教会

2026/01/04 聖日礼拝 説教 インマヌエル秋田・盛岡キリスト教会 神谷光一牧師

『しもべたちを~試して』 ダニエル書 1章1~21節

(説教題をクリックしてお聞きください)
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             礼拝が始まる前のようす。機器のチェック、調整

1ユダの王エホヤキムの治世の第三年に、バビロンの王ネブカドネツァルがエルサレムに来て、これを包囲した。

2 主はユダの王エホヤキムと、神の宮の器の一部を彼の手に渡された。彼は、それをシンアルの地にある自分の神の神殿に持ち帰り、その器を自分の神の宝物倉に納めた。

3 王は宦官の長アシュペナズに命じて、イスラエルの人々の中から、王族や貴族を数人選んで連れて来させた。

4 それは、その身に何の欠陥もなく、容姿が良く、あらゆる知恵に秀で、知識に通じ、洞察力に富み、王の宮廷に仕えるにふさわしく、また、カルデア人に文学とことばを教えるにふさわしい少年たちであった。

5 王は、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒から、毎日の分を彼らに割り当てた。三年間、彼らを養育して、その後で王に仕えさせることにした。

6 彼らのうちには、ユダ族のダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤがいた。

7 宦官の長は彼らに別の名前をつけた。すなわち、ダニエルにはベルテシャツァル、ハナンヤにはシャデラク、ミシャエルにはメシャク、アザルヤにはアベデ・ネゴと名をつけた。

8 ダニエルは、王が食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定めた。そして、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官の長に願うことにした。

9 神は、ダニエルが宦官の長の前に恵みとあわれみを受けられるようにされた。

10 宦官の長はダニエルに言った。「私は、あなたがたの食べ物と飲み物を定めた王を恐れている。あなたがたの顔色が同年輩の少年たちよりもすぐれないのを、王がご覧になるのはよいことだろうか。あなたがたのせいで、私は王に首をさしださなければならなくなる。」

11 そこでダニエルは、宦官の長がダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤのために任命した世話役に言った。

12 「どうか十日間、しもべたちをためしてください。私たちに野菜を与えて食べさせ、水を与えて飲ませてください。

13 そのようにして、私たちの顔色と、王が食べているごちそうを食べている少年たちの顔色を見比べて、あなたの見るところにしたがってこのしもべたちを扱ってください。」

14 世話役は彼らのこの申し出を聞き入れ、十日間、彼らをためした。

15 十日が終わると、彼らは、王が食べるごちそうを食べているどの少年よりも顔色が良く、からだつきも良かった。

16 そこで世話役は、彼らが食べるはずだったごちそうと飲むはずだったぶどう酒を取り下げ、彼らに野菜を与えることにした。

17 神はこの四人の少年に、知識と、あらゆる文学を理解する力と、知恵を授けられた。ダニエルは、すべての幻と夢を解くことができた。

18 少年たちを召し入れるために王が命じておいた日数が終わったので、宦官の長は彼らをネブカドネツァルの前に連れて行った。

19 王が彼らと話してみると、すべての者の中でだれもダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤに並ぶ者はいなかった。そこで四人は王に仕えることになった。

20 王は、知恵と悟りに関わる事柄を彼らに尋ねたが、彼らがそのすべてにおいて、国中のどんな呪法師、呪文師よりも十倍もまさっていることが明らかになった。

21 ダニエルはキュロス王の元年までそこにいた。

 

神谷牧師による説教の要約
 王に仕えるために呼ばれたダニエルたちが、王が食べるごちそうや王が飲む葡萄酒を与えられていることは、彼らが異教の王と同じようになることが意図されていた。
 ダニエルの世話を命じられた宦官の長が恐れていたものは、自分を見て、その命をにぎっている王であった。
 ダニエルたちが王の食べるごちそうをやめて野菜と水を求めたことは、自分たちの命を握っている本当の主人は、王ではなく神であることを確認し、選択したことを意味している。それは異教の地にあっての少数派として、犠牲を伴う狭い道を辿ることを意味し、それゆえ、彼らの歩みを通して神の栄光が現わされたのである

<ブログ管理人のひとりごと>
「少数派として、犠牲を伴う狭い道を辿る」、傍から見れば、難儀なことよ!と見えるかもしれない。私もかつてはそう見えていたときがあった。しかし今自分がこの道に立ってみると、朝明けの雲が不気味に垂れこめていても、内側にはどうも明かりがついているらしく、外にある暗雲も重たくはない。喧しく荒れる波も、自分の足元を浸してはいるが、冷たく鋭く斬りかかってくることがない。:防護壁が目に見えているわけでもないのに、何者かにガードされているようなのだ。心が何者かに浸透し安心と和らぎが来る。これこそ神の惠、恩寵であると。

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2026/元旦礼拝 説教 インマヌエル秋田・盛岡キリスト教会 神谷光一牧師

『秘密を明らかにするひとりの神』 ダニエル書 2章20~30節
説教題をクリックしてお聞きください。

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20
ダニエルはこう言った。「神の御名はほむべきかな。とこしえからとこしえまで。知恵と力は神のもの。

21 神は季節と時を変え、王を廃し、王を立てる。知恵を授けて賢者とし、知識を授けて悟りのある者とされる。

22 神は、深遠なこと、隠されていることを明らかにし、闇の中に何があるかを知り、ご自身の内に光を宿される。

23 私の父祖の神よ。私はあなたに感謝し、あなたを賛美します。あなたは私に知恵と力とを授け、今、私たちが尋ねたことを私に明かし、王の心の内を私たちに明かしてくださいました。」

24 それでダニエルは、王がバビロンの知者たちを滅ぼすために任じたアルヨクのもとに行き、彼にこう言った。「バビロンの知者たちを滅ぼしてはなりません。私を王の前に連れて行ってください。私が王に夢の意味をお明かしします。」

25 そこで、アルヨクは急いでダニエルを王の前に連れて行き、王にこう言った。「ユダからの捕虜の中に、王に夢の意味を告げることができる男を見つけました。」

26 それで王は、ベルテシャツァルという名のダニエルに言った。「私が見た夢とその意味を、本当に私に告げることができるのか。」

27 ダニエルは王に答えた。「王が求めておられる秘密を王にお示しすることは、知者や、呪文師、呪法師、占星術師などにはできません。

28 しかし天に秘密を明らかにするひとりの神がおられます。この方が終わりの日に起こることをネブカドネツァル王に示されたのです。あなたの夢、寝床であなたの頭に浮かんだ幻は次の通りです。

29 王よ。あなたが寝床で思い浮かべていたのは、これから起こることです。秘密を明らかにされる方が、これから起こることをお示しになったのです。

30 この秘密が私に明らかにされたのは、すべての生きる者にまさって私に知恵があるからではなく、その意味が王に告げられることによって、あなたの心の思いをご自身がお知りになるためです。

神谷牧師による説教の要約
 当時の世界帝国であったバビロンのネブカドネツァル王の見た夢は、王自身の心の願望ではなく、神から与えられたメッセージであった。
その意味する所は、説き明かしを告げたダニエルが述べた通り、どんなに絶大な権力を持ち、力や知恵を手にしていたとしても、それらすべてを支配し、人に与えられるのは、天におられるひとりの神であり、その後、彼が仕えることになる歴代の王たちも、ダニエルを通してその事実を悟に至った。
 年頭、私たちもまた、たとえ先のことは分からなくても、すべての秘密を明らかにする神に祈る時、自ら願うことだけでなく、神の計画の中に置かれている自分自身である事を覚え、安堵することができる。
 聖書にしばしば登場する夢は、人の願望の表れではなく、実現すべく備えられた神のみこころである。ダニエルがそば近く仕えた王にその夢がもたらされたように、私たちに関わる人に、年齢を問わず働かれ、預言をもたらし、幻を見せる上よりの靈に期待しつつ、この年の歩みを進めたい。

<ブログ管理人のひとりごと>
 この年末年始ほどに忙しかったことはなかった。しかしその中にも悩みや喜びは多くあり、ことしは特に喜びの多い年頭となっている。悩みの方は体力的な減退などあるけれども、聖書には「汝ら悩みあり、されど」とあり、信仰者の人生にも悩みはあって当たり前。けれども、これらにいちいち引きずられないようにするコツがわかった。すでに言われ続けてきたことを得心したといった方がいいだろう。それは祈ること。特に他者のために、というよりも、困難な人たちのために、身近な順番に祈ること。これもあった、それもあった。「たえず祈りなさい」とはこういうことなのか、自分のための祈りはもう神さまは聞き飽きていらっしゃるかどうかは分からないけれども、より困難な方々のための祈り、これはイエスさまの願っておられる祈りではないのか、そんなふうに思った。
 何れ神さまのご計画の中にある自らを覚え、信仰上のコツを捉えながら一年のかじ取りをしてゆきたい。


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2025/12/28 年 末感謝礼拝 説教 インマヌエル秋田・盛岡キリスト教会 神谷光一牧師

『主は私の羊飼い』 詩篇23章1~6節
説教題をクリックしてお聞きください。

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ダビデの賛歌
1 主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。
2 主は私を緑の牧場に伏させ いこいのみぎわに伴われます。
3 主は私のたましいを生き返らせ 御名のゆえに 私を義の道に導かれます。
4 たとえ、死の陰の谷を歩むとしても 私はわざわいを恐れません。あなたが ともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖 それが私の慰めです。
5 私の敵をよそに あなたは私の前に食事を整え 頭に香油をそそいでくださいます。私の杯は あふれています。
6 まことに 私のいのちの日の限り いつくしみと恵みが 私を追って来るでしょう。私はいつまでも 主の家に住まいます。

神谷牧師による説教の要約
 詩篇作者のダビデが「主は私の羊飼い」と言うことができたのは、かつて羊飼いであった自分が、それと重なるように神に導かれてきたとの思いからである。
 その羊飼いに導かれる場所が、必ずしも良い所ばかりでなく、恐れや不安の中を通るのは、羊飼いである神が私たちを守り、その度に必要な備えを経験することで、神への信頼が深められるためである。
 そうした歩みの連続は、目前の心配も、振り返れば神はそれを良きに変えられることを確信させ「いのちの日の限り、いつくしみと惠みが私を追って」との思いから、困難を前に、御前での安堵に至る。

<ブログ管理人のひとりごと>
 2025年最後の日曜礼拝。一年を顧みて、ある一人の姉妹の誰も予測できなかった身の振り方の展開、
これは私の信仰上の意識をまた深くした出来事でした。節目、節目に神が顕されたわざをわすれないこと。これを改めて自らに刻んだ礼拝のひとときでした。

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2025/12/21 第四アドベント クリスマス礼拝説教 インマヌエル秋田・盛岡キリスト教会 神谷光一牧師

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『その方の星を見たので
 マタイの福音書2章1~15節
(説教題をクリックしてお聞きください。盛岡教会有志によるトーンチャイムの演奏も入っています。

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1 イエスがヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東の方から博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」
3 これを聞いてヘロデ王は動揺した。エルサレム中の人々も王と同じであった。
4 王は民の祭司長たち、律法学者たちをみな集め、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。
5 彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれています。

6 『ユダの地、ベツレヘムよ。

あなたはユダを治める者たちの中で

決して一番小さくはない。

あなたから治める者が出て、

わたしの民イスラエルを牧するからである。』」

7 そこでヘロデは博士たちをひそかに呼んで、彼らから、星が現れた時期について詳しく聞いた。
8 そして、「行って幼子のことを詳しく調べ、見つけたら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」と言って彼らをベツレヘムに送り出した。
9 博士たちは、王の言ったことを聞いて出て行った。すると見よ。かつて昇るのを見たあの星が、彼らの先に立って進み、ついに幼子のおられる所まで来て、その上にとどまった。
10 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
11 それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
12 彼らは夢で、ヘロデのところに戻らないようにと警告されたので、別の道から自分の国に帰って行った。
13 彼らが帰って行くと、見よ、主の使いが夢でヨセフに現われて言った。「立って幼子とその母を連れてエジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」
14 そこでヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに逃れ、
 15 ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した。」と語られたことが成就するためであった。

 

神谷牧師による説教の要約
 救い主誕生のしるしである星に導かれて、博士たちがエルサレムにやって来た時、新たな王の誕生の知らせに、ヘロデ王のみならずエルサレム中の人が動揺したのは、王家の血筋を持たず、猜疑に満ちた王が保身のために、恐ろしいことをすると予感したからである。
 新たな王である救い主の誕生がベツレヘムだと知っていた祭司長や律法学者たちがキリストに会おうとしなかったのも、ヘロデ王の報復への恐れからといえる。
 現代の私たちがキリストに会うこともまた、人の事情や都合には左右されない星々のごとく、変わることのない聖書の約束の導きに従うときに実現する。

<ブログ管理人のひとりごと>
 冬至の前日、明日は冬至か思うだけでも、どこかメランコリックに。ところが 22日早朝、朝日がさした。網戸越しの写真ですが上に掲載。「ほらご覧、眩しいだろう。クリスマスが来ている。これでまた少しずつ少しずつ日は長くなる。光の主は来られた。闇はこの光に打ち勝つことはない」、そして心の内に光が満ちた。心の内にこの光があれば、外が、世の中がどんなに暗くとも、冷たかろうとも、だいじょうぶ。心の内にこの光主イエス・キリストがおられるなら、そう思った。
 この日はクリスマス礼拝、トーンチャイム演奏がありました。小さな礼拝堂に、祈りと神さまの恵みにある兄弟姉妹たちの澄んだ賛美の音が響きました。
メリー・クリスマス!

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⏰21時32分更新

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2025/12/14 第三アドベント 礼拝説教 インマヌエル秋田・盛岡キリスト教会 神谷光一牧師

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『さあ、ベツレヘムまで行って
 ルカの福音書2章1~20節
説教題をクリックしてお聞きください。
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1
そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。

2 これは、キリニウスがシリアの総督であったときの、最初の住民登録であった。

3 人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰って行った。

4 ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。

5 身重になっていた、いいなずけの妻マリアとともに登録するためであった。

6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、

7 男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。

8 さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。

9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。

10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。

11今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。

12 あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」

13 すると突然、その御使いと一緒に、おびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。

14 「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」

15 御使いたちが彼らから離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは話し合った。「さあ、ベツレヘムまで行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見届けて来よう。」

16 そして急いで行って、マリアとヨセフと、飼葉桶に寝ているみどりごを捜し当てた。

17 それを目にして、羊飼いたちは、この幼子について自分たちに告げられたことを知らせた。

18 聞いた人たちはみな、羊飼いたちの話したことに驚いた。

19 しかしマリアは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。

20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

神谷牧師による説教の要約
 救い主キリストがベツレヘムで牛や羊のいる家畜小屋で生まれ、その餌を入れる飼葉桶に寝かされたことは、羊飼いたちにとって、救い主が自分たちのいるところに来たことを意味する。
 彼らが主の使いの知らせを受けてベツレヘムへ行ったとき、素晴らしい知らせを知らされているという、誇らしい気持ちのゆえに、見聞きしたことを人々に話したといえる。
 キリストが羊飼いたちの知る飼葉桶の中におられたことは、今も私がいるその場所にキリストは来て、私たちを招いておられることを示している。
 その声は特別な場所でなく、普段の営みの中で聞くことができ、誰もがその招きに応えて心開くとき、このお方にお会いし、親しい関係を持つことができる。


<ブログ管理人のひとりごと>
 この日は本格的な雪となり、それでも何とか教会に行きたいとクルマの雪落としをし出発したものの、止まぬ積雪に断念。ズーム参加に切り替えた。天気予報では雨に変わるはずだったが、昼以降も降り続いた。運転に自信がある方々、責任を持っている方々は教会に集い礼拝を捧げていらっしゃった。久方ぶりのズーム参加。それでも神さまの恵みを蓄積できたことは感謝だった。

 一時期、純粋な人間は不幸になる。そう思っていたことがある。信条、信念を全うするにはそれ相応の逆境、犠牲を伴う。イエスさまご自身が讃美歌に「死のほか何も報いられで♪」と謳われている。そこまではできかねるな、ほどほどのところで歩調を世の中に合わせておこうとしていた。しかし、そんな意識があるうちは何もうまくは、本当の意味でうまくはいかなかった。そしてある時点で、もはや自分はキリストの血によって買い取られたものであることを自覚するに至った。好き勝手に生きる事は自分には許されてはいないなと。不自由なようではある。しかし、その時から、神さまのご愛が、見上げるときにくだされ神さまの慮りが胸に沁みこんでくるようになった。それこそ、きょうの説教にあった「特別な場所でなく、普段の営みの中で聞くことができ」という実感を伴う体験である。
 私自身はまだまだの信仰者であるわけだが、気づけば多くの献身者、牧者の方々がうしろ姿をのこしてくださっている。これまで教団に寄せる意識は低かったのだが、この教団だけでも使命を全うされ天国に帰られた先生方、そして高齢、病で引退された先生方82人が現在余生を過ごしておられる。そして現役で牧会しておられる先生方。贅沢、潤沢、飽食とは無縁。キリストに倣い従った多くのうしろ姿がある。
 たとえ一銭にならなくとも、何の見返りがなくとも、自らが真理と思うことに殉じる人間はいなければならない。そのような人たちがいなくなったときにこそ、世の中は漆黒の暗闇となると思われます。

 また、きょうの説教のユーチューブには、インマヌエル秋田教会の姉妹が、「あなたを捨てて孤児とはしない」(ヨハネ14:18)というイエスさまのおことばを信じ救われ、また第一ペテロ2:24「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです」を信じ受け入れておられるお話しが入っています。説教と共に是非お聴きください。

 

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2025/12/07 第二アドベント説教 インマヌエル秋田・盛岡教会 神谷光一牧師

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『ご自分の民をその罪からお救いに
 マタイの福音書1章18~25節
説教題をクリックしてお聞きください。
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18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることがわかった。

19 夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。

20 彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。

21 マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」

22 このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。

23 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を生む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。

24 ヨセフが眠りから覚めると主の使いが命じたとおりにし、自分の妻を迎え入れたが、

25 子を生むまでは彼女を知ることがなかった。そして、その子の名をイエスとつけた。


神谷牧師による説教の要約
 ヨセフの目に、婚約者マリアの懐妊は、彼らの結婚の妨げと映った。しかしその後、夢の中で主の使いが、その胎に宿る子は聖霊によることであり、さらにはその子が「ご自分の民をその罪からお救いになる」とは、神と人とを隔てる罪を解決し「神が私たちとともにおられる」ことが理解することができるようにしてくださるということを意味する。それは、私たちが「これさえなければ~」と思うようなことや、そういう人との関わりを通して、そこに神の計画があることを示している。
 不都合な現実の中に働く神のわざに期待しつつ歩みたい。

<ブログ管理人のひとりごと>
この日は第二アドベント。秋田から神谷牧師夫妻が来てくださり、いつも第一日曜日盛岡教会に来てくださっているのだけれども。そして教会の皆様の温かさに、この一週間が温められた、そんな一週間を過ごすことができた。神さまの惠である。月曜日の真夜中にあった地震にも心理的にも直撃を受けずに済んだ感じだったけれども、八戸の震度6強を知って、またしても! 心が痛んだ。

 今一度十字架のもとに身をおいて、自分がいったいどういうものであったのか、どういうものであるのかを自らに問い直し、インマヌエルの血に浴しながら、厳しい世相にある実情のためにも微力ながら祈り、このクリスマス節季をしずかに歩みたいと願っている。

 

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2025年11月30日インマヌエル秋田・盛岡キリスト教会 第一アドベント礼拝説教 神谷光一 牧師

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ひとりの男の子が私たちに与えられイザヤ書9章1~7節
説教題をクリックしてお聞きください。
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1
しかし、苦しみのあったところに闇がなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は辱めを受けたが。後には海沿いの道、ヨルダンの川向う、異邦の民のガリラヤは栄誉を受ける。

2 闇の中を歩んでいた民は、大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が耀く。

3 あなたはその国民を増やし、その喜びを増し加えられた。彼らは、刈り入れ時に喜ぶように、分捕り物を分けるときに楽しむように、あなたの御前で喜ぶ。

4 あなたが、彼が負うくびきと肩の杖、彼を追い立てる者のむちを、ミディアンの日になされたように打ち砕かれるからだ。

5 まことに、戦場で履いたすべての履き物、血にまみれた衣服は焼かれて、火の餌食となる。

6 ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。

7 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。

 

【神谷牧師による説教の要約】
 律法に背く偶像礼拝の結果、他国の支配下に置かれ、かつて辱めを受けたぜブルンとナフタリの地が、のちには栄誉を受けると預言されているのは、神は、人が失敗や痛みを覚える過去を、良いことの計らいに変えられることを意味している。
 そのような中から、救い主が生まれるという預言に人々が期待していたのは、長らくの支配から解放され、支配者であるローマ帝国を倒して、自由にされることであった。
 しかし、実際に生まれたキリストがローマ兵によって十字架につけられたことが示しているのは、キリストは私たちの身代わりに死ぬことで、人の目に映る権力の背後にある、心を支配する罪から自由にして下さることであった。

 

<ブログ管理人のひとりごと>
 待降節を迎えている。ことしはクリスマス・ソングが街に流れていてもいまいち気分が浮き立たない。自分の体力への気配りという〝仕事〟が増えたことがある。またあるお店では、クマ対策ということで自動ドアに「手動でお願いします」と張り紙が。これがけっこう重い。路を歩いていてもやはり気になるのがクマ。気軽に散歩気分というわけにはいかない。主人が出かけても、これはクマのことばかりではなく健康上の気がかりもあり、帰るまでは何か落ち着かない。
 やはりクリスマスは教会で過ごすことがイエスさまのご降誕を待ち望むに相応しい気がする。
 クリスチャンだからといって完全なわけではなく、罪を自覚し、十字架上で贖罪を為したもうたイエスさまを信じる事によって欠けたるところを御赦しいただき、また新たな思いをもって歩み出し、歩み続ける。これじゃダメだ、という自分に留まっていないで、イエスさまの十字架を仰ぎ見、イエスさまの血は罪を赦すことがおできになることを信じる。
しかし、ついに、いと高き所から私たちに霊が注がれ、荒野が果樹園となり、果樹園が森と見なされるようになる。」 イザヤ32:15


 

 

以下のURLを辿りますと、それぞれの教会のHPに入ることができます。

インマヌエル秋田キリスト教会  https://localplace.jp/t100303888/
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2025年11月23日インマヌエル秋田・盛岡キリスト教会説教 神谷光一 牧師

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必ず、どこかの島に打ち上げられ使徒の働き27章9~36節
説教題をクリックしてお聞きください。
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9 かなりの時が経過し、断食の日もすでに過ぎていたため、もはや航海は危険であった。そこでパウロは人々に警告して、

10 「皆さん、私の見るところでは、この航海は、きっと、積荷や船体だけでなく、私たちのいのちにも危害と大きな損失をもたらすでしょう」と言った。

11 しかし百人隊長は、パウロのいうことよりも、船長や船主のほうを信用した。

12 また、この港は冬を過ごすのに適していなかったので、多数の者たちの意見により、ここから船出し、できれば、何とかして、南西と北西に面しているクレタの港フェニクスに行き、そこで冬を過ごそうということになった。

13 さて、穏やかな南風が吹いて来たので、人々は思いどおりになったと考え、錨を上げて、クレタの海岸に沿って航行した。

14 ところが、間もなくユーラクロンという暴風が陸から吹き降ろして来た。

15 船はそれに巻き込まれて、風に逆らって進むことができず、私たちは流されるままとなった。

16 しかし、カウダと呼ばれる小島の陰に入ったので、どうにかしっかりと小舟を引き寄せることができた。

17 そして小舟を船に引き上げ、船を補強するために綱で船体を巻いた。また、シルティスの浅瀬に乗り上げるのを恐れて、船具を降ろし、流されるに任せた。

18 私たちは暴風に激しく翻弄されていたので、翌日、人々は積荷を捨て始め、

19 三日目には、自分たちの手で船具を投げ捨てた。

20 太陽も星も見えない日が何日も続き、暴風が激しく吹き荒れたので、私たちが助かる望みも今や完全に絶たれようとしていた。

21 長い間、だれも食べていなかったが、そのときパウロは彼らの中に立って言った。「皆さん。あなたがたが私の言うことを聞き入れて、クレタから船出しないでいたら、こんな危害や損失を被らなくてすんだのです。

22 しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う人は一人もありません。失われるのは船だけです。

23 昨夜、私の主で、私が仕えている神の御使いが私のそばに立って、

24 こう言ったのです。『恐れることはありません、パウロよ。あなたは必ずカエサルの前に立ちます。見なさい。神は同船している人たちを、みなあなたに与えておられます。』

25 ですから、皆さん。元気を出しなさい。私は神を信じています。私に語られたことは、そのとおりになるのです。

26 私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。」

27 十四日目の夜になり、私たちがアドリア海を漂っていた。真夜中ごろ、水夫たちはどこかの陸地に近づいているのではないかと思った。

28彼らが水の深さを測ってみると、二十オルギヤであることがわかった。少し進んでもう一度測ると、十五オルギヤであった。

29 どこかで暗礁に乗り上げるのではないかと恐れて、人々は船尾から錨を四つ投げ降ろし、夜が明けるのを待ちわびた。

30 ところが、水夫たちは船から逃げだそうとして、船首から錨を降ろすように見せかけ、小舟を海に降ろしていたので、

31 パウロは百人隊長や兵士たちに、「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたは助かりません」と言った。

32 そこで兵士たちは小舟の綱を切って、それが流れるままにしました。

33 夜が明けかけたころ、パウロは、一同に食事をするように勧めて、こう言った。「今日で十四日、あなたがたはひたすら待ち続け、何も口に入れず、食べることなく過ごしてきました。

34 ですから、食事をするよう勧めます。これで、あなたがたは助かります。頭から髪の毛一本失われることはありません。」

35 こう言って、彼はパンを取り、一同の前で神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。

36 それで皆も元気づけられ、食事をした。

 

神谷牧師による説教の要約
 囚人となったパウロたちが乗った船が嵐にあったときに起きたことは、人間の力ではどうにもできないことに直面するとき、船旅のプロの船長や囚人を見張る兵士たちも、皆同じ立場になることだった。
 船の人たちが絶望していた時にパウロが「元気を出しなさい」と、皆に言うことができたのは、神から御使いを通して語られたカエサルの前に立つ(ローマにたどり着く)約束を信じたからである。
 しかし、嵐を恐れる人々が知らない間に起きていたのは、船の目的地であるマルタ島へ神の御手によって運ばれている、ということであった。
 私たちには手も足も出ない状況の中でも、神は結末に向けてことを運ばれることを心に留め、みことばの約束を握るとき、自ら置かれた状況を冷静に受け止めることができる。 

 

<ブログ管理人のひとりごと>
 第一アドベントを次週に控えたこの日、教会員の方々が一致団結して教会の大掃除に力を注いでくださった。立ち木も剪定され、教会の入り口にもクリスマスのリースが掲げられ光が点滅。ことしのクリスマスがまもられようとしている。有志の方がすばらしいチラシ、ポスター制作の労を担ってくださった。中ではトーンチャイムの練習も行われたらしい。らしいというのは、私は教会の二階の方をもう一人の姉妹と共に手伝っており、その澄んだ音色を聴くことはできなかったが。実に、すべてがタイムリーに運ばれ、その道筋に乗っている実感がしたのでした。皆様のような機動力、瞬発力が微弱になりつつある自らをおもい、しかし、結果的には、他の方々がそれを補ってくださっている。ただ素直にそれを喜び感謝したことであった。

 

 

以下のURLを辿りますと、それぞれの教会のHPに入ることができます。

インマヌエル秋田キリスト教会  https://localplace.jp/t100303888/
インマヌエル盛岡キリスト教会 https://sites.google.com/view/igm-morioka/

⏰17時53分更新

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2025年11月16日インマヌエル綜合伝道団 世界宣教局DVD&宣教聖日礼拝説教 金沢教会 蔦田崇志牧師

 

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『教会が祈り終えると』使徒の働き4章23~31節
(説教題をクリックしてお聴きください。)

23
さて、釈放された二人は仲間のところへ行き、祭司長たちや長老たちが彼らに言ったことを残らず報告した。
24 これを聞いた人々はみな心を一つにして、神に向かって声を上げた。「主よ。あなたは天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造られた方です。
25 あなたは聖霊によって、あなたのしもべであり私たちの父であるダビデの口を通して、こう言われました。
「なぜ、異邦人たちは騒ぎ立ち、
もろもろの国民はむなしいことを企むのか。
26 地の王たちは立ち構え、
君主たちは相ともに集まるのか、
主と、主に油注がれた者に対して。」
27 事実、ヘロデとポンティオ・ピラトは、異邦人やイスラエルの民とともに、あなたが油を注がれた。あなたの聖なるしもべイエスに逆らってこの都に集まり、
28 あなたの御手とご計画によって、起こるように前もって定められていたことすべてを行いました。
29 主よ。いま、彼らの脅かしをご覧になって、しもべたちにあなたのみことばを大胆に語らせてください。
30 また、御手を伸ばし、あなたの聖なるしもべイエスの名によって、癒しとしるしと不思議を行わせてください。」
31 彼らが祈り終えると、集まっていた場所が揺れ動き、一同が聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。

 

<ブログ管理人のひとりごと>
 この日は宣教聖日であり、神谷牧師ではなく、インマヌエル綜合伝道団宣教局による説教の配信を、みなさまとともに盛岡教会でお聴きしました。初代の使徒たちの宣教を汲んで脈々と今に受け継がれている宣教。この教団からも政治的な、災害による、設備的な、人員の、経済的な、事故、事件、疫病との隣り合わせ等々、幾多の困難と課題の中で世界に出てゆき宣教の使命を果たしておられる宣教師の先生方がいらっしゃいます。言語、文化、意識、認識などの異なる地でのお働き。宣教聖日は、近頃は自らの年齢的なことにも甘え、ぬるま湯信仰に傾きがちなこの背筋がしゃんとする日でもあります。
 私が本物の伝道と出会ったのは23歳のとき。一帯に配られたチラシで、近くに新しい教会が建ったことを知ったのです。恩師が教会葬であったこともあり教会に行くことに抵抗はありませんでした。行って見ると二世帯アパートの棟割りの一軒が教会でした。階段を上って行くと、パイプ椅子に座って熱心に祈っている神学生が見えました。この方が応援のために来ている神学生であることは後になって知りました。会堂としているこの空間に満ちている厳粛さに、ここは他とは違う特別な場所なのだと直感しました。今でもあの張り詰めたような、重さをかんじさせない重量感のある厳粛さに出会ったことはありません。そして連続して持たれたこのところにおける伝道会で、講師の先生に「信じますか?」と問われ、いいえという言葉が溶け去って出てこず、「はい」と返事をしていました。家に帰り悔い改め祈ったときに、いまイエス・キリストが両の手を広げて自分を迎えてくれていることを実感し、涙がとめどなく流れました。
 救いのわざを為すのは神さまだけれども、この瞬間、救いの瞬間をもたらまでに導いてくれるのが伝道者、宣教師の方々でした。わたしはこの時点から、このことを決して忘れてはならなかったのです。自分の楽しみのために、趣味の爲にそれを疎かにしたときには、そのつぎに来るのは手痛い試練だった。そんな試練はなかったという方もいらっしゃるかもしれない。しかし一人ひとりへの神の扱いは同じではなく、私はそうだった。神さまは、いつも私に、神さまの道筋にあることを望まれており、私の場合には、それに従うのが神さまに課せられていたことであったのだと、後に気づかされました。私の場合はきままにおもしろおかしく暮らすことは許されていない、そう自覚したのです。そして今日も心配事はあり、気がかりな点もあり、先行き不透明なこともないではない。しかし感謝であること。感謝して今を生きられる自体が感謝の日々となっています。
 神さまにお委ねして、その掌中に生き続けられたならと願っているところです。

 

 

以下のURLを辿りますと、それぞれの教会のHPに入ることができます。

インマヌエル秋田キリスト教会  https://localplace.jp/t100303888/
インマヌエル盛岡キリスト教会 https://sites.google.com/view/igm-morioka/

⏰21:36更新

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書こうか書くまいか……やっぱり書いておこう

 書こうか書くまいか、これで言い回しが文法上合っているかどうか近頃自信がなくなっている。それはともかく、書こうか書くまいか、いつもならとっくに床に就いているこの時間までもためらっていた。人様の個人情報的なことも含まれるので迷う。書いたとしても具体性に欠けるならば、読み手にとっては、なんの説得力もないだろう。そして今時間になって、やはり書いておこうということに。ひとは忘れやすい。というよりも私は忘れやすい。近頃はそれがとみに顕著になってきている。そこで片鱗なりとも、曖昧模糊となっても書いておこうと思うに至った。

 今朝早く、主人の検査に付き添って某病院にでかけた。偶然にも、これは必然かもしれないが、いや必然だろう。病院の受付の辺りにXさん(仮)がYさん(仮)に付き添っていらしていた。気づいてすぐにご挨拶に行くと、そこにはZさんもいらしていたのだった。YさんにもZさんにも初めてお会いする。近々転居するXさんに、今となっては思うようにお手伝いできない自分を申し訳なく思っていたのだ。そこに現れたのがZさんであることを牧師先生を通じて皆様と共に知ったのであるが。そこでYさんにもZさんにもご挨拶することができ、Zさんのお話しを伺い、転居に関してはぜんぶ引き受けているというが、その行き届いた支援を知り、一切の申し訳なさから解放されたのである。神さまが「心配は一切ご無用!」とおっしゃている、そう思った。
 
漠然と述べただけでは、これがいかに不思議な成り行きであるか他の方々にはわかっていただけないかもしれないが、私は、これが自分に大きな影響を与えてくれた出来事としてやはり書き留めておきたかった。

 

 

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