きょうのことば『私の金を銀行に』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師 神谷光一師の説教ー
このブログは、日曜日ごとに、一週間遅れて説教をおつなぎしております。
2025年5月25日(日)
説教題 『私の金を銀行に』←クリック
聖書朗読 マタイの福音書 25章14~30節
14 天の御国は、旅に出るにあたり、自分のしもべたちを呼んで、財産を預ける人のようです。
15 彼はそれぞれの能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりにはニタラント、もうひとりには一タラントを渡して旅に出かけた。
16 五タラント預かった者は出て行って、それで商売をし、ほかに五タラントをもうけた。
17 同じように、ニタラント預かった者も、ほかに二タラントをもうけた。
18一方、一タラント預かった者は出て行っって地面に穴を掘り、主人の金を隠した。
19 さて、かなり時がたってから、しもべたちの主人が帰って来て彼らと清算をした。
20 すると、五タラント預かった者が進み出て、もう五タラント差し出して言った。『ご主人様。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。私はほかに五タラントをもうけました。』
21 主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
22 二タラントの者も進み出て言った。『ご主人様。私に二タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。ほかに二タラントもうけました。』
23主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえは、わずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
24 一タラント預かっていた者も進み出て言った。『ご主人様。あなた様は蒔かなかったところから刈り取り、散らさなかったところからかき集める、厳しい方だと分かっていました。
25 それで私は怖くなり、出て行って、あなた様の一タラントを地の中に隠しておきました。ご覧ください。これがあなた様の物です。』
26しかし、主人は彼に答えた。『悪い、怠け者のしもべだ。私が蒔かなかったところから刈り取り、散らさなかったところからかき集めると分かっていたというのか。
27 それなら、おまえは私の金を銀行に預けておくべきだった。そうすれば、私が帰って来たとき、私の物を利息とともに返してもらえたのに。
28 だから、そのタラントを彼から取り上げて、十タラント持っている者に与えよ。
29 だれでも持っている者は与えられてもっと豊かになり、持っていない者は持っている物までも取り上げられるのだ。
30 この役に立たないしもべは外の暗闇に追い出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ。
【神谷師による説教の要約】
キリストが天国を語ったたとえの中で、主人が3人のしもべに別々に財産を預けた時に期待していたことは、各々が財産にたとえられた恵みを実際問題に対して活用することであった。
私たちにとってキリストから一方的に与えられた恵みとは、罪から救われて聖霊によって神の愛を頂いていることであるが、与えられている愛を用いたいとの思いはあっても、直面する課題を前に、自分には難しいと感じる時、一人でそれらを抱えるのではなく、主にあって信頼できる人々と共有し、とりなしを依頼することを通しても、そのみわざの実現を見ることは可能である。
―ブログ管理人のひとりごとー
このページの更新を、ほとんど習慣的に、サッサカ、サッサカと進めていた。ハイ、写真、ハイ、メッセージのおつなぎ、といった具合。それが次の瞬間、書いた画面が掻き消えた。まさかやり直し? そう、そのやり直しなのだ。不注意で誤ったキーを押してしまい、そんな事態に。恐ろしきは慣れ。こういう更新は慣れでやってよいものではないことを思い知らされた。復元にそう時間はかからなかったが、十字架より一歩下がって、やらせていただいているという聖なるものへの畏怖を忘れてはならないのだ。
神さまは私にいかほどのタラントを預けてくださったものか。はっきりとしたところはいまだ掴みかねているのだけれども、少なくとも残された人生を「善且つ忠なるしもべ」と言っていただけるように歩みたい。
近頃は散歩が楽しい。主人が心配なのでできるだけ同伴していることもあるが、これは自らの健康にも良い。平成までの家の庭には花がたくさんあった。よくもあれだけ植えたものと今になって呆れもしている。令和になってからは庭がないので、散歩がてら人様の庭を楽しませていただいている。これで十分。それがちょっと寂しいのは、柘榴の木、伐られてしまった。どんな花が咲くのかを楽しみにしていたところが、駐車場になったのだ。それと無花果の木。実のなり様を、通るたびに面白くみていたのだが、見る見るうちに更地となり、きれいなアパートになってしまった。近頃心惹かれるのが雑草、といっても個々に名があるのだけれども、草たちがしっかりとはびこり生きている。居たんだね、生きてるんだね。一つ一つに感動する。そして感動を覚えられることに感謝し、今、このいのちある事が感謝でならない。
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