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2024年8月

きょうのことば『このわたしがあなたを遣わす』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師  神谷光一師の説教ー

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2024年8月18 (日)
説教題 『このわたしがあなたを遣わす』(←クリックしてお聞きください)
聖書朗読 
出エジプト記 2章11~15節、3章1~12節
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11 こうして日がたち、モーセはおとなになった。彼は同胞のところへ出て行き、その苦役を見た。そして、自分の同胞であるヘブル人の一人を、一人のエジプト人が打っているのを見た。
12 彼はあたりを見回し、だれもいないのを確かめると、そのエジプト人を打ち殺し、砂の中に埋めた。
13 次の日、また外に出てみると、見よ、二人のヘブル人が争っていた。モーセは、悪いほうに「どうして自分の仲間を打つのか」と言った。
14 彼は言った。「だれがおまえを、指導者やさばき人として私たちの上に任命したのか。おまえは、あのエジプト人を殺したように、私も殺そうというのか」そこでモーセは恐れて、きっとあのことが知られたのだと思った。
15ファラオはこのことを聞いて、モーセを殺そうと捜した。しかし、モーセはファラオのもとから逃れ、ミディアンの地に着き、井戸の傍らに座った。
 

1 モーセは、ミディアンの祭司、しゅうとイテロの羊を飼っていた。彼はその群れを荒野の奥まで導いて、神の山ホレブにやって来た。
2 すると主の使いが、柴の茂みの只中の、燃える炎の中で彼に現れた。彼が見ると、なんと、燃えているのに柴は燃え尽きていなかった。
3 モーセは思った。「近寄って、この大いなる光景を見よう。なぜ柴が燃え尽きないのだろう。」
4 主は、彼が横切って見に来るのをご覧になった。神は柴の茂みの中から彼に「モーセ、モーセ」と呼びかけられた。彼は「はい。ここにおります」と答えた。
5 神は仰せられた。「ここに近づいてはならない。あなたの履き物を脱げ。あなたの立っている場所は聖なる地である。」
6 さらに仰せられた。「わたしはあなたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは顔を隠した。神を仰ぎ見るのを恐れたからである。
7 主は言われた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみを確かに見、追い立てる者たちの前での彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを確かに知っている。
8 わたしが下って来たのは、エジプトの手から彼らを救い出し、その地から、広く良い地、乳と蜜の流れる地に、カナン人、ヒッタイト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる場所に、彼らを導き上るためである。
9今、 行け。イスラエルの子らの叫びはわたしに届いた。わたしはまた、エジプト人が彼らを虐げている有様を見た。
10 今、行け。わたしは、あなたをファラオのもとに遣わす。わたしの民、イスラエルの子らをエジプトから導き出せ。」
11 モーセは神に言った。「私は、いったい何者なのでしょう。ファラオのもとに行き、イスラエルの子らをエジプトから導き出さなければならないとは。」
12 神は仰せられた。「わたしが、あなたとともにいる。これが、あなたのためのしるしである。このわたしがあなたを遣わすのだ。あなたがこの民をエジプトから導き出すとき、あなたがたは、この山で神に仕えなければならない。」

【神谷師による説教の要約】
 奴隷として虐待されている同胞を救おうとして、ひとりのエジプト人を殺害したモーセは、王子の立場を持つ自分を通して、神がその窮状から人々を救うことを理解してくれるものと思っていた。
 しかし、同国人から「だれがおまえを、指導者やさばき人として私たちの上に任命したのか。」と言われ、わかってもらえないどころか、かえって殺人犯として追われる身となった。
 失望し、遠くエジプトを離れ、羊飼いとなったモーセに向かって神が「このわたしがあなたを遣わす」と言われたのは、自分の力や思いで、虐待されている人を助けるのではなく、神がしようとされることに、モーセ自身を任せる必要があったからである。
 神は今も私たちを用いてわざを進められることに期待したい。

 

―ブログ管理人のひとりごとー
 18日は伝道礼拝でした。この日のユーチューブでは、秋田教会の姉妹が入信されたときのおはなしも聞くことができます。クリスチャンホームに育ち、高校1年のときにイエスさまを信じた方です。 
 写真は19日に撮りました。この厳しい自然環境の中で、いのちは短いけれども辺りに力強く限りに鳴き声を響かせるこの存在感。暑さでへたり気味のところにエールを降らせてくれました。神さまはさまざまな事物を通して、励ましや労わり、慰めや癒しをくださっています。
 


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 秋田県秋田市外旭川字神田519-7
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6時20分更新

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きょうのことば『水の中から~この子を引き出し』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師  神谷光一師の説教

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2024年8月11 (日)
説教題 『水の中から~この子を引き出し』(クリックしてお聞きください)
聖書朗読 
出エジプト記 1章22節~2章10節
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神谷光一・美津子先生
22 ファラオは自分のすべての民に次のように命じた。「生まれた男の子はみな、ナイル川に投げ込まなければならない。女の子はみな、生かしておかなければならない。」
1 さて、レビの家のある人がレビ人の娘を妻に迎えた。
2 彼女は身ごもって、男の子を産み、その子がかわいいのを見て、三か月間その子を隠しておいた。
3 しかし、それ以上隠しきれなくなり、その子のためにパピルスのかごを取り、それに瀝青と樹脂を塗って、その子を中に入れ、ナイル川の岸の葦の茂みの中に置いた。
4 その子の姉は、その子がどうなるかと思って、離れたところに立っていた。
5 すると、ファラオの娘が水浴びをしようとナイルに下りて来た。彼女たちはナイルの川辺を歩いていた。彼女は葦の茂みの中にそのかごがあるのを見つけ、召使の女を遣わして取って来させた。
6 それを開けて、見ると、子どもがいた。なんと、それは男の子で、泣いていた。彼女はその子をかわいそうに思い、言った。「これはヘブル人の子どもです」
7 その子の姉はファラオの娘に言った。「私が行って、あなた様にへブル人の中から乳母を一人呼んで参りましょうか。あなた様に代わって、その子に乳を飲ませるために。」
8 ファラオの娘が「行って来ておくれ」と言ったので、少女は行き、その子の母を呼んで来た。
9 ファラオの娘は母親に言った。「この子を連れて行き、私に代わって乳を飲ませてください。私が賃金を払いましょう。」それで彼女はその子を引き取って、乳を飲ませた。
10 その子が大きくなったとき、母はその子をファラオの娘のもとに連れて行き、その子は王女の息子になった。王女はその子をモーセと名づけた。彼女は、「水の中から、私がこの子を引き出したから」と言った。

【神谷師による説教の要約】
 エジプトの王ファラオが、へブル人に対して、生まれた男の子をナイル川に投げ込むようにと命じたのは、かつてエジプトを飢饉から救ったヨセフとその家族のことが忘れられ、そこで数を増してゆく人々を恐れたからである。
 そうした王の命令にもかかわらず、幼子を隠れて育てようとした人は、王の命令よりも、信仰をもって、神さまを恐れたからである。
死ぬばかりであった幼子がファラオの娘に見つけられ、その母親が乳母となり、のちの王女の息子として成長したことは、私たちも罪と滅びの中から引き出されて、天の父なる神さまの子どもとされ、永遠のいのちに生かされていることに重ねて見ることができる。
 私たちもモーセと同じく、各々使命をいただいて生かされている。感謝をもって歩みたい。
 

 

―ブログ管理人のひとりごとー
 毎週礼拝を共に守らせていただいているK姉。Kさんが私にと、PCに入れてくださったバックストンのことば。赤で囲んでありますが、
「ペンテコステの聖霊はいつの間にか忍びやかにおいでになっていた、というのではない。自分の空しさ、汚れ、あやまちをさらけ出し、自分を空にして、自覚的に祈り求める手続きを必要とするというのがバックストンの流儀です。

 実は「自分の空しさ、汚れ、あやまちをさらけ出し、自分を空にして、自覚的に祈り求める」、これがいちばん難しい。齢を経るごとに難しいと自覚しているところでした。Kさんはすっかり私を見抜いておられましたね。何か課題があり必死な時には、これはむしろ容易ですが、平穏無事が続くと、無意識のうちに、人なんだから、何もそこまで、ちょっと面倒と、その必要性をやり過ごしてしまうことがある。しかし、このマンネリズム、慣れ、平和ボケが、これほど身近に酷暑、台風、地震、疫病、戦争の酷さを身近にしている今でさえ、信仰の平和ボケはある。そして、これがとんだ落とし穴の入り口を掘り何かが起きれば一気に信仰から落下してしまう羽目となる。このように私を諭してくれました。よき友に感謝です。

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5時28分更新

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きょうのことば『あなたの信仰は立派です』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師  神谷光一師の説教ー

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2024年8月4 (日)
説教題 『あなたの信仰は立派です』(←クリックしてお聞きください)
聖書朗読 
マタイの福音書15章21~28節
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21
イエスはそこを去って、ツロとシドンの地方に退かれた。
22すると見よ。その地方のカナン人の女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が悪霊につかれて、ひどく苦しんでいます」と言って叫び続けた。
23しかし、イエスは彼女に一言もお答えにならなかった。弟子たちはみもとに来て、イエスに願った。「あの女を去らせてください。後について来て叫んでいます。」
24イエスは答えられた。「わたしは、イスラエルの家の失われた羊たち以外のところには、遣わされていません。」
25しかし彼女は来て、イエスの前にひれ伏して言った。「主よ、私をお助けください。」
26すると、イエスは答えられた。「子どもたちのパンを取り上げて、子犬に投げてやるのは良くないことです。」
27しかし、彼女は言った。「主よ、そのとおりです。ただ、子犬でも主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます。」
28そのとき、イエスは彼女に答えられた。「女の方、あなたの信仰は立派です。あなたが願うとおりになるように。」彼女の娘は、すぐに癒された。


【神谷師による説教の要約】
 娘から悪霊を追い出してほしいと願い続けた母親は、キリストが一向に答えようとしないことがわかっても、願いがきかれるまであきらめようとはしなかった。
 キリストが、なかなか母親の願いを聞こうとされなかったのは、はじめから彼女の心のうちに「立派な信仰」と呼べるものがあることを知っていたからである。
 造り主であるお方は、私たちの中に良きものを与えておられ、私たちの周りで起きる様々なことを通してそれらを引き出し、ご自身の栄光を現されようとされる。
 

 

―ブログ管理人のひとりごとー
 朝ドラ「虎に翼」、習慣的に見ている。この中で朝鮮国籍の男性が有罪判決を覚悟していたところに、「主文 被告人は無罪」と判決が下る。証拠の手紙の誤訳が正され無罪となったのだが。
 ロマ3:23に「凡ての人、みな罪を犯したれば」、聖書には人はみな罪人であるとある。この罪が赦されるには、自分の罪の身代わりとなって罰を受け血を流されたイエスの血を信じる以外にはない、「また其の子イエスすべて罪より我らを潔む」(第一ヨハネ1:7)。すでにこれを知らされた者であるからだろう、「主文 被告人は無罪」、ドラマの中での一場面ではあったが、あたかも天の父である神の赦しを受けたかの感動を覚えたことであった。

 原爆記念日をこえ、南海トラフ情報、台風情報に向き合っている。神への信頼を新たに困難な一つひとつに向き合い、宗教音楽、音楽の力も借りながら越えてゆくことができればと願い祈ることです。

 


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6時44分更新

 

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きょうのことば『イエスは「来なさい」と言われ』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師  神谷光一師の説教ー

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2024年7月28 (日)
説教題 『イエスは「来なさい」と言われ』(←クリックしてお聞きください

書朗読 マタイの福音書14章22~33節
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22 それからすぐに、イエスは弟子たちを舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸に向かわせ、その間に群衆を解散させられた。
23 群衆を解散させてから、イエスは祈るために一人で山に登られた。夕方になっても一人でそこにおられた。
24 舟はすでに陸から何スタディオンも離れていて、向かい風だったので波に悩まされていた。
25 夜明けが近づいたころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに来られた。
26 イエスが湖の上を歩いておられるのを見た弟子たちは「あれは幽霊だ」と言っておびえ、恐ろしさのあまり叫んだ。
27 イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。
28 するとペテロが答えて、「主よ。あなたでしたら、私に命じて、水の上を歩いてあなたのところに行かせてください」と言った。
29 イエスは「来なさい」と言われた。そこでペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスの方に行った。
30 ところが、強風を見て怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。
31 イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか。」
32 そして二人が舟に乗り込むと、風はやんだ。
33 舟の中にいた弟子たちは「まことに、あなたは神の子です」と言って、イエスを礼拝した。

【神谷師による説教の要約】
 弟子たちが風のために進めずにいた波の上をキリストが歩いてきたのは、この方は私たちにとっての困難をものともしないことを意味する。
 ペテロがキリストと同じく水の上を歩くことができたのは、すべてのものを造られた方の権威によって命じられた「来なさい」との言葉によってであり、同じペテロが強風を見て恐れ、沈みかけた理由を、キリストが「疑った」と言われたのは、水の上を歩くキリストが言われた「来なさい」と言われたことばが、強風という状況対しても同様の権威を持つことが信じられなかったからである。
 神の約束に対する不信は私たちの中に「恐れ」を生み出すが、それは神のことばへの信頼が「恐れ」を克服する道であることも意味する。

 

 

―ブログ管理人のひとりごとー
 説教は一週間前に公開されたものをつないでいる。今週、今日8月4日の分はこのブログでは来週となるわけだが、今日は秋田から神谷牧師夫妻が盛岡の方に来てくださる。ひと月の内3ないし4回は秋田から盛岡へのズーム配信。月一回、第一日曜日が盛岡から秋田への配信となっている。やはりこの日は礼拝に備える穏やかさのうちにも教会はどこか華やぎ活気づく。

 5時ごろには鶯が、まだ交通の喧騒もない静けさを舞台として、くっきりと鮮やかに冴え冴えと喉を披露、さて鶯がこの時期に啼くものかどうか訝しくググってみた。「ホーホケキョ」の「ホー」が聞き取れないのか、鳥に発せられていないのか。堂々とした自己主張とも聴こえたあの声はやはり鶯と思って間違いはなさそう。まるで声楽家が一級の舞台で演奏するかの名演奏だった。それが消えた途端に入れ替わってクルマの騒音が。ラッシュまでにはまだ間がある。何れ鳥の舞台がまだあることに胸をなでおろす。この苛酷な気候変動。経済優先。先がくぐもっている今、あの鳥の声は爽やかな一服であった。

 昨日の2時過ぎ、滅多に出かけようと言わない主人が、梁川の主である、これは釣りに関係している方だが、病院で知り合ったその方に会いたいというので106号にのった。106号は三陸の最東端宮古市に続く道。久方ぶりのあまりの空の青さに宮古市まで飛ばしたい気分でもあったが。訪ねたところが、その方は亡くなられていた。瞬間無念でやりきれない思いが。そこで引き返す予定が、気分転換というわけでもないが、区境高原、「区境」もこの字でよかったかどうか、近頃はいちいち確かめないと、という始末になっている。「区境」ではない、「区界」、そう区界の界は世界の界、世界的だと勝手に気をよくして書き進む。「区界」、かつては駐車場満車、シーズンごとに賑わいを見せていたが、あんなにすばらしい自然環境を備えたエリアが森閑としているのが残念。後方の、周りの景観もよその道の駅よりもずっといい。これがすっかり裏通りになってしまっている。
 急がなければそろそろタイムリミット。「熊が出ます」の注意書きを横目に、熊が出た場合の距離を測りながら腰かける。蝉の抜け殻にあっと。それがシャクナゲであったか、この中にいくつもの蝉の抜け殻が。「ここにはおられません。よみがえられたので」、なぜかイエスさまが三日目によみがえった聖書の場面がうかぶ。そして帰り道、ゆっくりと走りながら、延々と目前に続く日を浴びながら打ち続く北上山系の豊饒な樹林を切り分けて曲がりくねる路に、ェマオを歩むイエスさまのお姿が彷彿としたのでした。

 


ナビも知ってる秋田教会の住所
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⏰6時31分更新

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