きょうのことば『この戦いは主の戦いだ』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師 神谷光一師の説教ー
このブログは、日曜日ごとに、一週間遅れて説教を掲載しております。
2025年3月23 日(日)
説教題 『自分を愛するほどにダビデを愛し』
聖書朗読 サムエル記 第一 20章5~17節(←クリック)
5 ダビデはヨナタンに言った。「明日はちょうど新月祭で、私は王と一緒に食事の席に着かなければなりません。でも、私を行かせて、三日目の夕方まで、野に隠れさせてください。
6 もし、父上が私のことをとがめたら、おっしゃってください。「ダビデは自分の町ベツレヘムへ急いで行きたいと、しきりに頼みました。あそこで彼の氏族全体のために、年ごとのいけにえを献げることになっているからです」と。
7 もし父上が「よし」とおっしゃれば、あなたのしもべは安全です。もし激しくお怒りになれば、私に害を加える決心をしておられると思ってください。
8 どうか、このしもべに真実を尽くしてください。主に誓って、しもべと契約を結んでくださったのですから。もし私に咎があれば、あなたが私を殺してください。どうして父上のところにまで、私を連れ出す必要があるでしょうか。」
9 ヨナタンは言った。「とんでもないことです。父があなたに害を加える決心をしていることが確かに分かったら、あなたに知らせないでおくはずはありません。」
10 ダビデはヨナタンに言った。「もし父上が厳しい返事をなさったら、だれが私に知らせてくださいますか。」
11 ヨナタンはダビデに言った。「野原に出ましょう。」それで、二人は野に出た。
12 ヨナタンはダビデに言った。「イスラエルの神、主にかけて誓います。明日かあさっての今ごろまでに、父がダビデに対して寛大であるかを探ってみます。寛大でなければ、必ず人を遣わして、あなたの耳に入れます。
13 もし父が、あなたに害を加えようと思っているのに、それをあなたの耳に入れず、あなたを無事に逃がさなかったなら、主がこのヨナタンを幾重にも罰せられますように。主が父とともにおられたように、あなたとともにおられますように。
14 もし私がこれ以上生きるべきではないのなら、あなたは、主の恵みを私に施して、私が死ぬことのないようにする必要はありません。
15しかし、 あなたの恵みを私の家からとこしえに断たないでください。主がダビデの敵を地の面からひとり残らず断たれるときにも。」
16 ヨナタンはダビデの家と契約を結んだ。「主がダビデの敵に血の責めを問われますように。」
17 ヨナタンは、ダビデに対する愛のゆえに、もう一度ダビデに誓わせた。ヨナタンは、自分を愛するほどにダビデを愛していたからである。
【神谷師による説教の要約】
ペリシテの兵士ゴリアテを倒したダビデのことを、王子であるヨナタンが愛したのは、かつて神に信頼して敵と戦った自分と相通じるものをダビデのうちに見出したからである。
また、主にある勝利をもたらしたことで、父サウルに妬まれ、命を狙われているダビデに向かって、ヨナタンが「もし私がこれ以上生きるべきではないのなら~私が死ぬことのないようにする必要はありません」と語ったのは、本当に王となるべきはサウルの子である自分ではなく、ダビデの方であると見通していたからといえる。
ヨナタンはダビデを自分自身のように愛したことで、父サウルのもとからダビデを逃がし、自分ではなくダビデが王となるために力を尽くした。それは同時に父と共にサウルの家に属する自分たちこそが失われゆくのを知ってのものであった。
私たちを通して次のひとりが生かされてゆくために、これまで受けてきた愛を注ぐ者でありたい。
―ブログ管理人のひとりごとー
14節のヨナタンのことばには心揺さぶられる。ヨナタンは親友のダビデに、自分を見捨てていいのだと言っているのだ。父が王である限り自分は王子として、あわよくば次の王として君臨できるのだとそれにしがみつく思惑は微塵もない。このような場合、親友ならばわが一族のために何とかしてくれと土下座し泣きつくこともあり得るところ、ヨナタンはまことに潔い。ヨナタンは、ダビデこそが自分の父に優る王となることを得心し、あるいはこの若さでイスラエル民族に繁栄をもたらすことのできる者こそが王座につくべきであり、それがダビデであることを霊的にも納得していたのだろう。大義の為に自らを捨てる、死にゆくともの覚悟で自らを処するこのすがたに落涙。
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⏰5時32分更新
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