二台のブレンドピアノ
だいぶ時間は遅いけれども、二言三言なりとも打ち込もうかとページを開けている。
昨朝のクラシック倶楽部は迫昭嘉さん、江口玲さんのブレンドピアノ。先週は2台のピアノによる演奏が続いていたのだが。この回を以前聞いた時にどのように感想を書き込んでいただろうかと過去ログをググってみると、「🎵第2~3楽章までは、心境的にオケ版の第9に押され気味だった。ピアノを聴きながらオケが一緒に鳴り響いている感じが。それが第4楽章ではたと。これはピアノ・ソナタとして聴けばいいのだ。2台のピアノ・ソナタとして。そう意識した途端にピアノだけの音がすっきりと立ち上がり、色々な風景が見えてきたから不思議だ。日が傾き静かな深まりゆく蔭に沈みゆく風景。しだいにそれがまた月光に浮かびあがってくる。またたきはじめる星のいくつか。それがしだいに数を増してさざめきながら夜空にまたたく。互いに自己主張の競いあい。それがやがて静かに相和し互いを輝かせ銀河と、もちろん当時は銀河という認識はなかったとしても、一つの相和する星の一つのまとまりと歓び輝きはじめる。こんなイメージに遊んだ。シラーの詩はシラーの詩としてこんな空想もできる澄みきった叙情ある響きも。」と。
して今度はというと、神経の行き届いた打鍵に心地よいクッションの良さを感じながら聴き続けるうちに、いつの間にかここ数年来の自分のありようが次つぎにあぶり出されたのだ。第九という聴きなれ親しんでいる曲でもあり、それが導き手となって記憶から引き出してくれたというところか。神の望まぬことはしない、これは悪いことではないが、それだけでは生きる積極性を欠いている。それで何かよいことをしようと努力した自分。そして今はそれにちょっとだけ疲れた自分がいる。そして目を閉じて、自分の解像度をあげようと意識する自分。目立とうというのではない。神とともにより自然体で歩みたい自分の、これは散策するような心境での模索。そこで第4楽章がちょうど終わったのだった。こういった心持ちをもたらしてくれるのも、良い演奏の為せるわざなのかも。
けさは、なぜか映画「パッション」、キリストの受難と磔罰。世の中の多くのいじめの型がこの中にはあるなと。
23時。いつもならもう就寝中。血圧上昇を危惧しつつ、ここまでに。
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