きょうのことば『からし種ほどの信仰』ーIGM秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師 神谷光一師
「あなたは人々に 私たちの頭をまたがせ 私たちは 火の中 水の中を通りました。しかし あなたは私たちを 豊かな所へ導き出してくださいました。」詩篇66:12―教会週報よりー
☆ ☆ ☆
インマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師
神谷光一師の説教をお聴きください。説教は1週間遅れでおつなぎしています。
2024年2月18(日)
説教題 『からし種ほどの信仰』
聖書朗読 マタイの福音書 17章14~20節
14 彼らが群集のところに行くと、一人の人がイエスに近寄って来て、御前にひざまずき、
15こう言った。 「主よ。私の息子をあわれんでください。てんかんで、たいへん苦しんでいます。何度も火の中に倒れ、また何度も水の中に倒れました。
16 そこで、息子をあなたのお弟子たちのところに連れて来たのですが、治すことができませんでした。」
17 イエスは答えられた。「ああ、不信仰な曲がった時代だ。いつまであなたがたと一緒にいなければならないのか。いつまであなたがたに我慢しなければならないのか。その子をわたしのところに連れて来なさい。」
18 そして、イエスがその子をお叱りになると悪霊は出て行き、すぐにその子は癒された。
19 それから、弟子たちはそっとイエスのもとに来て言った。「なぜ私たちは悪霊を追い出せなかったのですか。」
20 イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに言います。もし、からし種ほどの信仰があるなら、この山に、『ここからあそこに移れ』と言えば移ります。あなたがたにできないことは何もありません。
【神谷師による説教の要約】
山に向かって「ここからあそこに移れ」という時の「山」とは、自分では抱えきれない問題であり、そのようなことを信じるとは、わざを成し遂げられるのは自分ではなく、神さまであることを頷くことと言える。
また、キリストが弟子たちに「からし種ほどの信仰」と言われたのは、自分にはどうすることもできない大山であっても、神の目にはそれはいかほどもないこと、小さなことであり、人の側の何かによってわざがなされるのではないからである。
自分の側に期待する信仰ではなく、神に信頼するからし種の信仰をもって事に当りたい。
ーブログ管理人のひとりごとー
昨夜の久方ぶりの夜更かし、といっても今は1日は25時間である、26時間であるという方々も少なからず、就寝は午前1時、2時も多いらしく、夜更かしとまではいかないかもしれない。ともかくその夜更かしが今朝は若干こたえている感じが。こうありたいと思うも体力、気力の限界に思い到っているけれども。しかしこんなときこそ「あなたの道を主にゆだねよ」。説教要約にもある通り、「自分の側に期待する信仰ではなく、神に信頼するからし種の信仰をもつ」ことなのだと納得。それにしてもからし種の小ささよ! 風どころか人の息にも吹き飛ばされそうな頼りなげな粒。これにいのちが宿っているわけだ。
盛岡は今朝も冷え込んでいる。氷点下6度。陽は盛岡地方気象台の辺りにその奥の周辺の山々の際に朱色を紛れ込ませているけれども、まだ街ぜんたいを照らし出してはいない。しかし遮る雲量に種々偏りがあるとしても、日はその向こうに輝いている。
ナビも知ってる秋田教会の住所 秋田県秋田市外旭川字神田519-7
ナビも知ってる盛岡教会の住所 盛岡市大館町12-26
⏰6時35分更新
| 固定リンク
「教会」カテゴリの記事
- きょうのことば『どうぞ披露宴においでください』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師 神谷光一師の説教ー(2025.05.18)
- きょうのことば『福音を一緒に届ける同労者として』ー木山キリスト教会 松尾献牧師の説教ー(2025.05.11)
- きょうのことば『イエスは手と脇腹を彼らに示され』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師 神谷光一師の説教ー(2025.05.04)
- きょうのことば『聖書を、まだ理解していなかった』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師 神谷光一師の説教ー(2025.04.27)
- きょうのことば『わたしとともにパラダイスに』ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師 神谷光一師の説教ー(2025.04.20)
コメント