きょうのことば『神の国はこのような者たちのもの』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師 神谷光一師の説教ー
このブログは、日曜日ごとに、一週間遅れて説教を掲載しております。
2025年1月19 日(日)
説教題 『神の国はこのような者たちのもの』(←クリック)
聖書朗読 マルコの福音書 第10章13~16節
13 さて、イエスに触れていただこうと、人々が子どもたちを連れて来た。ところが、弟子たちは彼らを叱った。
14 イエスはそれを見て、憤って弟子たちに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。
15 まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」
16 そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。
【神谷師による説教の要約】
人々が子どもたちをキリストのもとに連れて来た時、弟子たちがその人たちを叱ったのは、彼らが子どものことを軽く見ていたからである。
それは、弟子たちがお互いの間で「だれが一番偉いか」と言い争う心がもたらしたものであり、その姿と子どもの違いは、お互いを比べる中で自分たちを見る弟子たちに対し、子どもは父なる神さまに愛されている存在として自分を見ていることである。
子どものように神の国を受け入れるとは、神に愛されている者としてこの世界に及んでいる神の支配を認め、信じ、受け入れて生きる態度といえる。聖書が語る謙遜とは、そのような態度から生まれてくるのである。
―ブログ管理人のひとりごとー
このブログには日曜日の礼拝説教を復習のように書かせていただいておりますけれども、実はYouTubeにはここに掲載していない神谷師の祈祷会説教も出ております。自分のクリスチャンとしての在りようを指摘されることしばしば。1月23日の説教、聖書がかたるところの「赦し」が扱われていたわけですが、強烈なライトでゆっくりと心の中を照らし出されてしまいました。人を赦す、対面上だけではなく心から人を赦すのはほんとうに難しい。単なる批判というのではなく、憎しみから故意に自分を貶める存在を赦すのは尚更難しい。しかしイエスさまはご自分を辱め、むち打ち、十字架につけた人々のために祈られた「父よ、彼らをお赦しください」。ここに思いが到った。ここに到らなければ、心の平和はあり得ない。そう思った。
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⏰6時55分更新
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