教会

はじめにことばありき

 明治・大正をたどっていると、活躍した人々の中に、いかにキリスト教の影響があるかを知らされている。意外なことに、大杉栄も洗礼を受けているひとりだ。そのあと、人生をどう歩んだかはそれぞれだけれども、たとえ伝道者にならないとしても、一つ二つ社会から顰蹙を買うような失敗があったとしても、ありよう、考え方、事跡に何某かをもたらしているように思う。
 いま岩手に偉人が出ないのはなぜかと聞いたことがある。神の不在、理由はこれではないのか、そんな気がする。

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 先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の礼拝の説教題は『さあ、取り掛かろう』、聖書の箇所は、ネヘミヤ記2:11~18でした。

11 こうして、私はエルサレムにやって来て、そこに三日間とどまった。
    12 あるとき、私は夜中に起きた。ほかに数人の者もいっしょにいた。しかし、私の神が、私の心を動かしてエルサレムのためにさせようとされることを、私はだれにも告げなかった。また、私が乗った獣のほかには、一頭の獣も連れて行かなかった。
    13 私は夜、谷の門を通って竜の泉のほう、糞の門のところに出て行き、エルサレムの城壁を調べると、それはくずされ、その門は火で焼け尽きていた。
    14 さらに、私は泉の門と王の池のほうへ進んで行ったが、私の乗っている獣の通れる所がなかった。
    15 そこで、私は夜のうちに流れを上って行き、城壁を調べた。そしてまた引き返し、谷の門を通って戻って来た。
    16 代表者たちは、私がどこへ行っていたか、また私が何をしていたか知らなかった。それに、私は、それをユダヤ人にも、祭司たちにも、おもだった人たちにも、代表者たちにも、その他工事をする者たちにも、まだ知らせていなかった。
    17 それから、私は彼らに言った。「あなたがたは、私たちの当面している困難を見ている。エルサレムは廃墟となり、その門は火で焼き払われたままである。さあ、エルサレムの城壁を建て直し、もうこれ以上そしりを受けないようにしよう。」
    18 そして、私に恵みを下さった私の神の御手のことと、また、王が私に話したことばを、彼らに告げた。そこで彼らは、「さあ、再建に取りかかろう」と言って、この良い仕事に着手した。

※インマヌエル総合伝道団は、統一原理教会、ものみの塔といった新興宗教ではありません。

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聖会をこえて

 先週は、1~3日まで東北聖会があった。2日、新幹線で1時間半で郡山着。バスで会場へ。大ホールがけっこう埋まっていた。盛岡から行った姉妹と同室、毎週礼拝で顔を合わせながらも、ゆっくりと話すのは数十年ぶり。メッセージを聞くときも、食事も共に。他の教会の方々とも再会。楽しい2日間となり感謝しきり。

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 先週の教会の礼拝メッセージ『天にある永遠の家』の聖書引証は、第二コリント5:1~10でした。

5:1私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。 5:2私たちはこの幕屋にあってうめき、この天から与えられる住まいを着たいと望んでいます。 5:3それを着たなら、私たちは裸の状態になることはないからです。 5:4確かにこの幕屋の中にいる間は、私たちは重荷を負って、うめいています。それは、この幕屋を脱ぎたいと思うからでなく、かえって天からの住まいを着たいからです。そのことによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためにです。 5:5私たちをこのことにかなう者としてくださった方は神です。神は、その保証として御霊を下さいました。 5:6そういうわけで、私たちはいつも心強いのです。ただし、私たちが肉体にいる間は、主から離れているということも知っています。 5:7確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。 5:8私たちはいつも心強いのです。そして、むしろ肉体を離れて、主のみもとにいるほうがよいと思っています。 5:9そういうわけで、肉体の中にあろうと、肉体を離れていようと、私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。 5:10なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。

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家に留まった日曜日

  昨夜は1943年の近衛秀麿を追ったTV番組を観た。その名を目にしたのは、宮澤賢治の「セロ弾きのゴーシュ」、金星楽団の指揮者のモデルは近衛秀麿か斎藤秀雄かなどと考察している著書の中でのこと、近年ほとんど見ることがなかった。それが今クローズップ、恩師クロイツァーをはじめ楽団のユダヤ系の人々が迫害から逃れられるように便宜を図っていたのだ。繊細で優雅とばかり見えていた近衛の新たな側面だった。

 先週日曜日は大 雨。主人が心配するので家に留まったのだけれども、変わらずに礼拝を守った方々がいたことを聞いた。

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 先週は『希望の信仰』と題して、ヨハネ黙示録21:1~8よりメッセージが取次がれたということでした。

21:1また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。 21:2私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。 21:3そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、 21:4彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」 21:5すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」 21:6また言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。 21:7勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。 21:8しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」

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雨の日曜日

 きのうは暑さに勝てず、士気が落ちた状態に近かったが、とにかく原稿を書くべく強いて自分を追い込んだ。祈ってやった方がよいと思わせられ、祈った。書くよりも書くための調べ、確認なのだが。書く事自体にはそんなに時間はかからない。ふとブログ更新が過ったが、せっかく集中したところに今を中断しない方がいいので、そのまま続行。雨が降ってきた。12時を回り、半ごろに仕方なく止める。外は土砂降り。怖いような降り方だった。
 いま23日03時58分の気象庁の発表を見たが、盛岡市に大雨(土砂災害・浸水害)警報、洪水警報、雷・濃霧注意報、何れ大雨・洪水警報は盛岡・花北地域に集中している。何も起こらずには済みそうもない気配だが。最小限に抑えられることを祈る。
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 先週のインマヌエル盛岡キリスト教会では、聖書のヨハネ伝6:1~14を引証、『数えてみよ、主の恵』と題して、変わらずに國光勝美牧師のメッセージがありました。

ヨハネ伝6:1~14
6:1その後、イエスはガリラヤの湖、すなわち、テベリヤの湖の向こう岸へ行かれた。 6:2大ぜいの人の群れがイエスにつき従っていた。それはイエスが病人たちになさっていたしるしを見たからである。 6:3イエスは山に登り、弟子たちとともにそこにすわられた。 6:4さて、ユダヤ人の祭りである過越が間近になっていた。 6:5イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」 6:6もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。 6:7ピリポはイエスに答えた。「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」 6:8弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。 6:9「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」 6:10イエスは言われた。「人々をすわらせなさい。」その場所には草が多かった。そこで男たちはすわった。その数はおよそ五千人であった。 6:11そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。 6:12そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。「余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。」 6:13彼らは集めてみた。すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。 6:14人々は、イエスのなさったしるしを見て、「まことに、この方こそ、世に来られるはずの預言者だ。」と言った。

 
この日は遠来のお客様で、千葉からお二人、東京からお一人が来会されました。

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讃美歌の力

  起き出したのが4時半。きのうも一日家にこもり、地域関連の用足し以外には歩いておらず、1時間でも歩いてこようかと思っている間に雨がぱらつく音。新聞配達のバイクの音が遠く近く動いている。いましがた本格的に降ってきた。雷の音がしている。連日の猛暑。「主の祈り」を唱える。

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  キャサリンさん、いま宮古におられ、被災地の方々に耳を傾けて、演奏くださっています。習慣、食べ物の違い、方言に戸惑われながらも、ハープで讃美歌を届けてくださっています。
 バッハよし、ベートーヴェンよし、しかし、心が空疎なとき、悲しむ時には、讃美歌がいちばん。癒されます。

 先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の説教題は『主から与えられる歌』で、開かれた聖書の箇所は詩篇40:1~3でした。

指揮者のために。ダビデの賛歌
    1 私は切なる思いで主を待ち望んだ。
    主は私のほうに身を傾け、私の叫びを聞き、
    2 私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。
    そして私の足を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。
    3 主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた。
    多くの者は見、そして恐れ、主に信頼しよう。

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7月9日(日)14:00~15:30、インマヌエル盛岡キリスト教会において、キャサリン・ポーターさんのハープコンサートがあります。

 先週は、インマヌエル盛岡キリスト教会で、献児式がありました。お母さんに抱っこされ、お父さんと共に講壇の前に進み出たお子さんが、ひろ子牧師の手にわたされ、ひろ子牧師の腕の中で泣くこともなく興味ありげに澄んだ瞳を見開きながら、國光勝美牧師から祝福のことばとお祈りをいただいていました。

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 聖書からの引証は、
使徒の働き16:19~34
16:19彼女の主人たちは、もうける望みがなくなったのを見て、パウロとシラスを捕え、役人たちに訴えるため広場へ引き立てて行った。 16:20そして、ふたりを長官たちの前に引き出してこう言った。「この者たちはユダヤ人でありまして、私たちの町をかき乱し、 16:21ローマ人である私たちが、採用も実行もしてはならない風習を宣伝しております。」 16:22群衆もふたりに反対して立ったので、長官たちは、ふたりの着物をはいでむちで打つように命じ、 16:23何度もむちで打たせてから、ふたりを牢に入れて、看守には厳重に番をするように命じた。 16:24この命令を受けた看守は、ふたりを奥の牢に入れ、足に足かせを掛けた。 16:25真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。 16:26ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。 16:27目をさました看守は、見ると、牢のとびらがあいているので、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。 16:28そこでパウロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる。」と叫んだ。 16:29看守はあかりを取り、駆け込んで来て、パウロとシラスとの前に震えながらひれ伏した。 16:30そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか。」と言った。 16:31ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った。 16:32そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った。 16:33看守は、その夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。そして、そのあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。 16:34それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ。


説教題『福音を讃美歌にのせて』とのメッセージが取次がれました。

           ☆  ☆  ☆

本日午後2時から、当教会で、ハープ奏者キャサリン・ポーターさんのコンサートがあります。おでかけください。



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日曜日のことば

 7月にはいって第1週の日曜日。きょうは雨もよいの朝、こんな日にはメンタルが下降にならぬよう意識をたもちながら、朝のしごとに向き直ります。

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 先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の聖書の引証は

エペソ書2:1~10
2:1あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、 2:2そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。 2:3私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。 2:4しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、 2:5罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。―― 2:6キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。 2:7それは、あとに来る世々において、このすぐれて豊かな御恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜わる慈愛によって明らかにお示しになるためでした。 2:8あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。 2:9行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。 2:10私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。


 7月9日(日)14:00~15:30、インマヌエル盛岡キリスト教会において、キャサリン・ポーターさんのハープコンサートがあります。

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7月9日(日)14:00~15:30、インマヌエル盛岡キリスト教会において、キャサリン・ポーターさんのハープコンサートがあります。  

  地域の皆様方が品物を提供くださり、そして教会のみなさま方が物品管理、会場設営、販売と携わったバザーが終わりました。感謝、感謝です。ケニヤの屈託のないリズム、讃美歌が流れる会場で、多くの方々に買い物を楽しんでいただく事ができました。収益金はケニヤのテヌウェク病院のために使われます。

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 先週は「聖霊に満たされて2」と題し、ガラテヤ書5:16~26が引証されました。

5:16私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。 5:17なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。 5:18しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。 5:19肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、 5:20偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、 5:21ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。 5:22しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、 5:23柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。 5:24キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。
5:25もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。 5:26互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう。

 7月9日(日)14:00~15:30、インマヌエル盛岡キリスト教会において、キャサリン・ポーターさんのハープコンサートがあります。
 

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御霊によって

  とにかく忙しい一週間でした。遊ぶ時間がないのは、いいことかもしれません。もうすこし体力があればと思わないではないのですが、しかし、よい一週間でした。

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 先週の教会の説教『聖霊に満たされて』の聖書の引証個所です。
ガラテヤ5:16~26

5:16私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。 5:17なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。 5:18しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。 5:19肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、 5:20偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、 5:21ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。 5:22しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、 5:23柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。 5:24キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。
5:25もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。 5:26互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう。


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ペンテコステ礼拝

 先週はペンテコステ講壇でした。聖餐式にも与りました。この日に毎年必ず歌う讃美歌が『いずこにある島々にも』です。インマヌエル盛岡キリスト教会の國光勝美牧師が『聖霊経験とは』と題して、使徒の働き182419:7からおはなしをしました。

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18:24
さて、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。 18:25この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。 18:26彼は会堂で大胆に話し始めた。それを聞いていたプリスキラとアクラは、彼を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した。 18:27そして、アポロがアカヤへ渡りたいと思っていたので、兄弟たちは彼を励まし、そこの弟子たちに、彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。彼はそこに着くと、すでに恵みによって信者になっていた人たちを大いに助けた。 18:28彼は聖書によって、イエスがキリストであることを証明して、力強く、公然とユダヤ人たちを論破したからである。

 

 19:1アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、 19:2「信じたとき、聖霊を受けましたか。」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。」と答えた。 19:3「では、どんなバプテスマを受けたのですか。」と言うと、「ヨハネのバプテスマです。」と答えた。 19:4そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです。」と言った。 19:5これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。 19:6パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。 19:7その人々は、みなで十二人ほどであった。

《國光牧師のおはなし》
 私たちは、信仰に歩む中で、必ず「きよめ」の問題、つまり第二の転機といわれる信仰の段階を歩む必要を知らされます。それがあって栄化の恵みに与ることができます。
 きょうは、聖書に通じ霊に燃えているアポロというユダヤ人がエペソに来たところからのおはなしです。エペソはパウロの伝道活動の中で、決して忘れられない大きな意味のある場所です。…(中略)…パウロは続く3年間、エペソを宣教の拠点にしました。アポロの弟子たちが聖霊を受け、教会が設立されたとあります。パウロは、第一次、第二次、第三次伝道旅行、そしてローマへの道の伝道旅行をしました。これは第三次伝道旅行が始まったところです。使徒の働きの「18:22それからカイザリヤに上陸してエルサレムに上り、教会にあいさつしてからアンテオケに下って行った。」で第一次伝道旅行が終わり、「18:23そこにしばらくいてから、彼はまた出発し、ガラテヤの地方およびフルギヤを次々に巡って、すべての弟子たちを力づけた。」とあるこのところから第三次伝道旅行が始まっています。そしてパウロがエペソにやってくることになる。18:24に続きます。
 アレキサンドリヤはアフリカの北部にあります。「アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た」。両親はエジプトのアレキサンドリアで暮らしていた。アレキサンドリアにはユダヤの人たちが聖書を持って大きな影響を与えていた。アポロの両親はきっとその感化を受けており、聖書の神様こそほんとうの神様であると異教徒から改宗し、その両親の教えで、アポロは小さいうちから聖書に通じていたでしょう。「18:25この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。 18:26彼は会堂で大胆に話し始めた。」とある。アポロは、ヨハネのバプテスマしか知らなかった。十字架の贖いをなし遂げた救い主を知らない。ヨハネという人物は自分よりも後から来る方、わたしはその方の靴のひもを解いて差し上げることはできないほどであると、主の道の備えをしていたほどのバプテスマのヨハネがいっている。このヨハネのキリストへの理解を享けて、アポロは、聖書に通じ、イエス様のことを知っていたわけです。しかし、それ以上ではなかった。イエス様のことを語るけれども、うん?と思ってしまうようなところがあったのです。
 しかし、「それを聞いていたプリスキラとアクラは、彼(アポロ)を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した。」とあります。プリスキラとアクラはユダヤ人でしたがクリスチャンになっていました。アクラの職業は天幕づくりです。パウロがコリントにやってきて伝道しようとしたときに、このプリスキラとアキラ夫妻は同業者であることもあり、パウロを懸命に助けました。そしてこのパウロの教えも受けていた。どうしてこの夫妻がそのときコリントにいたかというと、やがてネロという皇帝がクリスチャンを大迫害するあ、その前の皇帝が、ローマからクリスチャンを追放する命令をしました。それで、ローマにいることができなくなったプリスキラとアクラはコリントにやってきた。そこでパウロがコリントにやってきたときに、非常に近しくし、コリントの伝道を助けたのでした。
 このふたりが、ここではエペソに来ている。エペソで中心的なメンバーとして教会での活動をしていたときに、熱心な若者、聖書に通じているアポロという若者がいた。一生懸命にイエス様の事をおはなしをしている。会衆席で、プリスキラとアクラ夫妻が、頷きながら聴いている。しかし自分たちがパウロ先生からコリントにおいて受けたそれとちょっと違っていた。イエス・キリストの十字架と救いということにおいて、ご夫妻は非常に主に恵まれたご夫妻であっただけに、違いを感じた。そこでアポロを家に招いて食事をまじえながら、夫妻がパウロから受けていたほんとうの神の福音を伝えたのです。そして、アポロは、この夫妻の指摘を喜んで心から受け入れたのです。アポロのすばらしさがわかります。遜って人の教えに耳を傾けました。またもう一つ、麗しいことは、プリスキラとアクラが、決して集会場で、アポロの批判をしなかったことです。
 プリスキラとアクラは行く先行き先でよい証しを立てました。アポロの行く先々に、アポロを歓迎し助け励ますようにといっておいている。そのような励ましを受けながら、「18:28彼(アポロ)は聖書によって、イエスがキリストであることを証明して、力強く、公然とユダヤ人たちを論破したからである」。このときに、「19:1アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、 19:2『信じたとき、聖霊を受けましたか。』と尋ねると、彼らは、『いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。』と答えた。」
 つまり、聖霊というものを知っていたのかもしれませんが、与えられることがあるとは知らな。そこでやがて来るイエス様の福音を知り、パウロから主イエスの御名によってバプテスマを受け、その時に聖霊が彼らの上に臨まれて、彼らは異言を語ったり預言をしたりしました。聖霊降臨の出来事がここに書かれています。
 そしてプリスキラとアクラという人物に似ているなとおもったのは、モラビアンの人々とジョン・ウェスレーとの出会いです。ジョン・ウェスレーは、非常に真面目で真実な学徒であり、まじめに聖書を勉強している人物でした。彼らが几帳面、まじめに生きているのを見て、人々は揶揄して「彼らはメソジストだ」呼んだことからメソジストといわれるようになりました。そんなときに、ウェスレーは、アマリカのインディアンたちに福音を伝えようとして、ジョージアに伝道しようと、アメリカ行きの船に乗り込みます。そこにいたのがモラビアンの人々でした。船が難破しそうなほどの大嵐のときに、モラビアンの人々は、讃美歌tを歌い、礼拝を捧げているのです。ウェスレーは、彼らはわたしの持っていない何かを持っていると思いました。ジョージアでの伝道は敗北でした。訴訟問題までに巻き込まれます。弟のチャールズは別な所に伝道に行き、殺されそうになりました。失意のうちにイギリスに帰ります。そのときに、モラビアンの指導者のひとりであるピーター・ベーラーという人物と出会います。ウェスレーは博学でしたが、素朴なピーター・ベーラーに「わたしは説教をすることができなくなったこと、信仰がわからなくなった」と謙虚に打ち明けます。するとピーター・ベーラーは、言いました「ウェスレー先生、説教をやめちゃいけません。信仰について説教しなさい。そして、わからなくても、信仰について説教しなさい。そして、わかったらば、その信仰について説教するのです」。ウェスレーはそこでほんとうに励まされている。これはまさしくプリスキラとアクラとアポロの理想的な関係の有様です。
 あるときウェスレーは疲れ果てていく気もなかったとき、モラビアン派の集会があるというので、しぶしぶアルダースゲートにある集会に出ました。そこには、学ぶ機会にも恵まれなかった純朴な人が、ルターの書いたローマ人への手紙の序論を読んで人々におはなしをしていました。「義人は信仰によって生きる」、これを聞いたとき、ウェスレーは聖霊に感じ、「わかた!、信仰がわかった。そうだ、クリスチャンになるってこういう事だったんだ」。彼は喜び勇んでチャールズの許に行き、「僕はいまクリスチャンになった!」というと、チャールズはすでに数日前にモラビアンの集会で同じ経験をしていたのでした。それがメソジストの始まりとなったのです。
 ウェスレーはヨハネのバプテスマは受けていた、しかし、イエスの御名による、聖霊によるバプテスマを受けていなかった。培ってきた聖書の心理は、ある時に発火点があって、急に燃え始めて、まさに点火されたのが、アルダスゲートの経験であったのです。ウェスレーのこれまで持っていたすべてが生かされて、そして聖霊経験を持ったウェスレーたちの働きによって、このメソジスト運動が広がっていったと私たちは学ぶことができます。このできごと、使徒の働きの19章、これと殆ど同じではないかと思います。私たちがいま必要なのは、聖霊によって点火されることです。いま与えられている今まで培ってきたものが点火され、燃やされて、一人ひとりが証し人となってゆく、これが2017年の私たちのアルダースゲート、私たちのペンテコステの経験となりますように願うことであります。

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