日記・コラム・つぶやき

盛岡タイムスに原稿送信

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 できるだけ歩かなければ。あがきでも焦りでも、理由は何でもいいのだ。動かずにいる事がいちばんよくない。とにかく足の向く方向へ。某デパート前のベンチでひとやすみ。ハンギングバスケットに水を与えている人影。そして見あげる空の青さ。

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 きのうは石垣フェステで若い人々がぎっしりと詰めかけていた盛岡城跡公園。けさは役目を終えたステージやテント、椅子テーブルが充足感をのこして、片づけられるのをしずかに待っている。傍には運搬用のトラックが横づけされている。
 階段をのぼってゆくと、ちょうど朝日がさしてきていた。 
 

 午前中は800字原稿の仕上げと送信。こんどの金曜日の掲載か。

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台風18号通過

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 ふだんはひっそりと黙している樹木たちが、まともに強風にあおられて、にわかに覚醒し、この時とばかりに、鬱憤を晴らしたものか、縦横に首をふり、髪をふりみだし、底からの力にぐあんぐあん揺れている。へし折られそうで折られず、吹き千切られそうで千切れない。
 地の面を泥水に浸し、雲をぐんぐんと東に押しやり、そこいらじゅうにゴミを吹き散らし、ひとの眼に戸惑いと悲しみと絶望の涙をのこして、台風18号は素知らぬ顔で北北東へと去っていった。

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あと数分できょうも終わる

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 あれこれやっているうちに、もうこんな時間。写真一枚でとにかく更新。撮ったのは5日か6日だったかな。あやふや。

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呆けてみる

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 「春は草穂に呆け
  あてごとはみんな消えるぞ」

 賢治のこの部分、「呆け」。このことばに、妙に捉えられた。賢治とは関係なく。
「呆ける」。そして呆けた心境になってみる。蜃気楼を浮かべたり、深い朝もやに体を浮かせてみたり、肉眼を見開いてミクロを見ようとしてみたり、果ては、植木等のスーダラ節までが浮かんできて、緊張がほぐれ、ひどく愉快になってきた。「君、あしたまでにこの報告書を作ってくれないかね」「ま、ま、ま、課長、そんなことはあさって考えましょ、あさって」とかなんとかのセリフも勝手に考えて、それこそホーホーホーと声をあげたくなるような、そんな惚け気分に浸かってみる。肩の力がすっと抜けた。


 

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整理

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 世界の思想全集、これは主人のものなのだが、全80巻はあったか、了解を取り付けて思い切って処分しようと手をかけた一冊。西洋の近代のはしりともなった作品だった。腰かけて頁をめくる。片づけどころか、捨てるのがもったいない、けれども、よく言われるように、終活は体力のあるうちに、を思い出す。この手の全集は、70、80巻で50㌔はある。けっこう重いのだ。日本文学全集を処分したばかり。古書店だって買ってくれるものは限られている。持ち込まれても迷惑がられるか、そのまま持ち帰ることになるのが関の山。自分のもので捨てられるものは、思い切った決断もしながら処分に踏み切った。
 いまはネットでなんでも見ることができると捨てる決意をしたのだが、この頃は、ネットではあまり本を読まなくなっている。眼が疲れるのだ。
 スペースを空けたい。しかし捨てるのはもったいない。こんなせめぎあいもある。花や樹木の図鑑はとっておきたい。しかし昆虫や鳥、キノコはどうしよう。
 小屋のなかのもの、かなり捨てたけれども、まだまだある。舅姑の遺したものも。いつの間にか息子たちが必要かどうかが判断基準になっていた。

 三食事欠かず、凍え死なない程度の衣服があり、住む家があれば、この災害の多い時世に感謝すべきかと思う。

 

 

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原稿提出

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盛岡タイムスに入稿。こんどの金曜日に掲載か。このことには、神が関与し助けてくださっている、そんな思いを強くしたきょう。

 ☆

 夕方6時からの食事会。久しぶりに兄弟姉妹、甥、姪とその子供たちに会うことができた。高校生1人、幼児3人も参加。

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激流の川面にひょうひょうと

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 先だって、大雨がふった翌朝に、ものすごい勢いで流れる濁流に、二羽のカモがひょいとすべりこんだ。流されるのではと見守る。それが川下に流され流されしながらも、結局対岸へと泳ぎ切り、軽々と草地にあがった。流されそうに見えて、むしろ奔流を楽しみながら飄々と渡り切ったかの印象がのこった。

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はばたき

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  けさのクラシック倶楽部、点けてみるとバッハだった。きょうの番組をパリの木十字架少年合唱団と勘違い。それでもバッハはいつも新しい、わたしにとってはそうだ。すこし残念だけれども、これはこれでOK。

 はや9月。庭の花がめっきり少なくなるのもこの月。

 身の回りに、病気になった方々のはなしを聞く。病気について、聖書にはどうあったろう。盲目の方についてイエスが言っておられる。

けれどもこの弟子たちにイエス様は、「あなたがたの思っていることは違う。この病いは、罪と関係のないものです。もちろん悪魔の攻撃の結果でもない。神の栄光が現われるためにどうしても必要なものである。」と言われました。
主なる神がいかに偉大な方であるかが現されるために、この男は産まれつき盲目になって産まれてきたのです。

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ミサイルがとぶ日にも

 

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 人の世界のいざこざには遠く、ひっそりと静かに咲いている草花。

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大曲の花火

 26日、息子のお膳立てで大曲入り。その前日は桟敷席なども冠水。これは中止かと思いきや、市民一丸となっての開催死守、洗ったり消毒したり。主催者側の懸命さに、ちょっとじんと来ました。会場に向かうときには、怪しげな雨雲が会場上空に。しかし次第に灰色の雲は失せて、ご覧のとおりの青空が。このうっすらとのこる雲が、昼花火の色彩効果を演出してくれ、そして夜の花火が始まるころには、何と、満天の星空に。あけ放たれた大空に、某新聞によれば、たしか1万7千発とあったでしょうか、夜空に次つぎに大々的な一瞬のきらめきを咲かせてくれました。会場までの道で、地元の方が「大曲にはこれしかないからねえ。大会提供花火だけは絶対見ていってください」と。芸術と花火がどう結びつくか思いも及ばなかったが、感心させられた創造花火がいくつかあった。そしてお薦めの大会提供花火は、桁違いのものすごさ。花火などわざわざ見に行くまでもないというこれまでの意識が覆りましたが、ちょっと心のどこかには、環境への影響は……、一昨日までの大雨で大変な人たちがいたんだっけ、などなど。最後に「花火師さんにありがとうをつたえましょう」の掛け声に、70万本はなかったとは思うけれども、会場一面が右に左に揺れ動くライトスティックの海と。
 「大曲の花火」の始まりは明治43年。わたし流に、ちょうど梅村保が盛岡高等農林学校を中退し、鳥取春陽は10歳だった、などと思いめぐらす。
 それにしても、各界の著名人を招くなど、今回作曲家の池辺晋一郎も。花火にこれほどまでの格付けをなし遂げ、全国的なイベントにまで育てあげた大曲の方々の心意気には脱帽したことでした。

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あの花火は、写真ではつたえかねますが、一応、

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 実際にはこれの数十倍、数百倍のすごさ、「こんなお粗末な花火は打ち上げてない!」と花火師さんには叱られそう。

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