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きょうのことば『主はご自分の心にかなう人を求め』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師  神谷光一師の説教ー

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このブログは、日曜日ごとに、一週間遅れて説教を掲載しております。
2025
年3月2 日(日)
説教題 『主はご自分の心にかなう人を求め』(←クリック)
聖書朗読
 サムエル記 第一 13章1~15節

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1 サウルは、ある年齢で王となり、二年間だけイスラエルを治めた。
2 サウルは、自分のためにイスラエルから三千人を選んだ。二千人はサウルとともにミクマスとベテルの山地にいて、千人はヨナタンとともにベニヤミンのギブアにいた。残りの兵は、それぞれ自分の天幕に帰した。
3 ヨナタンは、ゲバにいたペリシテ人の守備隊長を打ち殺した。サウルの方は国中に角笛を吹き鳴らした。ペリシテ人たちは、だれかが「ヘブル人に思い知らせてやろう」と言うのを聞いた。
4 全イスラエルは、「サウルがペリシテ人の守備隊長を打ち殺し、しかも、イスラエルがペリシテ人の恨みを買った」ということを聞いた。兵はギルガルでサウルのもとに呼び集められた。
5 ペリシテ人はイスラエル人と戦うために集まった。戦車三万、騎兵六千、それに海辺の砂のように數多くの兵たちであった。彼らは上って来て、ベテ・アベンの東、ミクマスに陣を敷いた。
6 イスラエルの人々は、自分たちが危険なのを見てとった。兵たちがひどく追いつめられていたからである。兵たちは洞穴や、奥まったところ、岩間、地下室、水溜めの中に隠れた。
7 あるヘブル人たちはヨルダン川を渡って、ガドの地、すなわちギルアデに行った。しかしサウルはなおギルガルにとどまり、兵たちはみな震えながら彼に従っていた。
8 サウルは、サムエルがいることになっている例祭まで、七日間待ったが、サムエルはギルガルに来なかった。それで、兵たちはサウルから離れて散って行こうとした。
9 サウルは、「全焼のささげ物と交わりのいけにえを私のところに持って来なさい」と言った。そして全焼のささげ物を献げた。
10 彼が全焼のささげ物を献げ終えたとき、なんと、サムエルが来た。サウルは迎えに出て、彼にあいさつした。
11 サムエルは言った。「あなたは、何ということをしたのか。」サウルは答えた。「兵たちが私から離れて散って行こうとしていて、また、ペリシテ人がミクマスに集まっていたのに、あなたが毎年の例祭に来ていないのを見たからです。

12
今、ペリシテ人がギルガルにいる私に向かって下って来ようとしているのに、まだ私は主に嘆願していないと考え、あえて、全焼のささげ物を献げたのです。」
13 サムエルはサウルに言った。「愚かなことをしたものだ。あなたは、あなたの神、主が命じた命令を守らなかった。主は今、イスラエルにあなたの王国を永遠に確立されたであろうに。
14 しかし、今や、あなたの王国は立たない。主はご自分の心にかなう人を求め、主はその人をご自分の民の君主に任命しておられる。主があなたに命じられたことを、あなたが守らなかったからだ。」
15 サムエルは立って、ギルガルからベニヤミンのギブアへ上って行った。サウルが彼とともにいた兵を数えると、おおよそ六百人であった

【神谷師による説教の要約】
 サウル王と一緒にいた兵士たちがペリシテ人を見て恐れたのは、兵を率いるサウル自身が、敵の大軍を前に、共に戦われる神さまが助けてくださると信じていなかったことにある。
 サウル王が祭司であるサムエルに代わっていけにえをささげた後「主が命じられた命令を守らなかった」としかられているのは、それが神を信じて求めるためではなく、周りの兵士が離れないためのポーズとして、そのことをしたからである。
 サウルに代わってペリシテへの勝利をもたらした息子ヨナタンのように「多くの人によっても、少しの人によっても、主がお救いになるのを妨げるものは何もない」という心を持つために必要なのは、弱い自分を人に対して大きく見せようとするのでなく、より小さくなって神に祈ることである。

 

―ブログ管理人のひとりごとー
 きのう心に通っていた聖書のことばです。「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。」ヨハネ第一の手紙1:9
 このことばに心からうなずき、このことばに歩もうと最初はもがき苦しむこともあるのだけれども、神の存在への信頼が熟成しだすと、自らが気負わずとも知らず知らずのうちに楽にこの真理の内に生かされている自分に気がつくようになった。
 ぽつぽつと思いつくままに記せば、今まわりに、いまどきの若い者たちは、と眉間にしわを寄せることがない。むしろいろいろな出来事を通して、ああ、そうだったかとその率直さのうちにあるさまざまな思い、葛藤に頷き、よき解決を図り或いは好転を模索しているといったすがたを見る。そして逆に年齢に伴って弱くなっていく私が、結果的に大いに励まされ、自分を引き上げられたことであった。

 きのうの昼は孫たちがばあばの〝ラーメン店〟に来訪。「ラーメンが食べたい」という孫に「いつでも作るからどうぞ」と来るか来るかと待っていたところがきのうやっと。ニンニクのすりおろしと刻みネギに鶏ガラスープを注ぎ、ほうれん草のおひたし、チャーシュー、メンマをのせたシンプルなラーメンの登場。最近になって、これまでになく料理を楽しんでいる。 


 

インマヌエル秋田キリスト教会  https://localplace.jp/t100303888/
インマヌエル盛岡キリスト教会 https://sites.google.com/view/igm-morioka/

⏰7時3分更新

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