教会

きょうのことば

  先週は主人の所用で、宮古市まで出かけてきました。片道2時間。教会は欠席しました。教会を欠席するのは、年にいちどか2度しかありませんが。
 真崎海岸に立ち寄ってきました。3・11でえぐられた傷跡もそのまま。薄墨で描かれたような雲のしたで、波が、飽かずに打ち寄せ、飛沫をあげ、時の間ためらうように砕けては返してゆきます。すっきりと晴れ上がっていないこともあり、まだまだそこかしこに、澱んでいる人の想いが見えるかのような景色でした。

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 いま6時。雨で延びていた近くの小学校の運動会開会を知らせるのろしが聞こえました。

  ☆

 きょうは、ウェブ上に、大変よいブログがありましたので、そこから転載させていただきます。癒しのことばとして取り上げてられていました。

(箴言4:20-23)
                    
「わが子よ。わたしのことばをよく聞け。


わたしのいうことに耳を傾けよ。


それをあなたの目から離さず,あなたの心の内に保て。


見いだす者には,それはいのちとなり,その全身を健やかにする。


力の限り,見張って,あなたの心を見守れ。」


 

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きょうのことば

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  先週の教会の説教は『福音の奥義』  (國光勝美牧師) 、聖書引照は、コロサイ1:24~29でした。

1:24今、私は、キリストのからだ、すなわち教会のために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。キリストのからだとは、教会のことです。 1:25私は神からゆだねられた務めに従って、教会に仕える者となりました。あなたがたに神のことばを、 1:26すなわち、世々の昔から多くの世代にわたって隠されてきて、今は神の聖徒たちに明らかにされた奥義を、余すところなく伝えるためです。 1:27この奥義が異邦人の間でどれほど栄光に富んだものであるか、神は聖徒たちに知らせたいと思われました。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。 1:28私たちは、このキリストを宣べ伝え、あらゆる知恵をもって、すべての人を諭し、すべての人を教えています。すべての人を、キリストにあって成熟した者として立たせるためです。 1:29このために、私は自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘しています。

  

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きょうのことば

 GWの最終日です。一昨日、パソコンを新しくし、きのうデーターを移行してもらい、不慣れながら何とか更新しています。
 去年、枝をかなり刈りこみ、丹念に樹皮をはがした白っぽい葡萄の樹肌のそちこちに、新しい芽がぷちぷちと吹きだしています。咲こう、実ろうとする生命力が、いま、湾曲するこの樹木のうちに漲っています。「我は葡萄の樹、なんじは枝なり。人もし我におり、我また彼におらば、多くの果を結ぶべし」ということばが浮かびました。
 まわりには、真っ赤な木瓜、そして黄色い山吹がたわわに咲き、ことしやっと花房をつけた大手毬の花が、まだ緑色をして、爽やかな朝の空気をいっぱいに吸いこんでいるようです。

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 先週の教会の説教は『奥義なるキリスト』  (國光勝美牧師) 、聖書引照は、コロサイ1:24~29でした。

1:24今、私は、キリストのからだ、すなわち教会のために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。キリストのからだとは、教会のことです。 1:25私は神からゆだねられた務めに従って、教会に仕える者となりました。あなたがたに神のことばを、 1:26すなわち、世々の昔から多くの世代にわたって隠されてきて、今は神の聖徒たちに明らかにされた奥義を、余すところなく伝えるためです。 1:27この奥義が異邦人の間でどれほど栄光に富んだものであるか、神は聖徒たちに知らせたいと思われました。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。 1:28私たちは、このキリストを宣べ伝え、あらゆる知恵をもって、すべての人を諭し、すべての人を教えています。すべての人を、キリストにあって成熟した者として立たせるためです。 1:29このために、私は自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘しています。

  

 

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きょうのことば

 先週は桜さくらの一週間でした。きょうも明るく日がさし、若葉もいよいよ活き活きと。風薫る五月の訪れがもうそこに。

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 先週のインマヌエル盛岡キリスト教会では、コロサイ書1:17~23から『十字架の和解』  と題して、國光勝美牧師からおはなしがありました。

1:17御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。 1:18また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。 1:19なぜなら、神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、 1:20その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。 1:21あなたがたも、かつては神を離れ、心において敵となって、悪い行ないの中にあったのですが、 1:22今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。それはあなたがたを、きよく、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。 1:23ただし、あなたがたは、しっかりとした土台の上に堅く立って、すでに聞いた福音の望みからはずれることなく、信仰に踏みとどまらなければなりません。この福音は、天の下のすべての造られたものに宣べ伝えられているのであって、このパウロはそれに仕える者となったのです。

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きょうのことば

 曇天の朝を迎えている。きのう一日、青空を提供し、桜を引き立たせ、出かけてきた人たちに降り注ぎ、人にも花にも惜しみなくサービスした天が、ちょっとここで一休みしているかのよう。気配に耳を澄ますと、微かに鳥の声がしている。

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 先週のインマヌエル盛岡キリスト教会 では、『神の像なるキリスト』(説教:國光勝美牧師)と題し、コロサイ書1:13~20からのおはなしがありました。

 1:13御父は、私たちを暗闇の力から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。 1:14この御子にあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。 1:15御子は、見えない神のかたちであり、すべての造られたものより先に生まれた方です。 1:16なぜなら、天と地にあるすべてのものは、見えるものも見えないものも、王座であれ主権であれ、支配であれ権威であれ、御子にあって造られたからです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られました。 1:17御子は、万物に先だって存在し、万物は御子にあって成り立っています。 1:18また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一のものとなられました。 1:19なぜなら神は、ご自分の満ち満ちたものをすべて御子のうちに宿らせ、 1:20その十字架の血によって平和をもたらし、御子によって、御子のために万物を和解させること、すなわち、地にあるものも天にあるものも、御子によって和解させることを良しとしてくださったからです。

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きょうのことば

 雨がふっている。花粉症に悩まされているものには慈雨。けれども大切な予定があり、出かけなければならない方にとっては、もしかすれば出鼻を挫かれるようなおもいにも。雨脚を除けようもなく、それでもヒヤシンスや水仙が彩とりどりに、このひと時を惜しみ輝こうとするかに咲いています。

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  先週のインマヌエル盛岡キリスト教会では、『見ずして信ずる幸い』 と題し、ヨハネ伝20:19~31から、國光勝美牧師によるおはなしがありました。

20:1さて、週の初めの日、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリヤは墓にやって来て、墓から石が取りのけられているのを見た。 20:2それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛されたもうひとりの弟子とのところに行って、こう言った。「だれかが墓から主を取って行きました。どこに主を置いたのか、私たちにはわかりません。」 20:3そこでペテロともうひとりの弟子は外に出て、墓へ行った。 20:4二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。 20:5そして、身をかがめると、亜麻布が置いてあるのが見えたが、中に入らなかった。 20:6彼に続いてシモン・ペテロも来て、墓にはいり、亜麻布が置いてあるのを見た。 20:7イエスの頭を包んでいた布は亜麻布と一緒にはなく、離れたところに丸めてあった。 20:8そのとき、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来た。そして見て、信じた。 20:9彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかった。 20:10それで、弟子たちは再び自分たちのところに帰って行った。
20:11一方、マリヤは墓の外にたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。 20:12すると、白い衣を着た二人の御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、一人は頭のところに、一人は足のところに、座っているのが見えた。 20:13彼らはマリアに言った。「女の方、なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きました。どこに主を置いたのか、私にはわかりません。」 20:14彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。そして、イエスが立っておられるのを見たが、それがイエスであることが分からなかった。 20:15イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」彼女は、彼が園の管理人だと思って言った。「あなたが、あの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。私が引き取ります。」 20:16イエスは彼女に言われた。「マリア。」彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ」、すなわち、「先生」とイエスに言った。 20:17イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないのです。わたしの兄弟たちのところに行って、『わたしは、わたしの父であり、あなたがたの父である方、わたしの神であり、あなたがたの神である方のもとに上る。』と伝えなさい。」 20:18マグダラのマリアは行って、弟子たちに、「私は主を見ました」と言い、主が自分にこれらのことを話されたと伝えた。
20:19その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちがいたところでは、ユダヤ人を恐れて戸が鍵がかけられていた。すると、イエスが来て彼らの真ん中に立ち、こう言われた。「平安があなたがたにあるように。」 20:20こう言ってイエスは、手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。 20:21イエスは再び彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします。」 20:22そして、こう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。 20:23あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦されます。赦さずにのこすなら、そのまま残ります。」
20:24十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らと一緒にいなかった。 20:25そこで、ほかの弟子たちは彼に「私たちは主を見た。」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません。」と言った。
20:26八日後、弟子たちは再び家の中におり、トマスも彼らと一緒にいた。戸には鍵がかけられていたが、イエスがやって来て、彼らの真ん中に立ち「平安があなたがたにあるように。」と言われた。 20:27それからトマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」 20:28トマスはイエスに答えた。「私の主、私の神よ。」 20:29イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」
20:30イエスは弟子たちの前で、ほかにも多くのしるしを行なわれたそれらはこの書には書かれていない。 20:31これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。

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きょうのことば

 

先週は、慌ただしく、気ぜわしい日々、そして、よく小雨がぱらついてくれました。それで花粉症がいくらか軽減されたかと思います。

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 先週は復活祭でした。インマヌエル盛岡キリスト教会では、ルカ伝24:13~32が開かれ、『復活の主と共に』との説教題で國光牧師のおはなしがありました。また聖餐式に与りました。

24:13ちょうどこの日、ふたりの弟子が、エルサレムから十一キロメートル余り離れたエマオという村に行く途中であった。 24:14そして、ふたりでこのいっさいの出来事について話し合っていた。 24:15話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。 24:16しかしふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった。 24:17イエスは彼らに言われた。「歩きながらふたりで話し合っているその話は、何のことですか。」すると、ふたりは暗い顔つきになって、立ち止まった。 24:18クレオパというほうが答えて言った。「エルサレムにいながら、近ごろそこで起こった事を、あなただけが知らなかったのですか。」 24:19イエスが、「どんな事ですか。」と聞かれると、ふたりは答えた。「ナザレ人イエスのことです。この方は、神とすべての民の前で、行ないにもことばにも力のある預言者でした。 24:20それなのに、私たちの祭司長や指導者たちは、この方を引き渡して、死刑に定め、十字架につけたのです。 24:21しかし私たちは、この方こそイスラエルを贖ってくださるはずだ、と望みをかけていました。事実、そればかりでなく、その事があってから三日目になりますが、 24:22また仲間の女たちが私たちを驚かせました。その女たちは朝早く墓に行ってみましたが、 24:23イエスのからだが見当たらないので、戻って来ました。そして御使いたちの幻を見たが、御使いたちがイエスは生きておられると告げた、と言うのです。 24:24それで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが、はたして女たちの言ったとおりで、イエスさまは見当たらなかった、というのです。」 24:25するとイエスは言われた。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。 24:26キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光にはいるはずではなかったのですか。」 24:27それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。 24:28彼らは目的の村に近づいたが、イエスはまだ先へ行きそうなご様子であった。 24:29それで、彼らが、「いっしょにお泊まりください。そろそろ夕刻になりますし、日もおおかた傾きましたから。」と言って無理に願ったので、イエスは彼らといっしょに泊まるために中にはいられた。 24:30彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。 24:31それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らには見えなくなった。 24:32そこでふたりは話し合った。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」

<メモ>
わたしたちが 失望し落胆して歩んでいるときに、イエスさまは近づき一緒に歩んでいてくださる。このエマオの途上に、復活したイエスさまが、まさに近づき歩いていらっしゃるのに、見えなかったり、なかなか気づかなかったりするのは、心の眼が開かれていない、心の眼にすすがかかっていたりして、見えにくい状態になっているからです。心の中にあるすすが、心を曇らせ、鈍くし、十字架の輝きを失わせてしまっている。しかし、イエスさまの血潮をあおぎ、きよめられるときに、曇りがはれて、イエスさまがよく見えるようになり、心が燃え立たせられ、力をいただくということでした。

※実際の説教はもっと長く、例話や引証も多くあるのですが、留まった点を書かせていただいております。

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祝 イースター

ことしは4月1日がイースター

      イースターおめでとうございます!

「復活の聖画  無料」の画像検索結果

       ☆

  先週のインマヌエル盛岡キリスト教会では、「十字架と私」と題し、第一コリント1:18~25から説教(國光勝美牧師)が取りつがれました。

1:18十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。 1:19それは、こう書いてあるからです。

「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、
賢い者の賢さをむなしくする。」

1:20知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。 1:21事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。 1:22ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。 1:23しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、 1:24しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。 1:25なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。

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きょうのことば

 きのうのうちにすこしは書いていたのですが、誤操作をしたか、いきなり消えてしまいました。あすにしようと。そしてけさは5時起き。これまで、ブログに書いておけば記録はのこると思い込んでいたのですが、果たして予測される巨大地震が起きたときなど、プロバイダーはどうなるのか、ネットはどうなるのか、はたと不安になりました。東日本大震災のときには、auだけは繋がったと宮古の方から聞いています。こういった事態に向けて、対応策が練られているかとは思うのですが。


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 先週のインマヌエル盛岡キリスト教会では、コロサイ1:9~12から『感謝と祈り2』 (國光勝美牧師)と題しておはなしがありました。

1:9こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。 1:10また、主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられますように。 1:11また、神の栄光ある権能に従い、あらゆる力をもって強くされて、忍耐と寛容を尽くし、 1:12また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように。

<メモ>
 パウロはグノーシス派(ギリシャ哲学)にはノーを唱える。コロサイ書は、そのための書。グノーシスは二元論である。表と裏、天と地、善と悪といったように。善は霊的なものであり、悪は物質的なもの。二元論でキリスト教を理解しようとすると、霊的なものがだんだん物質的なものに変わっていく。グノーシス主義のキリスト論は、霊的世界は即ち物質的世界であり、これは聖書的ではない。このような解説もありました。
 

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きょうのことば

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 先週は、インマヌエル盛岡キリスト教会では、東日本大震災のために祈りが捧げられました。また午後には、ケニアのテヌウェク病院へ送る包帯づくりに皆さまとともに参加、大変楽しいひと時を過ごしました。
 礼拝では、コロサイ書1:9~12から『感謝と祈り』と題し、國光勝美牧師が説教をなさいました。

1:9こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。 1:10また、主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられますように。 1:11また、神の栄光ある権能に従い、あらゆる力をもって強くされて、忍耐と寛容を尽くし、 1:12また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように。



 

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