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2025年12月

2025/12/21 第四アドベント クリスマス礼拝説教 インマヌエル秋田・盛岡キリスト教会 神谷光一牧師

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『その方の星を見たので
 マタイの福音書2章1~15節
(説教題をクリックしてお聞きください。盛岡教会有志によるトーンチャイムの演奏も入っています。

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1 イエスがヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東の方から博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」
3 これを聞いてヘロデ王は動揺した。エルサレム中の人々も王と同じであった。
4 王は民の祭司長たち、律法学者たちをみな集め、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。
5 彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれています。

6 『ユダの地、ベツレヘムよ。

あなたはユダを治める者たちの中で

決して一番小さくはない。

あなたから治める者が出て、

わたしの民イスラエルを牧するからである。』」

7 そこでヘロデは博士たちをひそかに呼んで、彼らから、星が現れた時期について詳しく聞いた。
8 そして、「行って幼子のことを詳しく調べ、見つけたら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」と言って彼らをベツレヘムに送り出した。
9 博士たちは、王の言ったことを聞いて出て行った。すると見よ。かつて昇るのを見たあの星が、彼らの先に立って進み、ついに幼子のおられる所まで来て、その上にとどまった。
10 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
11 それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
12 彼らは夢で、ヘロデのところに戻らないようにと警告されたので、別の道から自分の国に帰って行った。
13 彼らが帰って行くと、見よ、主の使いが夢でヨセフに現われて言った。「立って幼子とその母を連れてエジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」
14 そこでヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに逃れ、
 15 ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した。」と語られたことが成就するためであった。

 

神谷牧師による説教の要約
 救い主誕生のしるしである星に導かれて、博士たちがエルサレムにやって来た時、新たな王の誕生の知らせに、ヘロデ王のみならずエルサレム中の人が動揺したのは、王家の血筋を持たず、猜疑に満ちた王が保身のために、恐ろしいことをすると予感したからである。
 新たな王である救い主の誕生がベツレヘムだと知っていた祭司長や律法学者たちがキリストに会おうとしなかったのも、ヘロデ王の報復への恐れからといえる。
 現代の私たちがキリストに会うこともまた、人の事情や都合には左右されない星々のごとく、変わることのない聖書の約束の導きに従うときに実現する。

<ブログ管理人のひとりごと>
 冬至の前日、明日は冬至か思うだけでも、どこかメランコリックに。ところが 22日早朝、朝日がさした。網戸越しの写真ですが上に掲載。「ほらご覧、眩しいだろう。クリスマスが来ている。これでまた少しずつ少しずつ日は長くなる。光の主は来られた。闇はこの光に打ち勝つことはない」、そして心の内に光が満ちた。心の内にこの光があれば、外が、世の中がどんなに暗くとも、冷たかろうとも、だいじょうぶ。心の内にこの光主イエス・キリストがおられるなら、そう思った。
 この日はクリスマス礼拝、トーンチャイム演奏がありました。小さな礼拝堂に、祈りと神さまの恵みにある兄弟姉妹たちの澄んだ賛美の音が響きました。
メリー・クリスマス!

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⏰21時32分更新

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2025/12/14 第三アドベント 礼拝説教 インマヌエル秋田・盛岡キリスト教会 神谷光一牧師

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『さあ、ベツレヘムまで行って
 ルカの福音書2章1~20節
説教題をクリックしてお聞きください。
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1
そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。

2 これは、キリニウスがシリアの総督であったときの、最初の住民登録であった。

3 人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰って行った。

4 ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。

5 身重になっていた、いいなずけの妻マリアとともに登録するためであった。

6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、

7 男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。

8 さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。

9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。

10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。

11今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。

12 あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」

13 すると突然、その御使いと一緒に、おびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。

14 「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」

15 御使いたちが彼らから離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは話し合った。「さあ、ベツレヘムまで行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見届けて来よう。」

16 そして急いで行って、マリアとヨセフと、飼葉桶に寝ているみどりごを捜し当てた。

17 それを目にして、羊飼いたちは、この幼子について自分たちに告げられたことを知らせた。

18 聞いた人たちはみな、羊飼いたちの話したことに驚いた。

19 しかしマリアは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。

20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

神谷牧師による説教の要約
 救い主キリストがベツレヘムで牛や羊のいる家畜小屋で生まれ、その餌を入れる飼葉桶に寝かされたことは、羊飼いたちにとって、救い主が自分たちのいるところに来たことを意味する。
 彼らが主の使いの知らせを受けてベツレヘムへ行ったとき、素晴らしい知らせを知らされているという、誇らしい気持ちのゆえに、見聞きしたことを人々に話したといえる。
 キリストが羊飼いたちの知る飼葉桶の中におられたことは、今も私がいるその場所にキリストは来て、私たちを招いておられることを示している。
 その声は特別な場所でなく、普段の営みの中で聞くことができ、誰もがその招きに応えて心開くとき、このお方にお会いし、親しい関係を持つことができる。


<ブログ管理人のひとりごと>
 この日は本格的な雪となり、それでも何とか教会に行きたいとクルマの雪落としをし出発したものの、止まぬ積雪に断念。ズーム参加に切り替えた。天気予報では雨に変わるはずだったが、昼以降も降り続いた。運転に自信がある方々、責任を持っている方々は教会に集い礼拝を捧げていらっしゃった。久方ぶりのズーム参加。それでも神さまの恵みを蓄積できたことは感謝だった。

 一時期、純粋な人間は不幸になる。そう思っていたことがある。信条、信念を全うするにはそれ相応の逆境、犠牲を伴う。イエスさまご自身が讃美歌に「死のほか何も報いられで♪」と謳われている。そこまではできかねるな、ほどほどのところで歩調を世の中に合わせておこうとしていた。しかし、そんな意識があるうちは何もうまくは、本当の意味でうまくはいかなかった。そしてある時点で、もはや自分はキリストの血によって買い取られたものであることを自覚するに至った。好き勝手に生きる事は自分には許されてはいないなと。不自由なようではある。しかし、その時から、神さまのご愛が、見上げるときにくだされ神さまの慮りが胸に沁みこんでくるようになった。それこそ、きょうの説教にあった「特別な場所でなく、普段の営みの中で聞くことができ」という実感を伴う体験である。
 私自身はまだまだの信仰者であるわけだが、気づけば多くの献身者、牧者の方々がうしろ姿をのこしてくださっている。これまで教団に寄せる意識は低かったのだが、この教団だけでも使命を全うされ天国に帰られた先生方、そして高齢、病で引退された先生方82人が現在余生を過ごしておられる。そして現役で牧会しておられる先生方。贅沢、潤沢、飽食とは無縁。キリストに倣い従った多くのうしろ姿がある。
 たとえ一銭にならなくとも、何の見返りがなくとも、自らが真理と思うことに殉じる人間はいなければならない。そのような人たちがいなくなったときにこそ、世の中は漆黒の暗闇となると思われます。

 また、きょうの説教のユーチューブには、インマヌエル秋田教会の姉妹が、「あなたを捨てて孤児とはしない」(ヨハネ14:18)というイエスさまのおことばを信じ救われ、また第一ペテロ2:24「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです」を信じ受け入れておられるお話しが入っています。説教と共に是非お聴きください。

 

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⏰20時32分更新

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2025/12/07 第二アドベント説教 インマヌエル秋田・盛岡教会 神谷光一牧師

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『ご自分の民をその罪からお救いに
 マタイの福音書1章18~25節
説教題をクリックしてお聞きください。
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18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることがわかった。

19 夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。

20 彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。

21 マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」

22 このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。

23 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を生む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。

24 ヨセフが眠りから覚めると主の使いが命じたとおりにし、自分の妻を迎え入れたが、

25 子を生むまでは彼女を知ることがなかった。そして、その子の名をイエスとつけた。


神谷牧師による説教の要約
 ヨセフの目に、婚約者マリアの懐妊は、彼らの結婚の妨げと映った。しかしその後、夢の中で主の使いが、その胎に宿る子は聖霊によることであり、さらにはその子が「ご自分の民をその罪からお救いになる」とは、神と人とを隔てる罪を解決し「神が私たちとともにおられる」ことが理解することができるようにしてくださるということを意味する。それは、私たちが「これさえなければ~」と思うようなことや、そういう人との関わりを通して、そこに神の計画があることを示している。
 不都合な現実の中に働く神のわざに期待しつつ歩みたい。

<ブログ管理人のひとりごと>
この日は第二アドベント。秋田から神谷牧師夫妻が来てくださり、いつも第一日曜日盛岡教会に来てくださっているのだけれども。そして教会の皆様の温かさに、この一週間が温められた、そんな一週間を過ごすことができた。神さまの惠である。月曜日の真夜中にあった地震にも心理的にも直撃を受けずに済んだ感じだったけれども、八戸の震度6強を知って、またしても! 心が痛んだ。

 今一度十字架のもとに身をおいて、自分がいったいどういうものであったのか、どういうものであるのかを自らに問い直し、インマヌエルの血に浴しながら、厳しい世相にある実情のためにも微力ながら祈り、このクリスマス節季をしずかに歩みたいと願っている。

 

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⏰21時40分更新

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2025年11月30日インマヌエル秋田・盛岡キリスト教会 第一アドベント礼拝説教 神谷光一 牧師

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ひとりの男の子が私たちに与えられイザヤ書9章1~7節
説教題をクリックしてお聞きください。
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1
しかし、苦しみのあったところに闇がなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は辱めを受けたが。後には海沿いの道、ヨルダンの川向う、異邦の民のガリラヤは栄誉を受ける。

2 闇の中を歩んでいた民は、大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が耀く。

3 あなたはその国民を増やし、その喜びを増し加えられた。彼らは、刈り入れ時に喜ぶように、分捕り物を分けるときに楽しむように、あなたの御前で喜ぶ。

4 あなたが、彼が負うくびきと肩の杖、彼を追い立てる者のむちを、ミディアンの日になされたように打ち砕かれるからだ。

5 まことに、戦場で履いたすべての履き物、血にまみれた衣服は焼かれて、火の餌食となる。

6 ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。

7 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。

 

【神谷牧師による説教の要約】
 律法に背く偶像礼拝の結果、他国の支配下に置かれ、かつて辱めを受けたぜブルンとナフタリの地が、のちには栄誉を受けると預言されているのは、神は、人が失敗や痛みを覚える過去を、良いことの計らいに変えられることを意味している。
 そのような中から、救い主が生まれるという預言に人々が期待していたのは、長らくの支配から解放され、支配者であるローマ帝国を倒して、自由にされることであった。
 しかし、実際に生まれたキリストがローマ兵によって十字架につけられたことが示しているのは、キリストは私たちの身代わりに死ぬことで、人の目に映る権力の背後にある、心を支配する罪から自由にして下さることであった。

 

<ブログ管理人のひとりごと>
 待降節を迎えている。ことしはクリスマス・ソングが街に流れていてもいまいち気分が浮き立たない。自分の体力への気配りという〝仕事〟が増えたことがある。またあるお店では、クマ対策ということで自動ドアに「手動でお願いします」と張り紙が。これがけっこう重い。路を歩いていてもやはり気になるのがクマ。気軽に散歩気分というわけにはいかない。主人が出かけても、これはクマのことばかりではなく健康上の気がかりもあり、帰るまでは何か落ち着かない。
 やはりクリスマスは教会で過ごすことがイエスさまのご降誕を待ち望むに相応しい気がする。
 クリスチャンだからといって完全なわけではなく、罪を自覚し、十字架上で贖罪を為したもうたイエスさまを信じる事によって欠けたるところを御赦しいただき、また新たな思いをもって歩み出し、歩み続ける。これじゃダメだ、という自分に留まっていないで、イエスさまの十字架を仰ぎ見、イエスさまの血は罪を赦すことがおできになることを信じる。
しかし、ついに、いと高き所から私たちに霊が注がれ、荒野が果樹園となり、果樹園が森と見なされるようになる。」 イザヤ32:15


 

 

以下のURLを辿りますと、それぞれの教会のHPに入ることができます。

インマヌエル秋田キリスト教会  https://localplace.jp/t100303888/
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