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2024年6月

 きょうのことば『さあ、私に話して』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師  神谷光一師の説教

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説教題 『さあ、私に話して』(←クリックしてお聴きください)
聖書朗読 
創世記3917節~408
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17
彼女は主人に、このように告げた。「あなたが私たちのところに連れて来た、あのヘブル人の奴隷は、私にいたずらをしようとして私のところに入って来ました。
18 私が声をあげて叫んだので、あの男は私のそばに上着を残して、外へ逃げました。」
19 彼の主人は、「あなたの奴隷がこのようなことを私にしました」と告げた妻のことばを聞いて、怒りに燃えた。
20 ヨセフの主人は彼を捕らえ、王の囚人が監禁されている監獄に彼を入れた。こうして彼は監獄に置かれた。
21 しかし、主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。
22 監獄の長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手に委ねた。ヨセフは、そこで行われるすべてのことを管理するようになった。
23 監獄の長は、ヨセフの手に委ねたことには何も干渉しなかった。それは、主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。


1 これらのことの後、エジプト王の献酌官と調理官が、その主君、エジプト王に対して過ちを罪を犯した。
2 ファラオは、この献酌官長と調理官長のふたりの廷臣に対して怒り、
3 彼らを侍従長の家に拘留した。それは、ヨセフが監禁されているのと同じ監獄であった。
4 侍従長がヨセフを彼らの付き人にしたので、ヨセフは彼らの世話をした。彼らは、しばらく拘留されていた。
5 さて、監獄に監禁されていた、エジプト王の献酌官と調理官は、二人とも同じ夜にそれぞれ夢を見た。その夢にはそれぞれ意味があった。
6 朝、ヨセフが彼らのところに来て、見ると、彼らは顔色がすぐれなかった。
7 それで彼は、自分の主人の家に一緒に拘留されている、このファラオの廷臣たちに「なぜ、今日、お二人は顔色がさえないのですか」と尋ねた。
8 二人は答えた。「私たちは夢を見たが、それを解き明かす人がいない。」ヨセフは言った。「解き明かしは、神のなさることではありませんか。さあ、私に話してください。」

 

【神谷師による説教の要約】
 ヨセフが父ヤコブから受け継いだ「祝福」は、主がヨセフと共におられ、ヨセフに成功を与えられたことに表されている。ヨセフが夢を見た献酌官長と調理官長に向かって「さあ、私に話してください」と言ったのは、神が共におられて必要なことを教えてくださることがよくわかっていたからだといえる。
 また、ヨセフに向かって言われた「神の霊が宿っているこのような人」とは、今で言えば、キリストを信じて、その心に「聖霊、御霊」が住まわれる人である。
 それは私たちを通して、それぞれに与えられている主のご計画が実現してゆくためである。各々のオリジナルな人生は、神の栄光の現われを見るためにある。

 

―ブログ管理人のひとりごとー
 写真の梅雨空、雲の厚み。もし神がおられないなら、この雲の重たさはいかばかりか。
きのうは仕事で参加できない方々もあったが、皆さまで教会の大掃除。教会の所用で出かけた私は、今から戻れば1時間は参加出来るだろうと思っていたところが、戻ってみると掃除は完了。会堂には掃き浄められ、磨き浄められた清浄な空気が穏やかに満ちていた。当初2時間の予定が、1時間でワックスがけまでが完了していた。

 


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きょうのことば『あいつの夢がどうなるのか』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師  神谷光一師の説教

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2024年6月16 (日)
説教題 『あいつの夢がどうなるのか』(←クリックしてお聴きください)
聖書朗読 
創世記37章1~11、18~28節
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1 さて、ヤコブは父の寄留の地、カナンの地に住んでいた。
2 これはヤコブの歴史である。ヨセフは十七歳のとき、兄たちとともに羊の群れを飼っていた。彼はまだ手伝いで、父の妻ビルハの子らやジルパの子らとともにいた。ヨセフは彼らの悪いうわさを彼らの父に告げた。
3 イスラエルは、息子たちのだれよりもヨセフを愛していた。ヨセフが年寄り子だったからである。それで彼はヨセフに、あや織りの長服を作ってやっていた。
4 ヨセフの兄たちは、父が兄弟たちのだれよりも彼を愛しているのを見て、彼を憎み、穏やかに話すことができなかった。
5 さて、ヨセフは夢を見て、それを兄たちに告げた。すると彼らは、ますます彼を憎むようになった。
6 ヨセフは彼らに言った。「私の見たこの夢について聞いてください。
7 見ると、私たちは畑で束を作っていました。すると突然、私の束が起き上がり、まっすぐに立ちました。そしてなんと、兄さんたちの束が回りに来て、私の束を伏し拝んだのです。」
8 兄たちは彼に言った。「おまえが私たちを治める王になるというのか。私たちを支配すると言うのか。」彼らは、夢や彼のことばのことで、ますます彼を憎むようになった。
9 再びヨセフは別の夢を見て、それを兄たちに話した。彼は、「また夢を見ました。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいました」と言った。
10 ヨセフが父や兄たちに話すと、父は彼を叱って言った。「いったい何なのだ、おまえの見た夢は。私やおまえの母さん、兄さんたちが、おまえのところに進み出て、地に伏しておまえを拝むと言うのか。」
11 兄たちは彼をねたんだが、父はこのことを心にとどめていた。

18 兄たちは遠くにヨセフ見て、彼が近くに来る前に、彼を殺そうと企んだ。
19 彼らは互いに話し合った。「見ろ。あの夢を見る者がやって来た。
20 さあ、今こそあいつを殺し、どこかの穴の一つにでも投げ込んでしまおう。そうして、凶暴な獣が食い殺したと言おう。あいつの夢がどうなるかを見ようではないか。」
21 しかし、ルベンはこれを聞き、彼らの手から彼を救い出そうとして、「あの子を打ち殺すのはやめよう」と言った。
22また、ルベンは言った。「弟の血を流してはいけない。弟を荒野の、この穴に投げ込みなさい。手を下してはいけない。」これは、ヨセフを彼らの手から救い出し、父のもとに帰すためであった。
23 ヨセフが兄たちのところに来たとき、彼らは、ヨセフの長服、彼が着ていたあや織りの長服をはぎ取り、
24 彼を捕らえて、穴の中に投げ込んだ。その穴は空で、中には水がなかった。
25 それから、彼らは座って食事をした。彼らが目を上げて見ると、そこに、イシュマエル人の隊商がギルアデからやって来ていた。彼らは、らくだに樹膠と乳香と没薬を背負わせて、エジプトへ下って行くところであった。
26 すると、ユダが兄弟たちに言った。「弟を殺し、その血を隠しても、何の得になるだろう。
27 さあ、ヨセフをイシュマエル人に売ろう。われわれが手をかけてはいけない。あいつは、われわれの弟、われわれの肉親なのだから。」兄弟たちは彼の言うことを聞き入れた。
28 そのとき、ミディアン人の商人たちが通りかかった。それで兄弟たちはヨセフを穴から引き上げ、銀二十枚でヨセフをイシュマエル人に売った。イシュマエル人はヨセフをエジプトへ連れて行った。

【神谷師による説教の要約】
 ヤコブやその子ヨセフが神から与えられる祝福の先にあるものは、彼らを通してこの地上に来られるキリストによって、神と人との関係が回復することである。
 また、ヨセフの兄弟たちが、ヨセフの話したことを「あいつの夢」と呼んだのは、その夢が必ず実現する神のみこころではなく、ただ、ヨセフの心の願望に過ぎないと考えていたからである。
 ヨセフが夢に見たように、私たちにも神がそれぞれ計画を持っておられることは、神のことばである聖書を読むことによって知ることができる。

 

―ブログ管理人のひとりごとー
 現在関わっている方々、かつて関わっていた方々が、ご自分の作品が掲載された文芸誌を送ってくださる。季刊誌、年一回、年二回の発行、随時発行とさまざま。捲っていて、ひとの人生も神という作者によって計画され、つくられた一頁一頁であるかもしれない、そう思った時、自らの来し方、その場面場面がぐーっとはるか向こうに遠のき、喜怒哀楽の声がまるで自分とは別存在のように戯れているようにも、ちんまりと静まり寛ぐ米粒のようにも見え感じられた。身軽になった。
 さて、今日も一日が始まる。

 


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きょうのことば『あなたの名は何というのか』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師  神谷光一師の説教ー

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2024年6月9 (日)
説教題 『あなたの名は何というのか』(クリックしてお聴きください)
聖書朗読 
創世記32章1~12、22~32節
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1 さて、ヤコブが旅を続けていると、神の使いたちが彼に現れた。
2 ヤコブは彼らを見たとき、「ここは神の陣営だ」と言って、その場所の名をマハナイムと呼んだ。
3 ヤコブは、セイルの地、エドムの野にいる兄のエサウに、前もって使いを送った。
4 ヤコブは彼らに命じた。「私の主人エサウにこう伝えなさい。『あなた様のしもべヤコブがこう申しております。私はラバンのもとに寄留し、今に至るまでとどまっていました。
5 私には牛、ろば、羊、それに男女の奴隷がおります。それで私の主人であるあなた様にお知らせして、ご好意を得ようと使いをお送りしました。』」
6 使者は、ヤコブのもとに帰って来て言った。「兄上エサウのもとに行って参りました。あの方も、あなたを迎えにやって来られます。四百人があの方と一緒にいます。」
7 ヤコブは非常に恐れ、不安になった。それで彼は、一緒にいる人々や、羊や牛やらくだを二つの宿営に分けた。
8 「たとえエサウが一つの宿営にやって来て、それを、打っても、もう一つの宿営は逃れられるだろう」と考えたのである。
9 ヤコブは言った。「私の父アブラハムの神、私の父イサクの神よ。私に『あなたの地、あなたの生まれた地に帰れ。わたしはあなたを幸せにする』と言われた主よ。
10 私は、あなたがこのしもべに与えてくださった、すべての恵みとまことを受けるに値しない者です。私は一本の杖しか持たないで、このヨルダン川を渡りましたが、今は、二つの宿営を持つまでになりました。
11 どうか私の兄エサウの手から私を救い出してください。兄が来て、私を、また子どもたちとともにその母親たちまでも打ちはしないかと、私は恐れています。
12 あなたは、かつて言われました。『わたしは必ずあなたをしあわせにし、あなたの子孫を、多くて数えきれない海の砂のようにする』と。」
22 その夜、彼は起き上がり、二人の妻と二人の女奴隷、そして十一人の子どもたちを連れ出し、ヤボクの渡し場を渡った。
23 彼らを連れ出して川を渡らせ、また自分の所有する物も渡らせた。
24 ヤコブが一人だけ後に残ると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。
25 その人はヤコブに勝てないのを見てとって、彼のももの関節を打った。ヤコブのももの関節は、その人と格闘しているうちに外れた。
26 すると、その人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」ヤコブは答えた。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」
27 その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は言った。「ヤコブです。」
28 その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばない。イスラエルだ。あなたが神と、また人と戦って、勝ったからだ。」
29 ヤコブは願って言った。「どうか、あなたの名を教えてください」すると、その人は「いったい、なぜ、わたしの名を尋ねるのか」と言って、その場で彼を祝福した。
30 そこでヤコブは、その場所の名をこの名をベヌエルと呼んだ。「私は顔と顔を合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた」という意味である。
31 彼がペヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に昇ったが、彼はそのもものために足を引きずっていた。
32 こういうわけで、イスラエルの人々は今日まで、ももの関節の上の、腰の肉を食べない。ヤコブが、ももの関節、、腰の筋を打たれたからである。

【神谷師による説教の要約】
 聖書が語る祝福の本質は、物の豊かさや物事の順調さにあるのではなく、そこに先立つ神が共におられる事である。
 祝福を約束されているはずのヤコブが、帰郷の途にあって、兄エサウが数多くの従者を引き連れて迎えに来ることを恐れたのは、かつて父イサクをだまし、兄の祝福を奪った過去の負い目からである。
 そのようなヤコブが、すでに十分与えられているはずの祝福を本当に頷くために、真夜中に現れ、格闘を続けた御使いから、その名を尋ねられたとき「ヤコブです」と答え、心にある本当の自分「人を押しのける姿」を御前に真実に告白し、認めることで、新たな名前「イスラエル(神が戦う、神と戦う)」が与えられた。
 私たちもまた、己の姿を認めることで、そのありかたは神によって変えられ得るのである。




―ブログ管理人のひとりごとー
 人は、というよりも、私は忘れやすい。一週間前に説教を聴き、自分に照らし、心の中のパズルをすっきりと並べおおせたつもりが、一週間経つと、いつの間にかパズルとパズルの間にすきまができており、またまた独断と偏見が幅を利かせている。一週間前の説教をこうして思い起し、またきちんと嵌め直すことは時として必要なことかと思う。
 音楽ブログが宗教ブログに成り代わったかの観。下ノ橋教会でコンサートがあったらしい。インマヌエルの教会員である方が聴いてきて様子を知らせてくださった。教会がこのような活力を備えていること自体が嬉しい。
 はなしは飛躍するけれども、カトリックにある方々が築き上げたいまだに観る者を衝き動かす芸術にはもうああのこうのと語る余地さえなくただ圧倒されてしまう場合が多い。ならばプロテスタントで芸術の最高峰は誰?となると、それはバッハでしょうと多くの方が教えてくださる。バッハはもう足元にも及ばない敬虔なクリスチャン。神への想いは比較ではないというものの、毎週日曜礼拝に合わせて世界レベルの作曲をした人なのだ。今のように優れたコピー機もない時代、楽器、声楽用の楽譜を皆に配布し、トレーニングし、演奏を当日に間に合わせたというから凄い。
 今ドイツではバッハ祭が。そのバッハ祭に招かれ現地入りしているのが、盛岡バッハ・カンタータ・フェライン。陣容を整え現地入りするときには、さらに仙台、東京などからの希望者も加わり60人に。バッハ・カンタータ・フェライン東日本と改称。それにしても30人がこの盛岡から! いよいよこの盛岡も悪くはないと。盛岡がいよいよ輝きを増したこの月。久方ぶりに盛岡市民歌まで繰り返し聴いてしまった。
 あまりの忙しさに6月は何がある、かにがあるも失念していた。それほど6月に入ってからはゆとりがなかった。けれども、そんな忙しい中で、ふと立ち止まってみるとき、確かに自分を支えて下さる、自分と共にいてくださるインマヌエル(イエス・キリスト)の存在を感じることができたのは、何にも勝る幸いだった。

 

6時39分更新

  


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きょうのことば『決してあなたを捨てない』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師  神谷光一師の説教

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説教題 聖餐式礼拝説教『決してあなたを捨てない』(←クリックしてお聞きください)
聖書朗読 創世記28122
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1 イサクはヤコブを呼び寄せ、彼を祝福し、そして彼に命じた。「カナンの娘たちの中から妻を迎えてはならない。
2 さあ立って、パダン・アラムの、おまえの母の父ベトエルの家に行き、そこで母の兄ラバンの娘たちの中から妻を迎えなさい。
3 全能の神がおまえを祝福し、多くの子を与え、おまえを増やしてくださるように。そして、おまえが多くの民の群れとなるように。
4 神はアブラハムの祝福をおまえに、すなわち、おまえと、おまえとともにいるおまえの子孫に与え、神がアブラハムに下さった地、おまえがいま寄留しているこの地を継がせてくださるように。」
5 こうしてイサクはヤコブを送り出した。彼はパダン・アラムの、ラバンのところに行った。ヤコブとエサウの母リベカの兄、アラム人ペトエルの子ラバンのところである。
6 エサウは、イサクがヤコブを祝福したこと、またパダン・アラムから妻を迎えるために彼を送り出したことを知った。イサクが、ヤコブを祝福して送り出したときに、カナンの娘たちから妻を迎えてはならないと命じ、
7 ヤコブが、父と母の言うことに聞き従ってパダン・アラムへ行ったことも。
8 さらにエサウは、カナンの娘たちを、父イサクが気に入っていないことを知った。
9 それでエサウはイシュマエルのところに行き、今いる妻たちのほかに、アブラハムの子イシュマエルの娘で、ネバヨテの妹マハラテを妻として迎えた。
10 ヤコブはベエル・シェバを出て、ハランへと向かった。
11 彼はある場所にたどり着き、そこで一夜を明かすことにした。ちょうど日が沈んだからである。彼はその場所で石を取って枕にし、その場所で横になった。
12 すると彼は夢を見た。見よ、一つのはしごが地に立てられていた。その上の端は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしていた。
13 そして、見よ、主がその上に立って、こう言われた。「わたしは、あなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしは、あなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫に与える。
14 あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西へ、東へ、北へ、南へと広がり、地のすべての部族はあなたによって、またあなたの子孫によって祝福される。

15
見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。
16 ヤコブは眠りからさめて、言った。「まことに主はこの場所におられる。それなのに、私はそれを知らなかった」
17 彼は恐れて言った。「この場所は、なんとおそれおおいところだろう。ここは神の家にほかならない。ここは天の門だ。」
18 翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを立てて石の柱とし、柱の頭に油をそそいだ。
19 そしてその場所の名をベテルと呼んだ。その町の名は、もともとはルズであった。
20 ヤコブは請願を立てた。「神が私とともにおられて、私が行くこの旅路を守り、食べるパンと着る衣を下さり、
21 無事に父の家に帰らせてくださるなら、主は私の神となり、
22 石の柱として立てたこの石は神の家となます。私は、すべてあなたが私に下さる物の十分の一を必ずあなたに献げます。」

【神谷師による説教の要約】
神が夢の中でヤコブに「わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行ってもあなたを守り~あなたを捨てない。」と言われたのは、ヤコブが母リベカのお腹の中にいるときから決められ、父イサクから受けた祝福をいただいているからである。
 また、ヤコブが夢を見た後、それを単に夢として片付けず、今、置かれた現実の中で「神がおられるのに知らなかった」と言うことができたのは、夢の中で、神に出会い、将来にわたる約束を知り、信じたからだといえる。
 そのように今の私たちが神の声を聞くことは、与えられるみことばを通してである。聖書を開くとき、私たちは個人的に神のみこころを知ることができる。



―ブログ管理人のひとりごとー
 講壇に飾られているお花は、私の友だちが是非講壇に飾ってほしいと、この日の朝に届けてくださったものです。クリスチャンの方ではありませんが、教会には理解をもっていてくださいます。神さまの祝福がございますように!
 IGM秋田教会の神谷先生ご夫妻は月に一度、盛岡に来てくださっています。教会が活気づく日でもあります。この日は美津子先生の運転。もしかすれば前回も美津子先生の運転だったかも。
 この6月2日には聖餐式がありました。2000年の間、教会でまもり続けられ、そして今この岩手の盛岡の大館町にある小さな教会でも変わることなく執り行われている。驚くべきことです。十字架に架けられたイエスさまのお姿が偲ばれます。キリスト教会は縮小の傾向にあります。牧師のなり手が極めて少ない。常駐の牧師がいない教会もよく見受けられます。明らかに会堂管理の手が足りていないところも多々。ところがところが神は生きておられる!地上の人の目に見えるところはどんな景観を呈していようとも、神はかわらずに聖書を通してそのご存在を示し、ここぞというときには何らかの動きをもって何等かを用いることによって、自らをお示しになる、この連鎖に私は生かされて今があるようです。
 


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きょうのことば『祝福は一つしかないのですか』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師  神谷光一師の説教

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2024年5月26(日)
説教題 『祝福は一つしかないのですか』(←クリックしてお聞きください)
聖書朗読 
創世記27章26~40節
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26 父イサクはヤコブに、「近寄って私に口づけしてくれ、わが子よ」と言ったので、
27 ヤコブは近づいて、彼に口づけした。イサクはヤコブの衣の香りを嗅ぎ、彼を祝福して言った。
「ああ、わが子の香り、主が祝福された野の香りのようだ。
28 神がおまえに天の露と地の肥沃、豊かな穀物と新しいぶどう酒を与えてくださるように。
29 諸国の民がおまえに仕え、もろもろの国民がおまえを伏し拝むように。おまえは兄弟たちの主となり、おまえの母の子がおまえを伏し拝むように。おまえを呪う者がのろわれ、おまえを祝福する者が祝福されるように。」
30 イサクがヤコブを祝福し終わり、ヤコブが父イサクの前から出て行くとすぐに、兄のエサウが猟から戻って来た。
31 彼もまた、おいしい料理を作って、父のところに持って来た。そして父に言った。「お父さん。起きて、息子の獲物を召し上がってください。あなた自ら、私を祝福してくださるために。」
32 すると父イサクは彼に言った。「だれだね、おまえは。」彼は言った。「私はあなたの子、長男のエサウです。」
33 イサクは激しく身震いして言った。「では、いったい、あれはだれだったのか。獲物をしとめて、私のところに持って来たのは、おまえが来る前に、私はみな食べてしまい、彼を祝福してしまった。彼は必ず祝福されるだろう。」
34 エサウは父のことばを聞くと、声の限りに激しく泣き叫び、父に言った。「お父さん、私を祝福してください。私も。」
35 父は言った。「おまえの弟が来て、だましたのだ。そしておまえへの祝福を奪い取ってしまった。」
36 エサウは言った。「あいつの名がヤコブというのも、このためか。二度までも私を押しのけて。私の長子の権利を奪い取り、今また、私への祝福を奪い取った。」また言った。「私のためには、祝福を取っておかれなかったのですか。」
37 イサクは答えてエサウに言った。「ああ、私は彼をおまえの主とし、すべての兄弟を彼にしもべとして与えた。また穀物と新しいぶどう酒で彼を養うようにした。わが子よ、おまえのためには、いったい何ができるだろうか。」
38 エサウは父に言った。「お父さん。祝福は一つしかないのですか。お父さん、私を祝福してください。私も。」エサウは声をあげて泣いた。
39 父イサクは彼に答えた。
「見よ。おまえの住む所には、地の肥沃がなく、上から天の露もない。
40 おまえは自分の剣によって生き、自分の弟に仕えることになる。しかし、おまえが奮い立つなら、おまえは自分の首から彼のくびきを解き捨てるだろう。」

【神谷師による説教の要約】
 父イサクに対して、息子のエサウが求めた「祝福は一つしかない」のは、神の祝福が新約のキリスト誕生の系図に連なるものだからである。
また、イサクが与える祝福を、母リベカが弟のヤコブに対し、兄エサウになりすまして祝福を受けさせたことで、ヤコブが家を離れることになったのは、神のみこころを、人の都合や考えで果たそうとするとき、間違いが起きるということを現わしている。
 また、後のヤコブが経験したように、神の与えられる祝福に苦しみが伴うのは、そのことを通して私たちが神に似た者とされるようにとの訓練だといえる。
 問題、課題を安易に避けることなく、その中で共におられる神を知ることこそ、祝福の本質である。



―ブログ管理人のひとりごとー
 先週、4日間は体調すぐれず臥せっていた。外食を好まない家人の食事も1日だけはスーパーから調達してもらった。食事の支度だけは何とかというよりも気力は覚醒している感じで、内容はともかく食事の支度ぐらいはしておかないと、こちらが心理的に落ち着いて休んではいられない。それにしても便利な世の中、最寄りの薬スーパーにまで、調理済みの肉、魚、野菜、イタリアン、中華、和食各種メニューの冷凍品がずらりと並んでいる。生肉、野菜、果物までも扱う。さすがに鮮魚はまだ見えていない。
 臥せっている時間が長いと思考が遡るにつれて、反省事項が頻繁に顔を出すようになり、すると一挙に堰が切れたように、このことも、あのこともと明滅が始まり、ああ、ダメな私だったな。確かに遊び暮らしたわけではない、遊んでるから仕事ができてるという人も中にはいることも知っている。どんな遊びか詮索するのは疲れる。それは知らないけれども。気晴らしは必要だとしても。それに関してはここでは置いておくとして、何れ感情の起伏はあるものの、この信仰から外れてしまったらおしまいだという警戒もついには持ち続けて来ている。しかし時間の用い方からすると、人生前半はその半分以上を空費してしまった! これが自宅療養の4日目の精神的修羅場。翌日には、それに加えて主人の健康的な数値の動きで心配が増し加わった。教会の奉仕も中途半端。ああもしたい、こうもしたい。
 その時だ。「わたしの恵みはあなたに十分である」という第二コリント12章9節が心に響き、一切のじくじたる思いや不安が解かされ、まるで燃料切れのガソリンタンクに燃料が満たされ、消えかけた機器に充電が完了したような明るく平和な思いが心に満ちた。「わたしの恵みはあなたに十分である」、この第二コリント12章9節のおことば、その後には「わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と続くのだ。「わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と今朝神さまは私に諭してくださった。「つまりお前は強くなくてもいい、このわたしが強いのだから」、「お前は弱くてもいいのだ」、こう神さまはいっておられる。涙があふれる。涙、涙と書きすぎると涙の値も薄れると危惧するが、事実、今感謝の涙がつたう。
 

 


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