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2026/03/08 聖日礼拝 説教 インマヌエル秋田・盛岡キリスト教会(兼牧) 神谷光一牧師

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『わたしはぶどうの木』 ヨハネの福音書 15章1~11節
(説教題をクリックしてお聞きください)

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1
わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫です。
2 わたしの枝で実を結ばないものはすべて、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみなすべて、もっと多く実を結ぶように、刈り込みをなさいます。
3 あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、すでにきよいのです。
4 わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
5 わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。
6 わたしにとどまっていなければ、その人は枝のように投げ捨てられて枯れます。人々がそれを集めて火に投げ込むので、燃えてしまいます。
7 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます。
8 あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになります。
9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛にとどまりなさい。
10 わたしがわたしの父の戒めを守って、父の愛にとどまっているのと同じように。あなたがたもわたしの戒めを守るなら、わたしの愛にとどまっているのです。
11 わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたが喜びで満ちあふれるようになるために、わたしはこれらのことをあなたがたに話しました。



 

神谷牧師による説教の要約
 キリストがぶどうの木で、わたしたちが枝であると言われた時、そのぶどうの実とは、わたしたちがキリストに似た者として生きることを意味している。
 また、わたしたちがぶどうの木であるキリストにつながる時、目に見えないキリストのいのちである真理の御霊が、私たちのうちに働かれ、自分がそれまで大切にしてきたことから、キリストへの思いに、より心の焦点が合わせられ、それが見える形に現れてくるのである。
 信仰によって日々キリストにつながる時、このお方のいのちに生かされて歩むことができる。


<ブログ管理人のひとりごと>
 この日は神谷美津子先生のお証しがありました。美津子先生は鹿児島県出身。それがなぜに遠いこの岩手に?と思いきや、先ず東京に出られ大手電機会社の経理の仕事に携わられ、次第に教会へと導かれたようです。先生の信仰のお証しを是非お聞きください。
 皆様方と共にいつものように礼拝をまもり、そして昼のお食事。A兄姉が作ってくださったカレーを感謝しながら楽しくいただきました。何とK姉もサラダを作ってくださいました。KはKでも、この方はlarge・Kさん,、私はsmall・Kの方です。
詩篇133・1、3「見よ。なんという幸せ なんという楽しさだろう。兄弟たちが一つになって ともに生きることは。…主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。」
 
 30分でも毎日歩いたほうがいいということで、久しぶりに盛岡地方気象台に上がってきました。いつの間にかクロッカス、フクジュソウ、オオイヌノフグリ、ヒメオドリコソウが咲いていました。フキノトウも。遠くから見ていたときにはまったく気づきませんでしたが、道端には多くの草花たちがそれぞれの色彩、形状でいのちを輝かせておりました。 

 

 

インマヌエル秋田キリスト教会  https://localplace.jp/t100303888/
インマヌエル盛岡キリスト教会 https://sites.google.com/view/igm-morioka/

 

⏰19時50分更新

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