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きょうのことば 「その道は聖なる道と呼ばれ」「わたしは世の光です」ー神谷光一牧師ー

「わがたましいよ主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」(詩篇103:2)
今朝はこの年を締めくくる最後の礼拝となりました。様々な出来事のあったこの年の恵みを覚えつつ、こうして尚、贖われた者として御前にあることを覚えつつ、感謝をもってこの年を送り、新たな年を迎えましょう。―31日の教会週報からー


 きょうは年末礼拝と元旦礼拝を一挙に掲載。この患難のときに心を強くしなければ、そして、キリストにあるときにそれはできる。もしミサイルが目の前に着弾したら、衣食住がすべて奪われたら、或いは身の回りで殺戮が繰り広げられていたら、その時にも強くあることができるだろうか。それは分からない。人を搔き分けても自分だけが助かろうとするだろうか。それはそうなってみなければわからない。尻尾を巻いて逃げ出す自分であるかもしれないのだ。ただ活ける神キリストにあって強くなれる自分を更新しつつ歩み続けることをやめたくはない。けさ、目の前に置いてある中村哲さんを著した「希望の一滴」に目が留まったときに、もう涙は流さないと思い込んでいたはずが、涙が流れて仕方がなかった。ーブログ管理人のひとりごとー
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      ☆  ☆   ☆

インマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師 
神谷光一師の説教をお聴きください。本日は1週間遅れで年末感謝礼拝と元旦礼拝をおつなぎしています。


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2023年12月31(日)
説教題 『その道は「聖なる道」と呼ばれ』 聖書朗読 イザヤ書35章1~10節
1 荒野と砂漠は喜び、荒れ地は喜び踊り、サフランのように花を咲かせる。
2 盛んに花を咲かせ、歓喜して歌う。これにレバノンの栄光と、カルメルやシャロンの威光が授けられるので、彼らは主の栄光、私たちの神の威光を見る。
3 弱った手を強め、よろめく膝をしっかりさせよ。
4 心騒ぐ者たちに言え。「強くあれ、恐れるな。見よ、あなたがたの神が、復讐が、神の報いがやって来る。神は来て、あなたがたを救われる。」
5 そのとき、目の見えない者の目は開かれ、耳の聞こえない者の耳は開けられる。
6 そのとき、足の萎えた者は鹿のように飛び跳ね、口のきけない者の舌は喜び歌う。荒野に水が湧き出し、荒れ地に川が流れるからだ。
7 焼けた地は沢となり、潤いのない地は水の湧くところとなり、ジャッカルが伏したねぐらは、葦やパピルスの茂みとなる。
8 そこに大路があり、その道は「聖なる道」と呼ばれる。汚れた者はそこを通れない。これは、その道を行く者たちのもの。そこを愚か者がさ迷うことはない。
9 そこには獅子もおらず、猛獣もそこに上って来ることはなく、そこには何も見つからない。贖われた者たちだけがそこを歩む。
10 主に贖われた者たちは帰って来る。彼らは喜び歌いながらシオンに入り、その頭にはとこしえの喜びを戴く。楽しみと喜びがついて来て、悲しみと嘆きは逃げ去る。

【神谷師による説教の要約】
「目の見えない者の目は開かれ、耳の聞こえない者の耳は開けられる~」という姿は、主がおいでくださったクリスマスや再臨とともに、救われた私たちの心と生活の中に始まるものであり、それはこの世界が神によって造られ、その支配のもとにあるあることを理解する心をもたらす。
また、「荒れ野に水が湧き、荒れ地に川が流れる」とは、私たちと神さまとの間に満ち足りた心を伴う、たましいの交わりをもたらす聖霊を指している。
様々な問題をはらむこの地上にありつつ、贖われた者だけが歩むことができる「聖なる道」と呼ばれる大路を歩んだ一年を感謝したい。

 

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元旦礼拝
2024年元旦(月)
説教題 『わたしは世の光です』
聖書朗読 ヨハネの福音書8章1~12節

1 イエスはオリーブ山に行かれた。
2 そして朝早く、イエスは再び宮に入られた。人々はみな、みもとに寄って来た。イエスは腰を下ろして、彼らに教え始められた。
3 すると、律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、
4 イエスに言った。「先生。この女は姦淫の現場で捕らえられました。
5 モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするよう私たちに命じています。あなたは何と言われますか。」
6 彼らはイエスを告発する理由を得ようと、イエスを試みてこう言ったのであった。だが、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。
7しかし、彼らが問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい。」
8 そしてイエスは、再び身をかがめて、地面に何かを書き続けられた。
9 彼らはそれを聞くと、年長者たちから始まり、一人、また一人と去って行き、真ん中にいた女とともにイエスだけが残された。
10 イエスは身を起こして、彼女に言われた。「女の人よ、彼らはどこにいますか。だれもあなたにさばきを下さなかったのですか。」
11 彼女は言った。「はい、主よ。だれも。」イエスは言われた。「わたしもあなたにさばきを下さない。行きなさい。これからは、決して罪を犯してはなりません。」〕
12 イエスは再び人々に語られた。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」

【神谷師による説教の要約】
姦淫の場で捕らえられた女は、キリストを訴える口実のために、本人の意思に反し、御前に連れて来られた。
彼女を訴える者たちから当時の律法に照らして石打ちに定められていることについて、さばきを尋ねられたキリストは一言「罪のない者が最初に石を投げよ」と語ると、心に罪を認めた人々はみなそこを去り、この女性だけが「わたしもあなたにさばきを下さない」との罪の赦しと解放の宣言を聞くことができた。
世の光であるお方に自分自身を委ね、照らされた心でこの年の歩みを進めたい。

6時42分更新

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