教会

きょうのことば

 けさ起きがけに心に浮かんだことばは、
「なんじら心を騒がすな、神を信じ、また我を信ぜよ。」
イエスさまのおことばだ。人生はよいことと自分にとってはあまり歓迎したくないこととの抱き合わせだ。よいことばかりではあり得なく、また悪いことばかりではない。ただよりよい人生は努力してつくりあげていかなければならないようだ。最悪にいたっても、そう努力することが肝心なようだ。どうもうまくいかないなというときには、こんなことばがある。
「なんじら心を騒がすな、神を信じ、また我を信ぜよ。」
ものの成り行きのすべてには、何ものかの意思が通っている。自分の思い通りにいかないときでも、そこにも何ものかの意思が通っている。だから
「なんじら心を騒がすな、神を信じ、また我を信ぜよ。」
なのだろう。
それにしても、よくここまで生きてこられたものだ、これが近頃の実感である。神さまのお蔭、そして、いままでに出会ったすべての方々のお蔭であると思う。
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 先週教会で開かれた聖書個所は、コロサイ書3;12~17でした。
3:12それゆえ、神に選ばれた者、きよい、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。 3:13互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。 3:14そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。 3:15キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。 3:16キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。 3:17あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。

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きょうのことば

 
  7月31日~8月2日の三日間、インマヌエル綜合伝道団では、東北聖会が開かれました。会場はいこいの村岩手。わたしは日帰りで2日間参加。
 講師は大阪伝法教会の朝比奈悦也牧師でした。集会の終わりに恵みの座が開かれ、悔い改め祈るようにとのおすすめがありました。大勢の方々が講壇近く、前の方に次つぎに進み出てお祈りを捧げます。
 聖書にある、このまちに、もし正しいものが10人いたら滅ぼさない、と神の使いがいったのだが、結局、その10人がおらず滅ぼされてしまったという記事を思い出しました。wikipediaから以下を転載します。
 創世記18章後半部(16節から33節)で、ロトのおじであるアブラハムが、ソドムとゴモラに関して事前にヤハウェと問答している。ヤハウェは、ソドムとゴモラの罪が重いという機運が高まっているとして、それを確かめるために降(くだ)ることをアブラハムに告げた。アブラハムはそれに応じて、正しい者が50人いるかもしれないのに滅ぼすとは、全くありえない、と進み出て言った。それに対しヤハウェは、正しい者が50人いたら赦(ゆる)すと言った。そこでアブラハムは「塵芥(ちりあくた)に過ぎない私ですが」と切り出し、正しい者が45人しかいないかもしれない、もしかしたら40人しかいない、30人、20人と、正しい者が少なくても赦すようにヤハウェと交渉をした。最終的に、「正しい者が10人いたら」というヤハウェの言質を取り付けたが、19章でヤハウェは結局、ソドムとゴモラを滅ぼした。
 オウム真理教のような宗教を騙る犯罪集団があるために、まともな宗教までが遠ざけられてもいますが、実際、この危機的な世の中、地球全体がタイタニックに乗り組んでしまったようなこの世の中が、いまそれでもこれだけあるのは、こういった真実に悔い改め祈る方々がこのようにまだいるからなのだ、そう思わせられたことでした。

 

 わたしは、このような方々のように素晴らしくはないのだけれども、少なくとも、このような方々のしんがりからこぼれ落ちないように、跡をたどっていかねばならないと思ったことです。

 

尤も、付き従うべきはイエス・キリストであり、人にではないのですけれども。

 

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 先週の日曜日の同団の國光牧師のメッセージは『キリストとともに』、聖書引照個所はコロサイ書3:1~11でした。説教全文を起こすのは、いまでは時間的にも体力的にも非常に厳しく、聖書の引証だけでもそのまま書いておきたいと思います。
3:1こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが、神の右の座に着いておられます。 3:2上にあるものを思いなさい。地にあるものを思ってはなりません。 3:3あなたがたはすでに死んでいて、あなたがたのいのちは、キリストとともに神のうちに隠されているのです。 3:4あなたがたのいのちであるキリストが現われると、そのときあなたがたも、キリストとともに栄光のうちに現われます。
3:5ですから、地にあるからだの部分、すなわち、淫らな行い、汚れ、情欲、悪い欲、そして貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝です。 3:6これらのために、神の怒りが不従順な子らの上に下ります。 3:7あなたがたも以前は、そのようなものの中に生き、そのような歩みをしていました。 3:8しかし今は、これらすべてを、すなわち、怒り、憤り、悪意、ののしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを捨てなさい。 3:9互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てて、 3:10新しい人を着たのです。新しい人は、それを造られた方のかたちにしたがって新しくされ続け、真の知識に至ります。 3:11そこには、ギリシヤ人とユダヤ人もなく、割礼の有る者も無い者も、未開の人も、スキタイ人も、奴隷も自由人もありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。
 

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きょうのことば

  けさ戸を開けて空気を入れながら庭を見ますと、ヒマワリが堂々と高く咲き、タチアオイがその下に、またその下にはカサブランカ、底にはグラジオラスが咲いていました。きょうは教会の花の係です。グラジオラスと裏庭にたわわに咲くブットレアを伐って飾ろうかと思います。
 台風の進路はどうなるのか、安閑とはしていられない、どこにも被害をもたらしてくれるなと祈りながら、困難に対峙する覚悟を迫られている、そんな思いがしました。

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 先週、インマヌエル盛岡キリスト教会では、コロサイ書3:1~4から、『上にあるものを』と題し、國光牧師のメッセージがありました。

3:1こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが、神の右の座に着いておられます。 3:2上にあるものを思いなさい。地にあるものを思ってはなりません。 3:3あなたがたはすでに死んでいて、あなたがたのいのちは、キリストとともに神のうちに隠されているのです。 3:4あなたがたのいのちであるキリストが現われると、そのときあなたがたも、キリストとともに栄光のうちに現われます。 

 

 
 

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きょうのことば

 昨夜、ひと休みしてからもうひと仕事をしようと休憩にはいって、気がつくと朝の4時。27℃の気温を涼しいと感じ、感謝しながら、きょうが日曜日であることに思いがいたる。起きがけは、地球規模の厳しい環境などが浮かび、たとえあす過酷な災害に遭い、無一物で路上に放り出される境涯になるとしても、やはり自分は神の世界に取り込まれ、その路上を歩ませられることが課せられている、そのように感じ取った朝でした。ある意味、自分がそれを好もうと好むまいと、そう歩まねばならない、そう歩むものがいなければならない、たとえ完璧にできないとしても、失敗しながらでも、そう歩もうと努力をしなければならない、そう思わせられるのです。 
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 先週は、米人宣教師ロビン先生のイエスさまのおはなしと、ギター演奏でした。いらしてくださった方々のうち、遠路から朝5時起きで駆けつけてくださった方からも、大変でも来る値があったとの感想をいただきました。
お話の題は『イエス様のもとに持っていこう』引証はマルコ2:1~12
2:1数日たって、イエスがカペナウムにまた来られると、家におられることが知れ渡った。 2:2それで多くの人が集まったため、戸口のところまですきまもないほどになった。この人たちに、イエスはみことばを話しておられた。 2:3そのとき、ひとりの中風の人が四人の人にかつがれて、みもとに連れて来られた。 2:4群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、その人々はイエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴をあけて、中風の人を寝かせたままその床をつり降ろした。 2:5イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。あなたの罪は赦されました。」と言われた。 2:6ところが、その場に律法学者が数人すわっていて、心の中で理屈を言った。 2:7「この人は、なぜ、あんなことを言うのか。神をけがしているのだ。神おひとりのほか、だれが罪を赦すことができよう。」 2:8彼らが心の中でこのように理屈を言っているのを、イエスはすぐにご自分の霊で見抜いて、こう言われた。「なぜ、あなたがたは心の中でそんな理屈を言っているのか。 2:9中風の人に、『あなたの罪は赦された。』と言うのと、『起きて、寝床をたたんで歩け。』と言うのと、どちらがやさしいか。 2:10人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」こう言ってから、中風の人に、 2:11「あなたに言う。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」と言われた。 2:12すると彼は起き上がり、すぐに床を取り上げて、みなの見ている前を出て行った。それでみなの者がすっかり驚いて、「こういうことは、かつて見たことがない。」と言って神をあがめた。

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きょうのことば

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 いよいよきょうがバイブルメッセージ&ミニ・コンサートです。今しがた小雨、遠くからいらっしゃる方々の、また近くからの方々の安全が守られますようにお祈りいたします。
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 先週、教会では、『神に育てられん』と題し、コロサイ書2:16~23からのメッセージがありました。
2:16こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは、祭りや新月や安息日のことで、だれかがあなたを批評することがあってはなりません。 2:17これらは、来るべきものの影であって、本体はキリストにあります。 2:18自己卑下や御使い礼拝を喜んでいる者が、あなたがたを断罪することがあってはなりません。彼らは自分が見た幻に拠り頼み、肉の思いによっていたずらに思い上がって、 2:19かしらにしっかり結びつくことをしません。このかしらがもとになって、からだ全体は、節々と筋によって支えられ、つなぎ合わされ、神に育てられて成長していくのです。
2:20もしあなたがたが、キリストとともに死んで、この世のもろもろの霊から離れたのなら、どうして、まだこの世の生きているかのように、 2:21「つかむな。味わうな。さわるな」といった定めに縛られるのですか。 2:22これらはすべて、使ったら消滅するものについての定めで、人間の戒めと教えによるものです。 2:23これらの定めは、人間の好き勝手な礼拝、自己卑下、肉体の苦行のゆえに知恵のあることのように見えますが、何の価値もなく、肉を満足させるだけです。

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きょうのことば

   先週は、土曜日を除いては、毎日地域の役目で、参加しなければならない懇談会や行事があった。また課せられた調査などもあり、趣味を楽しむどころではなかったが、これもよし。不満などいってる場合ではない。深刻な災害に遭っている方々、犠牲者がいらっしゃる。

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 先週、『枯骨の谷と神のことば』の説教で開かれた聖書個所は次の通りです。
エゼキエル書37:1~14

37:1 主の手がわたしの上に臨んだ。わたしは主の霊によって連れ出され、ある谷の真ん中に降ろされた。そこは骨でいっぱいであった。37:2 主はわたしに、その周囲を行き巡らせた。見ると、谷の上には非常に多くの骨があり、また見ると、それらは甚だしく枯れていた。37:3 そのとき、主はわたしに言われた。「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか。」わたしは答えた。「主なる神よ、あなたのみがご存じです。」37:4 そこで、主はわたしに言われた。「これらの骨に向かって預言し、彼らに言いなさい。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。37:5 これらの骨に向かって、主なる神はこう言われる。見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。37:6 わたしは、お前たちの上に筋をおき、肉を付け、皮膚で覆い、霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。そして、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。」37:7 わたしは命じられたように預言した。わたしが預言していると、音がした。見よ、カタカタと音を立てて、骨と骨とが近づいた。37:8 わたしが見ていると、見よ、それらの骨の上に筋と肉が生じ、皮膚がその上をすっかり覆った。しかし、その中に霊はなかった。37:9 主はわたしに言われた。「霊に預言せよ。人の子よ、預言して霊に言いなさい。主なる神はこう言われる。霊よ、四方から吹き来れ。霊よ、これらの殺されたものの上に吹きつけよ。そうすれば彼らは生き返る。」37:10 わたしは命じられたように預言した。すると、霊が彼らの中に入り、彼らは生き返って自分の足で立った。彼らは非常に大きな集団となった。37:11 主はわたしに言われた。「人の子よ、これらの骨はイスラエルの全家である。彼らは言っている。『我々の骨は枯れた。我々の望みはうせ、我々は滅びる』と。37:12 それゆえ、預言して彼らに語りなさい。主なる神はこう言われる。わたしはお前たちの墓を開く。わが民よ、わたしはお前たちを墓から引き上げ、イスラエルの地へ連れて行く。37:13 わたしが墓を開いて、お前たちを墓から引き上げるとき、わが民よ、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。37:14 また、わたしがお前たちの中に霊を吹き込むと、お前たちは生きる。わたしはお前たちを自分の土地に住まわせる。そのとき、お前たちは主であるわたしがこれを語り、行ったことを知るようになる」と主は言われる。



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きょうのことば

 はや7月。酷暑となりそうです。忙しい月ですが、守られますように!

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 先週のインマヌエル盛岡キリスト教会では、コロサイ2:16~23から『頭なるキリストに結ばれ』と題し、國光勝美牧師から説教がありました。

 コロサイ2:16~23

2:16こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは、祭りや新月や安息日のことで、だれかがあなたがたを批評することがあってはなりません。 2:17これらは、来るべきものの影であって、本体はキリストにあります。 2:18自己卑下や御使い礼拝を喜んでいる者が、あなたがたを断罪するものであってはなりません。彼らは自分が見た幻に拠り頼み、肉の思いによっていたずらに思い上がって、 2:19かしらにしっかり結びつくことをしません。このかしらがもとになって、からだ全体は、節々と筋によって支えられ、つなぎ合わされ、神に育てられて成長していくのです。
2:20もしあなたがたがキリストとともに死んで、この世のもろもろの霊から離れたのなら、どうして、まだこの世に生きているかのように、 2:21「つかむな、味わうな、さわるな」といった定めに縛られるのですか。 2:22これらはすべて、使ったら消滅するものについての定めで、人間の戒めや教えによるものです。 2:23これらの定めは、人間の好き勝手な礼拝、自己卑下、肉体の苦行のゆえに知恵のあることのように見えますが、何の価値もなく、肉を満足させるだけです。

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きょうのことば

 大阪の地震、心が痛みます。お見舞い申し上げます。
 きのうはインマヌエル盛岡キリスト教会のバザーでした。地域の方々や友だちが来てくれたことに感謝! わたしはほとんど準備の手伝いはできませんでしたが、しかし、会員の方々のパワーを実感。清潔感のあるバザーと定評があり、コーヒー、茶菓のサービスもあり、音楽もよし。収益金はケニヤのテヌウェク病院の支援のために送られます。
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 先週の説教は「キリストにある盈満(えいまん)」、聖書引証個所はコロサイ2:6~15でした。

2:6あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。 2:7キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。
2:8あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。そのようなものは、人の言い伝えによるものであり、この世に属する幼稚な教えによるものであって、キリストに基づくものではありません。 2:9キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。 2:10そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。 2:11キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉のからだを脱ぎ捨て、キリストの割礼を受けたのです。 2:12あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。 2:13あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、 2:14いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。 2:15神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。
 
 
 

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きょうのことば

 けさ4時半ごろ、世の中のさまざまな方々の声が心を過りましたが、すぐに賛美歌が一曲通いました。「主よみもとに近づかん のぼる道は十字架に ありともなど悲しむべき 主よみもとに近づかん」♪ タイタニック号遭難のとき、楽士たちによって最期に演奏された曲です。楽士たちは使命を全うしたのでした。
 けさは曇り空。きょうもよい日でありますように!

   ☆

 先週の聖書個所は、コロサイ書2:6~15 『キリストと偕に』(説教 國光勝美牧師)でした。その中から6、7、11,12を掲げさせていただきます。

2:6このように、あなたがたは主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストにあって歩みなさい。 2:7キリストの中に根ざし、建てられ、教えられたとおりの信仰を堅くし、あふれるばかりに感謝しなさい。
2:11キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉のからだを脱ぎ捨てて、キリストの割礼を受けたのです。 2:12バプテスマにおいて、あなたがたはキリストとともに葬られ、また、キリストとともによみがえらされたのです。

  

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チラシの制作は國光ご夫妻のご息女A姉です。

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きょうのことば

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  先週、教会で開かれた聖書個所は、コロサイ2:1~5でした。
2:1私が、あなたがたやラオデキヤの人たちのために、そのほか私と直接顔を合わせたことのない人たちのために、どんなに苦闘しているか、知ってほしいと思います。 2:2私が苦闘しているのは、この人たちが愛のうちに結び合わされて心に励ましを受け、さらに、理解することで豊かな全き確信に達し、神の奥義であるキリストを知るようになるためです。 2:3このキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されています。 2:4私がこう言うのは、まことしやかな議論によって、誰もあなたがたを惑わすことのないようにするためです。 2:5私は、肉体においては離れていても、霊においてはあなたがたとともにいて、あなたがたの秩序と、キリストに対する堅い信仰を見て喜んでいます。
 同じ聖書個所から、そのたびに別な視点からの連講が続いています。
「救われていますか?」「聖霊をもっていますか?」が続いての問いかけでした。
「キリストのうちに知恵と知識の宝がすべて隠されています」、これは信仰を全うする上での知恵と知識ということかと思いました。
 いまは無宗教の方々が多いのですが、ただ、教会の方々は、ひたむきで良心的で温かい方々ばかり。安心できる居場所です。

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