音楽

室内合唱団「日唱」の第40回定期演奏会があります。指揮は中館伸一氏。題して「受け継がれる魂~祖父・中館耕蔵の足跡をたどって~」

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4月22日(火)、東京の豊洲シビックセンターホールで室内合唱団「日唱」の第40回定期演奏会があります。指揮は中館伸一氏。題して「受け継がれる魂~祖父・中館耕蔵の足跡をたどって~」18時半開場、19時開演
 中館耕蔵は遠野市出身の日本初の音楽マネージャーであり、国立音楽大学の創立者です。
 音楽マネージャーというと興行師的に捕らえられる側面もありますが、大正という西洋音楽の黎明期における中館耕蔵の音楽マネージメントは、関東大震災で焼失を免れた資料を見ると、現代に一般的に語られる内容とはかなり違っています。
 当時の地方と中央との、日本と西洋との音楽較差を行く先々で説き、さらに上を目指し学ぶべきであることを勧め、啓蒙の役目を果たしています。また私費をもって、或いは支援の音楽会を全国的に展開して中央に出ての学び、或いは海外留学を支援しました。また演奏できる楽団の少なさを嘆き、自らが楽壇の結成の為に奔走し楽壇の創立に漕ぎつけました。音楽普及を果たしながら、教育目的のため、学校運営資金獲得のため、医療分野の支援のため、孤児院のため、社会主義団体のため、殊にもクリスチャンからの依頼であった白十字会のマネージメントには力を注ぎました。
 書き出してなお書き落してはいないかと危ぶみますが、そう、関東大震災の時には、日夜分かたずに、演奏先とそれまでマネージメントしてきた楽団を全国各地に結び、復興支援を果たしました。そして多くの慈善目的の音楽会は、それまで西洋音楽は主に上流社会のものでしたが、中館の企画によって、そのすそ野が一気に一般の人々にも広がったのです。
 書き落しがまだありました。中館は、ロシア革命、第一世界大戦を逃れ亡命してきた音楽家たちをステージに招き、無国籍で仕事に就くことが難しかった音楽家たちを窮乏から救う一助となりました。
 まだありますけれども。
 マネージメントのそもそもの初発も、音楽家の活動が経済的にも何とか保障されなければならないとの思いからであったことを、資料から読み取ることができます。
 そしてこの音楽マネージャー時代に築いた音楽界、政界、財界、教育界の人脈が、関東大震災で多くの学校が壊滅した後、東京高等音楽学院 (現・国立音楽大学)の創立に生かされていくのです。

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音楽雑感 これそれ あれこれ

 クラシック倶楽部、とにかく目覚めると「今日は何だったかな」。
 けさは大西宇宙、うちゅうさんと勝手によんでるけれども、たかおき氏なのだ。バリトン。自分に合っていないというか、やりにくいというか、苦手な役柄というのもあるらしいけれども、オペラアリア、どれもありありと歌い上げてくれる。見慣れないホール、これはどこだっけと逡巡。すみだトリフォニーホールだった。この番組で映し出してくれるホールの特徴を見るのもまた楽しみ。
 して、昨日は。これが何とスイッチ・オンで吸い込まれる。ベルリンRIASU室内合唱団。しゃわーっと浄められた響きが。後半の「イエスはわが喜び」。「ヨハン・セバスティアン・バッハの曲。死の直前にある人を死のおそれから解放する」この解説に、今その準備の段階にあられる姉妹が浮かんだ。喜び、感謝のうちにおられると聞いている。ジャスティン・ドイルの指揮。
 遡って、アンドレイ・コロベイ二コフのピアノ。ラフマニノフの「鐘」で綴られた人生。朗読されたエドガー・アラン・ポーの詩が心にのこる。番組と同じ訳ではないけれども後で自分が読み直すためにつないでみた。「楽興の時 第6番」の華麗さ、重厚さ。ラフマニノフの耳に残り、通り抜けていった人生さまざまの「鐘」に共鳴。
 パリ、シャンゼリゼ劇場で奏するはブルース・リウのピアノでショパン。パリデビューだ。
 さらに遡って、こんな音は出せるものじゃないと唸ったのはサンナザーロ劇場に出演のヤン・リシエツキ。ショパンの「ノクターン嬰ハ短調」の1フレーズ。楽譜を見て、ここここと指すことができたらと無念。はっとさせるすばらしい表現。ピアノ演奏という以上のものを聴いた感じが。

と、ここで時間切れ。何れ聴くごとに心の内に何か、それはありとあらゆる人生であるかもしれないが、知らせてくれている。

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クラシック倶楽部あれこれ

 どうしておられるかとふっと思い出しては気に掛けていた沿岸の友だちから便りがあった。ほんとうに頑張っておられる。彼女の一筆を読むと祈り心が湧く。その中に「クラシック倶楽部を毎日聴いています」とあった。
 人に奨めながら、今は5時きっかりに聴くことは少なくなっている。現実的に早朝に目は覚めるもののいささか体調にひびくという感じがする。久しぶりに諏訪内晶子の健在ぶりを見た時も嬉しかったし、文字にしないまでもこの番組の恩恵は受けてきている。
 パトリシア・コパチンスカヤ&カメラータ・ベルンのヴァイオリンでは、これが立奏なのだが、メンデルスゾーンやらシューベルトはもうおなじみでシューベルトの「死と乙女」は昔弟が隣の部屋でよく聴いていたのを思い出しながら懐かしく聴く。非常に目新しいというか、耳新しいというか、それが「怒り」だった。作曲者はパトコップ。誰だろう、知らない。ところがググってみるとコパチンスカヤのペンネーム。改めてネット上にある彼女の顔に見入ってしまった。土俗的な直截な感覚が面白かった。
 ベルリン・フィルの首席、樫本大進がベルリン・バロック・ゾリステンとともに。これも立奏。どの団体であったか立奏が動きが自由で音が出しやすいと言っていたが、立奏がおおくなっているのか。それにしても高齢になると立奏は大変だろうと思ってしまう私は立派な高齢者。樫本さん、45歳になられるようだけれど、貫禄が増していた。ヴィヴァルディ「四季」、「これが冬だ しかし 冬は喜びをもたらしてくれる」。時代の冬、歴史上の冬、その中で喜びを見出せる方々が一人でも多くいらっしゃるようにと祈る。
 日付は前後するけれども、バイオリンのロマン・シモヴィッチが演奏についていう「感情で俳優のように物語をつくりだす」で、感情欠乏気味となりつつある己を自覚。ドバイでクラシックピアノコンクールが行われていることを知る。一度は水浸しになったドバイ、しかし治安は非常に良いとも。あの砂漠の近代都市でコンクールが!
 櫻田亮、この名前、まこと、と読むのね。ベルカント、良かったな。人の声の説得力は楽器とはまた別者という感じが
 フランチェスコ・トリスターノのピアノ。バッハのイギリス組曲第2、3、6番。小気味よい風が控えめなユーモアまじりに吹き抜ける。
 その他、その他といってしまっては申し訳ないのだが、朝のひとときはこうして始まる。
 今朝は土曜日でクラシック倶楽部はないが、早朝のゼレンスキー対トランプのやりきれなさを、せめてクラシック倶楽部の思い返しで吹き飛ばしてみた。

 

⏰6時19分更新

 

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新ダヴィット同盟

 TV画面、またTV? と言われそうだが、これはもう習慣。5時はとっくに回っていたが、TVを点けると、いきなり吉田秀和の写真が。あ、懐かしい~。そう何を見ても「懐かし~」と出てしまう齢。レコード芸術が活況を呈した頃は、度々評論を目にして、う~ん! あらえびすなども取り上げてくださって地方にある音楽ファンを大いに喜ばせてくれもした方。といっても、あらえびすは地方版の音楽評論家ではない。
 それで、吉田秀和がどうして今朝のTVに? と見ると、水戸芸術館の初代館長であり、今日出演の新ダヴィッド同盟、変わった団体名、と見ると、これはネットで見るとなのだが、「2010年に水戸芸術館館長吉田秀和の命名によって庄司紗矢香に結成を託された水戸芸術館専属の室内楽グループ」。新とついているからには旧?もあるでしょう、と見ると「「ダヴィッド同盟」は、ドイツ・ロマン派の大作曲家ローベルト・シューマンが夢想した芸術グループ。異教徒ペリシテ人を知と勇気で撃退した旧約聖書の登場人物ダヴィデ(ダヴィッド)にちなみ、俗物に対抗し、新しい音楽の理想を打ち立てようとする気概がこめられている。」
 新ダヴィット同盟は庄司紗矢香を中心に結成。今日の演奏は小菅優、池田菊衛、磯村和英、そして、ゲストはスティーヴン・イッサーリス。シューマンのピアノ五重奏曲の力強い響き、この曲もまた明治・大正から幾度となく演奏されてきたのだろうと、感慨深く聴く。

 次の名曲、「トスカ」、森谷真理のソプラノ、いつになく胸にしみた。



⏰6時54分更新



 

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クラシック エラール メモ

 数日前のクラシック倶楽部、フランチェスコ・トリスターノのバッハ演奏。まるでフローリングに日があたり目立ってしまった埃を掃除機で吸い取ってくれるような、そこにある埃に窓から一陣の風が吹き込んでスーッと運び去ってくれるような、トリスターノのバッハは、自分に見分け難くうっすらと積もった埃をちょうどそのように払い爽やかにしてくれた。曲が終わってみると爽やかさがのこされていた。


 今朝はピエール・ロラン・エマール。藝大の学生が聴講。これがとても興味深い。今聴きながら書いている。バッハとクルターグの比較というよりも、それぞれの作曲家の面白さの違いとでもいおうか、それを解説を交えての演奏。クルターグ、初めて聴くけれど、とここでまた.wikipediaに飛んでみると、「ルーマニア出身のハンガリー人作曲家ピアニスト、室内楽の教授。バルトークマリンシュテインウェーベルンらの影響を受けており、表現主義においてウェーベルンの後継者と言われている。」
 エマールはバッハは巨大建築であり、葉っぱのモチーフをどんどん豊かに繁らせて豊かな樹木にする。一方クルターグはモチーフを切り詰め切り詰めて、詩の世界でいえば俳句のような表現にする。クルターグの作品が格言のように聞こえる理由はここにある。番組通りの解説そのままではないが、こういった解説だった。非常に面白かった。そしてエマールの演奏がまさしく、バッハはこうだよ、こうなんだ、クルターグはこうだよ、分かるだろうこの違いが、と解説が聴こえてくるような演奏だったこと。エマールが俳句という言葉を持ち出せたことが意外だった。
 気が向いた時ばかりもと、書きつけておく。もう名曲アルバムが始まっている。

 

⏰6時2分更新

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クラシック倶楽部 アンソニー・ロマニウク&柴田俊幸&「AKIR KVBOTA 1996」

 きょうのクラシック倶楽部、アニソニー・ロマニウク&柴田俊幸の古楽器演奏、といっても古楽の垣根を超え、即興と作曲の別はないと、その垣根も取り払った演奏だった。バッハに始まりダウラント、バシリー、クルターグ、そして曲目はチック・ユリア、リゲティ、グラスにまで及び、特にリゲティの「ハンガリアン・ロック」で、あらら、ほんとに垣根を飛び越えちゃった!
 ロマニウクが弾いたフォルテピアノ、チェンバロ、そしてエレクトロニクス・ピアノ、特にエレクロニクス・ピアノで奏でる古楽の妙。柴田のやわらかな3通りであったか、フルート・トラヴェルソ。「バッハは自分と音楽の境目がなくなる」と。
 今回、もう一人のというより、今一台の“共演者”はチェンバロ「AKIRA KVBOTA 1996」。美術品としてもすばらしいというが、まさしく!

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⏰6時30分大慌てに慌てての更新

 

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中館耕蔵という人

 久方ぶりにクラシック倶楽部、といっても書くか書かないかは別として、野球などで放送が変更される場合の他、大方は聴いている。バッハの「フーガの技法」が入っていたりすると、ありがたや! 8月、岩手県水沢市のZホールで演奏予定の福井敬の登場、川口成彦のフォルテピアノもあった。その他その他。今、ラモ―の「新しいクラヴサン曲集」が終わり、モーツァルトの「ソナタへ長調」が始まったところ。奏するはロシアのピアニスト、ダニール・トリフォノフ。コンクールでどんな輝かしい賞を取ったかを知るよりも、先ず自分の耳で聴いてみたら? 最近こんな声が自分の内から聞こえる。ラモ―、バロック期。宮廷の華やかさ、さざめきも。ピアノで装飾音を工夫したというトリフォノフ。ドイツ・グラモフォンと契約しているようだ。バッハの「シャコンヌ」や「フーガの技法」も出ているようだ。
 と書くうちに名曲アルバム、成田為三も終わり、ワールド・ニュース。故ナワリヌイ氏の妻ユリアさんに逮捕命令が出たらしい。

    ☆   ☆   ☆

 けさキーを打とうという気分になった動機は、実は7月6日放送の新プロジェクトX。これがずっと頭の中をめぐっており、今朝も。「窓ぎわのトットちゃん」を切り口に、黒柳徹子さんの現在をあらしめたという小林宗作という教育者の特集だった。小林はフランスに留学しダルクローズのリトミックを学び日本に伝えている。小林のいう「20年先を見据えた教育」、「自分に合ったものを見つける」等々、心惹かれた。日本の国民学校という教育体制下においても各々の個性を尊重する自由な教育を目指した。実は、この小林宗作がフランスに行く前に、群馬県から東京音楽学校に入る前に、地方の代用教員であった小林に音楽上の意識の変革をもたらした人物がいたのだ。その人は岩手県遠野市出身の日本の音楽マネージャーの先駆けである中館耕蔵であった。このことが、番組を見てからというもの、ぐるぐると頭をめぐっている。ということは、書かねば落ち着かないのだろう。途中で中断となるも、あまり重たく考えず軽い気持ちでキーを打ってみようか、久方ぶりにそんなふうに思った。
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小林宗作
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金子巴


 佐野和彦という方が、「トットちゃんの先生 小林宗作抄伝」を著している。その中に中館耕蔵のことが記されている。44頁、11~19行には、中館耕蔵に関する金子巴(小林宗作の息子)さんの証言もある。
87~88頁には小林と新渡戸稲造との出会いも書かれている。抽出し転載したいのだが、今その時間がない。
 何れ中館耕蔵は、小林宗作のみならず、大正、昭和に音楽マネージャーとして全国を回りながら、中央と地方の音楽の格差、西欧と日本の音楽の格差を説き、中央に出て学ぶよう、また海外留学を果たせるよう支援を惜しまなかった人物だった。当時の音楽界に中館耕蔵の名を知らぬひとはいなかったのだ。残念ながらこのことはあまり知られていない。詳しくはまた後日に書くことがあるかもしれない。簡略であるけれども、一応記しておきたい。

写真は岩手の合唱指揮者松田順子先生を介し中館家からお借りした写真のコピーです。中館耕蔵氏は大正の時代、キリスト教関係の方々、また白十字会からの音楽会開催、そのほか当時を代表する音楽家たちばかりでなく、渋沢栄一、白樺派の人々、平塚らいてふ、市川房枝からの依頼など、また亡命音楽家たちのマネージメントも引き受けていました。自ら楽壇を立ち上げた人物でもあります。後には国立音楽大学の創立にも関わっており、このことの方が関東大震災以前の音楽マネージャーとしての活躍よりもよく知られています。

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⏰8時41分更新



 

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音楽雑感

 きょうは盛岡、18度になる。いよいよ待ちに待った桜開花か。クラシック倶楽部を聴くと、ちょうどピリオド楽器演奏。フォルテ・ピアノ川口成彦、トマシュ・リッテル、バロック・バイオリンの山縣さゆりさんらのちょっとした解説も。「18世紀オーケストラ」という名ははじめて聴いた。ショパンの「ポーランド民謡による幻想曲 」やら「演奏会用ロンド 「クラコヴィアク」」、これもどこかで聴いて、その時限りで自分の中では忘れ去っていたのではないか。これ、ショパンの曲ですが、と言われて、ああ、こんな曲も、と言ってしまいそう。やけに新しく、民族色の中でショパンの持つ詩情が動き身を投じてゆくような感覚に。18世紀オーケストラ、これが立奏。演奏の度に仕上がりが違ってくるとか。この方々でモーツァルトの交響曲40番、何回かコンミスが楽器から手を放して皆に促していたことは、ここではもっと音量を! だったろうか。しかしこれが当時の空気感。演奏された方々の年齢は高そう。それがかえって今の自分には共感をもって、ほとんど日常的に聴いていた30年も昔にさかのぼり、ちょうど子どもを隣に乗せた車窓から見た景色がただただ軽快に次つぎに移りゆくさまが浮かんでは飛び去っていく。

 吹奏楽は一昨日であったか、音圧に曲が圧しつぶされたと感じたコンサート以来、わざわざ吹奏楽を聴きに行ったことはないけれども、楽器の音の出し方は声楽と似ている。歌うように奏するといった解説であったか、大井剛史さん指揮。吹奏楽は屋外で、と思っていたが、この解説でまた違った受容ができるように。

 ファビオ・ビオンディの無伴奏バイオリンを聴いたのはいつであったか、ソナタは2番、パルティータは3番がよかった。

 と、日々聴いているかに書いているが、最近は聴かない日もある。特に4月の6日からは腰痛に見舞われ、この痛みに圧されて4日間は安静に。イエスさまを信じていても病気になる時はなる。はたと静まってどこからか声が聞こえはしないかと耳を澄ますけれども残念ながら「お前だけは特別に今すぐに癒してあげよう」という声はどこからも聞こえてはこなかった。ただ気持ちを平らかにしたとき、この平らかに、というのがどういうことかというと、人は痛いとなると、「なぜこんなことに?」「そうだ、あれが原因だ」「あの用足しをしたからじゃないかしらん」と、おかしなことに何かを責めたり詰問したくなったりしてしまう。原因究明はだいじだけれども、他者を責める心境に傾き加減になる自分がある。そこで心を平らかに、なのだが。その時、すとんと心に落ちるように「今回は治る」という確信が心に通いほっとしたのだった。な~んだ、数日の我慢。

 そして今日、主人のウォーキングポールを片方借りて、右手に持ちとつとつとコンクリートに、砂利道に、草地につきながら散歩。いつの間にか大きくなり過ぎたフキノトウ、しかしきれいな彩で葉っぱに陰影を落としている。ヒメオドリコソウの紫の小さな花とオオイヌノフグリの青い花の密生のあいだに3本のツクシが伸びていた。坂道を上がって見れば、廃屋の庭に並び枝を繁茂させるコブシの花の白さ。レンギョウの黄色の明るさ賑やかさ。枝にまぶされたかボケのまんまるな赤いつぼみ。全身を真っ赤な花で塗りこめた山茶花。今日中には開くであろう桜のはちきれんばかりの胸いっぱいの花弁。橋をわたり坂を下りる家の庭には、たくさんの紫のカタクリのくびれた花々。そちこちの庭に崖に肩を寄せ合うスイセンの群れ。そして交差点の角にはたくさんのムスカリ。
 盛岡地方気象台はきょうついに標準木の開花を宣言した。春だ!ほんとうに春が来たのだ!

⏰17時32分更新

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音楽雑記

 書く書かないは別に、更新はしかねたが、自分の中で、音楽の占める領域はまだまだ小さくはない。音楽番組は幾つもあるのだが、なぜかクラシック倶楽部が落ち着いて楽しめる。今週はピアノだった。スウェーデン出身のピア二スト、ヤブロンスキー。もともとはジャズ畑の人。新しい作曲家の曲も紹介すべきであると、バツェヴィチやスカフテを弾き、自作の「バラード第一番」も紹介。これが目新しいというか、耳に新鮮だった。マリオ・ヘリングのピアノの記憶がない。プログラムはあの「熱情」など。思えばこの日は目が覚めて5時55分、つまりは聴き逃し。この日の名曲アルバムであったか、リストの「ゴンドラをこぐ女」、このピアノに惹きつけられて、見ると阪田知樹。こんな波間にしばらく揺られていたいものと。たった5分が、けっこう1時間も聴いたかの満足感。それとジャン・チャクムル、トルコ生まれの方。チャクムルのバルトーク「野外で」に土の野太さ、立ち上るエネルギーの浄化、しじまから滴り落ちる滴。水上に散る光が火と飛び交う様が想起せられ、バルトークに改めて心酔。

 そしていつも残念に思うのは、これら音楽を聴き終えて次に画面に溢れ流れるのが戦争ニュース。現実に引き戻される。そして祈る。

「義人なし、一人だになし」、罪のない人はいない。みな人は罪人。この私も。神への悔い改めと贖罪を成せるイエス・キリストへの信仰あるのみ。

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二台のブレンドピアノ

 だいぶ時間は遅いけれども、二言三言なりとも打ち込もうかとページを開けている。
 昨朝のクラシック倶楽部は迫昭嘉さん、江口玲さんのブレンドピアノ。先週は2台のピアノによる演奏が続いていたのだが。この回を以前聞いた時にどのように感想を書き込んでいただろうかと過去ログをググってみると、「🎵第2~3楽章までは、心境的にオケ版の第9に押され気味だった。ピアノを聴きながらオケが一緒に鳴り響いている感じが。それが第4楽章ではたと。これはピアノ・ソナタとして聴けばいいのだ。2台のピアノ・ソナタとして。そう意識した途端にピアノだけの音がすっきりと立ち上がり、色々な風景が見えてきたから不思議だ。日が傾き静かな深まりゆく蔭に沈みゆく風景。しだいにそれがまた月光に浮かびあがってくる。またたきはじめる星のいくつか。それがしだいに数を増してさざめきながら夜空にまたたく。互いに自己主張の競いあい。それがやがて静かに相和し互いを輝かせ銀河と、もちろん当時は銀河という認識はなかったとしても、一つの相和する星の一つのまとまりと歓び輝きはじめる。こんなイメージに遊んだ。シラーの詩はシラーの詩としてこんな空想もできる澄みきった叙情ある響きも。」と。
 して今度はというと、神経の行き届いた打鍵に心地よいクッションの良さを感じながら聴き続けるうちに、いつの間にかここ数年来の自分のありようが次つぎにあぶり出されたのだ。第九という聴きなれ親しんでいる曲でもあり、それが導き手となって記憶から引き出してくれたというところか。神の望まぬことはしない、これは悪いことではないが、それだけでは生きる積極性を欠いている。それで何かよいことをしようと努力した自分。そして今はそれにちょっとだけ疲れた自分がいる。そして目を閉じて、自分の解像度をあげようと意識する自分。目立とうというのではない。神とともにより自然体で歩みたい自分の、これは散策するような心境での模索。そこで第4楽章がちょうど終わったのだった。こういった心持ちをもたらしてくれるのも、良い演奏の為せるわざなのかも。

 けさは、なぜか映画「パッション」、キリストの受難と磔罰。世の中の多くのいじめの型がこの中にはあるなと。
 23時。いつもならもう就寝中。血圧上昇を危惧しつつ、ここまでに。

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