きょうのことば『大きな喜びが天に』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師 神谷光一師の説教ー
2024年5月12(日)
説教題 『大きな喜びが天に』(←クリック)
聖書朗読 ルカの福音書15章1~10節
1 さて、取税人たちや罪人たちがみな、話を聞こうとしてイエスの近くにやって来た。
2 すると、パリサイ人たち、律法学者たちが、「この人は、罪人たちを受け入れて、一緒に食事をしている。」と文句を言った。
3 そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。
4 「あなたがたのうちのだれかが羊を百匹持っていて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。
5 見つけたら、喜んで羊を肩に担ぎ、
6 家に戻って、友だちや近所の人たちを呼び集め、『一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うでしょう。
7 あなたがたに言います。それと同じように、一人の罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人のためよりも、大きな喜びが天にあるのです。
8 また、ドラクマ銀貨を十枚持っている女の人が、その一枚をなくしたら、明かりをつけ、家を掃いて、見つけるまで注意深く捜さないでしょうか。
9 見つけたら、女友だちや近所の女たちを呼び集めて、『一緒に喜んでください。なくしたドラクマ銀貨を見つけましたから』と言うでしょう。
10 あなたがたに言います。それと同じように、一人の罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちの前には喜びがあるのです。」
【神谷師による説教の要約】
キリストが罪人を受け入れているとの批判を受けて語ったたとえの中で、持ち主がいなくなった羊を捜しに行くのは、羊は自分ではもとの場所に帰ることができず、なくした銀貨は見つけるまでは取り戻せないからであり、パリサイ人や律法学者と違ってキリストが見ていたものは、まじめに決まりを守るかどうかでなく、神さまから離れることにより失われているその人の価値であった。
また、神が大切だと思っておられることは、その人の頭の良さや、力、持っているお金や、品性を含んだ持ち物ではなく、何も持たないその人の存在そのものである。造り主の目に、私たちは「高価で尊い」と見なされていることを覚えたい。
―ブログ管理人のひとりごとー
17日の始球式を務めたのは、生後13日で心臓の手術を受けたアルバート・リー君(13)だった。リー君の前に大谷が現れたとき、そして「始球式は君がやる」と告げられたときのリー君の驚きと喜びと感動の表情が今もって胸を打つ。
主が私たちの前に現れたときの私たちの驚きと喜びと感動は、ちょうどリー君のようかもしれないと思った。あり得ないことが目の前に起きて、ただただ驚きと喜びと感動に満たされる。その時、どんな言葉を発したくとも、言い表し得る言葉は出てこない、そんな気がした。
マウンドに立ったリー君の投げるホームベースを逸れた一球を、捕手大谷が右手を伸ばしてしっかと受け止めた。
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⏰6時10分 更新
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