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きょうのことば『用意ができていた娘たちは』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師  神谷光一師の説教ー

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このブログは、日曜日ごとに、一週間遅れて説教をおつなぎしております。
2025
年5月18日(日)
説教題 用意ができていた娘たちは』(←クリック)
聖書朗読
 マタイの福音書 25章1~13節

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1 そこで、天の御国は、それぞれがともしびを持って花婿を迎えに出る、十人の娘にたとえることができます。
2 そのうち五人は愚かで、五人は賢かった。
3 愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を持ってきていなかった。
4 賢い娘たちは、自分のともしびと一緒に、入れ物に油を入れて持っていた。
5 花婿が来るのが遅くなったので、娘たちはみな眠くなり寝入ってしまった。
6 ところが夜中になって、『さあ、花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。
7 そこで娘たちはみな起きて、自分のともしびを整えた。
8 愚かな娘たちは賢い娘たちに言った。『私たちのともしびが消えそうなので、あまたがたの油を分けてください。』
9 しかし、賢い娘たちは答えた。『いいえ、分けてあげるにはとても足りません。それより、店に行って自分の分を買ってください。』
10 そこで娘たちが買いに行くと、その間に花婿が来た。用意ができていた娘たちは彼と一緒に婚礼の祝宴に入り、戸が閉じられた。
11 その後で残りの娘たちも来て、『ご主人様、ご主人様、開けてください。』と言った。
12 しかし、主人は答えた。『まことに、あなたがたに言います。私はあなたがたを知りません』
13 ですから、目を覚ましていなさい。その日、その時をあなたがたは知らないのですから。

【神谷師による説教の要約】
 キリストは世界の終わりに起きることを、花婿を迎える娘たちに例えて語られる中で、愚かな娘たちと賢い娘たちの違いは、ともしびのための油を持っていたかどうかであると指摘された。愚かな娘たちが「油を分けて」と賢い娘に頼んだ時「分けてあげるには足りません」と言われたのは、ともしびを持ち続けるための油はだれかに分けてもらうのではなく、自分で持つしかないからである。
 その油とは私たちの毎日の中で起きることを、神を計算に入れて、感謝したり、悲しいことや苦しいことを祈ることで、信仰が新しくされることを通して生まれてくる。
 この世界に必ず訪れる週末、また私たちがこの世界に別れを告げる人生の終わりが、やがて来ることを心に留めつつ、特別なことではなく、普段の生活の中に備えてゆきたい。

―ブログ管理人のひとりごとー
 「神にとっての想定外はなに一つない」。説教中この一言に気付かされた、というよりも気づき直した。かつて気づき、今に忘れ、けれどもまた新たに気づき直したというところ。ああかこうかと気をまわしあるときには疲れ、あるときには苦みを転がしているのは人の側で、神はすべて、平たくいえば、神はすべてご存じ。悩む、怯むことよりも神に信頼して、必ずや慮ってくださる神さまにお任せし、今できることを祈りつつ淡々と続けること。今神さまからいただきたいのは体力と気力です。あと5,6年。ぜいたくを言わせてもらえるなら、神さま、あと10年ばかりお願いします。

 

インマヌエル秋田キリスト教会  https://localplace.jp/t100303888/
インマヌエル盛岡キリスト教会 https://sites.google.com/view/igm-morioka/

 

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