教会

はじめにことばありき

 先週、インマヌエル盛岡キリスト教会で、深川教会の川嶋直行先生をお迎えしての集会が開かれました。

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 聖書の中でも有名なルカ伝15:11~32の放蕩息子からのお話で、題は『神のもとに立ち返ろう』でした。

15:11またこう話された。「ある人に息子がふたりあった。 15:12弟が父に、『おとうさん。私に財産の分け前を下さい。』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。 15:13それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。 15:14何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。 15:15それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。 15:16彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。 15:17しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。 15:18立って、父のところに行って、こう言おう。「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。 15:19もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』 15:20こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。 15:21息子は言った。『おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』 15:22ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。 15:23そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。 15:24この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。 15:25ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえて来た。それで、 15:26しもべのひとりを呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、 15:27しもべは言った。『弟さんがお帰りになったのです。無事な姿をお迎えしたというので、おとうさんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。』 15:28すると、兄はおこって、家にはいろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。 15:29しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はおとうさんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。 15:30それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』 15:31父は彼に言った。『おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。 15:32だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」

 
「自分で神の国に帰ることはできないが、十字架をとおって救いにはいることができる」、この一点が心に留まりました。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 

翌9日には聖会があり、神谷光一先生が、ルカ19:33,34からお話くださいました。

ルカ
19:33彼らがろばの子をほどいていると、その持ち主が、「なぜ、このろばの子をほどくのか。」と彼らに言った。 19:34弟子たちは、「主がお入用なのです。」と言った。

 

率直で謙遜なメッセージに共感!

 来会者の方々が熱心に耳を傾けてくださったことも、感謝なことでした。

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きょうは特別企画の会

 先週は地域行事への動員がかかり、教会は欠席。

 けさは、病気とたたかっている教会の方々や、友人、知人の方々が心を過った。八木重吉の詩に、「聖霊がなければいくら聖書を読んでもわからない」とあるけれども、聖霊は信じたときに与えられる。ことばが力となるのはそれから。
 医学も病気退治のために健闘しているけれども、何とかお力にと、「おだいじに」、「祈っています」というけれども、時として、そのことに齟齬を覚える近ごろ、一個人の心のうちに、ほんとうに励まし、力となることばがあったならと思わせられる。

 きょうは特別企画の集会の日です。

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はじめにことばありき

  またベルケアが咲いています。急に冷えこんだ朝も、雨をうけながら、だいじょうぶ、まだ頑張れる、と言いながら。

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 先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の礼拝説教は『主の御手の励まし』 (國光勝美牧師)、聖書引証は、ネヘミヤ記2:17、18でした。

17 それから、私は彼らに言った。「あなたがたは、私たちの当面している困難を見ている。エルサレムは廃墟となり、その門は火で焼き払われたままである。さあ、エルサレムの城壁を建て直し、もうこれ以上そしりを受けないようにしよう。」
18 そして、私に恵みを下さった私の神の御手のことと、また、王が私に話したことばを、彼らに告げた。そこで彼らは、「さあ、再建に取りかかろう」と言って、この良い仕事に着手した。

<メモ>
 主の御座の上の手とは、それは、十字架で刺しとおされた手であり、この御手で、神は私たちの為にとりなしの祈りをしていてくださる。世々にわたって、主は、祈りの手をあげ続けてくださっている。モーセの手は時として下がったが、主の御手は下がることはない。主は、一人ひとりの名をあげて、一人ひとりに触れて祈ってくださる。
 私たちも、主の仕事に着手するとき、主は手を置いて祈ってくださる。ネヘミヤだから成し遂げられるのか、そうではない、私たちもネヘミヤと同じひとなのです。
 ヨシュア記で、ヨシュアが敵の、永遠の敵であるアマレクに勝ったのは、祈りの手があげられていたからであることを忘れてはならない。主は世々にわたってアマレクと戦われます。

  ☆  ☆  ☆


特別企画集会のご案内

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はじめにことばありき

 先週のインマヌエル盛岡キリスト教会では聖書のネヘミヤ記2:17,18から、『神の恵みの御手』と題し、国光勝美牧師の説教がありました。

17 それから、私は彼らに言った。「あなたがたは、私たちの当面している困難を見ている。エルサレムは廃墟となり、その門は火で焼き払われたままである。さあ、エルサレムの城壁を建て直し、もうこれ以上そしりを受けないようにしよう。」
    18 そして、私に恵みを下さった私の神の御手のことと、また、王が私に話したことばを、彼らに告げた。そこで彼らは、「さあ、再建に取りかかろう」と言って、この良い仕事に着手した。


<メモ>
ネヘミヤの使命は城壁の再建でした。「神の御手」は、どんな手なのか。

 マタイ伝14章でペトロが、「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」とイエス様にいうと、イエス様が「来なさい。」と言われたので、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください。」と言った。すると、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」と。
 このように、イエス様は、すぐに手を伸ばして摑んで助けてくださる。まして私たちが、神様のための働きをしようとするときには、イエス様の御手が私たちの手の上に置かれている。だから私たちは、先ず、神の仕事に着手することです。とにかく着手しなければ、神様の働きは進んでは行きません。

 ☆  ☆  ☆

以下は、特別企画集会のご案内です。

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いのり

  ミサイルの脅威、台風情報、いまだ未解決の原発と、容易ならざる日常ではあるけれども、きのうまる一日していたことは、草取り。これまで放置していただけ真っ正直にのび放題に繁りに茂った雑草の一掃、こんなことをしている場合かと思いつつ。しかしこういう家の仕事は、時間的な損失だと費やした労力が悔しくなるわけでもない。庭仕事はふしぎに心が静かになる時間でもある。

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 先週の
インマヌエル盛岡キリスト教会の聖書の引証個所は、ネヘミヤ記2:17、18で、『避け所なる祈り』と題して國光勝美牧師のメッセージがありました。

17 それから、私は彼らに言った。「あなたがたは、私たちの当面している困難を見ている。エルサレムは廃墟となり、その門は火で焼き払われたままである。さあ、エルサレムの城壁を建て直し、もうこれ以上そしりを受けないようにしよう。」
    18 そして、私に恵みを下さった私の神の御手のことと、また、王が私に話したことばを、彼らに告げた。そこで彼らは、「さあ、再建に取りかかろう」と言って、この良い仕事に着手した。


<説教の要点>
 ネヘミヤは、廃墟と化したエルサレムの惨状をきいて嘆き、祈りというシェルターにとびこみ、断食して祈ったというのです。ネヘミヤ王から事情を尋かれたので、実情を申し上げたところ、王はエルサレムの修復に力を貸そうとした。ところが、サンバラテが、ユダヤ人たちを嘲笑ってこれを妨げようとする。しかし、ネヘミヤは屈することなく祈りに祈りを積んで負けず城壁の再建を図っていく。取り掛かったものの、生活の困窮や仲間たちのいざこざが起きてしまう。ネヘミヤはまたも屈せず「これだけ自己犠牲を払って再建に取り掛かっているのですから、神よ、これを評価してください、反逆する敵をやり返してください」と、どこまでも神に食い下がり赤裸々に祈りつづけますが、この祈りのシェルターを持っていることが、ネヘミヤの強さでした。神を心から信頼し、祈りのシェルターに飛びこむこと、これが勝利の秘訣です。


 

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はじめにことばありき

 30分と駆けなくとも、こんな爽やかな緑の中に道が貫かれている。ほっとします。自然が身近にある、これも盛岡のいいところかなと。どこかにクマが潜んでいるかもしれませんが、遭遇しない限りは快適です。自然はクマにとってもヒトにとっても神の恵みであるはず。

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 先週、インマヌエル盛岡キリスト教会で開かれた聖書個所は、ネヘミヤ記2:17,18、國光牧師による説教は『修復に立ち上がろう』でした。

17 それから、私は彼らに言った。「あなたがたは、私たちの当面している困難を見ている。エルサレムは廃墟となり、その門は火で焼き払われたままである。さあ、エルサレムの城壁を建て直し、もうこれ以上そしりを受けないようにしよう。」
    18 そして、私に恵みを下さった私の神の御手のことと、また、王が私に話したことばを、彼らに告げた。そこで彼らは、「さあ、再建に取りかかろう」と言って、この良い仕事に着手した。


 いまの教会を目にして、廃墟となってはおらず、火で焼き払われたままになってもいない。わたしには、そう見えている。決して大きな教会ではない。けれども、お一人おひとりが、あたたかい。熱心でおられる。いまを謙虚に、懸命に生きておられ、わたしなどは、照らされることしばしばです。

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はじめにことばありき

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 先週、インマヌエル盛岡キリスト教会では、ネヘミヤ記2:11~18から、『再建の恵み』と題し、國光勝美牧師の説教がありました。

ネヘミヤ記2:11~18
11 こうして、私はエルサレムにやって来て、そこに三日間とどまった。
    12 あるとき、私は夜中に起きた。ほかに数人の者もいっしょにいた。しかし、私の神が、私の心を動かしてエルサレムのためにさせようとされることを、私はだれにも告げなかった。また、私が乗った獣のほかには、一頭の獣も連れて行かなかった。
    13 私は夜、谷の門を通って竜の泉のほう、糞の門のところに出て行き、エルサレムの城壁を調べると、それはくずされ、その門は火で焼け尽きていた。
    14 さらに、私は泉の門と王の池のほうへ進んで行ったが、私の乗っている獣の通れる所がなかった。
    15 そこで、私は夜のうちに流れを上って行き、城壁を調べた。そしてまた引き返し、谷の門を通って戻って来た。
    16 代表者たちは、私がどこへ行っていたか、また私が何をしていたか知らなかった。それに、私は、それをユダヤ人にも、祭司たちにも、おもだった人たちにも、代表者たちにも、その他工事をする者たちにも、まだ知らせていなかった。
    17 それから、私は彼らに言った。「あなたがたは、私たちの当面している困難を見ている。エルサレムは廃墟となり、その門は火で焼き払われたままである。さあ、エルサレムの城壁を建て直し、もうこれ以上そしりを受けないようにしよう。」
    18 そして、私に恵みを下さった私の神の御手のことと、また、王が私に話したことばを、彼らに告げた。そこで彼らは、「さあ、再建に取りかかろう」と言って、この良い仕事に着手した。

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はじめにことばありき 國光幾代子先生 告別式

 

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 17日に、國光先生方のお母様であり、また一生を神様にささげられた國光幾代子先生(98歳)が天に召されました。21日に聖宣神学院教会で告別式がありました。1919年岡山県生まれ。女学校の時、父の転勤で東京へ。義母の國光良子師の信仰の熱心によって福音を知り洗礼を受け、献身され、最期の最後まで、福音を語られました。
 

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盛岡教会でご奉仕をされる幾代子先生


 この日の國光勝美牧師の説教は『天の故郷を慕う者』、聖書引証個所はピリピ書3:17~21でした。

3:17兄弟たち。私を見ならう者になってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。 3:18というのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。 3:19彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。 3:20けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。 3:21キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。



 

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せいしょのことば

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先週、インマヌエル盛岡キリスト教会で開かれた聖書個所は
ネヘミヤ記1:1~2:8

  ここから、悔い改めと祈りによる城壁の再建、そして、信仰の姿勢の再建を学びました。

1章
    1 ハカルヤの子ネヘミヤのことば。
    第二十年のキスレウの月に、私がシュシャンの城にいたとき、
    2 私の親類のひとりハナニが、ユダから来た数人の者といっしょにやって来た。そこで私は、捕囚から残ってのがれたユダヤ人とエルサレムのことについて、彼らに尋ねた。
    3 すると、彼らは私に答えた。「あの州の捕囚からのがれて生き残った残りの者たちは、非常な困難の中にあり、またそしりを受けています。そのうえ、エルサレムの城壁はくずされ、その門は火で焼き払われたままです。」
    4 私はこのことばを聞いたとき、すわって泣き、数日の間、喪に服し、断食して天の神の前に祈って、
    5 言った。「ああ、天の神、主。大いなる、恐るべき神。主を愛し、主の命令を守る者に対しては、契約を守り、いつくしみを賜る方。
    6 どうぞ、あなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを聞いてください。私は今、あなたのしもべイスラエル人のために、昼も夜も御前に祈り、私たちがあなたに対して犯した、イスラエル人の罪を告白しています。まことに、私も私の父の家も罪を犯しました。
    7 私たちは、あなたに対して非常に悪いことをして、あなたのしもべモーセにお命じになった命令も、おきても、定めも守りませんでした。
    8 しかしどうか、あなたのしもべモーセにお命じになったことばを、思い起こしてください。『あなたがたが不信の罪を犯すなら、わたしはあなたがたを諸国民の間に散らす。
    9 あなたがたがわたしに立ち返り、わたしの命令を守り行うなら、たとい、あなたがたのうちの散らされた者が天の果てにいても、わたしはそこから彼らを集め、わたしの名を住ませるためにわたしが選んだ場所に、彼らを連れて来る』と。
    10 これらの者たちは、あなたの偉大な力とその力強い御手をもって、あなたが贖われたあなたのしもべ、あなたの民です。
    11 ああ、主よ。どうぞ、このしもべの祈りと、あなたの名を喜んで敬うあなたのしもべたちの祈りとに、耳を傾けてください。どうぞ、きょう、このしもべに幸いを見せ、この人の前に、あわれみを受けさせてくださいますように。」そのとき、私は王の献酌官であった。
2章
    1 アルタシャスタ王の第二十年のニサンの月に、王の前に酒が出たとき、私は酒を取り上げ、それを王に差し上げた。これまで、私は王の前でしおれたことはなかった。
    2 そのとき、王は私に言った。「あなたは病気でもなさそうなのに、なぜ、そのように悲しい顔つきをしているのか。きっと心に悲しみがあるに違いない。」私はひどく恐れて、
    3 王に言った。「王よ。いつまでも生きられますように。私の先祖の墓のある町が廃墟となり、その門が火で焼き尽くされているというのに、どうして悲しい顔をしないでおられましょうか。」
    4 すると、王は私に言った。「では、あなたは何を願うのか。」そこで私は、天の神に祈ってから、
    5 王に答えた。「王さま。もしもよろしくて、このしもべをいれてくださいますなら、私をユダの地、私の先祖の墓のある町へ送って、それを再建させてください。」
    6 王は私に言った。――王妃もそばにすわっていた――「旅はどのくらいかかるのか。いつ戻って来るのか。」私が王にその期間を申し出ると、王は快く私を送り出してくれた。
    7 それで、私は王に言った。「もしも、王さまがよろしければ、川向こうの総督たちへの手紙を私に賜り、私がユダに着くまで、彼らが私を通らせるようにしてください。
    8 また、王に属する御園の番人アサフへの手紙も賜り、宮の城門の梁を置くため、また、あの町の城壁と、私が入る家のために、彼が材木を私に与えるようにしてください。」私の神の恵みの御手が私の上にあったので、王はそれをかなえてくれた。

 

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はじめにことばありき

 明治・大正をたどっていると、活躍した人々の中に、いかにキリスト教の影響があるかを知らされている。意外なことに、大杉栄も洗礼を受けているひとりだ。そのあと、人生をどう歩んだかはそれぞれだけれども、たとえ伝道者にならないとしても、一つ二つ社会から顰蹙を買うような失敗があったとしても、ありよう、考え方、事跡に何某かをもたらしているように思う。
 いま岩手に偉人が出ないのはなぜかと聞いたことがある。神の不在、理由はこれではないのか、そんな気がする。

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 先週のインマヌエル盛岡キリスト教会の礼拝の説教題は『さあ、取り掛かろう』、聖書の箇所は、ネヘミヤ記2:11~18でした。

11 こうして、私はエルサレムにやって来て、そこに三日間とどまった。
    12 あるとき、私は夜中に起きた。ほかに数人の者もいっしょにいた。しかし、私の神が、私の心を動かしてエルサレムのためにさせようとされることを、私はだれにも告げなかった。また、私が乗った獣のほかには、一頭の獣も連れて行かなかった。
    13 私は夜、谷の門を通って竜の泉のほう、糞の門のところに出て行き、エルサレムの城壁を調べると、それはくずされ、その門は火で焼け尽きていた。
    14 さらに、私は泉の門と王の池のほうへ進んで行ったが、私の乗っている獣の通れる所がなかった。
    15 そこで、私は夜のうちに流れを上って行き、城壁を調べた。そしてまた引き返し、谷の門を通って戻って来た。
    16 代表者たちは、私がどこへ行っていたか、また私が何をしていたか知らなかった。それに、私は、それをユダヤ人にも、祭司たちにも、おもだった人たちにも、代表者たちにも、その他工事をする者たちにも、まだ知らせていなかった。
    17 それから、私は彼らに言った。「あなたがたは、私たちの当面している困難を見ている。エルサレムは廃墟となり、その門は火で焼き払われたままである。さあ、エルサレムの城壁を建て直し、もうこれ以上そしりを受けないようにしよう。」
    18 そして、私に恵みを下さった私の神の御手のことと、また、王が私に話したことばを、彼らに告げた。そこで彼らは、「さあ、再建に取りかかろう」と言って、この良い仕事に着手した。

※インマヌエル総合伝道団は、統一原理教会、ものみの塔といった新興宗教ではありません。

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