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きょうのことば『あなたの名は何というのか』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師  神谷光一師の説教ー

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2024年6月9 (日)
説教題 『あなたの名は何というのか』(クリックしてお聴きください)
聖書朗読 
創世記32章1~12、22~32節
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1 さて、ヤコブが旅を続けていると、神の使いたちが彼に現れた。
2 ヤコブは彼らを見たとき、「ここは神の陣営だ」と言って、その場所の名をマハナイムと呼んだ。
3 ヤコブは、セイルの地、エドムの野にいる兄のエサウに、前もって使いを送った。
4 ヤコブは彼らに命じた。「私の主人エサウにこう伝えなさい。『あなた様のしもべヤコブがこう申しております。私はラバンのもとに寄留し、今に至るまでとどまっていました。
5 私には牛、ろば、羊、それに男女の奴隷がおります。それで私の主人であるあなた様にお知らせして、ご好意を得ようと使いをお送りしました。』」
6 使者は、ヤコブのもとに帰って来て言った。「兄上エサウのもとに行って参りました。あの方も、あなたを迎えにやって来られます。四百人があの方と一緒にいます。」
7 ヤコブは非常に恐れ、不安になった。それで彼は、一緒にいる人々や、羊や牛やらくだを二つの宿営に分けた。
8 「たとえエサウが一つの宿営にやって来て、それを、打っても、もう一つの宿営は逃れられるだろう」と考えたのである。
9 ヤコブは言った。「私の父アブラハムの神、私の父イサクの神よ。私に『あなたの地、あなたの生まれた地に帰れ。わたしはあなたを幸せにする』と言われた主よ。
10 私は、あなたがこのしもべに与えてくださった、すべての恵みとまことを受けるに値しない者です。私は一本の杖しか持たないで、このヨルダン川を渡りましたが、今は、二つの宿営を持つまでになりました。
11 どうか私の兄エサウの手から私を救い出してください。兄が来て、私を、また子どもたちとともにその母親たちまでも打ちはしないかと、私は恐れています。
12 あなたは、かつて言われました。『わたしは必ずあなたをしあわせにし、あなたの子孫を、多くて数えきれない海の砂のようにする』と。」
22 その夜、彼は起き上がり、二人の妻と二人の女奴隷、そして十一人の子どもたちを連れ出し、ヤボクの渡し場を渡った。
23 彼らを連れ出して川を渡らせ、また自分の所有する物も渡らせた。
24 ヤコブが一人だけ後に残ると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。
25 その人はヤコブに勝てないのを見てとって、彼のももの関節を打った。ヤコブのももの関節は、その人と格闘しているうちに外れた。
26 すると、その人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」ヤコブは答えた。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」
27 その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は言った。「ヤコブです。」
28 その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばない。イスラエルだ。あなたが神と、また人と戦って、勝ったからだ。」
29 ヤコブは願って言った。「どうか、あなたの名を教えてください」すると、その人は「いったい、なぜ、わたしの名を尋ねるのか」と言って、その場で彼を祝福した。
30 そこでヤコブは、その場所の名をこの名をベヌエルと呼んだ。「私は顔と顔を合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた」という意味である。
31 彼がペヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に昇ったが、彼はそのもものために足を引きずっていた。
32 こういうわけで、イスラエルの人々は今日まで、ももの関節の上の、腰の肉を食べない。ヤコブが、ももの関節、、腰の筋を打たれたからである。

【神谷師による説教の要約】
 聖書が語る祝福の本質は、物の豊かさや物事の順調さにあるのではなく、そこに先立つ神が共におられる事である。
 祝福を約束されているはずのヤコブが、帰郷の途にあって、兄エサウが数多くの従者を引き連れて迎えに来ることを恐れたのは、かつて父イサクをだまし、兄の祝福を奪った過去の負い目からである。
 そのようなヤコブが、すでに十分与えられているはずの祝福を本当に頷くために、真夜中に現れ、格闘を続けた御使いから、その名を尋ねられたとき「ヤコブです」と答え、心にある本当の自分「人を押しのける姿」を御前に真実に告白し、認めることで、新たな名前「イスラエル(神が戦う、神と戦う)」が与えられた。
 私たちもまた、己の姿を認めることで、そのありかたは神によって変えられ得るのである。




―ブログ管理人のひとりごとー
 人は、というよりも、私は忘れやすい。一週間前に説教を聴き、自分に照らし、心の中のパズルをすっきりと並べおおせたつもりが、一週間経つと、いつの間にかパズルとパズルの間にすきまができており、またまた独断と偏見が幅を利かせている。一週間前の説教をこうして思い起し、またきちんと嵌め直すことは時として必要なことかと思う。
 音楽ブログが宗教ブログに成り代わったかの観。下ノ橋教会でコンサートがあったらしい。インマヌエルの教会員である方が聴いてきて様子を知らせてくださった。教会がこのような活力を備えていること自体が嬉しい。
 はなしは飛躍するけれども、カトリックにある方々が築き上げたいまだに観る者を衝き動かす芸術にはもうああのこうのと語る余地さえなくただ圧倒されてしまう場合が多い。ならばプロテスタントで芸術の最高峰は誰?となると、それはバッハでしょうと多くの方が教えてくださる。バッハはもう足元にも及ばない敬虔なクリスチャン。神への想いは比較ではないというものの、毎週日曜礼拝に合わせて世界レベルの作曲をした人なのだ。今のように優れたコピー機もない時代、楽器、声楽用の楽譜を皆に配布し、トレーニングし、演奏を当日に間に合わせたというから凄い。
 今ドイツではバッハ祭が。そのバッハ祭に招かれ現地入りしているのが、盛岡バッハ・カンタータ・フェライン。陣容を整え現地入りするときには、さらに仙台、東京などからの希望者も加わり60人に。バッハ・カンタータ・フェライン東日本と改称。それにしても30人がこの盛岡から! いよいよこの盛岡も悪くはないと。盛岡がいよいよ輝きを増したこの月。久方ぶりに盛岡市民歌まで繰り返し聴いてしまった。
 あまりの忙しさに6月は何がある、かにがあるも失念していた。それほど6月に入ってからはゆとりがなかった。けれども、そんな忙しい中で、ふと立ち止まってみるとき、確かに自分を支えて下さる、自分と共にいてくださるインマヌエル(イエス・キリスト)の存在を感じることができたのは、何にも勝る幸いだった。

 

6時39分更新

  


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