きょうのことば『王位から退け~王を見出し』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師 神谷光一師の説教ー
このブログは、日曜日ごとに、一週間遅れて説教を掲載しております。
2025年3月9 日(日)
説教題 『王位から退け~王を見出し』(←クリック)
聖書朗読 サムエル記 第一 16章1~13節
1 主はサムエルに言われた。「いつまであなたはサウルのことで悲しんでいるのか。わたしは彼をイスラエルの王位から退けている。角に油を満たせ。さあ、わたしはあなたをベツレヘム人エッサイのところに遣わす。彼の息子たちの中に、わたしのために王を見出したから。」
2 サムエルは言った。「どうして私が行けるでしょうか。サウルが聞いたら、私を殺すでしょう。」主は言われた。「一頭の雌の子牛を手にし、「主にいけにえを献さげるために来ました」と言い、
3 エッサイを祝宴に招け。わたしが、あなたのなすべきことを教えよう。あなたはわたしのために、わたしが言う人に油をそそげ。」
4 サムエルは主がお告げになったとおりにして、ベツレヘムにやってきた。町の長老たちは身震いしながら彼を迎えて言った。「平和なことでおいでになったのですか。」
5 サムエルは言った。「平和なことです。主にいけにえを献げるために来ました。身を聖別して、一緒に祝宴に来てください。」そして、サムエルはエッサイとその息子たちを聖別し、彼らを祝宴に招いた。
6 彼らが来たとき、サムエルはエリアブを見て、「きっと、主の前にいるこの者が、主に油を注がれる者だ」と思った。
7主はサムエルに言われた。「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」
8 エッサイはアビナダブを呼んで、サムエルの前に進ませた。サムエルは「この者も主は選んでおられない」と言った。
9 エッサイはシャンマを進ませたが、サムエルは「この者も主は選んでおられない」と言った。
10 エッサイは七人の息子をサムエルの前に進ませたが、サムエルはエッサイに言った。「主はこの者たちを選んでおられない。」
11 サムエルはエッサイに言った。「子どもたちはこれで全部ですか。」エッサイは言った。「まだ末の子が残っています。今、羊の番をしています。」サムエルはエッサイに言った。「人を遣わして、連れて来なさい。その子が来るまで、私たちはここを離れないから。」
12 エッサイは人を遣わして、彼を連れて来させた。彼は血色が良く、目が美しく、姿も立派だった。主は言われた。「さあ、彼に油をそそげ。この者がその人だ。」
13 サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真ん中で彼に油を注いだ。主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。サムエルは立ち上がってラマへ帰って行った。
【神谷師による説教の要約】
預言者サムエルがエッサイの息子たちを見た時、神から「わたしは彼を退けている」と言われたのは、ダビデの兄たちの心もまた、すでに王位を退けられたサウル王と同じようなものだったからである。
また、神が「人はうわべを見るが、主は心を見る。」と言われた時、末息子のダビデの心にあったのは、その人生の終わりに「すべてはあなた(神)から出たのであり、私たちは御手から出たものをあなたに献げたにすぎません」と語った心であり、それこそ神が求めておられた心であった。
神が選ばれるダビデのような心を持つのは「我こそは」と、自分を前に出そうとする人ではなく、自分は神に選ばれる資格(そう思える理由)がないと感じている人である。
―ブログ管理人のひとりごとー
何を書こうかと頭の中でこね回していると、いよいよ文字には化けにくくなるようだ。率直である事がいちばん。
住まいとしているこの建物の高さすれすれに白鳥の隊列が通過していったあの鳴き声が今よみがえっている。脱落することがないよう、力尽き敢え無く藻屑と消えることがないように、飛んで飛んで飛んで目的の地に着地し羽をやすめてほしい。
過ぐる一週間も忙しかった。こうして動けるうちが花か端か洟かはわからないが、忙しい中にも森のイスキア、おにぎり付きラーメンを孫たちに提供、買い物難民と自称しておられる方とともに未来の買い物難民である私が買い物に。脳裏に健康寿命を測りつつ、それでも一応役目を果たせたのは幸いだった。神に感謝。
先ほど主人がここに現れて、「これよりも、あのことをやった方がいい」と。このブログ更新よりも懸案の原稿書きを進めた方がいいとのたもうた。懸案の原稿は、字数を確かめると、単語数107,788、文字数111,308。道のそちこちにずいぶん記憶の断片を落っことしてきてしまい、記憶の引き出しにはもはや何もなくなりかけているだろうと思っていたところが、単語も今現在10万以上はのこっていたらしい。この最後の仕事となるかもしれないキーたたき。これは成り行きから神のご配慮があると日増しにその感を深くしている。あとは自分が健康でいられるかどうか、残された時間の配分をうまくできるかどうかにかかっているようだ。
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