きょうのことば「散らされた人々は」ー説教 インマヌエル秋田・盛岡(兼牧)教会・神谷光一牧師ー
このブログが斬られ始めてから何年になるか。もう少なくとも6年は経っている。誰が何の目的で斬っているか。それも私にはわかっている。しかし、すこしでも指が動くあいだは、わたしはたぶん止めないだろう。止めさせたい方には、わたしの息の根が止まるまで待っていただくよりほかない。眼が見えなくなるまで待っていただくよりほかはない。その時はすぐに来るかもしれない。いましばらく待っていただくことになるかもしれない。或いは、まだやってるかと呆れられるほど先になるかもしれない。その時がいつであるのかは神のみがご存じ。たとえすぐそこでも、ずっとはるか向こうでも、わたしは悔い改めと信仰とを更新し続ける。ー老いたるこのブログ管理人よりー
☆ ☆ ☆
インマヌエル秋田キリスト教会・盛岡教会(兼牧)の神谷光一牧師の説教をおつなぎします。
2023年11月12日(日)
説教題 『散らされた人々は』
聖書朗読 使徒の働き11:19~26
19 さて、ステパノのことから起こった迫害により散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンティオキアまで進んで行ったが、ユダヤ人以外の人には、だれにもみことばを語らなかった。
20 ところが、彼らの中にキプロス人とクレネ人が何人かいて、アンティオキアに来ると、ギリシヤ語を話す人たちにも語りかけ、主イエスの福音を宣べ伝えた。
21 そして、主の御手が彼らとともにあったので、大勢の人たちが信じて主に立ち返った。
22 この知らせがエルサレムにある教会の耳に入ったので、彼らはバルナバをアンティオキアに遣わした。
23 バルナバはそこに到着し、神の恵みを見て喜んだ。そして、心を堅く保っていつも主にとどまっているようにと、皆を励ました。
24 彼は立派な人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大勢の人たちが主に導かれた。
25 それから、バルナバはサウロを捜しにタルソへ行き、
26 彼を見つけて、アンティオキアに連れて来た。彼らは、まる一年の間、教会に集い、大勢の人たちを教えた。弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。
【神谷師による説教の要約】
迫害を逃れてきた人々が、ギリシャ語を話す人々にも福音を伝えたためにアンティオキアに異邦人の教会が生まれたことは、キリストの言われた、聖霊によって地の果てまで証人となることが始まったことを意味しており、それは迫害を逃れた彼らが、そこでも共に集うことをやめなかったことから生み出されたと言える。また「主の御手が彼らとともにあった」とは、神さまがそこに彼らを遣わされ、出会う人々と共に、語ることばを用意しておられたということである。
主は人の目には災いと見えることさえも、ご自身の御手の中で、益と変えることのできる全能者であることを覚えて祈り、期待したい。
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