きょうのことば「世の光として輝く」ー説教 神谷光一牧師ー
「サムエルは一つの石を取り、ミツパとエッシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名を付け『ここまで主が私たちを助けてくださった』と言った。」(Ⅰエルサレム7:12)―今日の教会週報からー
写真はきのう午後主人と岩手県立図書館に行った帰りに旭橋から撮りました。このような景色や、真冬でも軒先にこの冬を耐え忍んでいる姫踊子草の緑を目にするとき、ああ、神さまは厳しい冬にもさまざまな事象をもって心を和ませてくださっていると感謝の想いが湧いてきます。
そして、「提唱するのは、人権や高邁な理想ではなく、具体的な延命策である」とアフガンの人々のために生きた中村哲医師や貧しい人々のために尽くしたマザー・テレサ、今現在被災地に乗り込んで懸命に働いておられる方々がいらっしゃる。目には見えなくともできる限り財をささげておられる方々も。励まされる。悪いことばかりではない。闇がどんなに濃くあろうと光が閉ざされることがないようにと願い祈りつつ。ーブログ管理人のひとりごとー
☆ ☆ ☆
インマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師
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2024年1月21(日)
説教題 『世の光として輝く』
聖書朗読 ピリピ人への手紙2章12~18節
12 こういうわけですから、愛する者たち、あなたがたがいつも従順であったように、私がともにいるときだけでなく、私がいない今はなおさら従順になり、恐れおののいて自分の救いを達成するよう努めなさい。
13 神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。
14 すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行いなさい。
15 それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代のただ中にあって傷のない神の子どもとなり、
16 いのちのことばをしっかり握り、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は自分の努力したことが無駄ではなく、苦労したことも無駄でなかったことを、キリストの日に誇ることができます。
17 たとい私が、あなたがたの信仰の礼拝といういけにえに添えられる、注ぎのささげ物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。
18 同じようにあなたがたも喜んでください。私とともに喜んでください。
【神谷師による説教の要約】
パウロが言う「曲がった邪悪な世代」という言葉と、私たちが周りを見て感じる違いは、私たちが気づかず当然として見る今の世界、またその中での歩みと、かつて人が神との間に持っていた本来の愛の関係を、神の視点で見た時の大きな落差であり、逆にそれは、キリストを信じ、また人が死後にさばきを受けることを信じている人の「真面目に生きる理由を持っている」姿が、神を認めない世の側から見れば、いかにも「真面目で損な生き方」と映ることに通じるものである。
私たちがキリストによって罪が赦されていることから生まれる生き方は、普段は目立たなくとも、人が直面する困難や死を前にした恐れを持つとき、俄然光を放つものとなり、人生の終わりを見据えて生きることは、目前の出来事を正しく受け止めることを可能とする。
⏰6時38分更新
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