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2025年11月

2025年11月23日インマヌエル秋田・盛岡キリスト教会説教 神谷光一 牧師

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必ず、どこかの島に打ち上げられ使徒の働き27章9~36節
説教題をクリックしてお聞きください。
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9 かなりの時が経過し、断食の日もすでに過ぎていたため、もはや航海は危険であった。そこでパウロは人々に警告して、

10 「皆さん、私の見るところでは、この航海は、きっと、積荷や船体だけでなく、私たちのいのちにも危害と大きな損失をもたらすでしょう」と言った。

11 しかし百人隊長は、パウロのいうことよりも、船長や船主のほうを信用した。

12 また、この港は冬を過ごすのに適していなかったので、多数の者たちの意見により、ここから船出し、できれば、何とかして、南西と北西に面しているクレタの港フェニクスに行き、そこで冬を過ごそうということになった。

13 さて、穏やかな南風が吹いて来たので、人々は思いどおりになったと考え、錨を上げて、クレタの海岸に沿って航行した。

14 ところが、間もなくユーラクロンという暴風が陸から吹き降ろして来た。

15 船はそれに巻き込まれて、風に逆らって進むことができず、私たちは流されるままとなった。

16 しかし、カウダと呼ばれる小島の陰に入ったので、どうにかしっかりと小舟を引き寄せることができた。

17 そして小舟を船に引き上げ、船を補強するために綱で船体を巻いた。また、シルティスの浅瀬に乗り上げるのを恐れて、船具を降ろし、流されるに任せた。

18 私たちは暴風に激しく翻弄されていたので、翌日、人々は積荷を捨て始め、

19 三日目には、自分たちの手で船具を投げ捨てた。

20 太陽も星も見えない日が何日も続き、暴風が激しく吹き荒れたので、私たちが助かる望みも今や完全に絶たれようとしていた。

21 長い間、だれも食べていなかったが、そのときパウロは彼らの中に立って言った。「皆さん。あなたがたが私の言うことを聞き入れて、クレタから船出しないでいたら、こんな危害や損失を被らなくてすんだのです。

22 しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う人は一人もありません。失われるのは船だけです。

23 昨夜、私の主で、私が仕えている神の御使いが私のそばに立って、

24 こう言ったのです。『恐れることはありません、パウロよ。あなたは必ずカエサルの前に立ちます。見なさい。神は同船している人たちを、みなあなたに与えておられます。』

25 ですから、皆さん。元気を出しなさい。私は神を信じています。私に語られたことは、そのとおりになるのです。

26 私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。」

27 十四日目の夜になり、私たちがアドリア海を漂っていた。真夜中ごろ、水夫たちはどこかの陸地に近づいているのではないかと思った。

28彼らが水の深さを測ってみると、二十オルギヤであることがわかった。少し進んでもう一度測ると、十五オルギヤであった。

29 どこかで暗礁に乗り上げるのではないかと恐れて、人々は船尾から錨を四つ投げ降ろし、夜が明けるのを待ちわびた。

30 ところが、水夫たちは船から逃げだそうとして、船首から錨を降ろすように見せかけ、小舟を海に降ろしていたので、

31 パウロは百人隊長や兵士たちに、「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたは助かりません」と言った。

32 そこで兵士たちは小舟の綱を切って、それが流れるままにしました。

33 夜が明けかけたころ、パウロは、一同に食事をするように勧めて、こう言った。「今日で十四日、あなたがたはひたすら待ち続け、何も口に入れず、食べることなく過ごしてきました。

34 ですから、食事をするよう勧めます。これで、あなたがたは助かります。頭から髪の毛一本失われることはありません。」

35 こう言って、彼はパンを取り、一同の前で神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。

36 それで皆も元気づけられ、食事をした。

 

神谷牧師による説教の要約
 囚人となったパウロたちが乗った船が嵐にあったときに起きたことは、人間の力ではどうにもできないことに直面するとき、船旅のプロの船長や囚人を見張る兵士たちも、皆同じ立場になることだった。
 船の人たちが絶望していた時にパウロが「元気を出しなさい」と、皆に言うことができたのは、神から御使いを通して語られたカエサルの前に立つ(ローマにたどり着く)約束を信じたからである。
 しかし、嵐を恐れる人々が知らない間に起きていたのは、船の目的地であるマルタ島へ神の御手によって運ばれている、ということであった。
 私たちには手も足も出ない状況の中でも、神は結末に向けてことを運ばれることを心に留め、みことばの約束を握るとき、自ら置かれた状況を冷静に受け止めることができる。 

 

<ブログ管理人のひとりごと>
 第一アドベントを次週に控えたこの日、教会員の方々が一致団結して教会の大掃除に力を注いでくださった。立ち木も剪定され、教会の入り口にもクリスマスのリースが掲げられ光が点滅。ことしのクリスマスがまもられようとしている。有志の方がすばらしいチラシ、ポスター制作の労を担ってくださった。中ではトーンチャイムの練習も行われたらしい。らしいというのは、私は教会の二階の方をもう一人の姉妹と共に手伝っており、その澄んだ音色を聴くことはできなかったが。実に、すべてがタイムリーに運ばれ、その道筋に乗っている実感がしたのでした。皆様のような機動力、瞬発力が微弱になりつつある自らをおもい、しかし、結果的には、他の方々がそれを補ってくださっている。ただ素直にそれを喜び感謝したことであった。

 

 

以下のURLを辿りますと、それぞれの教会のHPに入ることができます。

インマヌエル秋田キリスト教会  https://localplace.jp/t100303888/
インマヌエル盛岡キリスト教会 https://sites.google.com/view/igm-morioka/

⏰17時53分更新

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2025年11月16日インマヌエル綜合伝道団 世界宣教局DVD&宣教聖日礼拝説教 金沢教会 蔦田崇志牧師

 

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『教会が祈り終えると』使徒の働き4章23~31節
(説教題をクリックしてお聴きください。)

23
さて、釈放された二人は仲間のところへ行き、祭司長たちや長老たちが彼らに言ったことを残らず報告した。
24 これを聞いた人々はみな心を一つにして、神に向かって声を上げた。「主よ。あなたは天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造られた方です。
25 あなたは聖霊によって、あなたのしもべであり私たちの父であるダビデの口を通して、こう言われました。
「なぜ、異邦人たちは騒ぎ立ち、
もろもろの国民はむなしいことを企むのか。
26 地の王たちは立ち構え、
君主たちは相ともに集まるのか、
主と、主に油注がれた者に対して。」
27 事実、ヘロデとポンティオ・ピラトは、異邦人やイスラエルの民とともに、あなたが油を注がれた。あなたの聖なるしもべイエスに逆らってこの都に集まり、
28 あなたの御手とご計画によって、起こるように前もって定められていたことすべてを行いました。
29 主よ。いま、彼らの脅かしをご覧になって、しもべたちにあなたのみことばを大胆に語らせてください。
30 また、御手を伸ばし、あなたの聖なるしもべイエスの名によって、癒しとしるしと不思議を行わせてください。」
31 彼らが祈り終えると、集まっていた場所が揺れ動き、一同が聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。

 

<ブログ管理人のひとりごと>
 この日は宣教聖日であり、神谷牧師ではなく、インマヌエル綜合伝道団宣教局による説教の配信を、みなさまとともに盛岡教会でお聴きしました。初代の使徒たちの宣教を汲んで脈々と今に受け継がれている宣教。この教団からも政治的な、災害による、設備的な、人員の、経済的な、事故、事件、疫病との隣り合わせ等々、幾多の困難と課題の中で世界に出てゆき宣教の使命を果たしておられる宣教師の先生方がいらっしゃいます。言語、文化、意識、認識などの異なる地でのお働き。宣教聖日は、近頃は自らの年齢的なことにも甘え、ぬるま湯信仰に傾きがちなこの背筋がしゃんとする日でもあります。
 私が本物の伝道と出会ったのは23歳のとき。一帯に配られたチラシで、近くに新しい教会が建ったことを知ったのです。恩師が教会葬であったこともあり教会に行くことに抵抗はありませんでした。行って見ると二世帯アパートの棟割りの一軒が教会でした。階段を上って行くと、パイプ椅子に座って熱心に祈っている神学生が見えました。この方が応援のために来ている神学生であることは後になって知りました。会堂としているこの空間に満ちている厳粛さに、ここは他とは違う特別な場所なのだと直感しました。今でもあの張り詰めたような、重さをかんじさせない重量感のある厳粛さに出会ったことはありません。そして連続して持たれたこのところにおける伝道会で、講師の先生に「信じますか?」と問われ、いいえという言葉が溶け去って出てこず、「はい」と返事をしていました。家に帰り悔い改め祈ったときに、いまイエス・キリストが両の手を広げて自分を迎えてくれていることを実感し、涙がとめどなく流れました。
 救いのわざを為すのは神さまだけれども、この瞬間、救いの瞬間をもたらまでに導いてくれるのが伝道者、宣教師の方々でした。わたしはこの時点から、このことを決して忘れてはならなかったのです。自分の楽しみのために、趣味の爲にそれを疎かにしたときには、そのつぎに来るのは手痛い試練だった。そんな試練はなかったという方もいらっしゃるかもしれない。しかし一人ひとりへの神の扱いは同じではなく、私はそうだった。神さまは、いつも私に、神さまの道筋にあることを望まれており、私の場合には、それに従うのが神さまに課せられていたことであったのだと、後に気づかされました。私の場合はきままにおもしろおかしく暮らすことは許されていない、そう自覚したのです。そして今日も心配事はあり、気がかりな点もあり、先行き不透明なこともないではない。しかし感謝であること。感謝して今を生きられる自体が感謝の日々となっています。
 神さまにお委ねして、その掌中に生き続けられたならと願っているところです。

 

 

以下のURLを辿りますと、それぞれの教会のHPに入ることができます。

インマヌエル秋田キリスト教会  https://localplace.jp/t100303888/
インマヌエル盛岡キリスト教会 https://sites.google.com/view/igm-morioka/

⏰21:36更新

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書こうか書くまいか……やっぱり書いておこう

 書こうか書くまいか、これで言い回しが文法上合っているかどうか近頃自信がなくなっている。それはともかく、書こうか書くまいか、いつもならとっくに床に就いているこの時間までもためらっていた。人様の個人情報的なことも含まれるので迷う。書いたとしても具体性に欠けるならば、読み手にとっては、なんの説得力もないだろう。そして今時間になって、やはり書いておこうということに。ひとは忘れやすい。というよりも私は忘れやすい。近頃はそれがとみに顕著になってきている。そこで片鱗なりとも、曖昧模糊となっても書いておこうと思うに至った。

 今朝早く、主人の検査に付き添って某病院にでかけた。偶然にも、これは必然かもしれないが、いや必然だろう。病院の受付の辺りにXさん(仮)がYさん(仮)に付き添っていらしていた。気づいてすぐにご挨拶に行くと、そこにはZさんもいらしていたのだった。YさんにもZさんにも初めてお会いする。近々転居するXさんに、今となっては思うようにお手伝いできない自分を申し訳なく思っていたのだ。そこに現れたのがZさんであることを牧師先生を通じて皆様と共に知ったのであるが。そこでYさんにもZさんにもご挨拶することができ、Zさんのお話しを伺い、転居に関してはぜんぶ引き受けているというが、その行き届いた支援を知り、一切の申し訳なさから解放されたのである。神さまが「心配は一切ご無用!」とおっしゃている、そう思った。
 
漠然と述べただけでは、これがいかに不思議な成り行きであるか他の方々にはわかっていただけないかもしれないが、私は、これが自分に大きな影響を与えてくれた出来事としてやはり書き留めておきたかった。

 

 

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2025年11月09日インマヌエル秋田・盛岡キリスト教会説教 神谷光一 牧師

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説教題『果たしてそのとおりかどうか』使徒の働き17章1~15節
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1 パウロとシラスは、アンピポリスとアポロニアを通って、テサロニケに行った。そこにはユダヤ人の会堂があった。

2 パウロは、いつものように、人々のところに入って行き、三回の安息日にわたって、聖書に基づいて彼らと論じ合った。

3 そして、キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならなかったのです。私があなたがたに宣べ伝えている、このイエスこそ、キリストです」と説明し、また論証した。


4彼らのうちのある者たちは納得して、パウロとシラスに従った。神を敬う大勢のギリシア人たちや、かなりの数の有力な婦人たちも同様であった。


5 ところが、ユダヤ人たちはねたみに駆られ広場にいるならず者たちを集め、暴動を起こして町を混乱させた。そしてヤソンの家を襲い、二人を捜して集まった会衆の前に引き出そうとした。

6 しかし、二人が見つからないので、ヤソンと兄弟たち何人かを、町の役人たちのところに引いて行き、大声で言った。「世界中を騒がせて来た者たちが、ここにも来ています。

7 ヤソンが家に迎え入れたのです。彼らはみな、「イエスという別の王がいる」と言って、カエサルの詔勅に背く行いをしています。」


8 これを聞いた群集と町の役人たちは動揺した。

9 、役人たちは、ヤソンとそのほかの者たちから保証金を取ったうえで釈放した。

10 兄弟たちはすぐ、夜のうちにパウロとシラスをベレアに送り出した。そこに着くと、二人はユダヤ人の会堂に入って行った。

11 この町のユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも素直で、非常に熱心にみことばを受け入れ、はたしてそのとおりかどうか、毎日聖書を調べた。

12 それで彼らのうちの多くの人たちが信じた。また、ギリシアの貴婦人たち、そして男たちも少なくなかった。

13 ところが、テサロニケのユダヤ人たちが、ベレアでも

パウロによって神のことばが伝えられていることを知り、そこにもやって来て、群衆を扇動して騒ぎを起こした。

14 そこで兄弟たちは、すぐにパウロを送り出して海岸まで行かせたが、シラスとテモテはベレアにとどまった。

15 パウロを案内した人たちは、彼をアテネまで連れて行った。そして、できるだけ早く

彼のところに来るようにという、シラスとテモテに対する指示を受けて、その人たちは帰途についた。

 

神谷牧師による説教の要約
 キリストが登場してから書かれた新約聖書の中で「聖書」と言えば、旧約聖書を指している。
 パウロの語るキリストの十字架と復活に対して、行く先々で反対するユダヤ人がいる中、ベレアの町の人々が「はたしてそのとおりかどうか」と、それを聖書が示しているか調べ、確信をもって信仰に立っていった。
 現代、私たちの周りにいる、聖書を知らない人にとって、それを調べる方法は、聖書を信じている人々の生き方を通してであり、そのようにしてキリストがどのような方であり、何を与えることができるかを知ることができる。
 日々祈りつつ、喜びをもって主にお仕えし、そのことを証ししたい。


ブログ管理人のひとりごと
 すばらしい秋晴れが続いている。見晴るかす山並みの錦。ドングリや栗の実が枝に打ちあたり澄んだ音を響かせる木立を、ゆっくりと歩いてみたい気もするのだけれども、クマとの鉢合わせは避けたい。
 教会で不思議なことがあった。誰もが想像も予測もできなかった展開があった。これは人にはできないこと、これは神さまにしかできないこと。そういったある成り行きがあったのだ。人の一生は主の導きによる、私はそう思った。そのような不思議が自分に起こらないとしても、神がこの一事例を私にも見せてくださったことで十分。確かに神さまはいらっしゃる。

 

 

 

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20時07分更新

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2025年11月2日召天者記念礼拝説教 インマヌエル秋田・盛岡教会牧師 神谷光一牧師

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『真夜中ごろ~祈りつつ~歌を
使徒の働き16章16~34節
説教題をクリックしてお聞きください。
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16さて、祈り場に行く途中のことであった。私たちは占いの霊につかれた若い女奴隷に出会った。この女は占いをして、主人たちに多くの利益を得させていた。

17 彼女はパウロや私たちの後について来て、「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えています」と叫び続けた。

18 何日もこんなことをするので、困り果てたパウロは、振り向いてその霊に、「イエス・キリストの名によっておまえに命じる。この女から出て行け」と言った。すると、ただちに霊は出て行った。

19 彼女の主人たちは、金儲けする望みがなくなったのを見て、パウロとシラスを捕らえ、広場の役人たちのところに引き立てて行った。

20 そして、二人の長官たちの前に引き出して言った。「この者たちはユダヤ人で、私たちの町をかき乱し、

21 ローマ人である私たちが、受け入れることも行うことも赦されていない風習を宣伝しております。

22 群集も二人に反対して立ったので、長官たちは、彼らの衣をはぎ取ってむちで打つように命じた。

23 そして何度もむちで打たせてから、二人を牢に入れ、看守に厳重に見張るように命じた。

24 この命令を受けた看守は、二人を奥の牢に入れ、足には木の足かせをはめた。

25 真夜中ごろ、パウロとシラスは祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていた。ほかの囚人たちはそれに聞き入っていた。

26すると突然、大きな地震が起こり、牢獄の土台が揺れ動き、たちまち扉が全部開いて、すべての囚人の鎖が外れてしまった。

27 目を覚ました看守は、牢の扉が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。

28 パウロは大声で「自害してはいけない。私たちはみなここにいる」と叫んだ。

29 看守は明かりを求めてから、老の中に駆け込み、震えながらパウロとシラスの前にひれ伏した。

30 そして二人を外に連れ出して、「先生方、救われるためには、何をしなければなりませんか」と言った。

31 二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」

32 そして、彼と彼の家にいる者全員に、主のことばを語った。

33 看守はその夜、時を移さず二人を引き取り、打ち傷を洗った。そして、彼とその家の者全員が、すぐにバプテスマを受けた。

34 それから二人を家に案内して、食事のもてなしをし、神を信じたことを全家族とともに心から喜んだ。



神谷牧師による説教の要約
 パウロたちは捕らえられた夜、獄中で賛美と祈りの中にあった。その時、地震のために牢獄の扉が開いてしまい、看守が死のうとしたのは、囚人を逃した自分が処刑されると思ったからである。
 他の囚人と共に牢獄に留まっていたパウロは、声をかけてその看守の死を止めた。看守は、今や命の恩人となった囚人パウロとシラスの前にひれ伏し、その夜のうちに彼とその家族は救いに与ることができた。
 パウロたちが真夜中の牢獄で祈り、賛美を歌うことができたのは、神が彼らをそこに導かれたことを信じて、これから神がなさることに期待することができたからといえる。
 神は私たちの人生を、目的をもって導かれる。それは私たちの思いを超えたものである。

 

<ブログ管理人のひとりごと>
 この教会からも多くの方々が先に天国に帰ってゆかれた。私も余生ともいうべき人生の終わりの一部に生かされている。このトシまで生きたのだから多少は賢くなっているかと思えばさにあらず。相も変わらず神さまの御前には足りないことばかり。けれども、主の十字架を仰ぎ、神さまのお約束を思い出すときに、理屈の無い安堵と納得を当たり前のように受け取っている。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」 (ヨハネによる福音書 3章16節)
 悔い改めと信仰。神さまはこのことを私に命じておられる。いつでもイエスさまの十字架を仰ぎ、神さまに立ち返ることを、神さまは私に命じておられる。


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⏰19時37分更新

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2025年10月26日の神谷光一牧師の日曜礼拝説教 教団創立記念礼拝

 

『主イエスの恵みによって救われ』使徒の働き15章1~21節
説教題をクリックしてお聞きください。
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1
さて、ある人々がユダヤから下って来て、兄弟たちに「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と教えていた。

2 それで、パウロやバルナバと彼らの間に激しい対立と論争が生じたので、パウロとバルナバ、そのほかの何人かが、この問題について使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることになった。

3 こうして彼らは教会の人々に送り出され、フェニキアとサマリアを通って行った。道々、異邦人の回心について詳しく伝えたので、すべての兄弟たちに大きな喜びをもたらした。

4 エルサレムに着くと、彼らは教会の人々と使徒たちと長老たちに迎えられた。それで、神が彼らとともにいて行われたことをすべて報告した。

5 ところが、パリサイ派の者で信者になった人たちが立ち上がり、「異邦人にも割礼を受けさせ、モーセの律法を守るように命じるべきである」と言った。

6 そこで使徒たちと長老たちは、この問題を協議するために集まった。

7 多くの論争があった後、ペテロが立って彼らに言った。「兄弟たち。ご存じのとおり、神は以前にあなたがたの中から私をお選びになり、異邦人が私の口から福音のことばを聞いて信じるようにされました。

8 そして、人の心をご存じである神は、私たちに与えられたのと同じように、異邦人にも聖霊を与えて、彼らのために証しをされました。

9 私たちと彼らの間に何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。

10 そうであるなら、なぜ今あなたがたは、私たちの先祖たちも私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みるのですか。

11 私たちは、主イエスの恵みによって救われると信じていますが、あの人たちも同じなのです。」

12 すると、全会衆は静かになった。そして、バルナバとパウロが、神が彼らを通して異邦人の間で行われたしるしと不思議について話すのに、耳を傾けた。

13 二人が話し終えると、ヤコブが応じて言った。「兄弟たち。私の言うことを聞いてください。

14 神が初めに、どのように異邦人を顧みて、彼らの中から御名のために民をお召しになったかについては、シメオンが説明しました。

15 預言者たちのことばもこれと一致していて、次のように書かれています。

16 『その後、わたしは
倒れているダビデの仮庵を再び建て直す。
その廃墟を建て直し、
それを堅く建てる。
17 それは、人々のうちの残りの者と
わたしの名で呼ばれるすべての異邦人が、
主を求めるようになるためだ。
18 —昔か知らされていたこと、
それを行う主のことば。』

19 ですから、私の判断では、異邦人の間で神に立ち返る者たちを悩ませてはいけません。

20 ただ、偶像に供えて汚れたものと、淫らな行いと、絞め殺したものと、血とを避けるように、彼らに書き送るべきです。

21モーセの律法は、 昔から町ごとに宣べ伝える者たちがいて、安息日ごとに諸教会で読まれているからです。」


神谷牧師による説教の要約
 異邦人に向かって「割礼を受けさせ、モーセの律法を守るように命じるべき」と、エルサレム教会の人々が言ったのは、異邦人も自分たちユダヤ人と同じようになることが正しいと考えていたからである。
 その討議の中で、パウロと言い争っていた人たちが沈黙し、静かになったのは、自らもまたキリストの十字架によって救われたことの大切さに気付かされたからだといえる。
 そこで人々が理解したのは、キリストの十字架の前に立つとき、それぞれ違いを持つ人同士でも、神の前には平等だということである。
 互いの違いが大きく見えるとき、共に大きな恵みの中に生かされていることを思い起こし、違いを創造の豊かさとして理解したい。


<ブログ管理人のひとりごと>
 前にも書いたかと思うけれども、私の場合には教団の中の一個人という意識はそれほどつよくはない。こういった教団記念礼拝と明記されて礼拝に与るときには、教団の初代蔦田二雄先生を思い起こし、「聖宣」を貫かんとイエスさまを見上げ続けた諸先生方、私に洗礼を授けてくださった河村襄牧師、そして50年間、牧会を通して導いてくださった國光勝美・ひろ子牧師、そして現在お世話になっている神谷光一・美津子牧師への感謝の念を新たにしたことである。諭し、導いてくださった存在は大きい。教団への帰属意識はそれほど強くはないと言ってはみたものの、お世話になった先生方はどの方もみな初代の蔦田先生の薫陶を直接、間接的に受けた先生方であってみれば、やはりその影響下にあるといえるだろう。それ以上に大きいのは、私が神に不従順であったときに、神がどのように私に関わってくださったか。このことを思い出す時に、今自分があるのはただイエスさまの十字架の赦しによる、ただそれだけである。となれば、きょうの説教にもあった「違い」によって人を区別したり、疎んだりする資格はないのだ。私は人をばかにしたことはない。当たり前のことだけれども。そして、これまで相対した方々みなさまが、自分よりは優れていると思っている。ただ在りようの違いに対しては、自分の分限をこえた対応、思いやりに欠けた在りようで応対してしまっていたという苦い思いがある。今から誤ることが出来る方もあれば、今となっては何ともなしようがない方もいらっしゃる。そして最後には、イエスさまのご忍耐ととんでもないご愛に深甚させられる。それを自覚すればするほど、大したことのない自分が見えて来、そこにこそ十字架の御血潮を注いでいただく必要を覚え祈っている自分がある。
 




インマヌエル秋田キリスト教会
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⏰19時55分更新

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