きょうのことばー伝道礼拝『あらかじめ告げておられ』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師 神谷光一師の説教ー
このブログは、日曜日ごとに、一週間遅れて説教をおつなぎしております。
2025年6月15日(日)伝道礼拝
説教題 『あらかじめ告げておられ』(←クリック)
聖書朗読 使徒の働き3章1~20節
1 ペテロとヨハネは、午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。
2 すると、生まれつき足の不自由な人が運ばれて来た。この人は、宮に入る人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」と呼ばれる宮の門に置いてもらっていた。
3 彼は、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを求めた。
4 ペテロは、ヨハネとともに、その人を見つめて、「私たちを見なさい」と言った。
5 彼は何かもらえると期待して、二人に目を注いだ。
6 すると、ペテロは言った。「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」
7 そして彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、
8 躍りあがって立ち、歩きだした。そして、歩いたり飛び跳ねたりしながら、神を賛美しつつ二人と一緒に宮に入って行った。
9 人々はみな、彼が歩きながら神を賛美しているのを見た。
10 そしてそれが、宮の美しの門のところで施しを求めて座っていた人だとわかると、彼の身に起こったことに、ものも言えないほど驚いた。
11 この人がペテロとヨハネにつきまとっているうちに、非常に驚いた人々がみな、「ソロモンの回廊」と呼ばれる場所にいた彼らのところに、一斉に駆け寄ってきた。
12 これを見たペテロは、人々に向かって言った。「イスラエルの皆さん、どうしてこのことに驚いているのですか。どうして、私たちが自分の力や敬虔さによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。
13 アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち、私たちの父祖たちの神は、そのしもべイエスに栄光をお与えになりました。あなたがたはこの方を引き渡し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこの方を拒みました。
14 あなたがたは、この聖なる正しい方を拒んで、人殺しの男を赦免するように要求し、
15 いのちの君を殺したのです。しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。
16 このイエスの名が、その名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見て知っているこの人を強くしました。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの前で、このとおり完全なからだにしたのです。
17 さて兄弟たち。あなたがたが、自分たちの指導者たちと同様に、無知のためにあのような行いをしたことを、私は知っています。
18 しかし神は、すべての預言者たちの口を通してあらかじめ告げておられたこと、すなわち、キリストの受難をこのように実現されました。
19 ですから、悔い改めて、神に立ち返りなさい。そうすれば、あなたがたの罪はぬぐい去られます。
20 そうして、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにあらかじめキリストとして定められていたイエスを、主は遣わしてくださいます。
【神谷師による説教の要約】
ペンテコステを越えて、聖霊を頂いたペテロは、キリストの十字架を、神の計画の中で起きたことだと理解した。
それゆえキリストを十字架につけた大祭司たちの前に立ったペテロとヨハネは、十字架につけられたキリストは救い主であり、よみがえられたことをはっきりと語ることができた。
大祭司たちが妬みと策略をもって行ったすべてに対して、弟子たちが怒りやうらみを持たなかったのは、聖霊なる神が、十字架の出来事に対し、彼らにキリストと同じ心と理解を与えられたからである。
聖霊によって与えられる神の視点は、私たちの物事に対する態度を一変させる。
―ブログ管理人のひとりごとー
「汝の敵を愛せよ」、誰でもが知っているこのことば。しかし実はこれほど難しいこともないという事を経験的に知っている。しかしこの日のメッセージはとても感動的な例話で、それを成し得たときの多くの人々に及ぼすことのできる恩恵、多くの人々の喜びを語ってくださっている。
今身辺整理を、といっても主に書籍関連、紙屑のたぐいなのだが、じっくり見ると捨てられなくなる、手放せなくなるので、判別にあまり時間はかけない。何を思いながら分別するかといえば、これはもうじき要らなくなるな。これも愛着はあるけれども、たぶんどうせ廃棄にまわされるのだろう、つまり自分の余命に照らしながらの始末をつけている最中。息子がゲーミングチェアは10時間以上座っていても疲れないというので、これまでの回転いすは廃棄に回し、新たに購入した椅子の周りには、うずたかくあれやこれやが積まれている。これを1週間ぐらいかけて、ゆうらりゆうらり片付けようと思っている。
手放す惜しさはさほどなく、たまに兆す不安は、うちに宿る聖霊、わたしはほんとうにこの方が存在することを感謝しているのだが、老いて手が、足が、これ以上はさすがに先延ばしにして、何が失われゆくとも、内なる神が慰めを満たしてくださる。讃美歌312番「いつくしみ深き」が心に流れている。感謝で心が熱くなる。
インマヌエル秋田キリスト教会 https://localplace.jp/t100303888/
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⏰7時15分更新
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