2026/05/24五旬節礼拝 説教 インマヌエル綜合伝道団秋田・盛岡キリスト教会(兼牧) 神谷光一牧師
『召される人ならだれにでも』 使徒の働き2章22~42節
(説教題をクリックしてお聞きください)
22 イスラエルの皆さん、これらのことばを聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと不思議としるしを行い、それによって、あなたがたにこの方を証しされました。それはあなたがた自身がご承知のことです。
23神が定めた計画と神の予知によって引き渡されたこのイエスを、あなたがたは律法を持たない人々の手によって十字架につけて殺したのです。
24 しかし神は、イエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、あり得なかったからです。
25 ダビデは、この方について次のように言っています。『私はいつも、主を前にしています。主が私の右におられるので、私は揺るがされることはありません。
26 それゆえ、私の心は喜び、私の舌は喜びにあふれます。私の身も、望みの中に住まいます。
27 あなたは、私のたましいをよみに捨て置かず、あなたにある敬虔な者に滅びをお見せにならないからです。
28 あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前で、私を喜びで満たしてくださいます。』
29 兄弟たち。父祖ダビデについては、あなたがたに確信をもって言うことができます。彼は死んで葬られ、その墓は今日に至るまで私たちの間にあります。
30 彼は預言者でしたから、自分の子孫の一人を自分の王座に就かせると、神が誓われたことを知っていました。
31 それで、後のことを予見し、キリストの復活について、『彼はよみに捨て置かれず、そのからだは朽ちて滅びることがない』と語ったのです。
32 このイエスを、神はよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。
33 ですから、神の右に上げられたイエスが、約束された聖霊を御父から受けて、今あなたがたが目にし、耳にしている聖霊を注いでくださったのです。
34 ダビデが天に上ったのではありません。彼自身こう言っています。『主は、私の主に言われた。
35あなたは、わたしの右の座に着いていなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで。』
36 ですから、イスラエルの全家は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」
37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。
38 そこで、ペテロは彼らに言った。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。
39 この約束は、あなたがたに、あなたがたの子どもたちに、そして遠くにいるすべての人々に、すなわち、私たちの神である主が召される人々ならだれにでも、与えられているのです。」
40 ペテロは、ほかにも多くのことばをもって証しをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って、彼らに勧めた。
41彼のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。
42 彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。
【神谷牧師による説教の要約】
預言者ヨエルが語った「あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る」とは、神の霊が注がれ、神さまのみ思いを知り、神さまが見ておられるものを見ることができるようにされることである。
また、聖霊を与えられた弟子たちが他の人が見ても、それがわかるようなかたちで、外国語で神のことばを語り出したのは、ユダヤ人の持つ律法や割礼の儀式に縛られることなく、ただ信仰によって異邦人も救われることが、誰の目にもわかるようになるためである。
今の私たちにとって、キリストの証人となる、とは、御霊の働きによってキリストに似る者とされることである。無力な自分の真の姿を知らされた上で、それに失望することなく、かえって全面的に聖霊にゆだね、このお方によって、キリストのごとく造り変えられてゆくことを期待しつつ、進み行きたい。
<ブログ管理人のひとりごと>
聖霊降臨を記念する礼拝のこの日、すこし健康に不安があり、もう致し方ない、今日は教会に行くのは休んだ方がいいかなという思いに傾いていた。しかし、さまざま考えて、ここはすこし頑張ってみようと、出発時間には思い直し、いつもご一緒する方に行きますと連絡。彼女はもう一人で行くつもりで家を出るところだった。すんでのところで間に合った。これでよし!
教会に着くと、駐車場の傍らに若いI姉が植えてくれた苺が幾つも美しく実っていた。雑草も勢いがついてきているが、公園に隣接する側はK姉、教会には何人かのK姉がいらっしゃるが、控えめで真実なK姉がいつの間にか草取りをしてくださっていたのだった。申し訳ないと思いつつ、中に入りいつもの席に着く。すこしすると玄関に来会者の気配。振り返ると何と関東圏に住む弟夫婦が現れたのだった。所用で来ており、日曜にかかったので礼拝に来たのだ。私にとっては、これは思いがけない神さまからのプレゼントだった。休まずに来てよかったと思った。スマホに入っている写真を見せながら久しぶりに語り合うことができた。礼拝が終わって、しばらくT兄とはなしていたが、教会前で見送った。「元気でいてね」。クルマで来たらしい。今からまたそちこち用を足してあるくのだろう。
人生の要所要所であった聖霊の諭し。それは神さまが何等かを通して自分に顕れてくださった瞬間だったと思う。愚かなときにはそれを忘れていたり軽んじたりもする。しかし今はわかる。たいしたこともないこの自分にも神さまは聖霊さまを介し、これまで導きつづけてくださった、これが神さまのご愛。なぜにわたしに、なぜにわたしが、これが神さまのご愛であることを、今しみじみと思い返させられている。
インマヌエル秋田キリスト教会 https://localplace.jp/t100303888/
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⏰22時14分更新












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