きょうのことば『この戦いは主の戦いだ』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師 神谷光一師の説教ー
このブログは、日曜日ごとに、一週間遅れて説教を掲載しております。
2025年3月16 日(日)
説教題 『この戦いは主の戦いだ』(←クリック)
聖書朗読 サムエル記 第一 17章41~4
41 そのペリシテ人は盾持ちを前に立て、ダビデの方にじりじりと進んで来た。
42 ペリシテ人は、ダビデに目を留めて彼を見つめ、彼を蔑んだ。ダビデが血色の良い、姿の美しい少年だったからである。
43 ペリシテ人はダビデに言った。「おれは犬か。杖を持って向かって来るとは。」ペリシテ人は自分の神々によってダビデを呪った。
44 ペリシテ人はダビデに言った。「さあ、来い。おまえの肉を空の鳥や野の獣にくれてやろう。」
45 ダビデはペリシテ人に言った。「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って私に向かって来るが、私は、おまえがそしったイスラエル人の戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かう。
46今日、主はおまえを私の手に渡される。私はおまえを殺して、おまえの頭を胴体から離し、今日、ペリシテ人の軍勢の屍を、空の鳥、地の獣に与えてやる。すべての国は、イスラエルに神がおられることを知るだろう。
47 ここに集まっているすべての者も、剣や槍がなくても、主が救いをもたらすことを知るだろう。この戦いは主の戦いだ。主は、おまえたちをわれわれの手に渡される。」
【神谷師による説教の要約】
3メートルに届くかと思われるペリシテの兵士、巨人ゴリアテを見た時、サウル王とイスラエルの人々は気持ちがくじけて戦意を失った。
そのゴリアテに羊飼いであるダビデが剣も持たずに立ち向かうことができたのは、自分の力ではなく、共におられる神が確かに力を与えてくださると信じたからである。
その後、ダビデが「ここに集まっている者」と呼びかけ、敵も味方もなく語っているのは、戦いに必要なのは、力や數、武器によると思っていた人々に、神による勝利があることを知らせるためであり、かつての預言者サムエルによる注ぎの意味は伏せられていたが、これこそイスラエルの王たる者の言葉であった。
困難に際し、見えるものだけに目を留めることなく、神の働かれる領域に真の力があることを覚えたい。
―ブログ管理人のひとりごとー
先週は若干健康を害してしまい、慎重な行動を余儀なくされた日々であった。そんなとき心を過るのは、自分はもうダメかな、わたしももはやここまでかも。気弱になるとたちまち天地宇宙が崩れてくる。
飛躍するけれども、人が悪くなるのには時間がかからない。一生かけて陶冶された良きもの、やっと手に入れた好ましいものも、一瞬で崩れうしなってしまうことがある。これを取り戻すには良くなろうと努力した時間の、エネルギーの数倍を要し、あるいは最悪には取り戻すことができず、もとの自分には戻れなくなることさえあるだろう。そうなった後の人生は良いものと好ましからざるものとのすり合わせで堂々と理屈を掲げるなりして生きてゆくことになる。
人は弱いもの、私はそれを自覚している。自分は強くはない。だから自分に代わって戦ってくださる神さまを信じ、自分が弱ったときに、聖書を開き、イエスさま!と呼びかけ祈り、心境を吐露する。すると明るみが兆してくる。「われ弱くとも恐れはあらじ」。神さまは生きておられることを実感し、花粉症で最悪の状態ではあるけれども、今朝も神さまと共にスタートできる幸せを思う。
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