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2024年10月

インマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師  きょうのことば『明日のために自らを聖別し』―教団創立記念礼拝―インマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師 神谷光一師の説教

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2024年10月20 (日)
説教題 『明日のために自らを聖別し』―教団創立記念礼拝―(←クリック)
聖書朗読 
ヨシュア記 7章2~15節
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2 ヨシュアは部下をエリコからベテルの東、ベテ・アベンの近くにあるアイに遣わし、彼らに言った。「上って行って、あの地を偵察せよ。」部下たちは上って行って、アイを偵察した。
3 彼らはヨシュアのもとに帰って来て言った。「民をみな上って行かせるには及びません。ニ、三千人ぐらいを上らせて、アイを打たせるとよいでしょう。彼らはわずかですから、民をみな送って骨折らせるには及びません。」
4 そこで民のうち、およそ三千人がそこに上って行ったが、彼らはアイの人々の前から逃げた。
5 アイの人々は彼らの中の三十六人を打ち殺し、彼らを門の前からシェバリムまで追って、下り坂で彼らを打った。民の心は萎え、水のようになった。
6 ヨシュアは衣を裂き、イスラエルの長老たちとともに、主の箱の前で夕方まで地にひれ伏し、自分たちの頭にちりをかぶった。
7 ヨシュアは言った。「ああ、神、主よ。あなたはどうして、この民にヨルダン川をあえて渡らせ、私たちをアモリ人の手に渡して滅ぼそうとされるのですか。私たちは、ヨルダン川向こうに居残ることで満足していたのです。
8 ああ、主よ。イスラエルが敵の前に背を見せた今となっては、何を申し上げることができるでしょう。
9 カナン人やこの地の住民がみな、これを聞いて私たちを攻め囲み、私たちの名を地から断ってしまうでしょう。あなたは、あなたの大いなる御名のために何をなさるのですか。」
10 主はヨシュアに告げられた。「立て。なぜ、あなたはひれ伏しているのか。
11 イスラエルは罪ある者となった。彼らはわたしが命じたわたしの契約を破った。聖絶の物の一部を取り、盗み、欺いて、それを自分のものの中に入れることまでした。
12 だから、イスラエルの子らは敵の前に立つことができず、敵の前に背を見せたのだ。彼らが聖絶の者となったからである。あなたがたの中から、その聖絶の物を滅ぼし尽くしてしまわないなら、わたしはもはやあなたがたとともにはいない。
13 立て。民を聖別せよ。そしてこう言え。あなたがたは、明日のために自らを聖別しなさい。イスラエルの神、主がこう告げられるからだ。『イスラエルよ、あなたの中に聖絶の物がある。あなたがたがその聖絶の物を、あなたがたの中から取り除くまでは、敵の前に立つことができない。
14 明日の朝、部族ごとに進み出よ。主がくじで取り分ける部族は氏族ごとに進み出、主がくじで取り分ける家族は、男一人ひとり進み出よ。
15 聖絶の物のことでくじで取り分けられた者は、彼も彼に属するすべてのものも、火で焼かれなければならない。彼が主の契約を破ったからであり、彼がイスラエルの中で恥辱となることをしたからである。』」

【神谷師による説教の要約】
 イスラエルの人々が、カナンの町々に住む人々と戦うのは、単に民族間の主権や領土をめぐるものではなく、そこに住む人たちの悪への神のさばきとしてなされたものであった。
 それは、神のことばを軽んじ、それを破って焼き尽くすべきエリコの町のものを密かに取り込んだアカンのために、続く戦いには敗北し、またそれが取り除かれたときに勝利を得たことにも現わされている。
 アカンの罪が露にされる前「明日のために自らを聖別しなさい」と語られたことは、今の私たちにとって、やがて世界が週末を迎え、すべての人がその罪を裁かれる前に、悔い改めてキリストを信じて救われるように、というメッセージと受け取ることができる。
 与えられた猶予の中で、主のあわれみに応答したい。

 

<教団創立記念礼拝について>
「盛岡教会が所属するインマヌエル綜合伝道団は、戦時中、当時の治安維持法によって投獄された創設者の蔦田二雄牧師が、獄中で与えられたビジョンを通し、聖書が語るきよめと世界宣教という使命のもとに、戦後間もなく創立されました。」(週報から)この記念礼拝が10月20日でした。下の写真が蔦田二雄師です。蔦田師のメッセージはこちらです。
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(以下はwikipediaから)
 1942年6月、東条英機内閣の宗教弾圧に遭い、2年間の巣鴨刑務所での独房生活を経験する。その間に「すべてが奪われても、神の臨在・同行を奪われることはない」という「インマヌエル」(「神が私たちと共にいます」という意味)の事実に対する信仰の確信を得た。将来、伝道者になる機会が再び訪れたなら「インマヌエル」(神が私たちと共にいます)の名で新しい働きを興すことを決意した。
第二次世界大戦終戦直前、巣鴨プリズンから釈放された蔦田は、1945年 (昭和20年)10月21日、他の2人のクリスチャンと共に「イムマヌエル綜合伝道団」を創設した。戦後の社会情勢を反映して、まず伝道団の「医務部」を千葉県船橋市に設けた。翌1946年 (昭和21年)3月「伝道部」が発足し、同年6月、イムマヌエル綜合伝道団の第1次年会が持たれた。1949年 (昭和24年)にイムマヌエル聖宣神学院を創設し、初代院長就任する。

ーブログ管理人のひとりごとー
 この日は朝のうちに教会に行って花を生け、しかし、家の事情で礼拝には出席しないで帰りました。説教は後でYouTubeでの視聴となりました。
 現在、インマヌエル綜合伝道団の教会は2023年度時点で全国に100か所あります。
 我ながら驚いていますが、近年まで、教団への帰属意識は希薄でした。信仰は私という1個人とイエスさまとの間に成立している、こんな意識です。蔦田先生という弾圧を潜りそれに耐え抜いた、神とともに耐え抜いた方がおられる、その事実に感動はしていた。けれども、私が教団の一部であるという認識は薄かった。しかしこうして今現在、書き出しながらさまざまに思い返す時に、神の御前に聖と宣を掲げ、幾多の困難に立ち向かい祈り導き続けてくださった、更にこの世の中的に言うなら、ぜいたくには無縁の、しかし神と共にある多くの牧師先生方の存在がある。やはりその恩恵の大きさを思わないわけにはいかない。それを認めざるを得ません。

 

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⏰5時36分更新

 

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きょうのことば『御霊に満たされた生活を』ーインマヌエル仙台キリスト教会牧師 田中敬康師の説教ー

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2024年10月13 (日)
説教題 『御霊に満たされた生活を』
聖書朗読 エペソ 5章15~21節

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15 ですから、自分がどのように歩んでいるか、あなたがたは細かく注意を払いなさい。知恵のない者としてではなく、知恵のある者として、
16 機会を十分に生かしなさい。悪い時代だからです。
17 ですから、愚かにならないで、主のみこころが何であるかを悟りなさい。
18 また、ぶどう酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。むしろ、御霊に満たされなさい。
19 詩と賛美と霊の歌をもって互いに語り合い、主に向かって心から賛美し、歌いなさい。
20 いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって、父である神に感謝しなさい。
21 キリストを恐れて、互いに従い合いなさい。


―ブログ管理人のひとりごとー
 今回おつなぎする説教は、仙台の作並温泉を会場に12~14日に開かれた第50回を迎えた東北聖会(東北6県にある9つのインマヌエル教会の合同聖会)の日曜礼拝説教です。このブログでは、私という1個人が毎日曜に聴いて養われた説教をおつなぎしています。私はこの日は盛岡教会に出席し、仙台まで行きかねた方々と共にズームで参加しました。
 人生の終盤、といっていいのか、自分に健康寿命がどれだけ与えられているのかは分かりませんが、せめてこの残された道のりを真実に神さまに礼拝をお捧げして生きたく願い、どの程度記憶できるかは別として、毎日曜の説教の聖書箇所を注意深く読み、説教のひと言ひとことに耳を澄ませています。
 へブル人の手紙12章14節に「聖(きよ)さがなければ、だれも主を見ることができません」とあります。「聖(きよ)さ」が決して死語になり得ない理由は、この現代にもイエス・キリストさまの十字架が生き存在し、その十字架上で流された血潮が自分の罪の身代わりであると信じるものは罪の一切が赦され聖められる、その事実がある。人は自らの力で聖くなることはできないけれども、イエスさまの十字架には聖める力がある。聖められることによって、御霊に満たされることによって、神さまのご愛をいよいよ知ることができる。「聖め」なくして神さまとの会合は成立しない。「聖め」られると自然、感謝の思い、これは神さまとの融合であるとも私は思っていますが、その感謝の思いが満ちてきます。今回の田中師の説教で、いよいよそのことを得心いたしました。
 川村襄牧師先生に洗礼を授けていただいてから50年、紆余曲折を経ながらも、私は今ここに辿り着いている。やはりここに、インマヌエル(神我らと共に在す)にある。インマヌエルが私をついにここまで導いてくださった、このことに感慨を深くいたしました。


 


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きょうのことば『主の契約の箱が、あなたがたの先頭に』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師  神谷光一師の説教ー

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2024年10月6 (日)
説教題 『主の契約の箱が、あなたがたの先頭に』
聖書朗読 ヨシュア記 3章6~17節
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6 ヨシュアは祭司たちに「契約の箱を担ぎ、民の先頭に立って渡りなさい。」と命じた。そこで彼らは契約の箱を担ぎ、民の先頭に立って進んだ。
7 主はヨシュアに告げられた。「今日から全イスラエルの目の前で、わたしはあなたを大いなる者とする。わたしがモーセとともにいたように、あなたとともにいることを彼らが知るためである。

8 あなたは契約の箱を担ぐ祭司たちに『ヨルダン川の水際に来たら、ヨルダン川の中に立ち続けよ』と命じよ。」
9 ヨシュアはイスラエルの子らに言った。「ここに来て、あなたがたの神、主のことばを聞きなさい。」

10 ヨシュアは言った。「生ける神があなたがたの中にいて、自分たちの前からカナン人、ヒッタイト人、ヒビ人、ペリジ人、ギルガシ人、アモリ人、エブス人を必ず追い払われることを、あなたがたは次のことで知るようになる。
11 見よ。全地の主の契約の箱が、あなたがたの先頭に立ってヨルダン川を渡ろうとしている。
12 今、部族ごとにひとりずつ、イスラエルの部族から十二人を取りなさい。
13 全地の主である主の箱を担ぐ祭司たちの足の裏が、ヨルダン川の水の中にとどまるとき、ヨルダン川の水は、川上から流れ下る水がせきとめられ、一つの堰となって立ち止まる。」
14 民がヨルダン川を渡ろうとして彼らの天幕から出発したとき、契約の箱をかつぐ祭司たちは民の先頭にいた。
15 箱を担ぐ者たちがヨルダン川まで来たとき、ヨルダン川は刈り入れの期間中で、どこの川岸にも水があふれていた。ところが、箱をかつぐ祭司たちの足が水際の水に浸ると、
16 川上から流れ下る水が立ち止まった。一つの堰が、はるかかなた、ツァレタンのそばにある町アダムで立ち上がり、アラバの海、すなわち塩の海へ流れ下る水は完全にせきとめられて、民はエリコに面したところを渡った。
17 主の契約の箱を担ぐ祭司たちは、ヨルダン川の真ん中の乾いたところにしっかりと立ち止まった。イスラエル全体は渇いたところを渡り、ついに民全員がヨルダン川を渡り終えた。

【神谷師による説教の要約】
 イスラエルのひとたちが、約束の地カナンに行くことは、単に民族の存続のためではなく、神の計画が実現することを示している。
 彼らの親世代がカナンに入れなかったのに対して、その子たちがヨシュアとともにヨルダン川を渡ることができたのは、自分たちを主人として、自分の力でしようとしたのか、神のしもべとして、その後について行こうとしたのか、の違いである。
 彼らがヨルダン川を渡る先に、祭司が担いだ神の契約の箱が先に進んだことは、私たちが何かをしようとするその先に神が進んで下さり、私たちはその後に続くしもべであるということを意味している。
それぞれが神の霊である御霊を宿す時代に生きる信仰者として、置かれた所で神の栄光を現してゆきたい。


―ブログ管理人のひとりごとー
 今日は仙台教会に於いて東北聖会が開かれており、盛岡教会からの方々は仙台で合同礼拝をまもっています。都合で仙台に行きかねる方々が盛岡教会でズームで合同礼拝に参加します。私も仙台までは行きかねるので、盛岡でとなります。

 とりとめもない話しになりますが、昨朝、夢で「キリストにはかえられません」という讃美歌を聴きました。神さまは往々にして、私自身が気づいていなくとも、渡らなければならないヨルダンが目前に迫っているときには、格別に心を励ましてくださることがある、心備えをくださることがある。これまでの経験でそれを知っていますので、はて落ち着いて対処すべき何某かが目前に現われるかもしれない、そう思いました。聴こえた讃美歌、あ、これは声楽を学んだ方だな。実に澄んだ美しい声。「キリストにはかえられません」。すばらしいプレゼントをもらった気がして元気が出ました。そしてその午後、ちょっとした抵抗感覚える事がらに出くわしました。これに対峙するんだと神さまはあらかじめ励ましをくださったなと思いました。神さまが先だってくださるなら、ヨルダンは渡ることができる。そう思った一幕でした。

 

 「キリストにはかえられません」(福音讃美歌465番)、音源をつないでおきます。
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ナビも知ってる秋田教会の住所
 秋田県秋田市外旭川字神田519-7
ナビも知ってる盛岡教会の住所 盛岡市大館町12-26

こちらは個人ブログの域をでませんが、こんどインマヌエル盛岡キリスト教会のブログが立ちあげられました。神さまは実にタイムリーです。このブログも老齢化で、はていつまでできるものやらと思い始めた矢先に、新たに会員となられたスキルも確かな青年会員の方が、立ち上げてくださいました純然たる教会の専用ブログです。教会の地図、教会案内など詳しく掲載しております。是非訪問ください。私が教会の専用ブログにタッチしなかったのは、やはり技術的な面で厳しいかなと思ったからです。しかし今こうして必要な人材が備えられ、専用ブログの立ち上げが叶えられたことは喜びです。神さまは遅れない方です。私は老齢化もあり遅れ気味、しかし神さまは決して遅れない方。
インマヌエル盛岡キリスト教会 https://sites.google.com/view/igm-morioka/

 

 そうそう、能登ヘルプを通じての支援、タオル、バスタオルなど、Y姉の采配で、S兄姉が一旦ビニール袋に詰め掃除機で空気を抜き圧縮、即日発送されました。これもまた迅速。活気ある嬉しい光景を間近に。

⏰6時28分更新

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きょうのことば『彼の子孫はその地を所有す』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師  神谷光一師の説教ー

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2024年9月29 (日)
説教題 『彼の子孫はその地を所有す』
聖書朗読 
民数記 14章17~31節
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17 どうか今、あなたが語られたように、わが主の大きな力を現してください。あなたは言われました。
18 『主は怒るのに遅く、恵み豊かであり、咎と背きを赦す。しかし、罰すべき者を必ず罰し、父の咎を子に報い、三代、四代に及ぼす。」と。
19 この民をエジプトから今に至るまで耐え忍んでくださったように、どうかこの民の咎をあなたの大きな恵みによって赦してください。」
20 主は言われた。「あなたのことばどおりに、わたしは赦す。
21 しかし、わたしが生きていて、主の栄光が全地に満ちている以上、
22 わたしの栄光と、わたしがエジプトとこの荒野で行ったしるしとを見ながら、十度もこのようにわたしを試み、わたしの声に聞き従わなかった者たちは、だれ一人、
23 わたしが彼らの父祖たちに誓った地を見ることはない。わたしを侮った者たちは、だれ一人、それを見ることはない。
24 ただし、わたしのしもべカレブは、ほかの者とは違った霊を持ち、わたしに従い通したので、わたしは、彼が行って来た地に彼を導き入れる。彼の子孫はその地を所有するようになる。
25 平地にはアマレク人とカナン人が住んでいるので、あなたがたは、明日、向きを変えてここを旅立ち、葦の海の道を通って荒野へ行け。」
26 主はモーセとアロンに告げられた。
27 「いつまで、この悪い会衆は、わたしに不平を言い続けるのか。わたしは、イスラエルの子らがわたしにつぶやく不平を聞いた。
28 彼らに言え。
わたしは生きているー主のことばー。わたしは必ず、おまえたちがわたしの耳に語ったとおりに、おまえたちに行う。
29 この荒野におまえたちは、屍をさらす。わたしに不平を言った者で、二十歳以上の、登録され数えられた者たち全員である。
30 エフンネの子カレブと、ヌンの子ヨシュアのほかは、おまえたちを住まわせるとわたしが誓った地に、だれ一人入ることはできない。
31 おまえたちが『かすめ奪われてしまう』と言った、おまえたちの子どもについては、わたしは彼らを導き入れる。彼らはおまえたちが拒んだ地を知るようになる。

 

【神谷師による説教の要約】
 聖書の中に出てくる人たちの失敗が書かれているのは、今を生きる私たちに同じことをしないようにとの警戒のためである。
 また、民の代表として、族長である12人のうち、10人が神の約束されたカナンの国に入ることができないと判断したことは、その世代の人々がほぼ神の約束を信じないことを意味していた。それは彼らの子どもである次の世代が、その失敗を通して、目の前の困難の中で、神の約束に目を留めたカレブのように、約束を信じ、カナン入国を果たす理由となった。
 私たちにできなかったことを、次世代が果たすことを期待し、祈り応援してゆきたい。


―ブログ管理人のひとりごとー
 9月のインマヌエル盛岡キリスト教会の50周年記念の礼拝も越え、はや10月。超教派が結束し能登ヘルプが立ちあげられているけれども、インマヌエル教団も参画。小さなこの教会にも依頼が届き、協議されたその日のうちに若い信徒の方々によって支援の水の発送が迅速に手配されたことは誇らしく嬉しかった。6日の今日はまた支援物資がまとめられる。現地では手を挙げた兄弟姉妹たちが寝泊まりしながら復興支援に携わっている。
 3・11以来ニュースなどで多くの災害現場を知りながら、ついに被災地に直接に出向いて瓦礫の一つでも拾い、泥さらいをすることもできないでしまった。高齢だから。介護があった。理由は幾つもつきそうなのだが、なにか申訳無い思いがのこる。災害は善良な方々にも降りかかる、この不条理、この現実。そして今後も。しかし、「わたしは生きている」と言われる神さまのご存在、私はこれを疑うことができない。みことばをもって、世の中のさまざまな関わりをもって、自然の事象をもって、教え諭し慰め力づけてくださるこのお方を否定することができない。

 


ナビも知ってる秋田教会の住所
 秋田県秋田市外旭川字神田519-7
ナビも知ってる盛岡教会の住所 盛岡市大館町12-26

 

6時25分更新

 

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