きょうのことば『おことばどおり、この身に』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師 神谷光一師の説教ー
今日12月15日は第三アドベントです。
☆ ☆ ☆
このブログは一週間遅れて説教を掲載しておりますので、ここでは12月8日第二アドベントの説教をおつなぎいたします。
2024年12月8 (日)
説教題 『おことばどおり、この身に』(←クリック)
聖書朗読 ルカの福音書 1章26~55節
26 さて、その六か月目に、御使いガブリエルが神から遣わされて、ガリラヤのナザレという町の一人の処女のところに来た。
27 この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリアといった。
28 御使いは入って来ると、マリアに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」
29 しかし、マリアはこのことばにひどく戸惑って、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。
30 すると、御使いは彼女に言った。「恐れることはありません。マリア。あなたは神から恵みを受けたのです。
31 見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。
32 その子は大いなる者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また神である主は、彼にその父ダビデの王位をお与えになります。
33 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その支配に終わりはありません。」
34 マリアは御使いに言った。「どうしてそのようなことが起こるのでしょう。私は男の人を知りませんのに。」
35 御使いは彼女に答えた。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。
36 見なさい。あなたの親類のエリサベツ、あの人もあの年になって男の子を宿しています。不妊といわれていた人なのに、今はもう六か月です。
37 神にとって不可能なことは何もありません。」
38 マリアは言った。「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」すると、御使いは彼女から去って行った。
39 それから、マリアは立って、山地にあるユダの町に急いで行った。
40 そしてザカリヤの家に行って、エリサベツにあいさつした。
41 エリサベツがマリアのあいさつを聞いたとき、子が胎内で躍り、エリサベツは聖霊に満たされた。
42 そして大声で叫んだ。「あなたは女の中で最も祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。
43 私の主の母が私のところに来られるとは、どうしたことでしょう。
44あなたのあいさつの声が私の耳に入った、ちょうどそのとき、私の胎内で子どもが喜んで躍りました。
45 主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです。」
46 マリアは言った。「私のたましいは主をあがめ、
47私の霊は私の救い主である神をたたえます。
48 この卑しいはしために目を留めてくださったからです。ご覧ください。今から後、どの時代の人々も私を幸いな者と呼ぶでしょう。
49 力ある方が、私に大きなことをしてくださったからです。その御名は聖なるもの、
50主のあわれみは、代々にわたって主を恐れる者に及びます。
51 主はその御腕で力強いわざを行い、心の思いの高ぶる者を追い散らされました。
52 権力ある者を王位から引き降ろし、低い者を高く引き上げられました。
53 飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせずに追い返されました。
54 主はあわれみを忘れずに、そのしもべイスラエルを助けてくださいました。
55 私たちの父祖たちに語られたとおり、アブラハムとその子孫に対するあわれみをいつまでも忘れずに。」
【神谷師による説教の要約】
マリアが御使いに応えて「おことばどおりこの身になりますように」と語った時、婚約者のヨセフや周りの人から結婚の誓いを破ったと見られ、命の危険をもたらすことを覚悟していた。
マリアやエリサベツのように、女性の懐妊が「天からの授かりもの」と呼ばれるように、私たちのいのちや人生も、人は自分の意志で生まれてくる条件を選ぶことができない、という意味で同じだといえる。
マリアの懐妊を聞いたヨセフにとって、このことは二人の結婚にとって、問題としか見えなかったが、そのマリアを受け入れることができたのは、その胎に宿るいのちが聖霊によるものであるという、夢を通して語られた、御使いのことばを信じたからである。
私たちにとって、問題と見えることが、神の偉大な計画の中にあると頷くとき、別の視点からそれらを見、受け入れることが可能となる。
―ブログ管理人のひとりごとー
「神のみおもいを語る」、人のおもいではなく神のみおもいを語る。このメッセージから、このことを自らのうちに更新。自分が自分のために自分のおもいを語る、その結果は語った一時は自己満足もあるが、時間の経過によって流れ思わぬところに帰結する場合がままある。神を戴く者の責任あるありように欠けていた時期もあったが、もはやそのありようは私の場合は赦されない段階にあると今を捉えている。たとえそのときは辛く思われても、神が自分に望んでおられることの方を察知して歩むこと。このような歩み方を心がけるなら、よし失敗したとしてもイエスさまの十字架を仰ぐことは赦される、そこには神の赦しがあると信じられる。
さまざまなクリスマスが祝われている。昨日、「盛岡市民クリスマス」のコンサートに参加。心からイエス様のご降誕を祝い、今困難な状況下にある方々に思いを寄せ、イエス様のみおもいを具現したいとの思いが感じ取れたコンサートだった。夏から練習しておられたという。
22日には全世界でクリスマス礼拝が行われる。インマヌエル盛岡キリスト教会、50年前に國光勝美牧師・ひろ子牧師によって盛岡に開拓されたこの教会でも、全世界のご降誕を祝う方々とともに礼拝を捧げる。当日は、現在盛岡教会を導いてくださっている秋田教会の神谷光一牧師が説教を、神谷美津子先生がオルガンを弾いてくださる。盛岡ではわが教会のマエストロT姉がパート楽譜を作成し、演奏を指導。M夫妻、K夫妻、そして教会有志の方々のトーンチャイム演奏があります。今あの澄んだ心休まる音色がよみがえっています。
ノートルダム大聖堂のような壮麗な建物とは比べ物にならないほどの小さな教会。しかし「二人か三人がわたしの名において集まっているところには、私もその中にいるのです。」 (マタイによる福音書18章20節 )とイエス様が仰っています。
インマヌエル秋田キリスト教会 https://localplace.jp/t100303888/
インマヌエル盛岡キリスト教会 https://sites.google.com/view/igm-morioka/
⏰6時33分更新
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