日記・コラム・つぶやき

写真

 岩手大学図書館に行った。岩手師範のある一項目を調べたかった。どうも適当な著書が見つからず、とりあえず教育学部の年誌を手に取り、椅子にかけて机上に置き、最初の頁から読むつもりだったが、何気なく真ん中あたりを先ず開けると、学生とその恩師とが並んで映っている。それが見ると、私がよく存じ上げているお顔。もう亡くなられたけれども、在りし日、奥様と共に教会の礼拝に毎週集われていたSさんであった。もしこの写真が私に語り掛けてくれるとしたら何と? 「がんばってるね」或いは「がんばりなさい」かな、などと想像する。奥様は今も変わらずに私を可愛がってくださる。私がせきをしたりすると、背中をさすってくださる。手を差し伸べてきて握ってくださる。励ましてくださる。食事をご一緒したときもあった。開いた頁が1頁後か前かであれば、この写真を見ることはなかったろう。不思議だった。
 Sさんから頂戴した書を玄関に飾ってある。『日々新た』、実に清々しい筆遣いだ。
 結局、目的の項目の調べをつけることはできなかった。やはり県立図書館の方でじっくり探した方がいいかもと思いながら閉館に迫られ退去。
 さて、きょうは何を書こうかと思いめぐらした時、「星の世界」の作詞にまつわるエピソードも浮かんだが、図書館で見た写真も鮮やかに浮かんできて、写真の方を書き記す。

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雑感

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 これも半月ばかりまえの写真。お盆時期になると、お墓に備えるのにふさわしい花は咲きおえてしまう。グラジオラスやユリといった華やかなものは姿を消し、フロックスやリナリア、小菊、遅いめのアガバンサス、ブットレアなどが辛うじて庭を寂しさからまもってくれている。ふと見上げると、サルスベリが青い空に映えていた。pencil

 毎日のようにヒヨドリが2羽の子どもたちを連れてやってくる。最初は母鳥にはぐれないように、つかず離れずしていたのが、いまでは、堂々と自由に飛んでくる。ぶどうが目当てで、がさごそと棚のほうから音がしている。2羽の小鳥を見るまでは、ぜんぶは食べられないように何とかしなくちゃと思っていたのだが、今は、まあいいじゃないの、この葡萄がなくたって困ることは何もない、という心境になっている。こんな調子で、ブルーベリーは大方は鳥たちに食べられてしまった。なぜかスグリは食べない。ラズベリーも食べられた気配はない。摘みとって冷凍庫に入れてある。幸いなことに、友達には、ジャム作りの達人がいる。pencil

 そういえば、今朝のクラシック倶楽部、エドガー・モローのチェロリサイタル、最後の『チャールダーシュ』だけだったが、またチェロが聴きたくなった。

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癒しの空間

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 かなり前の写真ですが、
みどりあふれる空間、癒しの空間。

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虫の音

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  花火の写真はないけれど、いま20時8分。盛んに花火が打ち上げられる音が聞こえる。盛岡花火の祭典だ。19時25分から20時半までとなっているから、あと20分ほどで音が止むだろう。二男が河川敷のどこかで見あげているはず。主人は人混みは苦手。わたしは是非にも見たいというところは過ぎて、見ても見なくとも、どちらでも、の人となってしまった。pencil

 同期生の息子で、彫刻家黒沼令のこれまでの作品が出ているという。よく制作現場のようすなどを聞いている。私は、独創性に於いては、舟越桂に並ぶ作家だと思っている。木の材質を見極め、用いる箇所によって使い分け、細かく丹念に組みあげていく、組みたててというよりも、具現化せんと意匠を組みあげている。多くの作品の中でも、私は、何かを背負わされているような、哲学的な連想が引き出される作品に惹かれる。果たしてどこに行きつくのか、しかし、安住の地は永遠にないかのようにも見える像。これは実物を見ないと迫ってはこないだろう。pencil

 庭にアブラゼミの死骸が落ちていた。一昨日鳴き声を聞いたように思う。思うというのは、例年のように生命力を感じさせるようなしっかりとした力強さがなく、聞いたという実感に乏しかったせいだろう。もしかすると、蝉は羽化したばかりの第一声が最も力強いのかもしれない。さあ、今から翔べるんです! この世界を翔べるときが来たんです! とでもいうように。それが、紅葉の木の根元に、自分の足元に無残にころがっていたのだ。蟻に喰い荒らされたのだろうか、凛とした形が失われている。東京は9日は37,8℃あったようだけれども。きょうも当地25℃はあったようだが、もう夏は引きあげようとしている。
 いつしか花火の音は止み、虫の音が聞こえる。pencil 

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やっと更新

 おとといまでの暑さと忙しさに、ブログ更新ができませんでした。それでも盛岡タイムス提出用の800字原稿はきのうのうちに提出。通れば、こんどの金曜日には載るでしょう。
 
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 日曜日の18時から、立川ゆかりさんの出版パーティーがありました。岩手日報社社長の祝辞を受ける立川さん(左の着物姿)。これに、作家の平谷美樹さん、松田十刻さん、工藤なほみさんがつづきました。
 もりおか童話の会代表の浅沼誠子さん、文芸誌『天気図』を代表して、はらまもるさんが花束を贈りました。
 

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 ☆

 きょうは午前中から、というよりも昨日から自治会がらみの所用を果たす。かなり昔のことではあるけれど、円子正が、セレモニーで、盛んに『天国と地獄』を演奏しまくった時期があるけれども、そんな忙しさ。きょうは風もあり気温もそう高くはなく過ごしやすかったが、きのうの午前までの暑さときたら、オッフェンバックの威勢のいい音符までが、ふやけて流れだし、音符の液体が曲線を描きそうなぐらいだったのだ。

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8月

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 暑い。けれども、どこかもう秋の気配。アブラゼミの声をまだ聞いていない。土曜日に花の苗を買いに行った先のガーデニング。

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 きょうから盛岡さんさ踊り。買い物に行く道すがら、髪をきれいに整え、浴衣をぴしっと着込んだ女性たちが、会場となる中央通り方面へと流れていった 。

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失敗も

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あおいカキ

 きょうの暑さ。脳細胞もふやけている感じで、失敗も。このかきの未熟さといまだに同じ。

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あれこれ

  きのうのうちに書いておこうと思ったのだが、眼が疲れたのできょうになってしまった。
自著『光炎に響く』を出版した時には、原敬記念館に出かけて原敬日記を当たった。今回の盛岡タイムスの原稿を書くに当たっては、再度確認する程度だったので、手早く県立図書館の郷土コーナーにあった木村光治著『本懐・宰相原敬』の巻末にある原敬年譜がを参考にさせていただいた。監修が岩谷千寿子で、原敬のひ孫にあたる。
 それにしても、何と便利な世の中になったことだろう。原敬日記にしても、ネットで探すと、原敬が盛岡に来た日だけをまとめて出してくれる。なかなか図書館に行けない方々でも、キーを操作するだけ。誰でも簡単に閲覧できるのだ。
 原敬は養子であった原彬を10年後に彬の実父恭に返しているが、これは恭の方から解消を申し入れている。恭の後継ぎ問題などの事情があった。

 

 安藤幸がウィーンに留学するときに、語学のためにフランス船を選ぶように勧めたのは、姉の幸田延だった。自分の留学経験から出たことだった。幸田延は、よくピアニスト、ヴァイオリニストといわれるが、真っ先に挙げるべきは作曲家であると萩谷由喜子著『幸田姉妹』にある。幸田延は明治30年には日本人による最初の本格的な器楽曲である「バイオリン・ソナタ ニ短調」を作曲した。楽譜は今でも全音楽譜出版社から出ているらしい。

 ☆

 きのう、きょうとクラシック倶楽部、つい聴いてしまった。きのはシングフォニカー、きょうはラトビア合唱団。シングフォニカーはみなさまが楽しめるような、といい、ラトビア合唱団は、われわれがみんなを導くというこの違いは。シングフォニカー、朝の空気に自然に馴染むようなあたたかで明るく楽しい歌声に包まれる。ラトビアのほうは、ラフマニノフの『徹夜祷』、いつかのロシアの人々の教会での敬虔な祈りの映像を思い出す。
 ついでに幸田家は、幸田露伴を除いてみなクリスチャンであることを思いだした。原敬は17歳でエイブラル神父から洗礼を受けている。昭和初期に岩手公論で論陣を張った主幹の田鎖凌山も聖書に大いに感動、『聖言(みことば)打ち開くれば、光を放ちて愚らかなる者を俊(さと)からしむ』、これは成就すると。……聖くならんが為には之を讀むべし……聖書は人生の道案内である。基督はその主題である……等々、綿綿と活き活きと聖書の価値を論述している。たまたま昨日図書館で読んできたばかり。当時活躍している方々には、聖書の影響が大きくあるようだ。

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雑感

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 ともだちの庭のアジサイ。

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 姉から聞いたはなし。
 田舎のほうでは、たとえば生まれたときに「タキノ」と名付ける。土地のひとたちは親しみをこめてさまざまな呼び方をする。「タキコ」 、「ターちゃん」、「タキちゃん」。次第には誰もが「タキ」と呼ぶようになり、「タキノ」さんがが喪くなったときに、墓石には「タキ」と刻まれていた。これはけっこうあることらしい。個人情報が喧しくいわれる現在、人さまの戸籍謄本を親族の許可なくして見せていただくことはできない。「タキ」さんであると確信して言ったところが、「あなた間違っていますよ、タキノさんが正しい」と注意を受けることがあるやもしれない。

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 すこし疲れが出る。午後は全休。夕方には復活。 
 

 

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雑感

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 濁流をかぶるまえの河川敷。

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 午前は800字原稿の仕上げ。盛岡タイムスに送信。こんどの金曜日には載るかと。pencil

 しかし、数十年前に古本市で買った『朝暾に額づく・太田村誌』は15,000円、『太田の昭和史』は10,000円と、私がふだん買う書籍にしては、大変に高価だった。これを2冊で22,000円にしていただいたのだ。もう開くこともあるまいと思っていたところが、再び使うことができてほっとしている。
『朝暾に額づく・太田村誌』の方は、太田人であることの誇りが伝わってくる。文学的な薫りの高さに満ちている部分もある。scissors

 

 
 


 

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