きょうのことば「ともに産みの苦しみを」ー説教・神谷光一牧師ー
「人の子は失われた者を探して救うために来たのです」(ルカ19:10)
下記につなぐ説教は先週の分ですが、きょう1月14日、「教会では、信仰の体験談を交え、教会は初めてという方にも間口を広く開けての伝道礼拝を行います。こうして共に礼拝に与るまでに、それぞれが辿った恵みを振り返りつつ、感謝を新たにいたしましょう。―今日の教会週報からー」
聖書のみことばに、祈りに、いったいどんな実効性があるのだろう、はるか彼方にいくつかの奇蹟があったとは聞く。けれども多くの祈りは中空に泡のように消え去っているのではないか、そのように思い込んでいた一時期があった。しかし、時代が困難になればなるほど、神の時代は神の監督下に、実は着実に、厳粛に、その一刻一刻がこなされていることを実感している。今はそのさ中にある。そして暗闇が濃ければ濃いほどに、神を仰ぎ見祈るとき、与えられている聖霊さまがおのずから光に達し、その光を手繰り寄せ、神への共感、すなわち感動をもたらしてくれることを知ることとなっている。感謝があふれるのだ。―ブログ管理人のひとりごとー
☆ ☆ ☆
インマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師
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2024年1月7(日)
説教題 『ともに産みの苦しみを』
聖書朗読 ローマ人への手紙8章18~39節
18 今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます。
19 被造物は切実な思いで、神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます。
20 被造物が虚無に服したのは、自分の意思からではなく、服従させた方によるものなので、彼らには望みがあるのです。
21 被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。
22 私たちは知っています。被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています。
23 それだけでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだが贖われることを待ち望みながら、心の中でうめいています。
24 私たちは、この望みとともに救われたのです。目に見える望みは望みではありません。目で見ているものを、だれが望むでしょうか。
25 私たちはまだ見ていないものを望んでいるのですから、忍耐して待ち望みます。
26 同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。
27 人間の心を探る方は、御霊の思いが何であるかを知っておられます。なぜなら、御霊は神のみこころに従って、聖徒たちのためにとりなしてくださるからです。
28 神を愛する者たち、すなわち、神のご計画に従って召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを私たちは知っています。
29 神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです。
30 神は、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召した人たちをさらに義と認め、義と認めた人たちにはさらに栄光をお与えになりました。
31 では、これらのことについて、どのように言えるでしょうか。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
32 私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。
33だれが、 神に選ばれた者たちを訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです。
34 だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのためにとりなしていてくださるのです。
35 だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
36 こう書かれています。「あなたのために、私たちは休みなく殺され、屠られる羊とみなされています。」
37 しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。
38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、
39 高いところにあるものも、、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
【神谷師による説教の要約】
パウロが語る「やがて私たちに啓示される栄光」とは、キリストの再臨と千年王国以後のことであり、この世界に「どうして?」と思うような悲しいことがあるのは、かつて神が支配し、その関係の中にあった人が、そこから離れて、人を中心にこの世界を治めるようになったからだといえる。
また、神に造られたすべての者がもつ「うめき」や「産みの苦しみ」は、来るべきキリストの再臨に始まる、この世界の本来の姿への回復を待ち望んでいるものである。
様々な出来事をはらみつつ進む世にあっても、この世界の真の支配者なるお方により用意された結末へと近づいていることに、望をおいて歩みたい。
⏰6時55分更新
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