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音楽雑感

 諏訪内晶子さんのバイオリン、昨朝ひさしぶりに。といっても最初のベートーベンの小曲「ふたつのオブリガート眼鏡付きの二重奏曲から」は聴き逃してしまった。聴かなかった曲を書いたって仕方なかろう、なのだが、一応ユーチューブに出ていたものを視聴。たぶん今聴かなければ二度と聴かないだろうという気がして。弦楽四重奏曲「春」の系列かと。弦の掛け合い。春を寿ぐおしゃべりという感じも。
 もう一曲、クライスラー編曲のパガニーニの曲「鐘」。クライスラーはアンコール曲としてよく演奏されるけれども、その甘味の効いた音色がなにか懐かしい気分にさせる。


 今朝はつのだたかしさんのリュート。我が世の春とも聴こえるエルガーの「威風堂々」の対極にある感じも。この番組は繰り返し観ているけれども、やはり共感するのは同じところ。
「この場所(美術館as it isーあるがままに)はもう夢の場所。ここで演奏ができるなんて幸せだと思いますね。手触りがあるもの。やっぱりこのすこし雑味があるといいますか、つるつるにしてないところ、壁でも何でも。手触りがあるというのはリュートの中にもあるんです。音に、2本の弦が完璧に1本に聴こえないところがあるんですね。そこがサワッてくる。サワリのある音楽というのは、ちょっとノイズが、いい音に対する感覚というのがちょっと。ヨーロッパの楽器の中に教わってくるものとはちょっと違う。むしろ民族音楽の中にあるサワリ。三味線のサワリとか琵琶のビンビンというそれだけでぞくぞくとするような音がいっぱいあるわけですよね。僕は歌は大好きなんですけど、歌うんじゃなくて喋る。ぼそぼそ喋るんですけど、喋ってるような音楽はいいなあと思う。リュートを弾いて喋る、こんどは音が作りだす、音が鳴ってるから聴こえてくる静けさみたいなとこが心にサワるんですね。」
 私は時々無性に琵琶が聴きたくなる。理由をうまくいう事ができなかったけれども、、確かに私は、つのださんいう雑味にざわっとしている。ざわつくこの感じに惹かれているのだ。


 「as it is あるがままに」。考え抜かれた設計、選び抜かれた植栽の庭も美しいけれども、手を掛けられずとも春には咲き出で、強い日差しにも堪え生き咲いている名も知られぬ花々、あるがままをそのままに生きている野の草花たちが愛おしく思われる近頃である。


⏰15時11分更新

15時11分

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