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2026/02/08 聖日礼拝 説教 インマヌエル秋田・盛岡キリスト教会(兼牧) 神谷光一牧師

『天の神ご自身が私たちを成功させ』 ネヘミヤ記 2章17~20節
(説教題をクリックしてお聞きください)

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17
私は彼らに言った。「私たちが直面している困難は見ての通りだ。エルサレムは廃墟となり、その門は火で焼き払われたままだ。さあ、エルサレムの城壁を築き直し、もうこれ以上、屈辱を受けないようにしよう。」
18 そして、私に恵みを下さった私の神の御手のことと、また王が言ったことばを彼らに告げた。すると彼らは、「さあ、再建に取りかかろう」と言って、この長い仕事に着手した。
19 ところが、ホロン人サンバラテと、アンモン人でその部下のトビヤ、およびアラブ人ゲシェムは、これを聞いて私たちを嘲り、蔑んで言った。「おまえたちのしているこのことは何だ。おまえたちは王に反逆しようとしているのか。」
20 私は彼らのことばを返して言った。「天の神ご自身が私たちを成功させてくださる。それで、そのしもべである私たちは、再建に取りかかっているのだ。あなたがたにはエルサレムのうちに何の取り分も、権利も、ゆかりもない。」

 

神谷牧師による説教の要約
 ネヘミヤが皆に城壁の再建を告げ、その働きを始めようとする際に「主に反逆するのか」と反対された時「天の神ご自身が~成功させてくださる」と答えたのは、この件が、王権をも動かす神から出たものだと信じていたからである。
城壁の再建後も、ネヘミヤが神殿礼拝や奉仕する祭司、レビ人、民が律法を守ることにまで力を尽くしたのは、かつてイスラエルが持っていた、神との親しい関係を回復し、且つそれを失うまいとする願いからであった。
 そうした諸々の課程の中でネヘミヤの祈りが「天の神」から「私たちの神」「私の神」へと変わっていったのは、問題の渦中で共にあり、そこに働く神を信じたからである。
 神を計算に入れて取り組む現実の課題は、いよいよ私たちを神に近づかせる。


<ブログ管理人のひとりごと>
 教団発行の2月の「イムマヌエル教報」に、50年もの間この盛岡教会を牧会してくださった國光勝美先生の「老いに生きる自分を」が掲載されている。國光ご夫妻は引退して今広島の呉におられる。今は広島教会の講壇でご奉仕を分け持っておられる。
50年といえば、一生を盛岡教会に捧げてくださったともいえる。50年前、盛岡教会の信徒はたった3人だった。たったという言葉は不適切だろう。信じたものには神の靈が与えられている。そのことを思えば〝たった〟などというべきではない。それをわかっておられたのは國光先生方で、よくわかっておらず、自覚に乏しかったのは私であった。理屈では分かっていても、決して神さまに捧げ切ってはいなかったのだ。この3人のために先生方が心を合わせてどんなに祈ってくださっていたことか。2000年前の十字架の贖罪が現実に自らのためとまことに知るまで、私はとにかく祈られた信徒であったのだ。感謝の思いを新たにする。
 その後信徒の數は増えてゆき、会堂が手狭となり、近くの家屋を借りて移転、そこも手狭となり、いよいよ会堂が新たに建てられたのだった。この時にも不思議な逸話が残っている。50年目に近づいた時、國光ひろ子先生の病気に伴うやむを得ない事情から引退を決意され呉へ。呉に着くまで命がもつかどうかという際どい状況下であった。「次にお会いするのは天国で」がひろ子牧師の思いであられたようだ。私自身、見送りで新幹線のデッキに立たれたひろ子牧師に手を振りながら、お葬儀にはいけるだろうかと、これが今生の別れになると覚悟していたのだ。それが盛岡を離れ呉に移られてからひろ子牧師の癌が消えるという実に不思議な成り行きがあった。
 國光牧師夫妻が去って後、無牧となったわけではなく、秋田から神谷牧師夫妻が月一回いらしてくださり、他の週には説教の配信がある。ただ礼拝の準備など信徒たちが担うことも出てきた。そうなってから、何か緊張感があり、自分に何ができるだろうかと考えるようになった。そしてそのことが信仰者としての自立、自らの建て上げにつながったように思う。そしてたとえ無牧になったとしても、神はおわします、この確信を持つに至った。
 我が家の近くにカトリック教会がある。たまに会堂を、これは興味本位ではなく、扉のところからイエスさまの十字架が見えるので、開堂の時間帯にちょっと覗いて祈ることがある。先日は閉まる4時ぎりぎりであったけれど、ちょっと覗いたら、私よりも先輩とお見受けする女性が出てらした。「またどうぞ」と言ってくださった。勿論私には転会しようとかそのような思いはないのだけれども、この方はほんとうに神さまを知っていると直感。またいつか行って、たとえ教会があろうとなかろうと、そこに牧者がいようといまいと、神はおられる。この驚き。このことについてあの方と話してみたいと思っている。
 明日は日曜日。説教題は毎週土曜日には全会員にラインで届く。この土の器に持ち帰ってきたい。
教会に着く頃にはまた恐らくT兄姉が早くにいらして、会堂を温めてくれているだろう。先だっては凍ったトイレの水道管を解凍してくださっていた。こうして書きながらも愛兄姉のお一人おひとりに感謝の思いが湧いてくる。神さまへの感謝が満ちる。

 

 

インマヌエル秋田キリスト教会  https://localplace.jp/t100303888/
インマヌエル盛岡キリスト教会 https://sites.google.com/view/igm-morioka/

 

⏰20時55分更新

 

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