2026/03/015 聖日礼拝 説教 インマヌエル秋田・盛岡キリスト教会(兼牧) 神谷光一牧師
『父がわたしに下さった杯を』 ヨハネの福音書 18章1~11節
(説教題をクリックしてお聞きください)
1 これらのことを話してから、イエスは弟子たちとともに、キデロンの谷の向こうに出て行かれた。そこには園があり、イエスと弟子たちは中に入られた。
2 一方、イエスを裏切ろうとしていたユダもその場所を知っていた。イエスが弟子たちと、たびたびそこに集まっておられたからである。
3 それでユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやパリサイ人たちから送られた下役たちを連れ、明かりとたいまつと武器を持って、そこにやって来た。
4 イエスはご自分に起ころうとしていることをすべて知っておられたので、進み出て「だれを捜しているのか」と彼らに言われた。
5 彼らは「ナザレ人イエスを」と答えた。イエスは彼らに「わたしがそれだ」と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒に立っていた。
6 イエスが彼らに「わたしがそれだ」と言われたとき、彼らはあとずさりし、地に倒れた。
7 イエスがもう一度、「だれを捜しているのか」と問われると、彼らは「ナザレ人イエスを」と言った。
8 イエスは答えられた。「それはわたしだ、と言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人たちを去らせなさい。」
9 これは、「あなたが下さった者のうち、わたしは一人も失わなかった」と、イエスが言われたことばが成就するためであった。
10 シモン・ペテロは剣を持っていたので、それを抜いて、大祭司のしもべに切りかかり、右の耳を切り落とした。そのしもべの名はマルコスであった。
11 イエスはペテロに言われた。「剣をさやに収めなさい。父がわたしに下さった杯を、飲まずにいられるだろうか。」
【神谷牧師による説教の要約】
キリストの言う「父がわたしに下さった杯」とは、これから向かう十字架の苦しみを意味しており、それゆえキリストは、人から受ける苦しみを、私たちの罪の解決のために、父なる神が用意されたこととして、理不尽な扱いを受け入れ、それらを耐え忍ばれた。
私たちもまた、今、自分が経験していることをそのように受け止めるとき、今後を神に期待して、置かれた状況を前向きに考えることができる。
<ブログ管理人のひとりごと>
「父がわたしに下さった杯」、これを自らに重ねるとき、背筋に何か金属めいた冷たさに似た緊張が走る。そして顔をあげないまでも、はるか前方に、しかしすぐ眼前に脅迫的でもない、威圧的でもない、まして強制的でもない、十字架が示される。私の隅々、心をも隈なく知りたもう十字架、イエスさまのおすがただ。そして私は時の間、逡巡し、右往左往することがあても、この差し出された杯を飲み干す道が私の道であることを幾つかの経験からすでに知らされた者としてその前に立っている。この日は聖餐式があった。私は神妙な想いでパンと葡萄液に与った。琴線が何ものかに触れ、涙が伝った。神さまの聖きに与るとき、拘り、棘が解かされ溶け落ち、間隙に静かな納得が満ちる。
この日は若いS兄がパンと葡萄液をもって皆さまを回ってくださった。
お花はS姉。お花の後ろの方に聖餐式に使うパンと葡萄液を入れる漆塗りの器が見えますが、これは故人となられたT兄が製作してくださったものです。
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