音楽

髙田三郎を聴く夕べⅢ―2018・3・24(土)14:00盛岡文化市民会館小ホール

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  最終ステージⅤで歌われる《残照》は、井上靖の散文詩に、髙田三郎が80歳頃に作曲したのだとか、ぜひ聴いてみたいです。さまざまな意味で、一つは、一時期、井上靖に傾倒していましたし、一つは、髙田三郎は宗教曲の作曲にあたって、自分の信仰というものを吟味しており、80歳といえば最晩年、その心境が音にどのように立ち現れているものか興味がわきました。

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岩手県民オーケストラ第69回定期公演

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 去年は、なにかと忙しく、コンサートには行けないでしまいましたが、やっと昨日、県民オケの定演を聴いてきました。
 「英雄」に間に合って入場。午後のひと時、久しぶりに豊かな時間をいただきました。

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※下線は、私的メモ書きです。

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旧宰郷邸

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 宰郷(佐々木家)では、この庭に、藩政時代、村に流れ着いた人々、みなしご達を常時30人は収容し、また食を求めて来るものには 施しをしていた。この代の忠兵衛は慈善家として知られていた。

 忠兵衛の孫、佐々木和一郎は、傾きかけた家を10年計画で立て直そうとしたが、その徹底ぶりは、太田のカルロス・ゴーンかとも。大百姓制度を小作制に変える。これも、様々な見方はあるだろうけれども、経済の立て直しという観点から、何事も経済優先という考えはわたしは無いが、何れ、頭の切り替えがそこにあった。仏事にも酒を禁止するなど、駆けつけた人々の戸惑い、或いは不満、愚痴までが聞こえてくるようで面白い。家の中から近所まで、村中が、ぶつぶつ言っていたのではないか。しかし、和一郎は、自らも生涯、酒、たばこは口にしなかった。莫大な借財を8年で完済、以降は村のあらゆる事業に多額な寄付を惜しまなかった。
 いまの経済事情は、当時とは違って、様々な要因があり、一概に、これに学ぶべしとは言えないまでも、企業の立て直し、商売の立て直しには、大いに示唆があると思われる。

 

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スターバト・マーテル

スターバトマーテル ヴィヴァルディ の動画検索結果

 早朝、まだ部屋が温まりきらないが、流してみたのが、ヴィヴァルディ版スターバト・マーテル。聖母の悲しみ。切々として真理の内奥ともいうべき境地に聴くものを引き連れる。
 磔刑にあうキリストのすがたを見たくはない、しかし見あげ、深い悲しみと嘆きを、やわらげるものの何ひとつ無いままに、たとえ心が、魂が、ずたずたに切り苛まれようとも、現実を微塵も違えることなく、そのまま受け入れざるを得なかった母マリアの痛ましさ。

 元旦の礼拝では、「平和は、一個人のキリストとの平和から」とのメッセージがあった。この平和のために、キリストは十字架で血を流し、その家族たちもまた、想像を絶する恥辱と苦痛を味わわされたのだ。

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宮古ジュニア弦楽合奏団と仲間たち

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宮古ジュニア弦楽合奏団第52回「音楽の夕べ」。いただいた年賀状にあった写真をお借りしました。
 昨年は、とにかく忙しく、また一つときに忙しいことが集中してしまうために、行き届かぬことが多くあったことを、自ら残念に思っております。
 こうして、いま、ゆっくりとお写真を拝見し、記憶から、数々の演奏の響きがよみがえり、それがまた海のきらめきとなって、胸中を明るく照らしてくれました。

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あらえびす著『名曲決定盤』

 野村胡堂といえば銭形平治、そう思っていたときが長かった。音楽の方もなにか遺しているらしいと知ったときも、読んでみようと思わなかった。あらえびす記念館ができて数年経ったころに、この著書に出会った。銭形平治を読んでいないのだが、いまだに捕物帖とクラシックのギャップが埋まらない。
 それにしても、大正時代にこれだけの音楽評論を書ける人がいたのだ。

 あらえびす著『名曲決定盤』
昭和14年4月28日印刷
昭和14年5月3日発行
昭和14年6月1日8版発行
著者 野村長一
定価 2圓50銭
中央公論社

 わたしが所有しているのは、この版。

 音楽評論家の大御所だった吉田秀和氏は、最晩年にも、レコード芸術などに、あらえびすの著書から引いたものだった。

昭和24年『名曲決定盤』中央公論社 
1979(昭和54)年  同  改訂版
1981(昭和56)年  同 (上下)  中公文庫
2015(平成27)年  同  改訂版 中公文庫
      『名曲決定盤(上) 器楽・室内楽篇』、『(下) 声楽・管弦楽篇』

 いまに生き、これからも生き続けていくのだろう。あらえびすの耳と心、知性が、いかに曲の神髄にまで迫り、聴き分けていたかが窺われる。事実、自分の好きな曲をどう書いているかを開くと、教えられること肯かせられることが多くある。

 ☆

 あらえびす著『レコードによる古典音樂』
昭和12年12月10日印刷
昭和12年12月15日発行
定価 金1圓70銭
発行所レコード音樂社

 こちらは、「あらえびす 野村胡堂」と直筆のサインが入っている。         



 

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渡辺弥蔵という人

【渡辺弥蔵(18791978)の音楽略歴】
明治12年12月5日誕生。福島県白沢村(現・本宮市白岩)出身
明治-昭和時代の教育者。
明治37年東京音楽学校(現・東京芸術大学)甲種師範科卒
同年4月盛岡中学校に赴任
明治39年7月同行退職

ヘンリー・タッピングとは、盛中を辞める年、4か月間だけ、同じ教職員として顔を合わせる。
新藤武が渡辺弥蔵の影響で音楽教師を目指す
音楽家梅村保も授業を受ける
盛岡に
ピアノが入ったのは、
明治41年、宣教師タッピング夫妻がいた内丸教会附属の内丸幼稚園だった。タッピング夫妻は、ドイツの音楽学校でピアノを学んだ人。ピアノの正式なソロは、この婦人の演奏を嚆矢とする。このピアノは、当時、貴重なものだった。(盛岡市史)
渡辺弥蔵が授業で西洋のやさしい音楽を聴かせたというが、渡辺が盛岡市の藤沢座でヴァイオリンを演奏していることから、おそらくは、ヴァイオリンで弾いて聴かせたと思われる。

 

<盛岡の次は新潟にいたと思いましたが調べ中>

 

明治42年広島師範教諭となる
大正9年広島フィルハルモニー合唱団を結成。コンサート、ラ
ジオ放送に出演。合唱の普及に務める。
大正14年、進徳高等女学校
(現・進徳女子高等学校)着任
   教頭だったときに、原爆に遭う。65歳だった。

昭和5313日、広島市南区にて死去。98歳。

 

【作曲した校歌一覧】

 

広島県立広島商業高等学校
広島市立五日市小学校
広島市立船越小学校
廿日市市立廿日市小学校
広島県立広島中央特別支援学校
修道中学校・修道高等学校
山陽女学園 中等部 ・高等部
東広島市立竹仁小学校
進徳女子高等学校
広島市立石内小学校
呉市立横路小学校
東広島市立三津小学校

 

【著書】

 

最近楽典大要 1907
初等楽典釈義 1915
著書 楽器の解説 1917

 

【被爆体験の録音】

 

渡辺弥蔵の原爆体験記←クリックして聞いてください

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松見ヴァイオリン教室の発表会をのぞく

自分の関係者の発表があるので行ってきました。

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小3   モーツァルト 『ロンド』

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小6  ドヴォルザーク『ヴァイオリン協奏曲 イ短調 第一楽章』

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小6  ドヴォルザーク『ヴァイオリン協奏曲イ短調 第三楽章』

 よく頑張って練習し、弾いている事に感心しました。他の生徒さんたちの演奏も、よくここまでと感じ入りました。

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太田カルテットが書かれている著作物

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 太田カルテットを風化させるべきではないとの意識から、新聞などに書きのこしてくださった、または新聞取材に応じられた方々。

村井正一氏   昭和37年6月岩手日報「盛岡弦楽四重奏団のこと」。
           他多数
池田盛雄氏   昭和46年1月岩手日報「ばん茶せん茶
新藤武氏    昭和53年6月岩手日報「岩手の音楽回顧 新藤武氏の講演か             ら」。他多数 
達増寛一郎氏   昭和55年10月岩手日報「ばん茶せん茶」

    

 太田カルテットが書かれている著作物

「朝暾に額ずく・太田村誌」編纂代表者 館沢繁次郎 1935(昭和10)年刊
「岩手の音楽教育 教師を中心とした史的概観」吉田久五郎編著 岩手音楽教育学会 1973年
「なつかしのアルバム盛岡寫眞帳 下巻」1978年
板谷英紀著「賢治幻想曲」 1982年
佐藤泰平著「セロを弾く賢治と嘉藤治」洋々社 1985年
「太田の昭和史」太田の昭和史編集委員会 1993(平成5)年
「盛岡劇場ものがたり」 盛岡劇場編集 盛岡市発行 1996(平成8)年  
佐藤信夫著「太田クワルテット物語 岩手の洋楽の草分け」 盛岡タイムス社 1998.5
中ぶんな(加藤和子)著「光炎に響く」  新風舎  2006年 

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ヨナ抜き

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 明治唱歌には、よくヨナ抜き短音階とかヨナ抜き長音階という音階が出てくる。当時は、ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、を、ヒ(一)、フ(二)、ミ(三)、ヨ(四)、イ(五)、ム(六)、ナ(七)と表記した。ヨナ抜きというのはファとシを除く、ということだ。ヨナ抜き音階は日本人好みといわれる。
 『故郷の空』はスコットランド民謡だが、これを、奥好義(よしいさ)が、ヨナ抜き長音階に作り変えている。こうすれば、邦楽に似た旋律になるので、西洋音楽に不慣れな耳にもなじみやすいのだという。ー参考は『唱歌・童謡ものがたり』(読売新聞文化部)岩波書店note

 

 私の小さい頃の事。夏休み冬休みというと一戸にある親戚の家に泊まりに行っていた。蓋に蒔絵のついた漆塗りの小さな小箱があり、それを開けると、細く小さく美しく澄んだ金属音が、一音一音をあたかも自らで確かめるかのようにメロディーを響かせる。『天然の美』のオルゴールだった。帰るときに荷物の中に入れられてあった。
 後になって、この曲が、サーカスやチンドン屋の定番曲であると知る。どうしても最初にオルゴールで聞いた趣きとは重ならなかった。興行で聞く音は、いかにも弾き古され、ややもすると軽すぎて聴こえもした。
 近年になって、『天然の美』は『美しき天然』、そして、そのはじめの旋律、作詞、作曲のはじめは、頽廃的でもなければ、浮薄なものでもない事を知りうれしかった。クラシック畑にある方の中にも、よく内容を掴めていない演奏があるように、サーカスやチンドン屋の方々にも、その二通りはあるだろう。音楽の本来的な意義、用途などを考える時に、どちらが良い悪いなどと簡単に言ってしまうつもりはないけれども。note

 

 ジンタは、民間オーケストラが無かった明治時代、1887年(明治20年)に海軍軍楽隊出身者を中心に、30名ほどのメンバーで「東京市中音楽隊」が結成された。東京市中音楽隊は行進曲ポルカワルツ等を演奏し、西洋音楽を庶民に普及させることに貢献した。ーウィキペディアより転載note

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