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2024年7月

きょうのことば『わたしがいのちのパンです』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師  神谷光一師の説教ー

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2024年7月21 (日)
説教題 『わたしがいのちのパンです』(←クリックしてお聞きください)
聖書朗読 
ヨハネの福音書6章1~15節、22~35節
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1 その後、イエスはガリラヤの湖、すなわち、ティベリアの湖の向こう岸へ行かれた。

2 大勢の群衆がイエスについていった。イエスが病人たちになさっていたしるしを見たからであった。
3 イエスは山に登り、弟子たちとともにそこに座られた。
4 ユダヤ人の祭りである過越が近づいていた。
5 イエスは目を上げて、大勢の群衆がご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買って来て、この人たちに食べさせようか。」
6 イエスがこう言われたのは、ピリポを試すためであり、ご自分が何をしようとしているのかを、知っておられた。
7 ピリポはイエスに答えた。「一人ひとりが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」
8 弟子の一人、シモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。
9 「ここに、大麦のパン五つと魚二匹持っている少年がいます。でも、こんなに大勢の人々では、それが何になるでしょう。」
10 イエスは言われた。「人々を座らせなさい。」その場所には草がたくさんあったので、男たちは座った。その数はおよそ五千人であった。 11 そうして、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、座っている人たちに分け与えられた。魚も同じようにして、彼らが望むだけ与えられた。
12 彼らが十分食べたとき、イエスは弟子たちに言われた。「一つも無駄にならないように、余ったパン切れを集めなさい。」
13 そこで彼らが集めると、大麦のパン五つを食べて余ったパン切れで、十二のかごがいっぱいになった。
14 人々はイエスのなさったしるしを見て、「まことにこの方こそ、世に来られるはずの預言者だ」と言った。

15 イエスは、人々がやって来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、再びただ一人で山に退かれた。

22 その翌日、湖の向こう岸にとどまっていた群衆は、前にはそこに小舟が一艘しかなく、その舟にイエスは弟子たちと一緒には乗らずに、弟子たちが自分たちだけで立ち去ったことに気づいた。
23 すると、主が感謝をささげて人々がパンを食べた場所の近くに、ティベリアから小舟が数艘やって 来た。
24 群衆は、イエスも弟子たちもそこにいないことを知ると、自分たちもそれらの小舟に乗り込んで、イエスを捜しにカペナウムに向かった。
25 そして、湖の反対側でイエスを見つけると、彼らはイエスに言った。「先生、いつここにおいでになったのですか。」
26 イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。
27 なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい。それは、人の子が与える食べ物です。この人の子に、神である父が証印を押されたのです。」
28 すると、彼らはイエスに言った。「神のわざを行なうためには、何をすべきでしょうか。」
29 イエスは答えられた。「神が遣わした者をあなたがたが信じること、それが神のわざです。」
30 それで、彼らはイエスに言った。「それでは、私たちが見てあなたを信じられるように、どんなしるしを行われるのですか。何をしてくださいますか。
31 私たちの先祖は、荒野でマナを食べました。『神は彼らに、食べ物として天からのパンを与えられた』と書いてあるとおりです。」
32 それで、イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。モーセがあなたがたに天からのパンを与えたのではありません。わたしの父が、あなたがたに天からのまことのパンを与えてくださるのです。
33 神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものなのです。」
34 そこで、彼らはイエスに言った。「主よ、そのパンをいつも私たちにお与えください。」
35 イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。 36 しかし、あなたがたに言ったように、あなたがたはわたしを見たのに信じません。 37 父がわたしに与えてくださる者はみな、わたしのもとに来ます。そして、わたしのもとに来る者を、わたしは決して外に追い出したりはしません。

38 
わたしが天から下って来たのは、自分の思いを行なうためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行なうためです。
39 わたしを遣わされた方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしが一人も失うことなく、終わりの日によみがえらせることです。
40 わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです。」

【神谷師による説教の要約】
 キリストが多くの人たちを前にして、弟子のピリポに「どこからパンを買って来て、この人たちに食べさせようか。」と尋ねたのは、キリストがどんなことでもできることを知らせるために、置かれた現状を確認させたのである。
 そのような人々の必要を満たすために、そこにいた少年のお弁当(2つのぱんと2匹の魚)を用いたのは、ご自身の働きのために、私たちを「役に立つ者」として加えたいと願っていることが意味されている。
 そうしたことの実現のために、キリストがご自分のことを「いのちのパン」と言われたのは、十字架を通してそのいのちが与えられるキリストを信じ、その約束である聖書を通して、いのちが与えられ、私たちがキリストに似た者と変えられてゆくことを示している。

 

―ブログ管理人のひとりごとー
 けさは何を書こうか……、もうちょっと体裁のいいことを、もうすこし説得力のあることはないか、これが始まるとしまいには必ず考えあぐね、仕方がないきょうはこの欄は割愛、などということになる。ありのまま、ありのまま。自分以外の個人情報に関わることは書けないけれども、けさ、いま、心に浮かんだこと、脳裏を過ったことをつらつらと。
 先週の半分は孫と一緒に過ごした。熱があるなどでお預かり。自分に孫がいなかったときには、携帯の待ち受けを孫の写真にしている方々の前で「孫を待ち受けにする人とは話したくない」と半ば冗談、半ば本心で言ったことがある。「人の喜びを喜びと」するべき立場にある自分。それが、平気でこんなことを言っていた。「あらら可愛いわね~」と、実際かわいいのだからそういって共に喜んでいればよいものを、である。口が悪いのか、心が悪いのか、たぶん心が悪いから口に出るのだ。ただ、ふつうのことばかり言っていたのでは一向に面白くない、という思いもすこしは働いている。
 自分に孫が生まれ、その愛らしさ、これが未来永劫に続くかどうかは予測もつかないのだが、しかし生涯幸せであって欲しいと
愛おしく思われるこの不思議。だけど言ってはならない、孫の話は。他の人にとってはたいくつなだけ、俳句、短歌、詩、エッセイの題材にはもはや書き尽くされてる。言えば陳腐なだけ、言ってはならない孫のはなし、と言いつつ臆面もなくひとくさり。孫が一つ動作するたびに「よいしょ」とことばを発するようになった。「よいしょ」。「ん?」。気付かされた。近頃は私が、孫を抱きあげるとき、物を持ち上げるとき、何か動作するたびに無意識のうちに「よいしょ」と思わず言ってしまっていたのだ。齢はかくせない!
 それで気付いた。孫も神さまが私の周りに置かれている多くの鏡の中の一枚だと。

 

 


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きょうのことば『恐れないで、ただ信じ』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師  神谷光一師の説教ー

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2024年7月14 (日)
説教題 『恐れないで、ただ信じ』(←クリックしてお聞きください)
聖書朗読 
マルコの福音書5章21~43節
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21イエスが再び舟で向こう岸に渡られると、大勢の群衆がみもとに集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。
 22すると、会堂司の一人でヤイロという人が来て、イエスを見るとその足もとにひれ伏して、
 23こう懇願した。「わたしの小さい娘が死にかけています。娘が救われて生きられるように、どうかおいでになって、娘の上に手を置いてやってください。
 24そこで、イエスはヤイロと一緒に行かれた。すると大勢の群衆がイエスについて来て、イエスに押し迫った。
 25そこに、十二年の間、長血をわずらっている女の人がいた。
 26彼女は多くの医者からひどい目にあわされて、持っている物をすべて使い果たしたが、何のかいもなく、むしろもっと悪くなっていた。
 27彼女はイエスのことを聞き、群衆とともにやって来て、うしろからイエスの衣に触れた。
 28「あの方の衣にでも触れれば、私は救われる」と思っていたからである。
 29すると、すぐに血の源が乾いて、病気が癒されたことを体に感じた。
 30イエスも、自分の内から力が出て行ったことにすぐ気がつき、群衆の中で振り向いて言われた。「だれがわたしの衣にさわったのですか。」
31すると弟子たちはイエスに言った。「ご覧のとおり、群衆があなたに押し迫っています。それでも『だれがわたしにさわったのか』とおっしゃるのですか。」
 32しかし、イエスは周囲を見廻して、だれがさわったのかを知ろうとされた。
 33彼女は自分の身に起こったことを知り、恐れおののきながら進み出て、イエスの前にひれ伏し、真実をすべて話した。
 34イエスは彼女に言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。苦しむことなく、健やかでいなさい。」
35イエスがまだ話しておられるとき、会堂司の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。これ以上、先生を煩わすことがあるでしょうか。」

36
イエスはその話をそばで聞き、会堂司に言われた。「恐れないで、ただ信じていなさい」
37イエスは、ペテロとヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれも自分と一緒に行くのをお許しにならなかった。
 38彼らは会堂司の家に着いた。イエスは、人々が取り乱して、大声で泣いたりわめいたりしているのを見て、
 39中に入って、彼らにこう言われた。「どうして取り乱したり、泣いたりしているのですか。その子は死んだのではありません。眠っているのです。」
40人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは皆を外に出し、子どもの父と母と、ご自分の供の者たちだけを連れて、その子のいるところに入って行かれた。
41そして、子どもの手を取って言われた。「タリタ、クム。」訳すと、「少女よ、あなたに言う。起きなさい」という意味である。
 42すると、少女はすぐに起き上がり、歩き始めた。少女は十二歳であった。それを見るや、人々は口もきけないほどに驚いた。 43イエスは、このことをだれにも知らせないようにと厳しくお命じになり、また、少女に食べ物を与えるように言われた。

 

【神谷師による説教の要約】
 娘の病気を治してもらうためにキリストのもとに来た父親は、その途中で娘の死を知らされ、もう自分にできることは何もないと絶望したが、そこで知らせを聞いていたキリストが「恐れないで、ただ信じていなさい」と父親に語り、あえて話を「無視」した。
それは、人がもうおしまいだと思う時も、キリストにとってそれは何でもないことを示されたのであり、娘のもとに行き、その手を取ってよみがえらせた。
 神のわざは、わたしたちが問題を何とかしようとあえぐことを止め、自分の無力さを認めて、ゆだねるところから始まる。

 

―ブログ管理人のひとりごとー
 戦争、憎しみの増幅。温暖化による環境破壊、そのたびに身一つで投げ出される方々。「ひと一人のいのちは本当に地球よりも重いの?」、それでちょっとぐぐってみたところ、こんなページがあった。おもしろい。しかし聖書には何と書かれているか。人は神に似せて造られた、神であるイエスさまを信じると聖霊が与えられる、とある。人が人としての価値をすこしでも全うして生きられるのは、この事実によると鈍いこの者も漸う確信するに至っている。こうして書いているうちにも地震があった。5時46分盛岡市震度2。北上は3。今日も猛暑予報。37度予測も。東京・千葉に昨夜大雨。台風3号がとぐろを巻いている。巨大地震予測も脳裏に。
 して今朝は何を書きたかったか。単純に、このユトリロのような梅雨の時季を、恐ろし気な雲が空を覆うこの時季を、比較的心平らかに過ごすことができているのは、バッハのお陰、それ以上に、むしろことあるごとに、困難なときほど、心に満ちてくださる神さまのご愛、慮り、このお陰です。そしてもし過酷な試練が直に自分に降りかかったときにも、そう言い続けられたなら、そう言い続けたい、そう願っています。「恐れないで、ただ信じていなさい」。

 


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6時20分更新

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クラシック倶楽部 アンソニー・ロマニウク&柴田俊幸&「AKIR KVBOTA 1996」

 きょうのクラシック倶楽部、アニソニー・ロマニウク&柴田俊幸の古楽器演奏、といっても古楽の垣根を超え、即興と作曲の別はないと、その垣根も取り払った演奏だった。バッハに始まりダウラント、バシリー、クルターグ、そして曲目はチック・ユリア、リゲティ、グラスにまで及び、特にリゲティの「ハンガリアン・ロック」で、あらら、ほんとに垣根を飛び越えちゃった!
 ロマニウクが弾いたフォルテピアノ、チェンバロ、そしてエレクトロニクス・ピアノ、特にエレクロニクス・ピアノで奏でる古楽の妙。柴田のやわらかな3通りであったか、フルート・トラヴェルソ。「バッハは自分と音楽の境目がなくなる」と。
 今回、もう一人のというより、今一台の“共演者”はチェンバロ「AKIRA KVBOTA 1996」。美術品としてもすばらしいというが、まさしく!

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⏰6時30分大慌てに慌てての更新

 

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きょうのことば 『向こう岸へ渡ろう』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師  神谷光一師の説教ー

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2024年7月7 (日)
説教題 『向こう岸へ渡ろう』(クリックしてお聞きください)
聖書朗読 
マルコの福音書4章35~41節
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35 さてその日、夕方になって、イエスは弟子たちに「向こう岸へ渡ろう」と言われた。36そこで弟子たちは群衆を後に残して、イエスを舟に乗せたままお連れした。ほかの舟も一緒に行った。

37すると、激しい突風が起こって波が舟の中にまで入り、舟は水でいっぱいになった。
38ところがイエスは、船尾で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生。私たちが死んでも、かまわないのですか」と言った。
39イエスは起き上がって風を𠮟りつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、すっかり凪になった。
40イエスは彼らに言われた。「どうして怖がるのですか。まだ信仰がないのですか。」
41彼らは非常に恐れて、互いに言った。「風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどなたなのだろうか。」

 

【神谷師による説教の要約】
 嵐で舟に水がいっぱいになり、弟子たちが怖がっているとき、そこでキリストが寝ていられたのは、どうしてこの嵐が起き、それが弟子たちに何をもたらすかよくわかっていたからである。
 キリストが風や湖に命じると、その通りになったのは、この世界を造り、今も支配され、それらを隅々までご存じの神だからであり、私たちが嵐(自分ではどうすることもできない困ったこと)に出会う時、そこで何が起き、そのことで私がどうなるかを知っているキリストが共にいることを信じるなら、そのような困難な中でも、そのことを大きく受け止める構えを持つことが可能となる。

 

―ブログ管理人のひとりごとー
 この7日の動画で、盛岡教会のS兄が入信された経緯をおはなしくださっています。この方は人に導かれるというよりも、聖書を読みながら神に捕らえられ、イエスさまを認識するに至ったという例。神さまのふしぎなお働きの事例でありました。
 またこの日、一組の兄姉の婚約式がありました。サプライズの花束、温かい拍手、飛び交う「おめでとう!」、会堂に満ちる祝福のさざめきとざわめき。

 この週間はバッハを聴いておりました。正直、私がバッハを聴くようになると若いころは思ってもいませんでした。「そこの家のお兄さんはバッハとベートーベンだって」と耳にした時は「へー、何とお堅い」、ベートーベンはちょっとは聴くけどそんな世界にご縁はなさそう、と思ったありし日。それが今は、昨日も半日、ピノックのチェンバロ協奏曲。細胞が喜んでくれるんです。うん、これこれ、これですよ、と。

  

 


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5時22分更新

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中館耕蔵という人

 久方ぶりにクラシック倶楽部、といっても書くか書かないかは別として、野球などで放送が変更される場合の他、大方は聴いている。バッハの「フーガの技法」が入っていたりすると、ありがたや! 8月、岩手県水沢市のZホールで演奏予定の福井敬の登場、川口成彦のフォルテピアノもあった。その他その他。今、ラモ―の「新しいクラヴサン曲集」が終わり、モーツァルトの「ソナタへ長調」が始まったところ。奏するはロシアのピアニスト、ダニール・トリフォノフ。コンクールでどんな輝かしい賞を取ったかを知るよりも、先ず自分の耳で聴いてみたら? 最近こんな声が自分の内から聞こえる。ラモ―、バロック期。宮廷の華やかさ、さざめきも。ピアノで装飾音を工夫したというトリフォノフ。ドイツ・グラモフォンと契約しているようだ。バッハの「シャコンヌ」や「フーガの技法」も出ているようだ。
 と書くうちに名曲アルバム、成田為三も終わり、ワールド・ニュース。故ナワリヌイ氏の妻ユリアさんに逮捕命令が出たらしい。

    ☆   ☆   ☆

 けさキーを打とうという気分になった動機は、実は7月6日放送の新プロジェクトX。これがずっと頭の中をめぐっており、今朝も。「窓ぎわのトットちゃん」を切り口に、黒柳徹子さんの現在をあらしめたという小林宗作という教育者の特集だった。小林はフランスに留学しダルクローズのリトミックを学び日本に伝えている。小林のいう「20年先を見据えた教育」、「自分に合ったものを見つける」等々、心惹かれた。日本の国民学校という教育体制下においても各々の個性を尊重する自由な教育を目指した。実は、この小林宗作がフランスに行く前に、群馬県から東京音楽学校に入る前に、地方の代用教員であった小林に音楽上の意識の変革をもたらした人物がいたのだ。その人は岩手県遠野市出身の日本の音楽マネージャーの先駆けである中館耕蔵であった。このことが、番組を見てからというもの、ぐるぐると頭をめぐっている。ということは、書かねば落ち着かないのだろう。途中で中断となるも、あまり重たく考えず軽い気持ちでキーを打ってみようか、久方ぶりにそんなふうに思った。
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小林宗作
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金子巴


 佐野和彦という方が、「トットちゃんの先生 小林宗作抄伝」を著している。その中に中館耕蔵のことが記されている。44頁、11~19行には、中館耕蔵に関する金子巴(小林宗作の息子)さんの証言もある。
87~88頁には小林と新渡戸稲造との出会いも書かれている。抽出し転載したいのだが、今その時間がない。
 何れ中館耕蔵は、小林宗作のみならず、大正、昭和に音楽マネージャーとして全国を回りながら、中央と地方の音楽の格差、西欧と日本の音楽の格差を説き、中央に出て学ぶよう、また海外留学を果たせるよう支援を惜しまなかった人物だった。当時の音楽界に中館耕蔵の名を知らぬひとはいなかったのだ。残念ながらこのことはあまり知られていない。詳しくはまた後日に書くことがあるかもしれない。簡略であるけれども、一応記しておきたい。

写真は岩手の合唱指揮者松田順子先生を介し中館家からお借りした写真のコピーです。中館耕蔵氏は大正の時代、キリスト教関係の方々、また白十字会からの音楽会開催、そのほか当時を代表する音楽家たちばかりでなく、渋沢栄一、白樺派の人々、平塚らいてふ、市川房枝からの依頼など、また亡命音楽家たちのマネージメントも引き受けていました。自ら楽壇を立ち上げた人物でもあります。後には国立音楽大学の創立にも関わっており、このことの方が関東大震災以前の音楽マネージャーとしての活躍よりもよく知られています。

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⏰8時41分更新



 

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 きょうのことば『遣わしたのは、あなたがたではなく、神』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師  神谷光一師の説教

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2024年6月30 (日)
説教題 『遣わしたのは、あなたがたではなく、神』
聖書朗読 
創世記44章30節~45章8節
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30 私が今、あなた様のしもべである私の父のもとへ帰ったとき、あの子が私たちと一緒にいなかったら、父のいのちはあの子のいのちに結ばれていますから、
31 あの子がいないのを見たら、父は死んでしまうでしょう。しもべどもは、あなた様のしもべである白髪頭の父を、悲しみながらよみに下らせることになります。
32 というのは、このしもべは父に、『もしも、あの子をお父さんのもとに連れ帰らなかったなら、私は一生あなたの前に罪ある者となります』と言って、あの子の保証人となっているからです。
33 ですから、どうか今、このしもべを、あの子の代わりに、あなた様の奴隷としてとどめ、あの子を兄弟たちと一緒に帰らせてください。
34 あの子が一緒でなくて、どうして私は父のところへ帰れるでしょう。父に起こるわざわいを見たくありません。」

1 ヨセフは、そばに立っているすべての人の前で、自分を制することができなくなって、「みなを、私のところから出しなさい。」と叫んだ。ヨセフが兄弟たちに自分のことを明かしたとき、彼のそばに立っている者はだれもいなかった。

2 ヨセフが声をあげて泣いた。エジプト人はその声を聞き、ファラオの家の者もそれを聞いた。
3 ヨセフは兄弟たちに言った。「私はヨセフです。父上はお元気ですか。」兄弟たちはヨセフを前にして驚きのあまり、答えることができなかった。
4 ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか私に近寄ってください。」彼らが近寄ると、ヨセフは言った。「私はあなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです。
5 私をここに売ったことで、今、心を痛めたり自分を責めたりしないでください。神はあなたがたより先に私を遣わし、いのちを救うようにしてくださいました。
6 というのは、この二年の間、国中に飢饉が起きていますが、まだあと五年は、耕すことも刈り入れることもないからです。
7 神が私をあなたがたより先にお遣わしになったのは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによって、あなたがたを生き延びさせるためだったのです。
8 ですから、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、神なのです。神は私をファラオには父とし、その全家には主人とし、またエジプト全土の統治者とされました。

【神谷師による説教の要約】
 かつてヨセフをエジプトに奴隷として売ったことで、兄たちの心には、それが思い出したくない傷跡として残った。そのような辛い出来事を、後にエジプト全土を支配するようになったヨセフは、それが兄たちではなく、神からエジプトに遣わされたことだと理解した。
 ヨセフが兄たちとの再会の中で、すぐには自分の事を明かさずに厳しく接したのは、これらすべてを神のみこころとして分かち合うために、兄たちがその罪を認め、そこに向き合うことで、兄たちの内側にも、なされるべき神の計画があったからだと言える。
 神の祝福は個々の願望達成のためではなく、神の計画の実現を目的としている。そのため神は、人の目に失敗と映ることさえ用いることができる。

 

―ブログ管理人のひとりごとー
 ヨセフを溺愛した親の偏愛にも問題があったと思われるが、兄たちは妬んで日頃からヨセフに嫌がらせをしていたのだ。しまいにはいなくなれとばかりにエジプトに売り飛ばしてしまう。奴隷として買われエジプトに下ってゆくことがどんなに惨めで屈辱的であったことか。しかも陥れたのは実の兄弟たちなのだ。途上、神と現実とのはざまにあるヨセフの心の葛藤に思いが到った。しかし、自分が権力者となり頼って来るものをいかようにも処遇することができる立場になったヨセフ。自分を陥れた兄弟たちを懲らしめることもできれば、命を奪うこともできたところだが。ヨセフは彼らを助ける。赦しだ。死んじまえ!と自分を投げ捨てた者たちを赦し助ける。
 ここまでの赦し、これは聖霊の動き、働き、助けなしには成し得ないものではないかと私は思っている。ご聖霊様が目的を持って動き働かれるときに、通常の人には成し得ないことが成就される、そんなことを思った。
 はなしは移るが、このブログ、やはり年齢的な衰えとともに更新が厳しくなるだろう。しかし、神さまは、もっと優れたスキルを持った方を、盛岡教会のために登場させるのではないか。このブログは、個人ブログの域を出ないが、こんどは、もっとしっかりとしたブログが更新されることになるかもしれない。前牧師が退任するとき、神谷牧師が兼任を引き継がれ、さて、ズームはどうなる?と危惧したところが、危惧する間もなくであったか、すぐに、会員の方が引き継ぎ行い事なきを得ている。こうしてみると、必要な人材は備えられるようなのだ。不思議にも。
 

 


ナビも知ってる秋田教会の住所
 秋田県秋田市外旭川字神田519-7
ナビも知ってる盛岡教会の住所 盛岡市大館町12-26  日曜日10時半~がどなたでも参加できる礼拝です。

 

5時53分更新

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