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きょうのことば『21世紀の宣教~それでも宣教師が遣わされる理由』-日本福音同盟總主事 岩上敬人牧師の説教-

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2024年11月17 (日)
説教題 『21世紀の宣教~それでも宣教師が遣わされる理由』ー宣教聖日説教ー(←クリック)
聖書朗読 
使徒の働き 8章4~5節

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    岩上敬人先生

4散らされた人たちは、みことばの福音を伝えながら巡り歩いた。
5ピリポはサマリアの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。

 

―ブログ管理人のひとりごとー
 このブログはあくまでも個人ブログ、宣教地について云々するのは大逸れているとさえ思われるのですが、つまり一信徒の自分と宣教師の先生方とは桁が違い過ぎると感じているのが本音。しかし自らの器如何に関わらず祈ることはできる、赦されることは感謝です。
 私が直接にお会いしたことがあるのは、ケニアのテヌウェク病院に宣教師として派遣されている蔦田就子先生。直接に現地のお話しを伺い、当地の民族衣装の試着をさせていただいたことがある。
 現地での医療活動の困難さ。スタッフが足りない、医療設備が足りない、就子先生自身、昼夜問わずの呼び出しが頻繁にあるといった状況。苛酷な勤務なのだ。しかしそのような状況下でも主を見上げ、救いに与る魂が与えられ、また祈り続けられている。
 自分が米粒ほどの一助でしかないとしても、それにしても目を覚ましていなければと思わせられたことです。

インマヌエル秋田キリスト教会  https://localplace.jp/t100303888/
インマヌエル盛岡キリスト教会 https://sites.google.com/view/igm-morioka/



⏰5時38分更新

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