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2023年12月

きょうのことば 『彼らのいる場所がなかった』インマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会  神谷光一牧師の説教

「わがたましいよ主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」(詩篇103:2)
今朝はこの年を締めくくる最後の礼拝となりました。様々な出来事のあったこの年の恵みを覚えつつ、こうして尚、贖われた者として御前にあることを覚えつつ、感謝をもってこの年を送り、新たな年を迎えましょう。ー今日の教会週報からー

 クリスマス礼拝から1週間。ことしはこの週間に、思えば、神の子が地上に人の子としてお生まれになった、常識的にはもうまったく信じがたいこのことを、ある時点で自分は信じたのだということに驚いたクリスマスだった。信じたというこのこと自体が信じがたいのだが、しかしそれはほんとうだと納得させる、たしかにそうだと思わざるを得ない今この時点での根拠は、聖霊の存在。イエスさまを信じたときに人の心の内に与えられるという聖霊さまの存在だ。このお方が、路頭に迷うかの心境になったときに、行くべき道を指し示すというよりは、行くべきように行けるように状況を整えてくださったように思う。これはちょっときついなと思われる場合でも、そしてそんなときに、はたと思ったのは、これが十字架を負うということなのだろうと。神は何らかの十字架を背負うようにキリスト者を召されている。大なり小なりそれを担わなければならない、そう思い到った。ーブログ管理人のひとことー

      ☆  ☆   ☆

インマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会牧師 
神谷光一師の説教をお聴きください。説教は前の週の分をおつなぎしています。
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2023年12月24(日)
説教題 『彼らのいる場所がなかった』
聖書朗読 ルカの福音書 2章1~12節

1 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。
2 これは、キリニウスがシリアの総督であったときの、最初の住民登録であった。
3 人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰って行った。
4 ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
5 身重になっていた、いいなずけの妻マリアとともに登録するためであった。
6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、
7 男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
8 さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。
9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。
11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」
13 すると突然、その御使いと一緒におびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。
14 「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々あるように。」
15 御使いたちが彼らから離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは話し合った。「さあ、ベツレヘムまで行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見届けて来よう。」
16 そして急いで行って、マリアとヨセフと、飼葉おけに寝ているみどりごを捜し当てた。
17 それを目にして羊飼いたちは、この幼子について自分たちに告げられたことを知らせた。
18 聞いた人たちはみな、羊飼いたちが話したことに驚いた。
19 しかしマリアは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。
20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

【神谷師による説教の要約】

「彼らのいる場所がなかった」(ルカ2:1~20)
み使いが羊飼いたちに告げた、救い主が飼葉桶に寝ておられることは、救い主が羊飼いたちの生活の中に来てくださったことを意味していたが、同時にそのことは、救い主の誕生という大事を抱えるマリアとヨセフにとって、自分たちには社会の中で居場所がなく、片隅に追いやられているということを意味していた。
一方、羊飼いにとって救い主が御使いの言葉の通り、飼葉桶に生まれたことは、自分たちの日常の労苦を神様がご覧になり、共にあって下さることをうなずくしるしとなり、以後、彼らの暮らしぶりが変わることはなくとも、飼葉桶の御子が示す喜びと賛美がそこに生まれた。
主は私たちの目にマイナスと見えることがらを別の視点からプラスに変えることのできなさるお方である。

 

6時42分更新

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きょうのことば「ひれ伏して~宝の箱を開けて」ー説教・インマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会 神谷光一牧師ー

クリスマスおめでとうございます!


「今日ダビデの町で、あなた方のために救い主がお生まれになりました。
この方こそキリストです。
あなた方は布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。」
(ルカ2:11、12)


 暗く冷たい季節に、光とにぎわいをもたらすクリスマスですが、その始まりは、夜番の羊飼いたちに告げられた、飼葉桶に眠るみどりごでした。この夕べにはキャンドルサービスも用意されています。静まってその愛に満たされるクリスマスといたしましょう。
                                            ―今日の週報からー

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クリスマス礼拝    12月24日(日) 10時半~
キャンドルサービス  12月24日(日) 19時~
〒020-0147 盛岡市大館町12-26
    インマヌエル盛岡キリスト教会

 

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インマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会
牧師神谷光一師の説教をお聴きください。説教は前の週の分をおつなぎしています。
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2023年12月17日(日)
説教題 『ひれ伏し~宝の箱を開けて』
聖書朗読 マタイの福音書 2章7~15節

7 そこでヘロデは博士たちをひそかに呼んで、彼らから、星が現れた時期について詳しく聞いた。
8 そして、「行って幼子について詳しく調べ、見つけたら知らせてもらいたい。私も行って拝むから」と言って、彼らをベツレヘムに送り出した。
9 博士たちは、王の言ったことを聞いて出て行った。すると見よ。かつて昇るのを見たあの星が、彼らの先に立って進み、ついに幼子のいるところまで来て、その上にとどまった。
10 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
11 それから家に入り、母マリヤとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
12彼らは夢で、ヘロデのところへ戻らないようにと警告されたので、別の道から自分の国に帰って行った。
13 彼らが帰って行くと、見よ、主の使いが夢でヨセフに現れて言った。「立って幼子とその母を連れてエジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」
14 そこでヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに逃れ、
15 ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と語られたことが成就するためであった。


【神谷師による説教の要約】
 博士たちがやってきて「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」と尋ねた時、ヘロデ王とエルサレム中の人々が恐れ慌てたのは、ヘロデが、自らの王位のために身近にいる疑わしい人を殺していたからであり、王が尋ねたキリストの生まれる所を、聖書の預言と共に知る人々が、博士たちに同行しなかったのは、彼らにとってみことばが、その置かれた状況の中で、希望や力にはならなかったからだと言える。
 また、聖書の約束通りにベツレヘムに行き、主にお会いした博士たちが、別の道から帰って行ったことは、彼らがそれまでとは別の生き方をするようになったということである。
 みことばの約束を信じ、それぞれが置かれた状況の中にキリストをお迎えするとき、それまでとは別の視点、世界観とともに、新たな生き方がそこから始まる。

 

6時更新

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インマヌエル盛岡キリスト教会 クリスマス礼拝・キャンドルサービスのご案内

盛岡市大館町12-26
インマヌエル盛岡キリスト教会
   クリスマス集会のお知らせ

 

今日ダビデの町であなたがたのために救い主がお生まれになりました。
    この方こそキリストです。
ルカ2:11

 

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きょうのことば「私たちが神を愛したのではなく」ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)教会 神谷光一牧師ー

「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでいたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです」(第二コリント8:9)
 アドベントの第三聖日を迎え、いよいよ次週はクリスマス礼拝です。神のひとり子であるお方が、飼い葉おけの幼子となられ、このお方のへりくだりを通して、私たちはそのいのちを受け取りました。
 慌ただしい師走を歩むお互いですが、イエスさまのいのちに生かされて、この週も進み行きましょう。     ―今日の週報からー

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 10日の説教の「損得にひもづけされた愛」には、思わずその通りだ! 心の中で叫んでしまった。自分を捨ててまで、自分を犠牲にしてまで人のために行動するひとは稀であり、それどころか、そのような行動をとる人を、わざわざ損を選ぶバカなヤツ、と揶揄し嗤う者さえ世の中にはいるのだ。世の中の多くの〝愛〟は損得にひもづけられている。しかし、イエス・キリストはまことにそれを実践し神の愛とはこういうものであると示してくださったのだ。このことのゆえに私はキリストが神であると信じられる。自分を痛めつけ陥れた人々をも赦すことのできたこのイエスさまが神であることを信じる。ーブログ管理人、今またこの説教を聞きながらー

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2023年12月10日(日)
説教題 『私たちが神を愛したのではなく』
聖書朗読 ヨハネの手紙第一 4章7~12節

7 愛する者たち。私たちは互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。
8 愛のない者は神を知りません。神は愛だからです。
9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。
10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた、互いに愛し合うべきです。
12 いまだかつて神を見た者はいません。私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにとどまり、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。

 

【神谷師による説教の要約】
「私たちが神を愛したのではなく」Ⅰヨハネ4:7~1
老いたヨハネが「汝ら相愛せよ」と語っていたのは、年と共にキリストがしてくださったことだけが心に残っていたからであり「私たちが神を愛したのではなく」とあるのは、私たちの側にそもそも神さまの持っておられるような愛はないということを意味している。
 また、私たちの罪のために宥めのささげ物としての御子が遣わされたのは、神さまが私たちを愛し、大切な存在だと思っておられるからである。

 わたしたちにはないものを与え、心に満たすために救い主は遣わされた。愛されている者として、このお方に信頼して歩みたい。


教会の住所は
 インマヌエル秋田キリスト教会 〒080-0802 秋田市外旭川神田519-7
 インマヌエル盛岡キリスト教会 〒020-0147 盛岡市大館町12-26


⏰6時5分更新

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きょうのことば「同じ思いとなり」ー説教・神谷光一牧師ー

今朝は伝道礼拝、そしてご降誕を待ち望むアドベントの第二聖日です。
「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。」(Ⅰヨハネ4:9)  ―今日の週報からー

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 昨日はウクライナ交響楽団「2つの第9」を聴いた。聴きながら誰もが戦禍にあり多くの命が失われ瓦礫の山と化した ウクライナの惨状、その悲劇のさ中にあって楽器を手にドヴォルザーク、ベートーベンを弾く姿に涙しない方はなかったはず。そこにまるで和声のように耳の奥に通奏低音。爆撃音、人々の悲鳴が。ハマス、イスラエル戦。誰もが蛮行を望んではいない。それが人を憎しみに獣にと駆り立てる戦争。人が築き上げたものをただただ破壊し、人を締め上げ殺戮へと駆り立てる。人は所詮この程度なのかもしれない。しかし、最後に楽団員の手によってウクライナ国旗が掲げられたとき、熱烈に平和を願う思いに共振、心が打ち震えた。
 先週の説教のみことばを記しながら、「へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい」、「 神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です」、というこの2つの聖句がとどまった。
 イエスさまのように自分を空しくできるだろうか。それがいまだできていない自分がある。だからこそ、私などは、何度も何度も、繰り返し繰り返し説教を聞かねばならないものであると自覚する。繰り返し聞かねばならない。ーブログ管理人のつぶやきー




 

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2023年12月3日(日)
説教題 『同じ思いとなり』
聖書朗読 ピリピ人への手紙2章1~18節

1 ですから、キリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、
2あなたがたは同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、思いを一つにして、私の喜びを満たしてください。
3 何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。
4 それぞれ自分のことだけでなく、ほかの人のことも顧みなさい。
5キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。
6 キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、
7 ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、
8 自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。
9 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。
10 それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、
11 すべての舌が、「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。
12 こういうわけですから、愛する者たち、あなたがたがいつも従順であったように、私がともにいるときだけでなく、私がいない今はなおさら従順になり、恐れおののいて自分の救いを達成するように努めなさい。
13 神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。
14 すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行いなさい。
15 それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代のただ中にあって傷のない神の子どもとなり、
16 いのちのことばをしっかり握り、彼らの間で世の光として働くためです。そうすれば、私は自分の努力したことが無駄ではなく、苦労したことも無駄でなかったことを、キリストの日に誇ることができます。
17 たとえ私が、あなたがたの信仰の礼拝といういけにえに添えられる、注ぎのささげものとなっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。
18 同じように、あなたがたも喜んでください。私とともに喜んでください。

【神谷師による説教の要約】
パウロが同じ思いを持つようにとピリピ教会の人に言うのは、教会の中に意見の違いで争う人たちがいたからであり、そのため、私たちのために人となってくださったキリストの心を頂き、人を自分よりすぐれた者と思い、他の人を顧みる必要があると勧める。
 そうなるためにキリストは神としての本来のあり方を捨てて、人としてこの地に降り、十字架に架かることで、ご自分のいのちを与えてくださった。
 生まれつきの私たちは、自分を第一とし、人の上に立とうとするが、このいのちを頂き、そこに生きるとき、互いの違いを超えて同じキリストの心を持つことができる。


⏰7時2分更新

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作ることと授かることークリスチャン新聞福音版からー

「ある学会の講演で、ノーベル賞級の学者先生がこんなことをおっしゃいました。」と始まるこの一文、柏木哲夫先生の著書からの抜粋であるようなのですが、久方ぶりに自分を大いに謙虚にしてくれた記事ですのでアップしてみました。拡大して是非ご覧ください。

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クラシック倶楽部あれこれ

今朝のクラシック倶楽部、ゆず子さん、堀米ゆず子さん、児玉桃さんのベートーベン。20年の収録、印象的なゆず子さんのドレス。それにもこれにも増して、するりと分け入り斬り、胸のわだかまり、得体のしれぬ物体を切り崩してくれる「クロイツェル」。調整を鮮やかに反転させていくあの瞬間、この瞬間を譜面に書きつけるとき、ベートーベンはどんな表情をしていただろうかと聴く今この瞬間が至福だ。ちょうど軽快なリズムにもさしかかる。次の展開に入る前の緩い響き。なぜかこんなところで、名曲アルバムにあったクリムトの絵画を思い出される。けれども、それとこれとはちょっと別という感じも。そう、あれは「歓喜」へのオマージュであったか。そのオマージュの表れもまた多様なよう。CD、DVDはぞっくりあるはある。これが息子のコレクションなのだが、近頃はわざわざ取り出して聴くことも稀になり、もっぱらクラシック倶楽部で取り上げた曲が「きょうのクラシック」ということになってしまっている。しているうちに鳴るは名曲アルバム。だまされテヴェレ川に身を投げたトスカのアリア「歌に生き愛に生き」、胸を打つ。聴きました、しっかりと聴きました。聴かされましたというこの実感。
  
 昨朝は15分遅れで倶楽部イン。このコンサートホールは? 紀尾井ホールじゃないし、この造りはあちらだ。このバイオリン、いいな~。そう思ううちに入った映像がザルツブルク。ザルツブルク音楽祭。バイオリンはルノー・カプソン、ブラームスが格別。

 
 ウィーン少年合唱団は先週。有難い再放送。カペルマイスターはジミー・チャン。日本語でのあいさつ。団員10~14歳。メンバーにレンタロウくんというお子さんがいたが、瀧廉太郎を意識して名づけられたものかは不明。モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」のケッヘル番号はこの団の歴史と同じ数字なそう。ウィーン少年合唱団創立1498年。今から525年前の創立。「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」K.525と、何とも見事な符号。
 簡単にググってみると「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の意味は以下の通り。
ドイツ語で「ひとつの・小さな・夜の音楽」という意味。 「ナハトムジーク」は多くの場合、親しい相手から贈られる「音楽のプレゼント」でした。 夜、貴族や高貴な人々の館の前で贈り物として野外演奏される軽い曲。 しかし、モーツァルトが誰のために作ったのか、わかっていません。
 
「美しく青きドナウ」、ゲルネルト作詞によるドナウには、夾雑物が完全に濾されて、細胞がまた新たに生まれ変わる思いがする。すばらしい。

 盛岡でもこんな合唱団ができないものかな、盛岡というよりも、今のこの国になら、この合唱団に匹敵する質のあるそれがあるかもしれない、とそちこちの少年少女合唱団を思い浮かべてみたけれども。
 それはそれとして12月9日はこの盛岡で2つの第九が演奏される。ウクライナ管弦楽団とのコラボ。これはわざわざサントリーホールあたりに駆け付けて聴くと同等の価値があると私は思っている。この第九の合唱は何と地元の、大人には県外の賛助も入るかもしれない詳しくは見ていないが、何れ少年少女はこの岩手県内の学校の児童生徒たちが歌うことになっている。すごいことになりそう。フロイデ!フロイデ! ここをドイツで書かないのか書けないのか、何れ書かないのが私らしい。コピペするのは簡単ですが。

 話は逸れたけれども、先週はもマルタ・アルゲリッチも観、カレリアの風景も再び観、カンテレもちょっと聴き、先々週かにはアマービレで堤さんのチェロ。11月の半ば分となると、何かあの方この方が錯綜しているのだけれども、何れ随分といろいろな表情の「展覧会の絵」を聴くことができたなと。特にディルク編曲版がおもしろかった。このディルクという名前、フルネームで調べた方がいい、これは怪しいと思いつつも時間切れで急ぎ更新。

⏰6時57分更新

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きょうのことば「天が地よりも高いように」ー説教・神谷光一牧師ー

今朝は聖餐式礼拝
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。」(ヨハネ3:16)
今朝はご降誕を待ち望むアドベントの第一聖日であると共に、十字架の贖いを覚える聖餐の礼拝となっています。
 クリスマスに現わされた、神さまの私たちへの愛がどれほどのものかを、今一度確認しつつ、この幸いなシーズンを進んでゆきましょう。―今日の教会の週報からー

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 「幻のない民は滅びる」。26日の説教からは「 茨の代わりに、もみの木が生え、おどろの代わりにミルトスが生える」というこのみことばに今一度主の幻を新たにしたことでした。日々起こり来る多くの事実に心が痛み、壊れかけ、おどろが広く地を覆い、いつの間にか諦めが兆しそうな今こそ、今こそ、精神的な崩壊から先ずは自らを守りぬくために、この幻の放つ明るみの方へと顔を眼を向けたことでした。ーブログ管理人ー

 

 

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2023年11月26日(日)
説教題 『天が地よりも高いように』
聖書朗読 イザヤ書55章1~13節

1 ああ。渇いている者はみな、水を求めて出て来るがよい。金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。さあ、金を払わないで、穀物を買え。代価を払わないで、ぶどう酒と乳を。
2 なぜ、あなたがたは、食糧にもならないもののために金を払い、腹を満たさないもののために労するのか。わたしによく聞き従い、良いものを食べよ。そうすれば、あなたがたは脂肪で元気づく。
3 耳を傾け、わたしのところに出て来い。聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。わたしはあなたがたと永遠の契約を結ぶ。それは、ダビデへの確かで真実な約束である。
4 見よ。わたしは彼を諸国の民への証人とし、諸国の民の君主とし、司令官とした。
5 見よ。あなたが、あなたの知らない国民を呼び寄せると、あなたを知らない国民が、あなたのところに走って来る。これは、あなたの神、主。イスラエルの聖なる者のゆえである。主があなたを輝かせたからだ。」
6 主を求めよ。お会いできる間に。呼び求めよ。近くにおられるうちに。
7 悪しき者は自分の道を、不法者は自分のはかりごとを捨て去れ。主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。
8 「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、あなたがたの道は、わたしの道と異なるからだ。―主のことば―
9 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。
10 雨や雪は、天から降って、もとに戻らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種蒔く人に種を与え、食べる人にパンを与える。
11 そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、わたしのところに、空しく帰って来ることはない。それは、わたしが望むことを成し遂げ、わたしの言い送ったことを成功させる。
12 まことに、あなたがたは喜びをもって出て行き、平安のうちに導かれて行く。山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らす。
13 茨の代わりに、もみの木が生え、おどろの代わりにミルトスが生える。これは主の記念となり、絶えることのない永遠のしるしとなる。」


【神谷師による説教の要約】
神が「わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い」と言われるのは、神は私たちが知らない先々のことも知りぬいていて、事を行っておられるということであり、雨や雪と同じように神のことばも、望むことを成し遂げ、成功させるとは、神は、私たちの思いではなく、ご自分の計画に従ってそのことばの通りに行われるということである。
 そのような中で私たちがすべきことは、物事が自分の思いとは違っていても、語られているみことばの約束を信じ、ゆだねて待ち望むことである。

 

6時36分更新

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