きょうのことば『御霊に満たされた生活を』ーインマヌエル仙台キリスト教会牧師 田中敬康師の説教ー
2024年10月13 (日)
説教題 『御霊に満たされた生活を』
聖書朗読 エペソ 5章15~21節
15 ですから、自分がどのように歩んでいるか、あなたがたは細かく注意を払いなさい。知恵のない者としてではなく、知恵のある者として、
16 機会を十分に生かしなさい。悪い時代だからです。
17 ですから、愚かにならないで、主のみこころが何であるかを悟りなさい。
18 また、ぶどう酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。むしろ、御霊に満たされなさい。
19 詩と賛美と霊の歌をもって互いに語り合い、主に向かって心から賛美し、歌いなさい。
20 いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって、父である神に感謝しなさい。
21 キリストを恐れて、互いに従い合いなさい。
―ブログ管理人のひとりごとー
今回おつなぎする説教は、仙台の作並温泉を会場に12~14日に開かれた第50回を迎えた東北聖会(東北6県にある9つのインマヌエル教会の合同聖会)の日曜礼拝説教です。このブログでは、私という1個人が毎日曜に聴いて養われた説教をおつなぎしています。私はこの日は盛岡教会に出席し、仙台まで行きかねた方々と共にズームで参加しました。
人生の終盤、といっていいのか、自分に健康寿命がどれだけ与えられているのかは分かりませんが、せめてこの残された道のりを真実に神さまに礼拝をお捧げして生きたく願い、どの程度記憶できるかは別として、毎日曜の説教の聖書箇所を注意深く読み、説教のひと言ひとことに耳を澄ませています。
へブル人の手紙12章14節に「聖(きよ)さがなければ、だれも主を見ることができません」とあります。「聖(きよ)さ」が決して死語になり得ない理由は、この現代にもイエス・キリストさまの十字架が生き存在し、その十字架上で流された血潮が自分の罪の身代わりであると信じるものは罪の一切が赦され聖められる、その事実がある。人は自らの力で聖くなることはできないけれども、イエスさまの十字架には聖める力がある。聖められることによって、御霊に満たされることによって、神さまのご愛をいよいよ知ることができる。「聖め」なくして神さまとの会合は成立しない。「聖め」られると自然、感謝の思い、これは神さまとの融合であるとも私は思っていますが、その感謝の思いが満ちてきます。今回の田中師の説教で、いよいよそのことを得心いたしました。
川村襄牧師先生に洗礼を授けていただいてから50年、紆余曲折を経ながらも、私は今ここに辿り着いている。やはりここに、インマヌエル(神我らと共に在す)にある。インマヌエルが私をついにここまで導いてくださった、このことに感慨を深くいたしました。
インマヌエル秋田キリスト教会 https://localplace.jp/t100303888/
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