映画・テレビ

映画 モーセの十戒

十戒 [DVD]

 映画でも見て、すこしゆっくりしようかとTVでモーセの「十戒」前編を観ている。ヘブライ人であることが発覚しても、王子として留まろう思えば留まる道もあったが、彼は奴隷として家畜のように扱われている同胞を見ぬふりはできなかった。砂漠に追放され辛酸をなめたのちにミデヤンに辿りつき生き延びる。
 イスラエルの人々をエジプトから脱出させ、二つに分かれた紅海をわたり、十戒を授けられ、カナンに入る直前まで民を導き続けた偉大な指導者だ。
 誰でも一度は観たことがあるだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

映画『マエストロ』

マエストロ!のポスター

 一週間ばかり前のことになるけれども、主人が、観ておいた方がいいというので、久方ぶりにフォーラム盛岡へ。

 映画の筋立ては割愛しますが、
 西田敏行演じるマエストロ天道の生かすか殺すか、弾けないものは死すべし、とまで思わせる堂に入った指導ぶりに、大阪交響楽団を率いたマエストロ朝比奈隆が、楽団、指揮も軍隊と同じと言っていたのを思い出した。大変なインパクトだ。おまえも、命がけでやれ!!と
迫られている心境になる。
 音楽を映画にするためには、これだけのドラマ設定を必要とするのかもしれない。出来上がった「運命」も「未完成」もすばらしい響き、いったいどこのオケの演奏を使っているのかと、エンドロールを待った。見落さぬようにと思っていたはずが、オケの名が現れたときに、つい考え事をしてしまっていた。ベルリンドイツ交響楽団と読んだつもりだが、間違ってはいないか。かつて群馬交響楽団が映画化されたときに、何と、演奏は別な交響楽団を使ったことも思い出した。ストラディバリウスの聴かせどころ、辻井伸行のピアノにも耳を澄ます。指揮指導は佐渡裕。本番のステージ場面では、西田マエストロが、佐渡裕よりも本物に見えてしまった。圧倒的な存在感だ。俳優としての西田のモチベーションの豊かさを見た。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

DVD『命のビザ』

           

命のビザ [DVD] 

 杉原千畝が、日本政府の意向に逆らうとも、ビザを発行してユダヤ人の方々を救うのが人としての道であり正義であるとの判断から、独断で6000人にビザを発行するのだが、気力、体力が限界となっても、また列車で去らなければならない最後の最後まで、列車が動き出してからも窓からビザを発行し続ける姿が目に焼き付いている。

 ユダヤ人の方々に対する迫害については、あまりに重く、言葉が無いほどなのだが、その重みを負い立ち向かってくれた人物がこの国にもいたことに幾分か救われる思いがした。

  人が人を差別する。差別を組み入れた国家組織の存在、これほど怖ろしいことはない。人はこれにどこまで立ち向かえるのか。

 差別はいたるところにある。ある国に住んでいる方は、レストランに入ったところ、他の席が空いているにも関わらずトイレの近くの席に案内されたり、飲めないほど塩辛いスープを出された事があるという。彼女は敢然と抗議した。恐らく黄色人種だから嫌がらせをしたのだろうということだ。ユダヤの方々への差別、これは自分にも起こり得ることなのだ。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

宮崎駿 『風立ちぬ』

 宮古市に住む友人から、観る期間を逃してしまったが、盛岡なら25日までやっているからと、映画のチケットが回ってきた。内心ジブリか,と思ったが、きょう実際に観てみるとなかなかおもしろい。素晴らしかった。

Img196
 主人公は実在の人物堀越二郎。東京の大学で航空工学を学び、ドイツ留学を経て、数々の戦闘機、そして後にはゼロ戦を作った人物だ。戦闘機、そしてタバコに違和感も持った方々もあったようだが。
 作品の中で、堀越はずいぶんと飛行機の夢を見る。夢に出てくる飛行機、これは想像上の飛行機なのだろうが、意外性と楽しさに感心してしまった。この夢が、本来の堀越の飛行機の未来図は戦闘機設計にあるのではなく、大空をかける夢の翼であったことを印象付ける。
 この映画には何度も「美しい」ということばが出てくる。美しいを頻発すると、かえって美観が損なわれる場合があるが、この映画では、景色も飛行機もその美しさを損なわれずに凛と輝いている。
 関東大震災、これは大正12年9月1日。鉄道や家屋が破壊されていく場面、火災で多くの犠牲者を出しているわけだが、距離をおいて広範囲に火が燃え盛る場面なども迫真だった。
 登場人物としては、
堀越の上司である黒川が、個性的なのだが、しかしそこかしこにいそうでもあるおもしろさ。この存在の効果は大きい。ありきたりになりがちな職場を活気づけている。
 また軽井沢に滞在するドイツ人カストルプだったと思うが、宮崎は、「ナチはならず者の集まり」と言わせることで、ナチにきっかりと一線を引いている。

 堀越との出会いの女性里美菜穂子は架空の人物。結核という病にあって、先行きを知りつつ結婚、はかなく純粋な愛を、これもまた美しく描いている。

 タバコを擁護するわけではないが、菜穂子を傍にして仕事しながらタバコを吸う場面がある。これは、現実味を与えるために敢えて入れたのではないかと思う。タバコの良しあしは別として、当時はそれがあたりまえの時代だった。

 映画館に足を運ぶなどここのところまったく忘れていたが、思いがけず、友人の計らいで観る機会を得た。平日の昼間だったこともあり、女性が多い。友だちと、或いは一人でも映画を楽しみに来ている。和服すがたの方々も見受けられた。

 きょうもこのよき一日に感謝、感謝!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

映画 『恋するトマト』

 きょうは午後小雨がぱらついたこともあり、庭仕事は措いてNHKBSプレミアムで映画『恋するトマト』を観た。

2012526_011 
2012526_029

              わがやのトマトの苗

 最初は農家の嫁問題がテーマかと思われた。たしかにそうなのだが…。農家には嫁の来手がない。ならば農家の子女ならと願えば、農家ではサラリーマンに嫁がせることを望んでいるのだ。
 誰でもが幸せになりたいと願っている。農業の後継者である45歳の野田正男(大地康雄)も真剣に伴侶との出会いを模索する。しかしなかなかうまく進展しない。やっと農村生活に理解を示し婚約した女性からは、やはり農家に嫁ぐ自信はないと断られてしまう。こんどはパブで働くフィリピン女性と付き合い女性の積極さに引かれて結婚の申し込みに女性と共にフィリピンを訪れその家族に農協から借りてきた金で経済的な支援までするが、この一家が女性とともに忽然と消えてしまう。詐欺に引っかかったのだ。

 正男は日本に帰る旅費にも事欠き路上生活を余儀なくされる。路頭に迷う正男は中田という日本人に拾われるが、これが言葉巧みにスカウトしたフィリピン女性を日本に送 り込んだり、裏では売春の斡旋や売春婦として売り飛ばす女性たちを買い集めていたが、善人に見える正男をそのやくざなスカウト役に雇い入れる。ここで、正男は自分を騙したフィリピン女性への怨念をフィリピン女性に向けたものかと思われるうちに、正男はあるレストランで身の硬い女性クリスティナ(アリス・ディクソン)を認める。

 仕事の道すがらを運転するうちに正男はラグーナという農村を通りかかる。懐かしさで車を停め見入る正男。折しも稲刈りの真っ最中だった。この風景が現れたところから俗っぽいエンタティメントに終わるのかという疑いは霧散する。そして何とそこにはレストランで見かけたあの女性クリスティナが稲刈りをしているのだった。彼女の父親は病気だった。正男はそのまま腕まくりし、ズボンの裾を捲りあげて稲刈りを手伝うのだった。やくざな自分が遠のきやっとまともな己に突き当たり、いまだとばかりに自分を取り戻そうとするかに一心に働く正男。そして近くあってともに労働の汗を流すクリスティナへの愛情を抱くようになる。

 やくざな稼業からは足を洗い出直し、真っ当な想いをもってクリスティナの両親に結婚を申し出るが、太平洋戦争での日本軍の怖さを知る両親は決して首を縦には振らない。またク リスティナはフィリピン人の教師にプロポーズされ悩み、正男に想いを寄せるものの家族を捨てて日本に渡ることが出来なかった。これだけならば悲恋のラブストーリーというところだが、素晴らしかったのは、クリスティナと正男の結婚を望んでいるクリスティナの弟の存在だ。自分たちに大玉のトマトの栽培を教え自分たち家族に愛情をもって接してくれる正男に、この青年は信頼と愛情を抱くようになっていた。また大きな真っ赤なトマトが撓わになった畑は実に見ごたえがあった。ほんとうの豊かさとはこういうものだという無言の説得がある。 結婚を反対された正男は、もしトマトが成功したら知らせるように、また種を送るからと青年に住所のメモ書きを託す。

 フィリピンで、「まことに大切なものは太陽と土と水である」ことをクリスティナとフィリピンの働く人影が動く農村風景からスピルチャルに心に刻み込んだ正男は日本に帰ってからは大らかな想いをもって農業に専念する。そしてそんなある日、正男がトラクターを動かしながら、バスが農道を走り去ったあとに一人降り立った人影を朧に見る。近づいてくるその人こそ、ラグーナの村で別れを告げたあのクリスティナだった。正男に幸せが飛び込んできた瞬間は感動だった。農村の青年の働きが報われこのような幸せなすがたがあるようにと願われ、農業に光をくれた作品だった。

 なぜか最後にTPPと画像に映っているような気がした。いよいよ農を破壊するTPP反対。しかしそれを声高に言おうものなら、この映画は風邪をひく、そんな気がした。

監督:南部英夫脚本・脚本・製作指揮・主演:大地康雄音楽:寺田鉄生
2005年公開。配給:ゼアリズエンタープライズ
原作は『すばる』(集英社)掲載小説「スコール」(小檜山博)

因みに今私の裏庭に植えてあるトマトの生育は順調である。真っ赤なトマトを手にするたびに私はこの映画を思い出すだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

映画「酔っぱらった馬の時間」 

Scan10015
 岩手県立図書館から借りたDVDだが、「酔っぱらった馬の時間」を視聴した。
監督はバフマン=ゴバディ。2000年イラン製作。

 国を持たないクルド人が生きていくことの苛酷さが描かれている。クルド人は中東の先住民族。クルディスタンが舞台だ。常に時の勢力に虐げられ利用されては裏切られてきた民族だ。

  地雷で父親を亡くした5人の子ども達が主人公。12歳のアヨブが自分が家長である自覚と兄弟愛から皆を養い、いかに辛くとも、すでに15歳でありながら四肢 が伸びないという難病を背負ったマディをも決して見捨てることをしない。マディの僅かな寿命をのばすためには手術費が必要だった。マディの叔父はマディが 知らないうちに姉のロジーンを嫁がせることを決める。それには嫁ぎ先が病気のマディを引き受け手術を受けさせるという条件も入っていた。アヨブの涙の慟哭 の反対は叔父に退けられる。山岳地帯、深い雪の中をマディとともにラバに揺られ嫁ぎ行くロージン。しかし迎えに来た嫁ぎ先の者達は、マディを余計者とし引 き受けを拒否。ラバを一頭くれてやるからマディは連れて帰れと迫る。それを寒さに震えながら聴いているマディ。アヨブはラバを引きマディを連れて家に引き 返す。何としてでもマディに手術を受けさせたい。その費用を稼ぎたい一心で、アヨブはイラクへの密輸業者のキャラバンにイラクに連れていってくれるよう頼み込 む。ラバをイラクで売り、手術費を捻出するためだ。アヨブはラバに酒を飲ませ酔わせ大型車輌用のタイヤを左右に背負わせて苛酷な山岳地帯を追い立てるキャ ラバンに加わる。だがついに国境警備隊の銃砲に負われ、キャラバンはラバを引きずり打ち叩き歩かせようとするが酔っぱらったラバたちに急転直下の危機は いっこうに通じない。括った荷を外して谷へとタイヤを転がしラバを転がし進ませる。アヨブは、マディを背負い限りに助けを求め泣きさけぶが、ばらばらに逃 げ去り遠ざかっていくキャラバン。しだいに弱っていくマディを背中に感じながらアヨブはただひたすら深い雪をこぎながら国境を目指す。
 アヨブはマディに語りかける。「大好きだよマディ、国境はもうすぐだよ」

  「人生は苦労ばかり/子供ですら老いてゆく/険しい山を越え/深い谷を巡る/つらい仕事が僕らを死へ導くよ/人生は苦労ばかり/子供ですら老いてゆく/厳しい毎日が僕らの若さを奪う」(子供達が合唱する現地の唄)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

映画 「少年の町」

映画「少年の町」をビデオで観た。これはアメリカで実際に存在した一神父の伝記的映画である。

監督 ノーマン・タウロ

製作  ジョン・W・コンシダイン・ジュニア
        1938 年
原作 ドア・シャーリー/エリノア・グリフィン
脚色 ジョン・ミーハン/ドア・シャーリー
撮影 シドニー・ワグナー

キャスト  スペンサー・トレイシー (Father Flanagan)
             ミッキー・ルーニー (Whitey Marsh)
             ヘンリー・ハル (Dave Morris)
             レスリー・フェントン (Dan Farrow)
              ジーン・レイノルズ (Tony Ponessa)


 フラナガン神父はよく刑務所に出向き、刑の確定した囚人の教誨師の務めをも果たしていた。貧しさ故に環境も悪く教育も受けられず食べることもできない少年達に愛と悲しみを持っている。そんななかで、死刑執行直前の殺人犯ダン・ファローに会う。子どものときに両親もなく劣悪な環境に置かれたダン・ファロー。彼は言う。「もし12才の時にひとりでも友人がいたらと思う」と。「もし子どものときに人の愛を知っていたならば正道を歩いたであろ う」と。最期のこの訴えを聞いて、フラナガン神父は孤児の救済を決意し、問題を起こした孤児たちを家に連れ帰る。

011
 神父は質屋を営む親友に経済援助を頼み、孤児院の先々を悲観的に予測するこの友だちをついに説き伏せて小さな少年たちの収容施設 を作る。「悪い子はいない」という先ずは子どもを全的に信頼し、規律をもうけ、食事、仕事、学習、祈り、そして何よりも慈愛を注ぐ。しだいに収容人員が増し、建物が手狭になる。神父は郊外に土地を買う資金を実業家デイヴに依頼する。

 かくして神父のビジョンは現実となる。子ども達が総掛かりで穴を掘り、土台のセメントを流し込むところからの大工事に挑戦。一丸となってついに宿舎が完成する。

018

 この家を中心に小さな町が作られる。ここは治外法権。そして子供たちの中から選挙で町長を選ぶ。フラナガン神父はこのときは中立の立場を取る。神父はキリスト教だが、単一の宗教を押しつけることはない。かつて町で盗み喧嘩が絶えなかったかつての不良少年たちは互いを尊重し、弱いもの小さなものをいたわり合う思いやりのある人間と成長してゆく。しかしこの町の自治、運営、維持にはやはり多額の経費が要るのだった。デイヴの発案で寄付金を募るが、なかなか思う ようには集まらない。
 その頃、獄中にいた有名なギャングのボス、ジョウ・マーシュが、フラナガン神父に会見を申し込む。用向きは懺悔ではなく、弟ホワイティを預かって欲しいと頼み込む。ホワィティはどうしようもないチンピラだ。映画を見ているこちら側が、こんなのを引き受けたら、せっかくの孤児達の家がメチャメチャになると思わせられる。実際回りの子供たちを事ごとに不快な思いに陥れていく。まっとうな生活に耐えられず、ついにトランクを持ち出し逃げ出そうとする。ホワィティを慕う6歳のビイ・ウイが、行かないでくれと、泣きながらどこまでも彼を追いかけ行かせまいとする。ところが、後を追ってビィ・ウイが道路へ出た とき、自動車に当て逃げされ、路上に転がり意識を失う。ホワイティは初めて神に赦しを請う。あてどもなくか
つての都会をさまよい歩くうちに、銀行襲撃事件に巻き込まれてしまう。通りかかった犯行現場には、監獄を脱獄したジョウが居たのだ。ホワイティは「ジョウ」と呼びかけたとき、仲間の拳銃に足を打たれてしまう。ジョウはホワイティを教会に運びこみ、フラナガン神父に電話で報せる。神父がホワイティを保護したものの、ホワィティも強盗の一味であると誤解される。もし孤児達の家から犯罪者を出した場合には、家は取りつぶされ、200人の孤児達が路頭に迷うことになるのだ。ホワイ ティは誰が盗みを働いたか口を割らなかったが、「少年の町」がとんだことになるのを恐れて、ジョウの隠れ家に出向き、一刻も早くここを立ち退いてくれと頼む。ホワィティが少年の家を秘かに抜け出すのに気づいた少年たちは、彼の後をつけ、大挙して隠れ家を突き止め、ついにギャングを捕えたのである。この話はたちまち全国に広まり、寄付金はだんだんと集まった。そしてもはや500人収容も夢ではなくなったのである。

021

 今はすっかり真面目な少年になったホワイティ。もうチンピラの面影はない。かつてはこの町の町長になりたさに、不正まで働いて票を集めようとしたホワィティ。しかし、いま、「少年の町」のすべての少年たちが、この町の町長たり得るのは、最早ホワィティ以外には居ないことに全員が賛成したのだった。

 おまえはワルだ。おまえは悪いことをする。危ないやつなんだ。どうしようもないやつなんだ。どんな子どもでも、相手が自分をこのように思っていると知ったならどうだろう。おまえは存在価値がない。いたって仕方ないやつなんだと言われているのと同じだろう。いまの時代にゃあてはまらない、理想だ、そういわれるかもしれない。しかし、この神父の子どもたちへの「悪い子などいない」という一言が、どれほどに一人の存在を生かし、人をあるべきところに立ち返らせるかを思わせられた。

                 (県立図書館 蔵)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

奥羽の鷹使い

奥羽の鷹使いー日本の狩猟習俗ー
        (岩手県立図書館蔵ビデオ)

201036_5            

クマタカはイヌワシに次ぐ猛禽類だ。飼い慣らして狩に使うこの地方にだけ残された狩猟習俗があった。クマタカ狩ではノウサギ、タヌキ、テンなどを捕える。ノウサギは冬場の山村のタンパク源であり、毛皮は耳当てなどの防寒具、また生活用品ともなる。クマタカ狩の起源は不明だが、昔から鷹の羽音を真似た音を出す道具を使って獲物を脅し、音と影にすくんで動けなくなったり、穴に逃げ込んだウサギを捕える威嚇猟法があったようだ。

 この記録に登場する松原英俊さんは、春先の繁殖期に雛を手に入れ育てた。昼夜傍を離れずに見守り育てるのだ。成鳥になってからの訓練はとても興味深く面白い。11月始めに鷹を入れておく小屋から出す。痛んだ羽を切ったり、爪の先端にヤスリをかける。これは、鷹を載せるときに手に巻く手甲から、鷹が飛び立つときにひっかからないようにするためだ。両脚にこあし縄という縄をつけて、3本の指にかける。

 鷹を暗箱に移し、20日間絶食させる。体力があるとなつかない。空腹に慣れさせながら、毎日深夜に真っ暗闇の中で鷹を手甲にすえる(留らせる)訓練をする。やがて少しずつ明るくして鷹使いがいることを教える。鷹はしだいに警戒心を解いていく。すえまわしの訓練は、夜ずえ(夜に外を歩く)から、朝ずえ、野ずえと進む。鷹が手甲に安心してすえるようになったら、水を飲むことを教える。最初は肉片を入れて水を飲ませ、3,4日たつと肉片が無くとも水を飲むようになる。3日に一度水を飲ませる。調整、訓練を初めて10日目には、さらに車の音、町ずえ(町の騒音、雑音)にも慣れさせる。20日の絶食の後にお椀一杯の肉を与える。10日おき、5日おき、3日おきに与えていく。絶食をさせながら、獲物を欲しがる状態に持って行く。次には縄をつけたままで、手甲に呼び戻す訓練をし、いよいよ獲物に突っ込む訓練となる。

 鷹使いは、鷹の体力の調整に注意を払わなければならない。常に空腹にさせ、しかも飛べるだけの体力は保つようにしなければならない。暗箱に30~40日入れて体重は3分の1に落ちる。空腹で絶えず泣くようになる。

 狩の実地訓練を終えて、鷹は獲物を捕っても山に飛び去ってしまうこともなく、獲物をがっしと捕えたまま鷹使いが駆け寄ってくるのを待つ。狩は12月末~4月までつづく。3月のかた雪のときが最も良い。2006年で絶滅危惧1B類となった。

 それにしてもイヌワシよりも若干小型というだけで、体重はやはり4,5㌔あるのではないか。鷹を片腕に歩く姿は何とも風格がありカッコいいのだが、この重さでは、けっこう難儀だろう。いま鷹狩の技術を持っているのは、山形県旭村の松原英俊さんと秋田県羽後町の武田宇市郎さんだという。この記録に見たクマタカ、ほんとうに威厳、風格があった。鷹狩のこんな風情が、いつまでも奥羽の山々とともにあって欲しい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

映画 「コルチャック先生」

201023_053                   コルチャック先生(ゴールドシュミット博士)

 '10.1にポーランドで、アウシュビッツ解放65年記念式典があった。ユダヤ人ら約150万人がガス室などで殺害されている。これを機にナチス・ドイツ映画を観てみようと思い、図書館でさがすうちに、孤児院を経営し最後までユダヤ人孤児200人をナチから守ろうとした「コルチャック先生」(1990)が目に留った。実在の人物でユダヤ人の小児科医だ。監督アンジェイ・ワイダ。出演ヴォイツェフ・プショニャック、エヴァ・ダウコフスカ。

201023_040

 ナチの映画で戦慄するのは、人を撃つとき打擲するとき、動作にすこしの躊躇いもないことだ。
201023_039_3               子ども達と遊ぶコルチャック先生

 洗濯婦がユダヤ人の服は洗濯したくないというのだが、コルチャック先生は自らすすんで洗濯をする。夜中に書き物をしているとき、子ども達が用足しで目を覚ますと駆け付ける。ユダヤ人として生きる誇りを失った青年や子ども達を、いたわりと優しさ、そして知恵ある言葉で誇りを持たせ勇気づける。ゲットーに追い込まれ、食糧が行き渡らなくなったときにも、子ども達に食べさせるために、果敢に立ち向かっていく。自らを捨て闇で肥えた人々からの援助も受ける。希望を捨てずに、幾多の困難を乗り越え子ども達の命と尊厳を守ろうとするが、しかしついにトレブリンカ収容所への移送命令が下る。

 コルチャック先生を惜しみ救おうと、病気の診断書を書く者あり、アメリカ行きのビザを取り逃れるよう勧める者も。しかしすこしの迷い、躊躇いもなく退ける。

 孤児院にナチがやってきたとき、遠足だといい、子ども達に一番立派な服を着るようにいう。連行されるときには、子ども達を庇い守りながら進む。家畜車に渡された板を、すべての子ども達が渡り終えたとき、自らも子ども達と運命を共にするべく、その板を渡りきる。扉は閉じられ、施錠され、列車はトレブリンカへと発った。

 コルチャック先生のラジオ放送がいまも耳に残る。

「世の為、人の為に身を献げるというのは嘘です。ある者はカードを、ある者は女を、ある者は競馬を好む。わたしは子どもが好きです。これは献身とは違う。子どもの為にではなく、自分の為なのです。自分に必要だからです。自己犠牲の言明を信じてはいけない。それは虚偽であり、人を欺くものです。」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

映画「いのちの山河」

          017

 映画「いのちの山河」を観た。盛岡市での上映もあったが気ぜわしい事などもあり見逃したので、滝沢ふるさと交流館の方での鑑賞となった。約200が満席となり、補助椅子が設置された。
 
 「豪雪・多病・貧困」と言われた沢内村。この重さをいったいどのように辛いばかりの気分から救って作られてあるのかにも興味があった。

 深沢晟雄と妻ミキが風雪のなかを帰郷する。吹雪で馬車が動けなくなったとき、二人は荷物を担ぎ手に持って深い雪に足を潜らせながら歩く。その場面が底抜けに明るい。現実からすれば異常なほどに明るいのだが、すぐにそれでよい事に気づく。ほどなく、病に苦しむときには医者にかかることもなく、死んでから医者にかかるために雪上を引きずられ運ばれる簡素に包まれた遺体が映し出される。正視するに堪えない場面だ。しかしこれがこの村では日常なのだ。「赤ん坊がころころと死ぬ」現実。

 
晟雄の父晟訓を演じる加藤剛の不条理に術のない怒りと歯がゆさ、閉塞感、無力さを酒に混ぜて流し込むこのような演技を初めてみた。沢内村を何とも為しがたかった無念が見えた。

 
晟雄は村の教育長などを歴任したのち、村長にならなければ実質的な改革は何も出来ないと立候補し当選。老人と乳児の医療費無料化のために闘う。県庁で国保法違反を突きつけられ、それに対し憲法25条を蕩々と読み下す場面は実に愉快だった。「最高裁まで闘う」と彼は言った。

 東北大学に幾度も足を運び、医師の派遣を要請。医師が派遣されてからの沢内行政、医師、看護婦、保健婦、村民が一丸となって徹底的に命を守ろうとの取組みは感動的だった。そしてついに全国初の乳児死亡率ゼロ達成の報の受話器を握る深沢。選挙公約であった駅までの除雪。バス路線の確保も、ブルドーザー導入で実現。

 1965年1月28日、在職中に食道癌で福島県立医科大学付属病院で死去。60歳。
 深沢が自ら公約し、豪雪の冬に除雪、バスを通したその道を、雪の中、遺体となって沢内村に帰ってゆく場面には涙を禁じ得なかった。多くの村民が沿道に出迎え合掌した。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧