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きょうのことば『祭司の王国、聖なる国民』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師  神谷光一師の説教ー

インマヌエル盛岡キリスト教会 祝50周年 !

 今日おつなぎする説教は先週15日の神谷光一先生になりますが、今日22日はインマヌエル盛岡キリスト教会の50周年を記念する聖日礼拝が持たれます。講師は50年間盛岡に生涯を捧げられた、午前には國光勝美先生、午後には國光ひろ子先生が講壇に立たれます。この説教は来週におつなぎしますが、ユーチューブの方には1日、2日後に入ります。
 かつて盛岡で説教くださった両先生の思い出の写真を感謝とともに掲載いたします。

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2024
年9月15 (日)
説教題 『祭司の王国、聖なる国民』(←クリックしてお聴きください)
聖書朗読 
出エジプト記 19章1~9節
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1 エジプトを出たイスラエルの子らは、第三の新月の日にシナイの荒野に入った。
2彼らはレフィディムを旅立って、シナイの荒野に入り、その荒野で宿営した。イスラエルはそこで、山を前に宿営した。
3モーセが神のみもとに上って行くと、主が山から彼を呼んで言われた。「あなたは、こうヤコブの家に言い、イスラエルの子らに告げよ。
4 『あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたを鷲の翼に乗せて、わたしのもとに連れて来たことを見た。
5 今、もしあなたがたが確かにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはあらゆる民族の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。
6 あなたがたは、わたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。』これが、イスラエルの子らにあなたが語るべきことばである。」
7 モーセは行って、民の長老たちを呼び寄せ、主が命じられたこれらのことばをすべて、彼らの前に示した。
8 民はみな口をそろえて答えた。「私たちは主の言われたことをすべて行います。」それでモーセは民のことばを携えて主のもとに帰った。
9 主はモーセに言われた。「見よ、わたしは濃い雲の中にあって、あなたに臨む。わたしがあなたに語るとき、民が聞いて、あなたいつまでも信じるためである。」それからモーセは民のことばを主に告げた。



【神谷師による説教の要約】
 神がイスラエルの人々に向かって「鷲の翼に乗せて、わたしのもとに連れて来た」とは、彼らが奴隷のエジプトを出るため、神がすべてのことをしてくださったことを表している。
 また十戒とは、単なるルール厳守の目安ではなく、私たちの心に神を愛し、隣人を愛することを求める、との二つに要約できる。
私たちがそこに向き合う中で心に感じる罪に対して、その罪を贖い、解決を与えるために十字架にかかってくださったキリストのところに持っていくことこそ、聖書が目指す十戒(律法)の目的、ゴールである。

―ブログ管理人のひとりごとー
人の50年。寿命が延びたとはいえ働きという視点で考えるとこれは一生。この膨大な時間を盛岡の伝道につぎ込んでくださった國光勝美・ひろ子牧師。私はその第一回の受洗者でした。「ここは他のサークルや集会、会議の会場などとは違う」。会堂への階段を上りながら、何か厳粛な空気に打たれた50年前が今まざまざと思い返されています。後で知ったことは、その会堂で一人座し祈っていたのは応援の神学生と知りました。そのときおそらく全国にあるインマヌエルの教会が盛岡のこの日の特別伝道集会のために祈っていたのです。
 私以前に既に信仰を持たれたごKご夫妻がいらっしゃいました。9月15日の洗礼当日、なぜか川村襄牧師先生が最初に私に洗礼を授けたのでした。それがために私は盛岡教会の第一号受洗者となりました。ほどなくKご夫妻はご家族の反対などに遭い、教会にはいらっしゃらなくなりました。長らく行方が分からなかったこのご夫妻の墓地がどこにあるのかを知ったのは、國光牧師方が引退され盛岡を去るというその墓参のときに、信徒がその墓地で偶然にもKご夫妻のお墓を見つけたのでした。
 よくイエスさまを宣べ伝えようと諭されますが、開拓伝道を預る牧師方のご苦労、それは私のような至らない信徒の存在にも理由はあるわけですが、その他にも幾多。それぞれに不自由のない愛情に満ちたご家庭に育った両先生のその始めは、まさしく聖書のみを携えての伝道でした。テーブルもなく何かの箱を代用していたかと思います。電卓の電池が無駄に流れないように気を使われていた場面も。自転車の後ろに万灯を載せて、今思うと明治大正の伝道そのままかとも思われるのですが。盛岡から北上の信徒宅に自転車で往復されたときもありました。やっと手に入れた軽自動車は、座席の固定部分が破損しチェーンで吊ってありました。底には穴が開き地面が見えるという始末。これをいくらで購入したかを尋いたことはありませんでしたが、今思うとよく車検が通ったものと思います。当時の車検は甘かったのでしょうか、謎です。こんな具合でしたから、ひろ子牧師の家計の切り盛りは血に汗だったのでは。しかしいつでも神さまに信頼を置き祈って暮らされていたようでした。高齢の寝たきりの信徒の方のシーツ換えをなさっていた時期もありました。
 教会は狭く、お子さま方、今は立派な大人になられていますが、非常に窮屈な思いをされていたでしょう。信徒の数も増え、さあ、会堂を建てようと皆様が動き出されたときに、私は内心、えっ、これは大変!いったいこの人数でどうやって?と思ってしまった、つまりはその程度の信者だったといえるのですが。皆様が力を合わせようと決断されたところに、不思議なように「この教会に入会させてください」「そうですか、教会建設が始まるのですか、ならば喜んで協力させていただきます」という方が現れたのです。不思議でした。皆様が精いっぱいの協力をなさいました。教会建設に乗り出すと牧師の寿命が10年縮むと言われているそうです。それほどの圧がかかる。しかし会堂は竣工、それがこの写真にある教会堂です。
 教会周辺がまだまだ田畑であった時代、クリスマスに真っ暗な雪深い道を、クリスマスに教会に来ることが出来ない方々を訪問するキャロリングで、ひろ子牧師と手をつないで真っ白な道を歩いたことがありました。
 國光夫妻が引退されるきっかけとなったのは、ひろ子牧師が膵臓癌。余命幾許と診断され、本部との相談で引退が決まったのでした。盛岡最後のとき「今度皆様とお会いするのは天国でになります」とご挨拶。盛岡駅を発つときに新幹線のデッキに立たれたひろ子先生を拝見しながら、内心ひろ子先生が亡くなられたら広島まで行けるだろうかとの思いが過りました。しかししかし、広島に落ち着かれて最初の情報は、ひろ子先生の癌が消えていたというお知らせでした。いったいどうすれば間質性肺炎と闘い癌細胞に苦しめられていた人がたちどころに、そんな細胞は、病は検査のどこにも出ていませんでしたと言う結果になるの?これはまったく不思議な現象でした。わかりません。今もって。
 何れ月曜日まで國光先生方は盛岡に滞在してくださいます。よく祈られた鞍掛山にもご家族、いつも盛岡教会のチラシなどを作成くださったA姉、糸魚川で國光師のお孫様とともに職場でもよい証しを立てておられるY兄とともに登られる予定になっています。鞍掛山の道を國光師は「パッサカリアの道」と名づけられました。この道を書いたエッセイはラジオの音楽番組で全国に放送されました。
 盛岡時代、不出来でご心配をおかけした信徒の償いにと、50年のうちのほんの一幕を書かせていただきました。
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パッサカリアの道



 


ナビも知ってる秋田教会の住所
 秋田県秋田市外旭川字神田519-7
ナビも知ってる盛岡教会の住所 盛岡市大館町12-26

6時40分更新

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