きょうは午後小雨がぱらついたこともあり、庭仕事は措いてNHKBSプレミアムで映画『恋するトマト』を観た。

わがやのトマトの苗
最初は農家の嫁問題がテーマかと思われた。たしかにそうなのだが…。農家には嫁の来手がない。ならば農家の子女ならと願えば、農家ではサラリーマンに嫁がせることを望んでいるのだ。
誰でもが幸せになりたいと願っている。農業の後継者である45歳の野田正男(大地康雄)も真剣に伴侶との出会いを模索する。しかしなかなかうまく進展しない。やっと農村生活に理解を示し婚約した女性からは、やはり農家に嫁ぐ自信はないと断られてしまう。こんどはパブで働くフィリピン女性と付き合い女性の積極さに引かれて結婚の申し込みに女性と共にフィリピンを訪れその家族に農協から借りてきた金で経済的な支援までするが、この一家が女性とともに忽然と消えてしまう。詐欺に引っかかったのだ。
正男は日本に帰る旅費にも事欠き路上生活を余儀なくされる。路頭に迷う正男は中田という日本人に拾われるが、これが言葉巧みにスカウトしたフィリピン女性を日本に送
り込んだり、裏では売春の斡旋や売春婦として売り飛ばす女性たちを買い集めていたが、善人に見える正男をそのやくざなスカウト役に雇い入れる。ここで、正男は自分を騙したフィリピン女性への怨念をフィリピン女性に向けたものかと思われるうちに、正男はあるレストランで身の硬い女性クリスティナ(アリス・ディクソン)を認める。
仕事の道すがらを運転するうちに正男はラグーナという農村を通りかかる。懐かしさで車を停め見入る正男。折しも稲刈りの真っ最中だった。この風景が現れたところから俗っぽいエンタティメントに終わるのかという疑いは霧散する。そして何とそこにはレストランで見かけたあの女性クリスティナが稲刈りをしているのだった。彼女の父親は病気だった。正男はそのまま腕まくりし、ズボンの裾を捲りあげて稲刈りを手伝うのだった。やくざな自分が遠のきやっとまともな己に突き当たり、いまだとばかりに自分を取り戻そうとするかに一心に働く正男。そして近くあってともに労働の汗を流すクリスティナへの愛情を抱くようになる。
やくざな稼業からは足を洗い出直し、真っ当な想いをもってクリスティナの両親に結婚を申し出るが、太平洋戦争での日本軍の怖さを知る両親は決して首を縦には振らない。またク
リスティナはフィリピン人の教師にプロポーズされ悩み、正男に想いを寄せるものの家族を捨てて日本に渡ることが出来なかった。これだけならば悲恋のラブストーリーというところだが、素晴らしかったのは、クリスティナと正男の結婚を望んでいるクリスティナの弟の存在だ。自分たちに大玉のトマトの栽培を教え自分たち家族に愛情をもって接してくれる正男に、この青年は信頼と愛情を抱くようになっていた。また大きな真っ赤なトマトが撓わになった畑は実に見ごたえがあった。ほんとうの豊かさとはこういうものだという無言の説得がある。 結婚を反対された正男は、もしトマトが成功したら知らせるように、また種を送るからと青年に住所のメモ書きを託す。
フィリピンで、「まことに大切なものは太陽と土と水である」ことをクリスティナとフィリピンの働く人影が動く農村風景からスピルチャルに心に刻み込んだ正男は日本に帰ってからは大らかな想いをもって農業に専念する。そしてそんなある日、正男がトラクターを動かしながら、バスが農道を走り去ったあとに一人降り立った人影を朧に見る。近づいてくるその人こそ、ラグーナの村で別れを告げたあのクリスティナだった。正男に幸せが飛び込んできた瞬間は感動だった。農村の青年の働きが報われこのような幸せなすがたがあるようにと願われ、農業に光をくれた作品だった。
なぜか最後にTPPと画像に映っているような気がした。いよいよ農を破壊するTPP反対。しかしそれを声高に言おうものなら、この映画は風邪をひく、そんな気がした。
監督:南部英夫脚本・脚本・製作指揮・主演:大地康雄音楽:寺田鉄生
2005年公開。配給:ゼアリズエンタープライズ
原作は『すばる』(集英社)掲載小説「スコール」(小檜山博)
因みに今私の裏庭に植えてあるトマトの生育は順調である。真っ赤なトマトを手にするたびに私はこの映画を思い出すだろう。
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