きょうのことばー『主の前で力の限り跳ね』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師 神谷光一師の説教ー
このブログは、日曜日ごとに、一週間遅れて説教をおつなぎしております。
2025年8月10日(日)
説教題 『主の前で力の限り跳ね』 (←クリック)
聖書朗読 サムエル記第二6章12~23節
12「 主が神の箱のことで、オベデ・エドムの家と彼に属するすべてのものを祝福された」という知らせがダビデ王にあった。ダビデは行って、喜びをもって神の箱をオベデ・エドムの家からダビデの町へ運び上げた。
13 主の箱を担ぐ者たちが六歩進んだとき、ダビデは、肥えた牛をいけにえとして献げた。
14 ダビデは、主の前で力の限り跳ねまわった。ダビデは亜麻布のエポデをまとっていた。
15 ダビデとイスラエルの全家は、歓声をあげ、角笛を鳴らして、主の箱を運び上げた。
16 主の箱がダビデの町に入ろうとしていたとき、サウルの娘ミカルは窓から見おろしていた。彼女はダビデ王が主の前で跳ねたり踊ったりしているのを見て、心の中で彼を蔑んだ。
17人々は主の箱を運び込んで、ダビデがそのために張った天幕の真ん中の定められた場所にそれを置いた。ダビデは主の前に、全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げた。
18 ダビデは全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げ終えて、万軍の主の御名によって民を祝福した。
19 そしてすべての民、イスラエルのすべての群集に、男にも女にも、それぞれ、輪型パン一つ、なつめ椰子の菓子一つ、干しぶどうの菓子一つを分け与えた。民はみな、それぞれ自分の家に帰った。
20 ダビデが自分の家族を祝福しようと戻ると、サウルの娘ミカルがダビデを迎えに出て来て言った。「イスラエルの王は、今日、本当に威厳がございましたね。ごろつきが恥ずかしげもなく裸になるように、今日、あなたは自分の家来の女奴隷の目の前で裸になられて。」
21 ダビデはミカルに言った。「あなたの父よりも、その全家よりも、むしろ私を選んで、主の民イスラエルの君主に任じられた主の前だ。私はその主の前で喜び踊るのだ。
22 私はこれより、もっと卑しめられ、自分の目に卑しくなるだろう。しかし、その女奴隷たちに、敬われるのだ。」
23 サウルの娘ミカルには、死ぬまで子がなかった。
【神谷牧師による説教の要約】
サウル王に代わって、ダビデが神の箱を荷車に載せて運ぼうとしたとき、箱に触れた人が神に打たれたのは、祭司やレビ人以外に神の箱に触れてはいけないというルールが忘れられるほど、それらが軽んじられていたことを示している。
ダビデが祭司やレビ人たちを神の前に賛美をささげる人として奉仕を与えたのは、サウル王のように力で国を守ろうとするのではなく、神がこの国を支えてくださると考えていたからである。
また、サウルの娘であるミカルが、民の前で喜び踊るダビデを見下ろし、心の中で蔑んだのは、神よりも権力にすがり、周りからどう見られるかが大事だったサウル王と同じである。
見えない神の視点に重きを置く人は、周囲の評価から自由にされて生きることができる。
―ブログ管理 人のひとりごとー
この日の説教、人の目より、神の視点に立って行動すべきであること。顧みると、神がどうご覧になるかよりも、人がどう思って見るか、人の視点の方を計算に入れて行動することが多かった自分であったなと思う。
一人暮らしの実家の母の介護をしていたときのこと、特に母が人工透析になってからは、週3回、母が病院へ行くときには介護タクシーをお願いしていた。驚くほど安かった。今負担割合を「盛岡市の介護タクシーの負担割合は?」と入れてみると、1~3割と出ている。何れそんな金額であったと思う。福祉って有難いと思った最初だった。4時間の透析の後、迎えに行って、買い物をし、簡単に身の回りを片付けて帰るのが私の役目。時には気晴らしにクルマで郊外の景色を見せに連れていったこともある。母は小岩井が好きだった。ほかはヘルパーさんに来ていただいていた。ヘルパーさんが来る日は、何か母が動く。「今日はヘルパーさんが来るからきたなくしておくと恥ずかしい」というのだった。そんな母の気持ちも分からないではなかったが。
夕方になって私が帰ろうとすると、「あっち(嫁ぎ先)でも待ってるだろうしね」とポツリ。本音は泊ってゆっくり母と過ごしてやりたかった。しかし毎日のように母のところには来ているのだし、同じ市内に居ながら泊るまではしなくともいいだろうと思った。それと、私は、外泊には抵抗感がある。これには世間体が悪いという意識がないではない。
今朝母の夢を見ていた。デパートの人混みの向こうに母が歩いている。夢の中で、あら、母は死んだはずなのに。母は平成19年に88歳で亡くなっている。ただ単純にそんな夢だったけれども。しかし思った。あの時、泊ってやればよかった。勿論、年越しの日は泊りに行った。兄弟たちが連れていったときもあったが、本人が家にいる方がいいと言うので、こんな日に一人にしてはおけないと私が行っていた。舅は「我が家の年とりは30日である」と明言。「31日はそれぞれ好きなようにしなさい」。それで30日は小姑さん一家と共に〝年越し〟ができ、31日は私は実家に泊りに行くことができたのだった。
しかし今になって、もっと泊ってあげればよかったという思いがのこっている。母は私が帰るときに、それを言いたかっただろうと思う。母が亡くなってから私は気づいた。母は、死ぬことは覚悟していたなと。叔父(母の弟)が母を「天才的な忍耐力の持ち主」と言ったことがある。まさしくそうだった。
嫁ぎ先の思惑と人目を気にして動いていた自分。「今日は泊っていきます」と電話を入れたとしても、主人も舅姑も「ああ、そう」と言っただろう。ダメだと言う人はいない。今思えば家に帰った方がいいと思っていたのは私だけだった。
結局母は病院で最期は弟と私に見守られながら息を引き取った。私はあのとき、心肺停止の前に人の霊魂は先に出て行っているのではないかと思った。心肺停止の前に、母の明るい顔が中空に見えるように浮かんだからだ。「ほら、ここにいるよ」、母はそう言っているようだった。
15日には、主人の病院もあったが、お盆という事で、午後は両親の仏壇を預る兄のところに、私の兄弟、甥、姪らが集まった。やはり日本は仏事で人が集まることになる。両親は仏式で葬られている。そして午後の2時ごろには孫が誕生。16日は夕食に息子たちを呼ぶ。孫が窓から遠くに上がる花火を見ていた。あれこれ取り混ぜて、この先まだまだ忙しくなりそう。
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