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きょうのことば『わたしは背負う』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師  神谷光一師の説教ー

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このブログは、日曜日ごとに、一週間遅れて説教を掲載しておりますので、ここでは1229日の年末感謝礼拝説教をおつなぎいたします。
2024
年12月29 日(日)
説教題 『わたしは背負う』(←クリック)
聖書朗読 
イザヤ書46章1~4節

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1 「ベルはひざまずき、ネボはかがむ。彼らの偶像は獣と家畜に載せられる。あなたがたの荷物は、疲れた動物の重荷となって運ばれる。
2 彼はともにかがみ、ひざまずく。重荷を解くこともできず、自分自身も捕らわれの身となって行く。
3 ヤコブの家よ、わたしに聞け。イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいたときから担がれ、生まれる前から運ばれた者よ。
4 あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。

 

【神谷師による説教の要約】
 ここで言うネボとかベルというバビロンの神々が運ばれることは、それらが人を救うことのできない偶像にすぎないということである。
 また、バビロンの戦いで敗れて奴隷となった人々は、自分たちはもうおしまいだと思っていたが、神はその彼らが、実は生まれる前から、年を取って白髪になっても背負われ、運ばれているということを示す。
 
彼らを奴隷として支配し、偶像を拝んでいたバビロンが滅び、神に運ばれていたイスラエルの民が再び生まれた国に帰ることができた歴史は、今の私たちにとって、現代の偶像である貪欲(もっと、もっと、という思い)に支配されるのではなく、それらを足の下に踏んで歩かれるキリストに手を握られ、背負われていることを感謝して生きることである。

 

―ブログ管理人のひとりごとー
 ことしのお正月、元旦礼拝はズームで。元旦は家族が集合。昨日まで一歩も外に出ずに過ごした。貸していただいた聖書関連図書、いただいた俳句集、詩集などを読んで過ごす。やり残したことなどが過り胸のあたりがチクリとするのだが、神さまに思いを寄せると「恵みの高嶺を」という讃美歌が心の内に流れ、棘が解かされていった。このようにして老いるとも、神はまるで「何も心配はするな」と言い聞かせでもするように彼の地まで私を背負い運んでくださる、そう思われた。

1、恵みの高嶺(たかね)を
日毎に慕いて
祈りを励みて
我は登りゆかん
    
光と喜び
愛とに満ちたる
恵みの高嶺に
登らしめたまえ

2、疑い恐れの
谷間をうしろに
高嶺を目当てに
我は登りゆかん

光と喜び
愛とに満ちたる
恵みの高嶺に
登らしめたまえ

3、狭霧(さぎり)の
彼方(かなた)は
輝く青空
浮き世を離れて
我は登り行かん

光と喜び
愛とに満ちたる
恵みの高嶺に
登らしめたまえ

4、険しき山坂
疲れもものかは
ハレルヤ歌いて
我は登りゆかん

光と喜び
愛とに満ちたる
恵みの高嶺に
登らしめたまえ




 

インマヌエル秋田キリスト教会  https://localplace.jp/t100303888/
インマヌエル盛岡キリスト教会 https://sites.google.com/view/igm-morioka/

 

※このページの更新を終え、カーテンを開けたところ、強烈な朝の光がまさに出でんと。すばらしいのでこの瞬間を追加しておきました。

6時58分更新

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