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きょうのことば『あなたの信仰が~救った』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師  神谷光一師の説教ー

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このブログは、日曜日ごとに、一週間遅れて説教を掲載しております。
2025
年1月12 日(日)
説教題 『あなたの信仰が~救った』(←クリック)
聖書朗読 
ルカの福音書 第17章1~19節

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1 イエスは弟子たちに言われた。「つまずきが起こるのは避けられませんが、つまずきをもたらす者はわざわいです。
2 その者にとっては、これらの小さい者たちの一人をつまずかせるより、ひき臼を首に結び付けられて、海に投げ込まれるほうがましです。
3 あなたがたは、自分自身に気をつけなさい。兄弟が罪を犯したなら、戒めなさい。そして悔い改めるなら、赦しなさい。
4一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回あなたのところに来て『悔い改めます』と言うなら、赦しなさい。」
5 使徒たちは主に言った。「私たちの信仰を増し加えてください。」
6 すると主は言われた。「もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があれば、この桑の木に『根元から抜かれて、海の中に植われ』と言うなら、あなたがたに従います。
7 あなたがたのだれかのところに、畑を耕すか羊を飼うしもべがいて、そのしもべが野から帰って来たら、『さあ、こちらに来て、食事をしなさい』と言うでしょうか。
8 むしろ、『私の食事の用意をし、私が食べたり飲んだりする間、帯を締めて給仕しなさい。おまえはその後で食べたり飲んだりしなさい』と言うのではないでしょうか。
9 しもべが言いつけられたことをしたからといって、主人はそのしもべに感謝するでしょうか。
10同じように あなたがたも、自分に命じられたことをすべて行ったら、、『私たちは取るに足りない。なすべきことをしただけです』と言いなさい。」
11 さて、イエスはエルサレムに向かう途中、サマリヤとガリラヤの境を通られた。
12 ある村に入ると、ツァラアトに冒された十人の人がイエスを出迎えた。彼らは遠く離れた所に立ち、
13 声を張り上げて、「イエスさま、先生、私たちをあわれんでください」と言った。
14 イエスはこれを見て彼らに言われた。「行って、自分のからだを祭司に見せなさい。」すると彼らは行く途中できよめられた。
15 そのうちの一人は、自分が癒されたことが分かると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、
16 イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリア人であった。
17 すると、イエスは言われた。「十人きよめられたのではなかったか。九人はどこにいるのか。
18この他国人のほかに、 神をあがめるために戻って来た者はいなかったのか。」
19 それからイエスはその人に言われた。「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」

【神谷師による説教の要約】
 普段は付き合いのないガリラヤのユダヤ人とサマリア人が一緒になって病の癒しをキリストに叫ぶことができたのは、どちらも病気のために、その社会から外れた中にあったからである。
 また、癒されたことに気づいて戻ってきたのがサマリア人一人だったのは、他のユダヤ人たちはこれからの生活を考えて、彼らの共同体の中で力を持つパリサイ人達が拒むキリストとの関係を明らかにしたくなかったからといえる。
 キリストが語った「あなたの信仰があなたを救った」とは、主がすべてを成し遂げてくださるということを信じる選択をしたということであり、それが以後の人生に救い主としてキリストを迎え入れることになったことを意味している。
 誰もがたとえ小さくても、個人的な決断をもって、この救いに与ることができるのである。この信仰にとどまり続けたい。

―ブログ管理人のひとりごとー
 福音関係の多くのblogでは、牧師先生方の福音の仕事内容、どれほど衆目に見えないところで労されているかは書かれておりません。信者のため求道者のためにどれほどの犠牲を払っても、表にはあらわれていない。それは先ず第一にイエスさまご自身を伝えなければならない、イエスさまによって救われる方が一人でもおこされるようにという願いからであるのですが、しかし、わたしはこれに一抹の疑問を持っています。あまりにも残念、そんな気持ちです。阪神・淡路大震災からはや30年。この渦中にあり多くのボランティアが活躍。またその地の宗教関係者の方々もまた並々ならぬ犠牲を払っている。そのときに教会によって救われ、主イエスさまへの信仰告白をした方々も存在したはずが、世の中が収まったときに、果たして何人が変わらずに教会にとどまり続けたか。3・11からははや13年。震災当時、キリスト教関係の支援の拠点となった沿岸のある教会の牧師先生方が、どれほど日々不眠不休で支援に被災地を駆け回っていたか。そして数年後に私がこの教会を訪れたときに、あの時に教会につながったという方が何人いらしたか。私がここで言いたいのは、世話になったにも関わらず、信仰を持ったにも関わらず、それを忘れたかのか、などということではない。多くの方々にはそれ以後にもそれぞれの深刻な事情もあったかと思う。
 大震災時に関わらず、説教ばかりではなく、信者のためにもできる限り労してきている牧師という方々。そのご苦労を先生方がご自分で語らないのは、それらの多くが個人情報であり、いわば職業上の守秘義務からかとも思う。

 それら様々を思い返す今、ここに至って、教会に居続けてよかった! 涙とともにそう思っている。そして、せめて自分が日曜日ごとに聴いている説教をここに掲載させていただくことをもって、そのご労が消えることなく、それどころか信徒を生かし続けていることを衆目にも分かるようにしたいとの思いです。牧者の仕事は消えない。人に知られなくとも、どんな奉仕も主の前には覚えられ、少なくとも私が見知っている牧師先生方には、神さまご自身が「善且つ忠なるしもべ」と語って下さっているに違いありません。
 私のように不出来な信徒にも忍耐と主のご愛をもって導き続けてくださった牧師先生方、そして神さまに感謝をしております。


 

インマヌエル秋田キリスト教会  https://localplace.jp/t100303888/
インマヌエル盛岡キリスト教会 https://sites.google.com/view/igm-morioka/

 

⏰6時半更新

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