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きょうのことば「同じ思いとなり」ー説教・神谷光一牧師ー

今朝は伝道礼拝、そしてご降誕を待ち望むアドベントの第二聖日です。
「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。」(Ⅰヨハネ4:9)  ―今日の週報からー

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 昨日はウクライナ交響楽団「2つの第9」を聴いた。聴きながら誰もが戦禍にあり多くの命が失われ瓦礫の山と化した ウクライナの惨状、その悲劇のさ中にあって楽器を手にドヴォルザーク、ベートーベンを弾く姿に涙しない方はなかったはず。そこにまるで和声のように耳の奥に通奏低音。爆撃音、人々の悲鳴が。ハマス、イスラエル戦。誰もが蛮行を望んではいない。それが人を憎しみに獣にと駆り立てる戦争。人が築き上げたものをただただ破壊し、人を締め上げ殺戮へと駆り立てる。人は所詮この程度なのかもしれない。しかし、最後に楽団員の手によってウクライナ国旗が掲げられたとき、熱烈に平和を願う思いに共振、心が打ち震えた。
 先週の説教のみことばを記しながら、「へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい」、「 神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です」、というこの2つの聖句がとどまった。
 イエスさまのように自分を空しくできるだろうか。それがいまだできていない自分がある。だからこそ、私などは、何度も何度も、繰り返し繰り返し説教を聞かねばならないものであると自覚する。繰り返し聞かねばならない。ーブログ管理人のつぶやきー




 

     ☆  ☆   ☆

インマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師 
神谷光一師の説教をお聴きください。説教は前の週の分をおつなぎしています。
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2023年12月3日(日)
説教題 『同じ思いとなり』
聖書朗読 ピリピ人への手紙2章1~18節

1 ですから、キリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、
2あなたがたは同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、思いを一つにして、私の喜びを満たしてください。
3 何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。
4 それぞれ自分のことだけでなく、ほかの人のことも顧みなさい。
5キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。
6 キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、
7 ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、
8 自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。
9 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。
10 それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、
11 すべての舌が、「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。
12 こういうわけですから、愛する者たち、あなたがたがいつも従順であったように、私がともにいるときだけでなく、私がいない今はなおさら従順になり、恐れおののいて自分の救いを達成するように努めなさい。
13 神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。
14 すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行いなさい。
15 それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代のただ中にあって傷のない神の子どもとなり、
16 いのちのことばをしっかり握り、彼らの間で世の光として働くためです。そうすれば、私は自分の努力したことが無駄ではなく、苦労したことも無駄でなかったことを、キリストの日に誇ることができます。
17 たとえ私が、あなたがたの信仰の礼拝といういけにえに添えられる、注ぎのささげものとなっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。
18 同じように、あなたがたも喜んでください。私とともに喜んでください。

【神谷師による説教の要約】
パウロが同じ思いを持つようにとピリピ教会の人に言うのは、教会の中に意見の違いで争う人たちがいたからであり、そのため、私たちのために人となってくださったキリストの心を頂き、人を自分よりすぐれた者と思い、他の人を顧みる必要があると勧める。
 そうなるためにキリストは神としての本来のあり方を捨てて、人としてこの地に降り、十字架に架かることで、ご自分のいのちを与えてくださった。
 生まれつきの私たちは、自分を第一とし、人の上に立とうとするが、このいのちを頂き、そこに生きるとき、互いの違いを超えて同じキリストの心を持つことができる。


⏰7時2分更新

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