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2025年6月

きょうのことばー伝道礼拝『神から出たものなら』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師  神谷光一師の説教ー

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このブログは、日曜日ごとに、一週間遅れて説教をおつなぎしております。
2025
年6月22日(日)
説教題 神から出たものなら』(←クリック)
聖書朗読
 使徒の働き5章12~42節

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12 さて、使徒たちの手により、多くのしるしと不思議が人々の間で行われた。皆は心を一つにしてソロモンの回廊にいた。
13 ほかの人たちはだれもあえて彼らの仲間に加わろうとはしなかったが、民は彼らを尊敬していた。
14 そして、主を信じる者たちはますます増え、男も女も大勢になった。
15 そしてついには、病人を大通りへ運び出し、寝台や寝床の上に寝かせて、ペテロが通りかかるときには、せめてその影だけでも、病人のだれかにかかるようにするほどになった。
16 また、エルサレム付近の町々から、大勢の人が、病人や、汚れた霊に苦しめられている人々を連れて集まって来た。その人々はみな癒された。
17 そこで、大祭司とその仲間たち、すなわちサドカイ派の者たちはみな、ねたみに燃えて立ち上がり、
18 使徒たちに手をかけて捕らえ、彼らを公の留置場に入れた。
19 ところが、夜、主の使いが牢の戸を開け、彼らを連れ出し、
20 「行って宮の中に立ち、人々にこのいのちのことばをすべて語りなさい」と言った。
21 彼らはこれを聞くと、夜明けごろ宮に入って教え始めた。一方、大祭司とその仲間たちは集まって、最高法院、すなわちイスラエルの子らの全長老会を招集し、使徒たちを引き出して来させるために、人を牢獄に遣わした。
22 ところが、下役たちが行ってみると、牢の中に彼らはいなかった。それで引き返して、こう報告した。
23 「牢獄は完全に鍵がかかっていて、番人たちが戸口に立っていました。しかし、開けてみると、中にはだれもいませんでした。」
24 宮の守衛長や祭司長たちは、このことばを聞くと、いったいどうなることかと、使徒たちのことで当惑した。
25 そこへ、ある人がやって来て、「ご覧ください。あなたがたが牢に入れた者たちが、宮の中に立って人々を教えています」と告げた。
26 そこで、宮の守衛長は下役たちと一緒に出て行き、使徒たちを連れて来たが、手荒なことはしなかった。人々に石で打たれるのを恐れたのである。
27 彼らが使徒たちを連れて来て最高法院の中に立たせると、大祭司は使徒たちを尋問した。
28 「あの名によって教えてはならないと厳しく命じておいたではないか。それなのに、何ということだ。おまえたちは自分たちの教えを広めてしまった。そして、あの人の血の責任をわれわれに負わせようとしている。」
29しかし、 ペテロと使徒たちは答えた。「人に従うより、神に従うべきです。
30 私たちの父祖の神は、あなたがたが木にかけて殺したイエスを、よみがえらせました。
31 神は、イスラエルを悔い改めさせ、罪の赦しを与えるために、このイエスを導き手、また救い主として、ご自分の右に上げられました。
32 私たちはこれらのことの証人です。神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊も証人です。」
33これを聞いて、彼らは怒り狂い、使徒たちを殺そうと考えた。
34 ところが、民全体に尊敬されている律法の教師で、ガマリエルというパリサイ人が議場に立ち、使徒たちをしばらく外に出すように命じた、
35 それから議員たちに向かってこう言った。「イスラエルの皆さん。この者たちをどう扱うか、よく気をつけてください。
36 先ごろチウダが立ち上がって、自分を何か偉い者のように言い、彼に従った男の数が四百人ほどになりました。しかし、彼らは殺され、従った者はみな散らされて、跡形もなくなりました。
37 彼の後、住民登録の時に、ガリラヤ人ユダが立ち上がり、民をそそのかして反乱を起こしましたが、彼も滅び、彼に従った者たちもみな散らされてしまいました。
38 そこで今、私はあなたがたに申し上げたい。この者たちから手を引き、放っておきなさい。もしその計画や行動が人間から出たものなら、自滅するでしょう。
39 しかし、もしそれが神から出たものなら、彼らを滅ぼすことはできないでしょう。もしかすると、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。」議員たちは彼の意見に従い、
40 使徒たちを呼び入れて、むちで打ち、イエスの名によって語ってはならないと命じたうえで、釈放した。
41 使徒たちは、御名のために辱められるに値する者とされたことを喜びながら、最高法院から出て行った。
42 そして毎日、宮や家々で教えイエスがキリストであることを教え、宣べ伝えることをやめなかった。

【神谷師による説教の要約】
 弟子たちが再び捕らえられ、大祭司たちから裁判を受けるようになったのは、キリストと同じく、彼らのしるしと奇跡に人々の人気が集まったのを妬まれてのことである。その際ペテロが、福音を語ることを禁じる大祭司に向かって「人に従うより、神に従うべき」と語ったのは、神の前には誰もが同じようにさばかれるため、救い主であるキリストを、誰にでも伝える必要があったからといえる。
 裁判の中で、律法の教師であるガマリエルが立って、弟子たちから手を引くように勧め「もしそれが神から出たものなら、彼らを滅ぼすことはできないでしょう。」と言ったのは、神が計画されたことであれば、どんな人の反対や妨げもそれを留めることはできないということである。
 そのようにして私たちに届けられた福音(キリスト)を次の一人に伝えてゆきたい。

 

―ブログ管理人のひとりごとー
 爽やかな朝。鳥の声。動き出したクルマ、バイク。大谷の2イニングが終わったらしい。とりあえずは平和であることに、とここまで言いかけたところで、賢治を気取る気は毛頭ないけれども、戦禍にある方々の惨状が否が応にも脳裏を過るといった程度ではない、近頃はすぐそこにある地獄を覗くかに胸中にうっと迫る。「もうニュースは見たくない」、どこぞの待合室でどなたかが言っていた。
 こんな爽やかな朝に、こんなに一見平和な朝に、手放しでその穏やかさを享受しかねる現実。神さま平和をください!
 一日が始まる。残り少ない人生、できるだけ無為に過ごすことがないように、この身にある神のご計画を意識しながらこなしたい。
 


 

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⏰6時27分更新

 

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きょうのことばー伝道礼拝『あらかじめ告げておられ』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師  神谷光一師の説教ー

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2025
年6月15日(日)伝道礼拝
説教題 あらかじめ告げておられ』(←クリック)
聖書朗読
 使徒の働き3章1~20節
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1 ペテロとヨハネは、午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。
2 すると、生まれつき足の不自由な人が運ばれて来た。この人は、宮に入る人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」と呼ばれる宮の門に置いてもらっていた。
3 彼は、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを求めた。
4 ペテロは、ヨハネとともに、その人を見つめて、「私たちを見なさい」と言った。
5 彼は何かもらえると期待して、二人に目を注いだ。
6 すると、ペテロは言った。「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。
7 そして彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、
8 躍りあがって立ち、歩きだした。そして、歩いたり飛び跳ねたりしながら、神を賛美しつつ二人と一緒に宮に入って行った。
9 人々はみな、彼が歩きながら神を賛美しているのを見た。
10 そしてそれが、宮の美しの門のところで施しを求めて座っていた人だとわかると、彼の身に起こったことに、ものも言えないほど驚いた。
11 この人がペテロとヨハネにつきまとっているうちに、非常に驚いた人々がみな、「ソロモンの回廊」と呼ばれる場所にいた彼らのところに、一斉に駆け寄ってきた。
12 これを見たペテロは、人々に向かって言った。「イスラエルの皆さん、どうしてこのことに驚いているのですか。どうして、私たちが自分の力や敬虔さによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。
13 アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち、私たちの父祖たちの神は、そのしもべイエスに栄光をお与えになりました。あなたがたはこの方を引き渡し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこの方を拒みました。
14 あなたがたは、この聖なる正しい方を拒んで、人殺しの男を赦免するように要求し、
15 いのちの君を殺したのです。しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。

16
このイエスの名が、その名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見て知っているこの人を強くしました。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの前で、このとおり完全なからだにしたのです。
17 さて兄弟たち。あなたがたが、自分たちの指導者たちと同様に、無知のためにあのような行いをしたことを、私は知っています。
18 しかし神は、すべての預言者たちの口を通してあらかじめ告げておられたこと、すなわち、キリストの受難をこのように実現されました。
19 ですから、悔い改めて、神に立ち返りなさい。そうすれば、あなたがたの罪はぬぐい去られます。
20 そうして、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにあらかじめキリストとして定められていたイエスを、主は遣わしてくださいます。


【神谷師による説教の要約】
 ペンテコステを越えて、聖霊を頂いたペテロは、キリストの十字架を、神の計画の中で起きたことだと理解した。
それゆえキリストを十字架につけた大祭司たちの前に立ったペテロとヨハネは、十字架につけられたキリストは救い主であり、よみがえられたことをはっきりと語ることができた。
 大祭司たちが妬みと策略をもって行ったすべてに対して、弟子たちが怒りやうらみを持たなかったのは、聖霊なる神が、十字架の出来事に対し、彼らにキリストと同じ心と理解を与えられたからである。
 聖霊によって与えられる神の視点は、私たちの物事に対する態度を一変させる。

 

―ブログ管理人のひとりごとー
 「汝の敵を愛せよ」、誰でもが知っているこのことば。しかし実はこれほど難しいこともないという事を経験的に知っている。しかしこの日のメッセージはとても感動的な例話で、それを成し得たときの多くの人々に及ぼすことのできる恩恵、多くの人々の喜びを語ってくださっている。
 今身辺整理を、といっても主に書籍関連、紙屑のたぐいなのだが、じっくり見ると捨てられなくなる、手放せなくなるので、判別にあまり時間はかけない。何を思いながら分別するかといえば、これはもうじき要らなくなるな。これも愛着はあるけれども、たぶんどうせ廃棄にまわされるのだろう、つまり自分の余命に照らしながらの始末をつけている最中。息子がゲーミングチェアは10時間以上座っていても疲れないというので、これまでの回転いすは廃棄に回し、新たに購入した椅子の周りには、うずたかくあれやこれやが積まれている。これを1週間ぐらいかけて、ゆうらりゆうらり片付けようと思っている。
 手放す惜しさはさほどなく、たまに兆す不安は、うちに宿る聖霊、わたしはほんとうにこの方が存在することを感謝しているのだが、老いて手が、足が、これ以上はさすがに先延ばしにして、何が失われゆくとも、内なる神が慰めを満たしてくださる。讃美歌312番「いつくしみ深き」が心に流れている。感謝で心が熱くなる。

 

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きょうのことば『主が召される人ならだれにでも』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師  神谷光一師の説教ー

 

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年6月8日(日)
説教題 『主が召される人ならだれにでも』(←クリック)
聖書朗読
 使徒の働き2章22~42節

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22 イスラエルの皆さん、これらのことばを聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと不思議としるしを行い、それによって、あなたがたにこの方を証しされました。それは、あなたがた自身がご承知のことです。
23 神が定めた計画と神の予知によって引き渡されたこのイエスを、あなたがたは律法を持たない人々の手によって十字架につけて殺したのです。
24 しかし神は、イエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、あり得なかったからです。
25 ダビデは、この方について次のように言っています。『私はいつも、主を前にしています。主が私の右におられるので、私は揺るがされることはありません。
26 それゆえ、私の心は喜び、私の舌は喜びにあふれます。私の身も、望みの中に住まいます。
27 あなたは、私のたましいをよみに捨て置かず、あなたにある敬虔な者に滅びをお見せにならないからです。
28 あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前で、私を喜びで満たしてくださいます。』
29 兄弟たち。父祖ダビデについては、あなたがたに確信をもって言うことができます。彼は死んで葬られ、その墓は今日に至るまで私たちの間にあります。
30 彼は預言者でしたから、自分の子孫の一人を自分の王座に着かせると、神が誓われたことを知っていました。
31 それで、後のことを予見し、キリストの復活について、『彼はよみに捨て置かれず、そのからだは朽ちて滅びることがない』と語ったのです。
32 このイエスを、神はよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。
33 ですから、神の右に上げられたイエスが、約束された聖霊を御父から受けて、今あなたがたが目にし、耳にしている聖霊を注いでくださったのです。

34
ダビデは天に上ったのではありません。彼自身こう言っています。『主は、私の主に言われた。あなたは、わたしの右の座に着いていなさい。
35 わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで。』
36 ですから、イスラエルの全家は、このことをはっきりと知らなければなりません。神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」
37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。
38 そこで、ペテロは彼らに言った。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。
39 この約束は、あなたがたに、あなたがたの子どもたちに、そして遠くにいるすべての人々に、すなわち、私たちの神である主が召される人々ならだれにでも、与えられているのです。」
40 ペテロは、ほかにも多くのことばをもって証しをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って、彼らに勧めた。
41 彼のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。
42彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。

【神谷師による説教の要約】
 五旬節(ペンテコステ)は、イスラエル人にとって三大祭の一つである。奴隷となっていたエジプトを出たことを記念する過越しの祭りが、罪からの解放である十字架を意味するとすれば、約束の聖霊が与えられた五旬節は、シナイ山で律法を与えられ、奴隷であった彼らが、神の約束(契約)の民となったことを表している。それは教会にとっては聖霊による誕生を意味し、そこから共に集って祈り、礼拝をすることが始まった。
 また、キリストを他の人に知らせる証人となるために聖霊は私たちをキリストに似た者と造り変えてくださる。
生まれつきの自分から目を移し、このお方に期待して歩みたい。

 

 

―ブログ管理人のひとりごとー
 睡眠の調整に失敗。4時ごろにもうすこし睡眠をとった方がいいなと横になったところが、つい寝過ごしてしまい、7時に15分前の起床。今日ばかりは15分で朝食の準備。食事を終えて8時になろうとする今、パソコンの前に着いている。
 トランプの軍事パレード関連ニュースに、北朝鮮やロシアのそれがダブる。「この道はいつか来た道」、繰り返され繰り返されるこの道なのだ。聖書の山上の垂訓「9 平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう」。平和をつくり出すべき人、つくり出そうとする人が日々曖昧に。微力なりとも、無力なりとも平和のために祈りたい。



 

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⏰8時10分更新

 

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きょうのことば『すべてを新しく』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師  神谷光一師の説教ー

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年6月1日(日)
説教題 
すべてを新しく』聖餐式礼拝説教(←クリック)
聖書朗読
 ヨハネの黙示録 21章1~8節
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1 また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
2 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。
3 私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。
「見よ、神の幕屋が人々とともにある。
神は人々とともに住み、人々は神の民となる。
神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。
4 神は彼らの目から
涙をことごとくぬぐい取ってくださる。
もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。
以前のものが、過ぎ去ったからである。」
5 すると、御座に座っておられる方が言われた。
「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書き記せ。これらのことばは真実であり、信頼できる。」
6 また私に言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。わたしは渇く者に、いのちの水の泉からただで飲ませる。
7 勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。
8 しかし、臆病な者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、淫らなことを行う者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者たちが受ける分は、火と硫黄の燃える池の中にある。これが第二の死である。」

 


【神谷師による説教の要約】
 黙示録は高齢となったヨハネが幻のうちに、キリストを信じているため迫害の中にある人を励まそうと、終末に訪れる新たなエルサレムの都についての預言を示すことで、直面する苦しみが必ず過ぎ去ることが語られている。
 また、勝利を得る者とは、迫害の中でも、終わりまでキリストへの信仰を失わないことである。
 そのためにキリストは、その妨げとなる生まれつきの性質を変えるために十字架でいのちを捨て、私たちに与えてくださり、やがて訪れる新しい天地の中で新たなエルサレムの都に入れるようにされた。

 

 

―ブログ管理人のひとりごとー
 イエスの愛しておられた弟子「ヨハネ」は、殉教とならず、ほかの弟子たちよりも長く生きることをゆるされ、一時期はパトモス島に流される。パトモス島ってどんなところ?とネット上で飛んでみると、今は美しい観光地。景色の美しさはそのまま。ここでヨハネは主の幻、新しいエルサレムを見せていただいている。いざというときには必ずある神さまからの励まし。それがヨハネのように幻の提示ではないとしても、神さまは日常的なほんの小さなことをとおして、またご聖霊さまを通して、聖書のおことばを通して、ご自分の存在をあらわし励ましてくださる。この頃はイエスさまのご最期がよく心に通うけれども、最大限の苦痛をご自分の飲むべき杯として受けられた、敢えて、諄々とこの杯を干された主。人の声はさまざま。しかし今主は言われる「これが道なり、これを歩むべし」。
 

 

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きょうのことば『私の金を銀行に』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師  神谷光一師の説教ー

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年5月25日(日)
説教題 私の金を銀行に』←クリック
聖書朗読
 マタイの福音書 25章14~30節
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14 天の御国は、旅に出るにあたり、自分のしもべたちを呼んで、財産を預ける人のようです。
15 彼はそれぞれの能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりにはニタラント、もうひとりには一タラントを渡して旅に出かけた。
16 五タラント預かった者は出て行って、それで商売をし、ほかに五タラントをもうけた。
17 同じように、ニタラント預かった者も、ほかに二タラントをもうけた。
18一方、一タラント預かった者は出て行っって地面に穴を掘り、主人の金を隠した。
19 さて、かなり時がたってから、しもべたちの主人が帰って来て彼らと清算をした。
20 すると、五タラント預かった者が進み出て、もう五タラント差し出して言った。『ご主人様。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。私はほかに五タラントをもうけました。』
21 主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
22 二タラントの者も進み出て言った。『ご主人様。私に二タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。ほかに二タラントもうけました。』
23主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえは、わずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
24 一タラント預かっていた者も進み出て言った。『ご主人様。あなた様は蒔かなかったところから刈り取り、散らさなかったところからかき集める、厳しい方だと分かっていました。
25 それで私は怖くなり、出て行って、あなた様の一タラントを地の中に隠しておきました。ご覧ください。これがあなた様の物です。』

26
しかし、主人は彼に答えた。『悪い、怠け者のしもべだ。私が蒔かなかったところから刈り取り、散らさなかったところからかき集めると分かっていたというのか。
27 それなら、おまえは私の金を銀行に預けておくべきだった。そうすれば、私が帰って来たとき、私の物を利息とともに返してもらえたのに。
28 だから、そのタラントを彼から取り上げて、十タラント持っている者に与えよ。
29 だれでも持っている者は与えられてもっと豊かになり、持っていない者は持っている物までも取り上げられるのだ。
30 この役に立たないしもべは外の暗闇に追い出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ。

【神谷師による説教の要約】
 キリストが天国を語ったたとえの中で、主人が3人のしもべに別々に財産を預けた時に期待していたことは、各々が財産にたとえられた恵みを実際問題に対して活用することであった。

 私たちにとってキリストから一方的に与えられた恵みとは、罪から救われて聖霊によって神の愛を頂いていることであるが、与えられている愛を用いたいとの思いはあっても、直面する課題を前に、自分には難しいと感じる時、一人でそれらを抱えるのではなく、主にあって信頼できる人々と共有し、とりなしを依頼することを通しても、そのみわざの実現を見ることは可能である。

―ブログ管理人のひとりごとー
 このページの更新を、ほとんど習慣的に、サッサカ、サッサカと進めていた。ハイ、写真、ハイ、メッセージのおつなぎ、といった具合。それが次の瞬間、書いた画面が掻き消えた。まさかやり直し? そう、そのやり直しなのだ。不注意で誤ったキーを押してしまい、そんな事態に。恐ろしきは慣れ。こういう更新は慣れでやってよいものではないことを思い知らされた。復元にそう時間はかからなかったが、十字架より一歩下がって、やらせていただいているという聖なるものへの畏怖を忘れてはならないのだ。
 神さまは私にいかほどのタラントを預けてくださったものか。はっきりとしたところはいまだ掴みかねているのだけれども、少なくとも残された人生を「善且つ忠なるしもべ」と言っていただけるように歩みたい。
 近頃は散歩が楽しい。主人が心配なのでできるだけ同伴していることもあるが、これは自らの健康にも良い。平成までの家の庭には花がたくさんあった。よくもあれだけ植えたものと今になって呆れもしている。令和になってからは庭がないので、散歩がてら人様の庭を楽しませていただいている。これで十分。それがちょっと寂しいのは、柘榴の木、伐られてしまった。どんな花が咲くのかを楽しみにしていたところが、駐車場になったのだ。それと無花果の木。実のなり様を、通るたびに面白くみていたのだが、見る見るうちに更地となり、きれいなアパートになってしまった。近頃心惹かれるのが雑草、といっても個々に名があるのだけれども、草たちがしっかりとはびこり生きている。居たんだね、生きてるんだね。一つ一つに感動する。そして感動を覚えられることに感謝し、今、このいのちある事が感謝でならない。

 

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