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2025年10月

神谷光一牧師の2025年10月15日の説教

 

 毎日ごはんを食べて命をつないでいるように、私は毎週教会に行き、聖書からの解き明かしからの栄養で、霊的な命の調整や刷新をいただいている。毎週の〝ごはん〟で補われるのは、日ごろ足りていない〝蛋白〟だったり〝ビタミン〟だったり。或いはビシッとくる訓戒だったり。やはりいちばん心がやわらかくなるのは、あたたかい霊的なものに満たされたとき。説教がましい説教には、心はなかなか素直に解かされ溶かされはしないもの。霊的な作用が及ぶとき、そうだな、そのとおりだ、私がまちがっている。自ずとそんな心境になっているのは不思議だ。「きよさ」が死語になりつつあると思ったことも。しかしだいじなのはそれだ。霊的作用が及ぶにはそれが必須。きよくあること。やはり十字架だ。イエスさまだ。信じると十字架の血によってすべての罪が赦されきよくせられるという十字架。「キリストにはかえられません」、こういうこと。それで、聖書直結のおはなしにきょうもつながり、つなげてしまうのだ。

『主の前に、心を注ぎだし』第一サムエル1:9~20
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説教題をクリックしてお聞きください。

9 シロでの飲食が終わった後、ハンナは立ち上がった。ちょうどそのとき、祭司エリは主の神殿の門柱のそばで、椅子にすわっていた。

10 ハンナの心は痛んでいた。彼女は激しく泣いて、主に祈った。

11 そして誓願を立てて言った。「万軍の主よ。もし、あなたがはしための苦しみご覧になり、私を心に留め、このはしためを忘れず、男の子を下さるなら、私はその子を一生の間、主にお渡します。そしてその子の頭にかみそりを当てません。」

12 ハンナが主の前で長く祈っている間、エリは彼女の口もとをじっと見ていた。

13 ハンナは心のうちで祈っていたので、唇だけが動いて、声は聞こえなかった。それでエリは彼女が酔っているのだと思った。

14 エリは彼女に言った。「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい。」

15 ハンナは答えた。「いいえ、祭司様。私は心に悩みのある女です。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に、心を注ぎ出していたのです。

16 このはしためを、よこしまな女と思わないでください。私は募る憂いと苛立ちのために、今まで祈っていたのです。」

17 エリは答えた。「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたが願ったその願いをかなえてくださるように。」

18 彼女は、「はしためが、あなたのご好意を受けられますように」と言った。それから彼女は帰って食事をした。その顔は、もはや以前のようではなかった。

19彼らは 翌朝早く起きて、主の前で礼拝をし、ラマにある自分たちの家に帰って来た。エルカナは妻ハンナを知った。主は彼女を心に留められた。

20 年が改まって、ハンナは身ごもって男の子を産んだ。そして「私がこの子を主にお願いしたのだから」と言って、その名をサムエルと呼んだ。

 


神谷牧師による説教の要約
 不妊の女性ハンナが、子どもが与えられない苦しみと苛立ちから心を注ぎだして祈る中に「男の子を下さるなら、私はその子を一生の間、主にお渡しします」という祈りに導かれた。それは、神のみ前で心を注ぎだすうちに思わず生まれたものだといえる。
 また、その後、誕生した幼子を祭司に預ける際の祈りは、この世界に対する神の支配と権威への賛美が表されていた。
 自分の心にある本音をそのまま告白して祈る中に辿り着くのは、自分の側からのものの見方から、神さまが見ておられるように人や物事を理解できるようになることである。
 問題課題に際して、心にある思いを神の前にありのままに注ぎだすとき、神の視点で物事を受け止め、取り組むことが可能となる。



インマヌエル秋田キリスト教会  https://localplace.jp/t100303888/
インマヌエル盛岡キリスト教会 https://sites.google.com/view/igm-morioka/

 

⏰19時44分更新

 

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神谷光一牧師の10月16日の祈祷会メッセージ

 いつもは日曜礼拝説教をおつなぎしていますが、きょうは、この週の16日の祈祷会メッセージ、毎週木曜日の夜7時半からは、誰でもが自宅で聴くことが出来るように祈祷会メッセージが配信されていますが、その祈祷会メッセージをおつなぎします。疲れぎみだったのですが、気持ちが一気に明るくなりました。

16日の説教 ←クリック  へブル人への手紙12章1~13節

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1 こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競争を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。
2 信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。
3 あなたがたは、罪人たちの、ご自分にたいするこうような反抗を耐え忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないようにするためです。
4 あなたがたは、罪と戦って、まだ血を流すまで抵抗したことがありません。
5 そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られた、この励ましのことばを忘れています。
「わが子よ。主の訓練を軽んじてはならない。
主に叱られて気落ちしてはならない。
6 主はその愛する者を訓練し、
受け入れるすべての子に、
むちを加えられるのだから。」
7 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が訓練しない子がいるでしょうか。
8 もしあなたがたが、すべての子が受けている訓練を受けていないとしたら、私生時児であって、本当の子ではありません。
9 さらに、私たちには肉の父がいて、私たちを訓練しましたが、私たちはその父たちを尊敬していました。それなら、なおのこと、私たちは霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。
10 肉の父はわずかの間、自分の良いと思うことにしたがって私たちを訓練しましたが、霊の父は、私たちの益のために、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして訓練されるのです。
11 すべての訓練は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって鍛えられた人々に、義という平安の義の実を結ばせます。
12 ですから、弱った手と衰えた膝をまっすぐにしなさい。
13 また、あなたがたは自分の足のために、まっすぐな道を作りなさい。足の不自由な人が踏み外すことなく、むしろ癒されるためです。
きょうは大谷のひと試合中に3本のホームラン。GDPがもはやドイツに抜かれ次はインドにも抜かれるか、和平の条件が満たされていない、こんどはどことどこが連立する? ガタガタする真最中に、三度のスカーンにスカッ! そんなこんなのところに、神との平和あるところに心の平和あり。主よどうかお導きください。 21時32分更新

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きょうのことばー『必要なものを知って』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師  神谷光一師の説教ー

10月5日(日)「必要なものを知って」マタイ6:5~15

きょうはS姉のお証しも入っています。


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 神さまは私が神さまに求める前から、私に必要なものを知っておられる。だから祈るときには次のように祈りなさいと掲げられたのが、「毎日曜教会でお捧げしている「主の祈り」の内容。時としてどう祈ったらよいかわからない時に、聖書のこの箇所を繰り返している。

主の祈り

天にまします我らの父よ、ねがわくは、
み名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を、きょうも与えたまえ。
我らに負い目ある者を、我らがゆるすごとく、
我らの負い目をもゆるしたまえ。
我らをこころみにあわせないで、悪より救いいだしたまえ。
国とちからと栄えとは、
限りなく、なんじのものなればなり。
アーメン。

主の祈りだけで一日が終わる、そんな日があってもいいんじゃない、近頃はそうおもう。

⏰更新時間遅すぎと思いつつ更新22時9分

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きょうのことばー『心を痛めて主の前にへりくだり』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師  神谷光一師の説教ー

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 教会へは、毎週日曜日、私が運転し、途中でK姉と一緒に行くのがパターンになっていたけれども、初めて、手術後に私が運転することを心配したT姉が、家に迎えに来てくださった。それが9月14日。21日と28日は私が運転し、K姉とともに。今は統一教会が問題となっており、昔ながらに聖書を土台として正統的な信仰に歩む教会までが、新興宗教と一括りにされてしまっている向きもないではない。日曜日なぜ教会に行くのか。日曜ばかりも家でゆったりしたらいいじゃないの。お説はさまざま。
 ある方がおっしゃった。「私は家の跡取りという役目があるから、クリスチャンにはなれない。だけど、教会に行くと気持ちが洗われ、何か清々しい気持ちになるのよね。クリスチャンにはなれないけど、教会は反対しないし、何かイベントがあったらまた教えてちょうだいね」。そうなんです。私自身、教会を休んだりすると、休むのは年に一回あるかないかなんですが、気持ちが荒むとまではいかないにしても、何か落ち着かない。ふと気づくとマイナス思考に捕らえられ、目線が下向きになっている。まさしく「罪は聖書からあなたを遠ざけ、聖書はあなたを罪から遠ざける」。教会を離れ、聖書から遠ざかったときに、私は私の形相がどんなふうになるか、簡単に予測が付くのです。ですから、健康が許され、状況が許される限りは、私の場合は教会に行かなければならない。行きたいというよりも行かなければならない。そう思っています。
 入院中にも神がおられることへの疑念はなく、もしこのまま逝っても文句はないと思いながら、けっこうMLBやふだん見てる音楽番組、真夜中のオペラや朝ドラも楽しんでいました。病室の窓から秋の四辺形、ぺガスス、アンドロメダ等の星座も感動的でした。窓の向こうに6階でしたが、けっこうトンボが過っていくのも面白く、そして飛行機、雲は天才である天才君たちの流れ移ろいもなかなか。神さまはすばらしいものをたくさんたくさん見せてくださいました。

9月28日の礼拝説教は「心を痛めて主の前にへりくだり」Ⅱ列王22:1~20。是非お聞きください。

 

 

インマヌエル秋田キリスト教会  https://localplace.jp/t100303888/
インマヌエル盛岡キリスト教会 https://sites.google.com/view/igm-morioka/

 

🚩21時31分更新

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