徒たちが見ている間に上げられた。そして雲がイエスを包み、彼らの目には見えなくなった。<br />10 イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると見よ、白い衣を着た二人の人が、彼らのそばに立っていた。<br />11 そしてこう言った。「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」<br />12 そこで、使徒たちはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムに近く、安息日に歩くことが許される道のりのところにあった。<br />13 彼らは町に入ると、泊まっている屋上の部屋に上がった。この人たちは、ペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダであった。<br />14 彼らはみな、女たちとイエスの母マリア、およびイエスの兄弟たちとともに、いつも心を一つにして祈っていた。</strong></span></p>
<p> </p>
<p>【<strong>神谷牧師による説教の要約</strong>】<span><br /></span><span style="color: #808000;"><strong>  よみがえられたキリストが天に上って行き、雲に包まれた時、それを見上げる弟子たちに残されたものは、キリストが再び来られるという約束であった。またキリストが弟子たちに最後に語った、聖霊が与えられるという約束は、彼らが属するイスラエルの国のことだけでなく、世界を視野に収める神の思い、見方が与えられるようになることを意味していた。<br />  その思いに生きるとき、私たちがこの地上での最後を迎え、このからだのいのちは終わる時も、やがての日のよみがえりを期待することができる。</strong></span><span><br /><br /></span></p>
<p>＜ブログ管理人のひとりごと＞<span><br /><span style="color: #000080;">  このページに掲載の説教は、4月最後の聖日礼拝分ですが、はや五月。若葉に光がさすときの輝きには全身が洗われる。生気が漲るというよりも生気に浸されまさしくよみがえらされるといった思いがする。<br />  酪農をしている葛巻の友人が、ことしは新緑の白樺林を案内してくださる事になっている。この方、熊本から葛巻に嫁ぎ、一生涯を酪農につぎ込まれた何とも豪快な女性、豪快といわれることを歓迎している方なのだ。二人のお嬢さんも良き伴侶者に恵まれお幸せ。彼女ならまた一仕事二仕事やってしまいそうな勢いである。この方は、私が日赤で長男を出産した時に隣のベッドだった。ちょうどグリコ・森永事件が連日報道されていた頃のことだ。息子と同じ頃に生まれたお嬢さんに、ちょっと心配な症状があり、彼女は「働き過ぎた」と、気丈な方なので人に涙は見せないが涙してらした。その時に彼女を支えたのが「神は耐えられない試練には遭わせない」という聖書のことばだった。第一コリント10章13節「神は真実な方です。あなた方を耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。」にある。彼女はそれを今でも私に語ってくれる。其の後お嬢さまは立派に成長し、今では良き家庭を築かれ幸せに暮らしている。ほんとうに感謝なことです。嬉しいです。</span><span style="color: #000080;">　</span><br /><br /></span></p>
<p><span> </span></p>
<p><strong>インマヌエル秋田キリスト教会　　</strong><span><a href="https://localplace.jp/t100303888/"><strong>https://localplace.jp/t100303888/</strong></a><br /></span><strong>インマヌエル盛岡キリスト教会　</strong><span><a href="https://sites.google.com/view/igm-morioka/"><strong>https://sites.google.com/view/igm-morioka/</strong></a></span></p>
<p><span> </span></p>
<p>&#x23F0;22時06分更新</p>]]></content:encoded>


<dc:subject>教会</dc:subject>

<dc:creator>中ぶんな</dc:creator>
<dc:date>2026-05-02T22:07:18+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://hatibunbun.cocolog-nifty.com/blog/2026/04/post-f34537.html">
<title>2026/04/19聖日礼拝　説教　インマヌエル綜合伝道団秋田・盛岡キリスト教会（兼牧）　神谷光一牧師</title>
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『次のように書いてあります』　ルカの福音書　24章36～53節（説教題をクリッ...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p><a href="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/img_20260417_1700521jpg.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 3px auto; display: block;" title="Img_20260417_1700521jpg" src="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/blog/images/img_20260417_1700521jpg.jpg" alt="Img_20260417_1700521jpg" width="230" height="147" border="0" /></a></p>
<p><span style="font-size: 12pt; color: #003366;"><a href="https://www.youtube.com/watch?v=YdqYoVKeR1o"><strong>『次のように書いてあります』</strong></a>　ルカの福音書　24章36～53節</span><span><br /></span>（説教題をクリックしてお聞きください）</p>
<p><a href="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/img_20260308_1232231jpgjpg_20260425210601.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 3px;" title="Img_20260308_1232231jpgjpg_20260425210601" src="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/blog/images/img_20260308_1232231jpgjpg_20260425210601.jpg" alt="Img_20260308_1232231jpgjpg_20260425210601" width="157" height="191" border="0" /></a> <br /><span style="color: #003300;"><strong>36 これらのことを話していると、イエスご自身が彼らの真ん中に立ち、「平安があなたがたにあるように」と言われた。<br />37 彼らはおびえて震え上がり、幽霊を見ているのだと思った。<br />38そこで、イエスは言われた。「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを抱くのですか。<br />39 わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。幽霊なら肉や骨はありません。見て分かるように、わたしにはあります。」<br />40 こう言って、イエスは彼らに手と足を見せられた。<br />41 彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっていたので、イエスは、「ここに何か食べ物がありますか」と言われた。<br />42 それで、焼いた魚を一切れ差し出すと、<br />43 イエスはそれを取って、彼らの前で召し上がった。</strong></span><br /><span style="color: #003300;"><strong>44 そしてイエスは言われた。「わたしがまだあなたがたと一緒にいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについて、モーセの律法と預言者たちの書と詩篇に書いてあることは、すべて成就しなければなりません。」<br />45 それからイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、<br />46 こう言われた。「次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、<br />47 その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる。」エルサレムから開始して、<br />48 あなたがたは、これらのことの証人となります。<br />49 見よ。わたしは、わたしの父が約束されたものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」<br />50 それからイエスは、弟子たちをベタニアの近くまで連れて行き、手を上げて祝福された。<br />51 そして、祝福しながら彼らから離れて行き、天に上げられた。<br />52 彼らはイエスを礼拝した後、大きな喜びとともにエルサレムに帰り、<br />53 いつも宮にいて神をほめたたえていた。</strong></span></p>
<p>【<strong>神谷牧師による説教の要約</strong>】<span><br /></span><strong><span style="color: #808000;">　キリストが聖書の中に「書いてある」と言われた時に意味していたのは、聖書に書かれていることは必ず実現するということである。<br />それはキリストの苦難により、私たちに神との間にある罪が除かれることで、神と共に歩む人生をもたらすということである。<br />　弟子たちがキリストから十字架と復活の証人になると言われた時、必要なことは、自分の側にある何かを頼りにするのではなくて、父なる神が約束された上からの力(聖霊)を待ち望むことである。<br />　自分が手にしている、見えるものによってではなく、信仰(みことばの約束)によって歩みたい。</span></strong></p>
<p>＜ブログ管理人のひとりごと＞<span><br />　きょうは主人と16時半に息子のところに行き、孫たちと過ごして20時頃に帰宅。熱いお茶でひとやすみ。<br />まだ幼い子らと遊びながら、世の中が平和であってほしいと願う。<br />　近頃はさまざまな思い巡らしに、考えが際限もなく堂々巡りしていることがある。はやく主を見上げればいいものを。この日の説教でまたまた思い返す「自分が手にしている見えるものによってではなく信仰によって」、夾雑物が除かれてすっきりとした心境になった。　<br /><br /></span></p>
<p><span> </span></p>
<p><strong>インマヌエル秋田キリスト教会　　</strong><span><a href="https://localplace.jp/t100303888/"><strong>https://localplace.jp/t100303888/</strong></a></span><span><br /></span><strong>インマヌエル盛岡キリスト教会　</strong><span><a href="https://sites.google.com/view/igm-morioka/"><strong>https://sites.google.com/view/igm-morioka/</strong></a></span></p>
<p><span> </span></p>
<p>&#x23F0;22時07分更新</p>
<p> </p>]]></content:encoded>



<dc:creator>中ぶんな</dc:creator>
<dc:date>2026-04-25T22:07:29+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://hatibunbun.cocolog-nifty.com/blog/2026/04/post-73abf2.html">
<title>2026/04/12聖日礼拝　説教　インマヌエル綜合伝道団秋田・盛岡キリスト教会（兼牧）　神谷光一牧師</title>
<link>http://hatibunbun.cocolog-nifty.com/blog/2026/04/post-73abf2.html</link>
<description>
 
『これらの出来事すべてについて話し合って』　ルカの福音書　24章13～35...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p><a href="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/img_20260409_1130391jpg.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 3px auto; display: block;" title="Img_20260409_1130391jpg" src="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/blog/images/img_20260409_1130391jpg.jpg" alt="Img_20260409_1130391jpg" width="300" height="188" border="0" /></a></p>
<p> </p>
<p><span style="color: #000080; font-size: 12pt;"><strong><a href="https://www.youtube.com/watch?v=UfXTgDtad5A">『これらの出来事すべてについて話し合って』</a>　ルカの福音書　24章13～35節</strong></span><span><br /></span>（説教題をクリックしてお聞きください）<br /><span><a href="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/img_20260308_1232231jpgjpg.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 3px;" title="Img_20260308_1232231jpgjpg" src="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/blog/images/img_20260308_1232231jpgjpg.jpg" alt="Img_20260308_1232231jpgjpg" width="172" height="208" border="0" /></a> <br /><span style="color: #003300;"><strong>13</strong></span></span><span style="color: #003300;"><strong>ところで、 ちょうどこの日、弟子たちのうちの二人が、エルサレムから六十スタディオン余り離れた、エオマという村に向かっていた。<br />14 彼らは、これらの出来事すべてについて話し合っていた。<br />15 話し合ったり論じ合ったりしているところに、イエスご自身が近づいて来て、彼らとともに歩き始められた。<br />16 しかし、二人の目はさえぎられていて、イエスであることがわからなかった。<br />17 イエスは彼らに言われた。「歩きながら語り合っているその話は何のことですか。」すると、二人は暗い顔をして立ち止まった。<br />18 そして、その一人、クレオパという人がイエスに答えた。「エルサレムに滞在していながら、近ごろそこで起こった事を、あなただけがご存じないのですか。」<br />19 イエスが「どんなことですか」と言われると、二人は答えた。「ナザレ人イエス様のことです。この方は、神と民全体の前で、行いにもことばにも力のある預言者でした。<br />20 それなのに、私たちの祭司長たちや議員たちは、この方を死刑にするために引き渡して、十字架につけてしまいました。<br />21 私たちは、この方こそイスラエルを解放する方だ、と望みをかけていました。実際、そればかりではありません。そのことがあってから三日目になりますが、<br />22 仲間の女たちの何人かが、私たちを驚かせました。彼女たちは朝早く墓に行きましたが、<br />23 イエス様のからだが見当たらず、戻って来ました。そして、自分たちは御使いたちの幻を見た、彼らはイエス様が生きておられると告げた、と言うのです。<br />24 それで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが、まさしく彼女たちの言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」<br />25 そこでイエスは彼らに言われた。「ああ、愚かな者たち。心が鈍くて、預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち。<br />26 キリストは必ずそのような苦しみを受け、それから、その栄光に入るはずではなかったのではありませんか。」<br />27 それからイエスは、モーセやすべての預言者たちから始めて、ご自分について聖書全体に書いてあることを彼らに解き明かされた。<br />28 彼らは目的の村の近くに来たが、イエスはもっと先まで行きそうな様子であった。<br />29 彼らが、「一緒にお泊りください。そろそろ夕刻になりますし、日もすでに傾いております」と言って強く勧めたので、イエスは彼らとともに泊まるため、中に入られた。<br />30 そして彼らと食卓に着くと、イエスはパンを取って神をほめたたえ、裂いて彼らに渡された。<br />31 すると彼らの目が開かれ、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。<br />32 二人は話し合った。「道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか。」<br />33二人はただちに立ち上がり、エルサレムに戻った。すると、十一人とその仲間が集まって、<br />34 「本当に主はよみがえって、シモンに姿を現された」と話していた。<br />35そこで二人も、道中で起こったことや、パンを裂かれたときにイエスだと分かった次第を話した。</strong></span></p>
<p><br /><br /></p>
<p>【<strong>神谷牧師による説教の要約</strong>】<span><br /></span><strong><span style="color: #808000;">　キリストの墓に来た女の人たちに、まばゆい衣を着た二人の人が語った「主がお話しになったこと」とは、キリストが十字架につけられて三日目によみがえることである。<br />　よみがえったキリストは、どこでも自由に出入りできるのに、わざわざその墓の入り口の石が転がされていたのは、そのよみがえりの証拠を誰もが確かめられるようにされたからである。<br />　また、よみがえったキリストが、以前のように弟子たちといつも一緒にいるようにしないのは、これからは見えるかたちではなく、キリストの語った約束の言葉により頼むためであった。<br />　聖書を通して語られる約束に心を留めるとき、よみがえりの主は、時空を超えて、今もなお信ずる者のうちに働かれるのである。</span></strong></p>
<p> </p>
<p><span style="color: #000000;">＜ブログ管理人のひとりごと＞</span><span><br />　復活のエネルギー、それは靈に届く、靈を強めるエネルギーであると後で分かったところがある。確かにそのエネルギーを知覚して元気になってどんどん動きすぎた結果、やはり肉体的な疲労が来てしまい、先週などは意識的に休息をしなければならなかった。張り切ることはいいけれど、自らの今の年代の体力に相応しい働きを注意深くこなすことの方を、神さまは安心して見ておられるのでは。霊的な共感、感動はこの土の器に溜め満ちたところで、臨機応変に注意深く慎重にその力に与るのが良いと思われる。</span></p>
<p><span><br />　道々に咲いているスイセンやアネモネ。よく咲いてくれたね、ありがとう、よく咲いてくれたね、ありがとうと言いながらのぞきこむ。コンクリートの隙間に覗くハコベに目がとまった。よくよく見ると小粒のマーガレットのような花が笑っていると書くのはあまりに稚拙で単純かもしれない。にんまりとしているようでもあり、微笑んでいるようでもある。のほほんとしているようでもありしっかりと緻密な視線を送って来るようでもある。ああ、そうだね、おおきな色鮮やかな花よりも、人に踏まれたこともあるだろう、蔑まれたこともあるだろう。価値ないもののようにあっさりと引き抜かれた打ち捨てられたこともあるだろう。だけど、だからこそ、たぶん、おまえには、おまえにこそ、虐げられているものの気持ちがわかるだろう。力で踏みにじられ、締め付けられるってどんなことかを知っている。一人が踏めば二人目が踏む。そして踏みなれた足が幾度も蹴散らす。何人もがあたりまえのように蹴散らす。弱いと見れば蹴散らす。強い者にはその強さにあやかりたいものが加担する。<br />　ハコベがいいな。高慢ちきじゃない。人の痛みを知っている。力に屈することもない。権威に追随することもない。ハコベはハコベのまま。ほら、神さまの目がおまえに注がれている。<br /><br /></span></p>
<p><span> </span></p>
<p><strong>インマヌエル秋田キリスト教会　　</strong><span><a href="https://localplace.jp/t100303888/"><strong>https://localplace.jp/t100303888/</strong></a></span>しかし、<span><br /></span><strong>インマヌエル盛岡キリスト教会　</strong><span><a href="https://sites.google.com/view/igm-morioka/"><strong>https://sites.google.com/view/igm-morioka/</strong></a></span></p>
<p><span> </span></p>
<p>&#x23F0;20時26分更新</p>
<p> </p>]]></content:encoded>


<dc:subject>教会</dc:subject>

<dc:creator>中ぶんな</dc:creator>
<dc:date>2026-04-18T20:26:30+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://hatibunbun.cocolog-nifty.com/blog/2026/04/post-451a85.html">
<title>2026/04/05 聖日礼拝　説教　インマヌエル綜合伝道団秋田・盛岡キリスト教会（兼牧）　神谷光一牧師</title>
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『主がお話しになったことを思い出し』　ルカの福音書　24章1～12節（説教題...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p> </p>
<p><span style="color: #000080;"><strong>『主がお話しになったことを思い出し』　ルカの福音書　24章1～12節</strong></span><span><br /></span>（説教題をクリックしてお聞きください）</p>
<p><span><a href="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/img_20260308_1232231jpg_20260411195701.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 3px;" title="Img_20260308_1232231jpg_20260411195701" src="https://hatibunbun.cocolog-nifty.com/blog/images/img_20260308_1232231jpg_20260411195701.jpg" alt="Img_20260308_1232231jpg_20260411195701" width="121" height="146" border="0" /></a>  </span></p>
<p><br /><span style="color: #003300;"><strong>1 週の初めの日の明け方早く、彼女たちは準備しておいた香料を持って墓に来た。<br />2 見ると、石が墓からわきに転がされていた。3 そこで中に入ると、主イエスのからだは見当たらなかった。<br />4 そのため途方にくれていると、見よ、まばゆいばかりの衣を着た人が二人、近くに来た。<br />5 彼女たちは恐ろしくなって、地面に顔を伏せた。すると、その人たちはこう言った。「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。<br />6 ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、主がお話になったことを思い出しなさい。<br />7 人の子は必ず罪人たちの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえると言われたでしょう。」<br />8 彼女たちはイエスのことばを思い出した。<br />9 そして墓から戻って、十一人とほかの人たち全員に、これらのことをすべて報告した。<br />10 それは、マグダラのマリア、ヨハンナ、ヤコブの母マリア、そして彼女たちとともにいた、ほかの女たちであった。彼女たちはこれらのことを使徒たちに話したが、<br />11 この話はたわごとのように思われたので、使徒たちは彼女たちを信じなかった。<br />12 しかしペテロは立ち上がり、走って墓に行った。そして、かがんでのぞき込むと、亜麻布だけが見えた。それで、この出来事に驚きながら自分のところに帰った。</strong></span></p>
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<p>【<strong>神谷牧師による説教の要約</strong>】<span><br /></span><strong><span style="color: #993300;">　キリストの墓に来た女の人たちに、まばゆい衣を着た二人の人が語った「主がお話しになったこと」とは、キリストが十字架につけられて三日目によみがえることである。<br />　よみがえったキリストは、どこでも自由に出入りできるのに、わざわざその墓の入り口の石が転がされていたのは、そのよみがえりの証拠を誰もが確かめられるようにされたからである。<br />また、よみがえったキリストが、以前のように弟子たちといつも一緒にいるようにしないのは、これからは見えるようなかたちではなく、キリストの語った約束の言葉により頼むためであった。<br />　聖書を通して語られる約束に心を留めるとき、よみがえりの主は、時空を超えて、今もなお信ずる者のうちに働かれるのである。</span></strong></p>
<p>＜ブログ管理人のひとりごと＞<br /><span style="color: #000080;">　この日５日はイースター礼拝でした。ちょっと私の不手際で只今動画を</span><span><span style="color: #000080;">掲載しかねております。</span><br /><span style="color: #000080;">　朝はやくから週報を印刷くださったり、玄関前を整えたり、受付に立ってくださったり、また愛餐会のカレーを作って下さった方、添える野菜料理をお持ちくださった方々がいらっしゃいました。ズームで参加し近況を報告いただいたり。何よりも神谷先生方がいらしてくださり、直接に説教をいただいて心が刷新されました。また午後にはこの教会から昇天された方々のお墓参りも皆さまとご一緒にしてくださいました。</span><br /><span style="color: #000080;">　これからのいのちが長くとも短くとも、主にお任せです。明日なら明日でもいいかなと思いもします。でもまだやりのこしていることもあると思うと、主よ、あともうすこし、今暫くご猶予ください。復活の力を着せてくださる主よ、感謝します。あなたのお力で今を歩ませてください。<br />　お花の写真も、ほんとうはお墓の写真も今しがたまで手間取っていたのですが、無理はしません。ゆとりをもってできる範囲で更新といたします。<br /></span><br /><br /></span></p>
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<p><strong>インマヌエル秋田キリスト教会　　</strong><span><a href="https://localplace.jp/t100303888/"><strong>https://localplace.jp/t100303888/</strong></a></span><span><br /></span><strong>インマヌエル盛岡キリスト教会　</strong><span><a href="https://sites.google.com/view/igm-morioka/"><strong>https://sites.google.com/view/igm-morioka/</strong></a></span></p>
<p><span> </span></p>
<p>&#x23F0;20時23分更新</p>]]></content:encoded>


<dc:subject>教会</dc:subject>

<dc:creator>中ぶんな</dc:creator>
<dc:date>2026-04-11T20:25:48+09:00</dc:date>
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