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きょうのことば『見ないで信じる人たちは幸い』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師  神谷光一師の説教ー

説教は1週間遅れでおつなぎしています。
2024年4月7(日)

説教題 『見ないで信じる人たちは幸い』(←クリックしてお聞きください)
聖書朗読 ヨハネの福音書 20章24~31節

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24
十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。
25 そこで、ほかの弟子たちは彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません」と言った。
26 八日後、弟子たちは再び家の中におり、トマスも彼らと一緒にいた。戸には鍵がかけられていたが、イエスがやって来て、彼らの真ん中に立ち、「平安があなたがたにあるように」と言われた。
27 それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
28 トマスはイエスに答えた。「私の主。私の神よ。」
29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」
30イエスは弟子たちの前で、ほかにも多くのしるしを行われたが、それらはこの書には書かれていない。
31これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。

 

【神谷師による説教の要約】
 トマスがよみがえったキリストを「見た」という弟子たちに向かって「見て、指を入れ、手を入れてみなければ信じません」と言った気持ちは、よみがえりのキリストを見たことのない、現代の私たちの思いを先取りしたものであり、そのキリストが、空になった墓を見せ、限られた人たちに現れたのは、人が見える者にではなく、神が約束されたことばを信じることで、ご自分との関係を持ちたいと思われたからだといえる。
 また、弟子たちが証しするキリストの十字架と復活は、世の中にはない、ことばに尽くせない栄えに満ちた喜びを私たちに与えると聖書は語る。
 この聖書のことばに触れ、信じるとき、時代を超えて、誰もがその喜びに与ることができる。

ブログ管理人のひとりごとー
 先週7日は腰痛で教会をお休み。腰かけているのも大変だった。ズームにも顔を出さなかったところ、心配したクリスチャンフレンドKさんから「ズームにも見えなかったので心配になって久しぶりにブログの方を見たら更新されていたのでほっとしました。」というメール。私は即座に「このブログ更新が途絶えるのは私が死んだときです」と。答えてから、何もあんな言い方をしなくても良かったものをとすこし悔やんだ。きょうは安静に務めた方がいいなと思いつつ、家の中であれば痛もうとも死ぬことはあるまいといつものように早朝に起きだした。かなりしんどくはあった。何、数分あれば終わる。堪えての更新だった。
 聖書からの引用部分はだいたい2、3日前に書き込んでおいている。そして「説教の要約」は礼拝の前日か礼拝当日に書き込む。更新するその日の朝に「ひとりごと」があれば付け足して、必ず更新するその日の朝に更新している。予約を使ったことはない。
 ただ今思うに、これもいつまでできるものか、たったこれだけの更新でも、ほんとうのところ健康が保たれ、意識が正常に保たれていてできること。また健全であってもパソコンがトラブルこともあるだろう。家族に何らかの事情が生じ、そちらを優先しなければならないこともあるだろう。と、ここまで書いてはたと、なぜそんな先の事を思い煩う? マタイ6:34「だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」
 このページは私の生存証明書だと言ったことがある。更に言うなら、このページは私の霊の生存証明書であるともいえる。もちろん更新できなくなったとしても、私が神を離れない限り、神は私と共にいてくださるのは言うまでもない。

 

ナビも知ってる秋田教会の住所 秋田県秋田市外旭川字神田519-7
ナビも知ってる盛岡教会の住所 盛岡市大館町1226

 

650分更新

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