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2024年12月

きょうのことば『あなたがたのために救い主が』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師  神谷光一師の説教ー

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このブログは一週間遅れて説教を掲載しておりますので、ここでは12月22日第四アドベントの説教をおつなぎいたします。
2024年12月22 (日)
説教題 『あなたがたのために救い主が』(←クリック)
聖書朗読 
ルカの福音書 2章8~20節

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8 さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。
9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。
11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
12 あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」
13 すると突然、その御使いと一緒おびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。
4 「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」
15 御使いたちが彼らから離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは話し合った。「さあ、ベツレヘムまで行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見届けて来よう。」
16 そして急いで行って、マリアとヨセフと、飼葉桶に寝ているみどりごを捜し当てた。
17 それを目にして羊飼いたちは、この幼子について自分たちに告げられたことを知らせた。
18 聞いた人たちはみな、羊飼いたちが話したことに驚いた。
19 しかしマリアは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。
20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

 

【神谷師による説教の要約】
  羊飼いたちは、生まれた救い主が飼葉桶に寝かされていると聞いたとき、この方がまさに自分たちの所に来られたと思った。
その知らせと共に現れた天の軍勢(天使たち)の賛美を聞いて、羊飼いたちはこれを確かめるためにベツレヘムへ向かい、救い主にお会いすると、神さまへ感謝し、賛美しながら帰って行った。
 それは、普段は人から顧みられることのない彼らの働きを神はご覧になり、大切に思っておられることの表れであり、以後、彼らはそれを頷いて働きに就いたといえる。
 私たちの隠れた労苦を見ておられるお方の御前で、喜びと真実を以って歩みたい。

―ブログ管理人のひとりごとー
 クリスマス行事も終わり、29日のきょうは、はや年末感謝礼拝。それにしても、ことしのクリスマスはイエスさまのご降誕がこれまでになくリアルに神さまから提示されたこと。去年まで参加していたトーンチャイム、ことし、参加は見送り聴く側に回ったけれども、これがまた神さまからの祝福であったと思う。
 このブログの更新も、高齢でもあり果たしていつまでできるかなと危ぶんでもいる。これは自分の生存証明のようなもの、と言ったこともありました。ある日起き上がって、この更新をすっかり忘れて別なことをしている時が来るかもしれないなとも思います。指がガクガクしてキーが打てなくなったり、写真の取り込み方が分らなくなっていることもあるかもしれない。しかし感謝です。少なくとも2024年も毎週更新させていただきました。まさしく、いただきました、なのです。神さまの御赦しあれば、神さまが、はい、ここまでね、と私の手足をご支配のうちに休ませてくださる日が来るまでは。きょうはきょうの感謝があり、その日にはその日の感謝があるはずです。

 

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インマヌエル盛岡キリスト教会 https://sites.google.com/view/igm-morioka/

⏰6時54分更新


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インマヌエル盛岡キリスト教会の12月22日19時からのキャンドルサービスは中止となりました。

  既にご案内いたしました12月22日19時からのキャンドルサービスは中止となりました。

⏰18時19分更新


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きょうのことば『マリアは月が満ちて』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師  神谷光一師の説教ー

 

クリスマスおめでとうございます!


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                                                                     今日1222日は第四アドベントです。

 

☆  ☆  ☆  

 

 

このブログは一週間遅れて説教を掲載しておりますので、ここでは1215日第三アドベントの説教をおつなぎいたします。第四アドベント、クリスマスメッセージは来週となります。 

2024
年12月15 (日)
説教題 『マリアは月が満ちて』
聖書朗読 
ルカの福音書 2章1~13節

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1 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。
2 これは、キリニウスがシリアの総督であったときの、最初の住民登録であった。
3 人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰って行った。
4 ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋でもあったので、ガリラヤの町ナザレからユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
5 身重になっていた、いいなずけの妻マリアとともに登録するためであった。
6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、
7 男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
8 さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。
9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。
11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」
13 すると突然、その御使いと一緒におびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。

-神谷師による説教の要約-
 キリストが処女マリアのお腹から「月が満ちて」生まれたことは、一面、すべての人と同じく普通に生まれたということである。それはその後のキリストが歩んだ地上の人生が、すばらしい奇蹟を行う神のひとり子であると同時に、ごく普通の人であったということを示している。
 また、飼葉桶にキリストが生まれたことが、羊飼いたちにとって彼らの日常に来られた救い主であったように、今の私たちにとって、キリストが私たちのうちにあることは、私たちに関わる毎日のことを通して、周囲の人々にみこころを行うために働いてくださるということである。
 クリスマスに与えられた祝福を今にもたらすお互いであることを覚えたい。



―ブログ管理人のひとりごとー
 日曜日ごとに「主の祈り」とともに告白している「使徒信条」。「天地の造り主、全能の神」、「主は聖霊によりてやどり」、「三日目に死人の内よりよみがえり」、「聖霊」のご存在。ふつうでは凡そ信じられないこれらのこと、これら奇蹟中の奇蹟を私は信じている。そしてこのことにより、本来なら「悪をコントロールすることができない」自分が、抜き差しならない事態から守られ乗り越えさせていただいてきている。凡そ信じがたいこれらのことを信じることによって。

使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ、

ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、

死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人の内よりよみがえり、

天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこよりきたりて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、

からだのよみがえり、とこしえの命を信ず。

アーメン


 

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⏰6時57分更新

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きょうのことば『おことばどおり、この身に』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師  神谷光一師の説教ー

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                        今日1215日は第三アドベントです。

 

                  ☆  ☆  ☆

このブログは一週間遅れて説教を掲載しておりますので、ここでは128日第二アドベントの説教をおつなぎいたします。 

2024
年12月8 (日)
説教題 『おことばどおり、この身に』(←クリック)
聖書朗読 
ルカの福音書 1章26~55節

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26 さて、その六か月目に、御使いガブリエルが神から遣わされて、ガリラヤのナザレという町の一人の処女のところに来た。
27 この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリアといった。
28 御使いは入って来ると、マリアに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」
29 しかし、マリアはこのことばにひどく戸惑って、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。
30 すると、御使いは彼女に言った。「恐れることはありません。マリア。あなたは神から恵みを受けたのです。
31 見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。
32 その子は大いなる者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また神である主は、彼にその父ダビデの王位をお与えになります。
33 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その支配に終わりはありません。」
34 マリアは御使いに言った。「どうしてそのようなことが起こるのでしょう。私は男の人を知りませんのに。」
35 御使いは彼女に答えた。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。
36 見なさい。あなたの親類のエリサベツ、あの人もあの年になって男の子を宿しています。不妊といわれていた人なのに、今はもう六か月です。
37 神にとって不可能なことは何もありません。」
38 マリアは言った。「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」すると、御使いは彼女から去って行った。
39 それから、マリアは立って、山地にあるユダの町に急いで行った。
40 そしてザカリヤの家に行って、エリサベツにあいさつした。

41
エリサベツがマリアのあいさつを聞いたとき、子が胎内で躍り、エリサベツは聖霊に満たされた。
42 そして大声で叫んだ。「あなたは女の中で最も祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。
43 私の主の母が私のところに来られるとは、どうしたことでしょう。
44あなたのあいさつの声が私の耳に入った、ちょうどそのとき、私の胎内で子どもが喜んで躍りました。
45 主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです。」
46 マリアは言った。「私のたましいは主をあがめ、
47私の霊は私の救い主である神をたたえます。
48 この卑しいはしために目を留めてくださったからです。ご覧ください。今から後、どの時代の人々も私を幸いな者と呼ぶでしょう。
49 力ある方が、私に大きなことをしてくださったからです。その御名は聖なるもの、
50主のあわれみは、代々にわたって主を恐れる者に及びます。
51 主はその御腕で力強いわざを行い、心の思いの高ぶる者を追い散らされました。
52 権力ある者を王位から引き降ろし、低い者を高く引き上げられました。
53 飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせずに追い返されました。
54 主はあわれみを忘れずに、そのしもべイスラエルを助けてくださいました。
55 私たちの父祖たちに語られたとおり、アブラハムとその子孫に対するあわれみをいつまでも忘れずに。」

【神谷師による説教の要約】
 マリアが御使いに応えて「おことばどおりこの身になりますように」と語った時、婚約者のヨセフや周りの人から結婚の誓いを破ったと見られ、命の危険をもたらすことを覚悟していた。
 マリアやエリサベツのように、女性の懐妊が「天からの授かりもの」と呼ばれるように、私たちのいのちや人生も、人は自分の意志で生まれてくる条件を選ぶことができない、という意味で同じだといえる。
 マリアの懐妊を聞いたヨセフにとって、このことは二人の結婚にとって、問題としか見えなかったが、そのマリアを受け入れることができたのは、その胎に宿るいのちが聖霊によるものであるという、夢を通して語られた、御使いのことばを信じたからである。
 私たちにとって、問題と見えることが、神の偉大な計画の中にあると頷くとき、別の視点からそれらを見、受け入れることが可能となる。

―ブログ管理人のひとりごとー
 「神のみおもいを語る」、人のおもいではなく神のみおもいを語る。このメッセージから、このことを自らのうちに更新。自分が自分のために自分のおもいを語る、その結果は語った一時は自己満足もあるが、時間の経過によって流れ思わぬところに帰結する場合がままある。神を戴く者の責任あるありように欠けていた時期もあったが、もはやそのありようは私の場合は赦されない段階にあると今を捉えている。たとえそのときは辛く思われても、神が自分に望んでおられることの方を察知して歩むこと。このような歩み方を心がけるなら、よし失敗したとしてもイエスさまの十字架を仰ぐことは赦される、そこには神の赦しがあると信じられる。
 さまざまなクリスマスが祝われている。昨日、「盛岡市民クリスマス」のコンサートに参加。心からイエス様のご降誕を祝い、今困難な状況下にある方々に思いを寄せ、イエス様のみおもいを具現したいとの思いが感じ取れたコンサートだった。夏から練習しておられたという。
 22日には全世界でクリスマス礼拝が行われる。インマヌエル盛岡キリスト教会、50年前に國光勝美牧師・ひろ子牧師によって盛岡に開拓されたこの教会でも、全世界のご降誕を祝う方々とともに礼拝を捧げる。当日は、現在盛岡教会を導いてくださっている秋田教会の神谷光一牧師が説教を、神谷美津子先生がオルガンを弾いてくださる。盛岡ではわが教会のマエストロT姉がパート楽譜を作成し、演奏を指導。M夫妻、K夫妻、そして教会有志の方々のトーンチャイム演奏があります。今あの澄んだ心休まる音色がよみがえっています。
 ノートルダム大聖堂のような壮麗な建物とは比べ物にならないほどの小さな教会。しかし「二人か三人がわたしの名において集まっているところは、私もその中にいるのです。」 (マタイによる福音書18章20節 )とイエス様が仰っています。

 

 

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⏰6時33分更新

 

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きょうのことば『聖なる契約を覚え』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師  神谷光一師の説教ー

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                       今日128日は第二アドベントです。

 

      ☆  ☆  ☆

 

このブログは一週間遅れて説教を掲載しておりますので、ここでは121日第一アドベントの説教をおつなぎいたします。 

2024
年12月1 (日)
説教題 『聖なる契約を覚え』(←クリック)
聖書朗読 
ルカの福音書 1章57~80節

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57 さて、月が満ちて、エリサベツは男の子を産んだ。
58 近所の人たちや親族は、主がエリサベツに大きなあわれみをかけてくださったことを聞いて、彼女とともに喜んだ。
59八日目になり、人々は幼子に割礼を施すためにやって来た。彼らは幼子を父の名にちなんでザカリヤと名づけようとしたが、
60 母親は「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。
61 彼らは彼女に、「あなたの親族には、そのような名の人は一人もいません」と言った。
62 そして、幼子にどういう名をつけるつもりか、身振りで父親に尋ねた。
63 すると彼は書き板を持って来させて、「彼の名はヨハネ」と書いたので、人々はみな驚いた。
64 すると、ただちにザカリヤの口が開かれ、舌が解かれ、ものが言えるようになって神をほめたたえた。
65 近所に住む人たちはみな恐れを抱いたそして、これらのことの一部始終が、ユダヤの山地全体に語り伝えられていった。
66 聞いた人たちはみな、これらのことを心にとどめ、「いったいこの子は何になるのでしょうか」と言った。主の御手がその子とともにあったからである。

67 さて、父親のザカリヤは、聖霊に満たされて預言した。
68 「ほむべきかな、イスラエルの神、主。主はその御民を顧みて、贖いをなし、
69 救いの角をわたしたちのために、しもべダビデの家に立てられた。
70 古くから、その聖なる預言者たちの口を通して語られたとおりに。
71 この救いは、私たちの敵からの、私たちを憎む者の手からの救いである。
72 主は私たちのの父祖たちにあわれみを施し、ご自分の聖なる契約を覚えておられた。
73 私たちの父アブラハムに誓われた誓いを。
74主は私たちを敵の手から救い出し、恐れなく主に仕えるようにしてくださる。

75私たちのすべての日々において、主の御前で、敬虔に、正しく。
76 幼子よ、あなたこそいと高き方の預言者と呼ばれる。主の御前を先立って行き、その道を備え、
77罪の赦しによる救いについて、 神の民に、知識を与えるからである。
78 これは私たちの神の深いあわれみによる。そのあわれみにより、曙の光が、いと高き所から私たちに訪れ、
79 暗闇と死の陰に住んでいた者たちを照らし、私たちの足を平和の道に導く。」
80 幼子は成長し、その霊は強くなり、イスラエルの民の前に公に現われる日まで荒野にいた。

【神谷師による説教の要約】
 ザカリヤが聖霊に満たされて預言したことは、単に人の考えを述べたのではなく、神がその思いを、ザカリヤを通して表されたのである。
 ここで言う「敵の手からの救い」とは、当時、ザカリヤが暮らしていたユダヤの国を支配するローマ帝国を倒すことではなく、人の心を支配する罪から救われることを意味している。それは、キリストの前に生まれた幼子(バプテスマのヨハネ)が、人々に伝えた「知識」であるキリストによって成し遂げられる。それは、罪の故に神との関わりが理解できず、神との関係が死んだものとなっている私たちに対して「曙(朝日)が暗やみに差し込んでくるように、神が私たちを愛しておられることがはっきり理解されることである。
 私たちを取り巻いている周囲と神との関わりが真昼のように明らかにされる時、同じ環境にいながらこれまでとは違う理解や受け止め方を持つことができる。

 

―ブログ管理人のひとりごとー
 この光が、この暗闇の中に、その暗闇が、底知れず深く、途方もなく広くとも、この光が、たとえ眩しくなくとも、見たところ消えかけているようでも、到底届き得ないかに見えようとも、この光に続く道筋にあるなら、その道がいかに険しく、倒れかけ、転びかけ、見失いそうになるとしても、この一点を信じ、希望を託して、自らを励まし、信じ、安んじて、歩み続けるなら、その先には、すべての難問にこたえ、問いただす先にすべてを納得させる存在に出会うことができるだろう。この光主イエスさまの導きのもとにあれば。

 

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※ポスター制作は盛岡教会会員のS兄です。

7時12分更新

 

 

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きょうのことば『必要なことは一つ』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師  神谷光一師の説教ー

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はや121日、第一アドベント。早くもイエス様のご降誕を待ち望むときとなりました。今日は聖餐式も持たれます。

 

                 ☆  ☆  ☆

 

このブログは一週間遅れて説教を掲載しておりますので、ここでは1124日の説教をおつなぎいたします。 

2024
年11月24 (日)
説教題 『必要なことは一つ』(←クリック)
聖書朗読 
ルカの福音書 10章38~42節
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38 さて、一行が進んで行くうちに、イエスはある村に入られた。すると、マルタという女の人がイエスを家に迎え入れた。
39 彼女にはマリアという姉妹がいたが、主の足もとに座って、主のことばに聞き入っていた。
40 ところが、マルタはいろいろなもてなしのために心が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ、私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃってください。」
41 主は答えられた。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。
42 しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」

【神谷師による説教の要約】
  ここでキリストの言う「必要なこと」とは、その足もとに座って、語られるみことばを聞くことである。
その結果、マリアはキリストの心、心情をくみ取り、十字架の苦難を前にしているキリストに対して、その願う所を、埋葬を予期して香油を注ぐという、彼女にできる最善のタイミングで行うことができた。
 それは、現代に生きる私たちにとって、聖書を開いてそのみことばに耳を傾ける時を持つことであり、それゆえに、神のみこころを知り、自ら振りかざす「常識」で人を裁いたり、分け隔てることから解放された生き方が可能となるのである。

 

―ブログ管理人のひとりごとー

 先週、心に通った聖書のことばは「汝はわがものなり」「これが道だ。これに歩め」。ちょっと疲れたな、ちょっとのんびりしたい、そういうまでもなく比較的のんびりと過ごした一週間、そんなときに、「歩め」。まるで釘をさすように主はこう仰せられている。見渡す状況がどうであれ、事が順調に運ぼうと運ぶまいと、寛いでいようとあくせくしていようと、今自分が主の指し示す道筋にいるかどうかが肝心なのだ。
 ただ独りよがりに陥ってしまっても軌道が危うくなるわけで、そんなときに、「聖書を開いて……神のみこころを知り、自分の振りかざす常識で人を裁いたり、分け隔てることから解放され」ること、これはまさしく今の自分に必要なことであるなとすこし痛いけれども素直に受け留めている。

 

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⏰6時52分更新

 

  

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