中館耕蔵という人
久方ぶりにクラシック倶楽部、といっても書くか書かないかは別として、野球などで放送が変更される場合の他、大方は聴いている。バッハの「フーガの技法」が入っていたりすると、ありがたや! 8月、岩手県水沢市のZホールで演奏予定の福井敬の登場、川口成彦のフォルテピアノもあった。その他その他。今、ラモ―の「新しいクラヴサン曲集」が終わり、モーツァルトの「ソナタへ長調」が始まったところ。奏するはロシアのピアニスト、ダニール・トリフォノフ。コンクールでどんな輝かしい賞を取ったかを知るよりも、先ず自分の耳で聴いてみたら? 最近こんな声が自分の内から聞こえる。ラモ―、バロック期。宮廷の華やかさ、さざめきも。ピアノで装飾音を工夫したというトリフォノフ。ドイツ・グラモフォンと契約しているようだ。バッハの「シャコンヌ」や「フーガの技法」も出ているようだ。
と書くうちに名曲アルバム、成田為三も終わり、ワールド・ニュース。故ナワリヌイ氏の妻ユリアさんに逮捕命令が出たらしい。
☆ ☆ ☆
けさキーを打とうという気分になった動機は、実は7月6日放送の新プロジェクトX。これがずっと頭の中をめぐっており、今朝も。「窓ぎわのトットちゃん」を切り口に、黒柳徹子さんの現在をあらしめたという小林宗作という教育者の特集だった。小林はフランスに留学しダルクローズのリトミックを学び日本に伝えている。小林のいう「20年先を見据えた教育」、「自分に合ったものを見つける」等々、心惹かれた。日本の国民学校という教育体制下においても各々の個性を尊重する自由な教育を目指した。実は、この小林宗作がフランスに行く前に、群馬県から東京音楽学校に入る前に、地方の代用教員であった小林に音楽上の意識の変革をもたらした人物がいたのだ。その人は岩手県遠野市出身の日本の音楽マネージャーの先駆けである中館耕蔵であった。このことが、番組を見てからというもの、ぐるぐると頭をめぐっている。ということは、書かねば落ち着かないのだろう。途中で中断となるも、あまり重たく考えず軽い気持ちでキーを打ってみようか、久方ぶりにそんなふうに思った。
小林宗作
金子巴
佐野和彦という方が、「トットちゃんの先生 小林宗作抄伝」を著している。その中に中館耕蔵のことが記されている。44頁、11~19行には、中館耕蔵に関する金子巴(小林宗作の息子)さんの証言もある。
87~88頁には小林と新渡戸稲造との出会いも書かれている。抽出し転載したいのだが、今その時間がない。
何れ中館耕蔵は、小林宗作のみならず、大正、昭和に音楽マネージャーとして全国を回りながら、中央と地方の音楽の格差、西欧と日本の音楽の格差を説き、中央に出て学ぶよう、また海外留学を果たせるよう支援を惜しまなかった人物だった。当時の音楽界に中館耕蔵の名を知らぬひとはいなかったのだ。残念ながらこのことはあまり知られていない。詳しくはまた後日に書くことがあるかもしれない。簡略であるけれども、一応記しておきたい。
写真は岩手の合唱指揮者松田順子先生を介し中館家からお借りした写真のコピーです。中館耕蔵氏は大正の時代、キリスト教関係の方々、また白十字会からの音楽会開催、そのほか当時を代表する音楽家たちばかりでなく、渋沢栄一、白樺派の人々、平塚らいてふ、市川房枝からの依頼など、また亡命音楽家たちのマネージメントも引き受けていました。自ら楽壇を立ち上げた人物でもあります。後には国立音楽大学の創立にも関わっており、このことの方が関東大震災以前の音楽マネージャーとしての活躍よりもよく知られています。
⏰8時41分更新
| 固定リンク
« きょうのことば『遣わしたのは、あなたがたではなく、神』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師 神谷光一師の説教 | トップページ | きょうのことば 『向こう岸へ渡ろう』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師 神谷光一師の説教ー »
「音楽」カテゴリの記事
- 室内合唱団「日唱」の第40回定期演奏会があります。指揮は中館伸一氏。題して「受け継がれる魂~祖父・中館耕蔵の足跡をたどって~」(2025.04.15)
- 音楽雑感 これそれ あれこれ(2025.03.25)
- クラシック倶楽部あれこれ(2025.03.01)
- 新ダヴィット同盟(2025.02.12)
- クラシック エラール メモ(2025.02.05)
コメント