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2023年11月

きょうのことば「主の日を待ち望む者に」ーIGM世界宣教局長 田辺寿雄師ー

 昨日は明るい街並みに初雪が舞うのを見ました。程なく華やかに染め抜かれた紅葉や銀杏や蔦の葉も勢いを帯びて地にふり積もっていくはず。人質解放を喜びながらも、しかし複雑な思いで見つめるニュース画面。戦地にも冬が。

 地方の教会で毎週神谷光一牧師先生の説教に教えられ諭され、あるときには軌道修正をいただきながら日々を送っている、私はそのような平信徒なのですけれども、自分が養われている説教を、どなたかにも一人にでもという思いでこのブログを続けているわけですが、先週は世界宣教デー。教団の事となると身がすくむところもあるのですが、この日はインマヌエル綜合伝道団世界宣教局制作のDVDで、宣教各地の活き活きとした伝道の内にある現状、困難のために、小さきものながらみなさまとともに祈らせていただきました。

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インマヌエル世界宣教局長 田辺寿雄師のメッセージ
クリックしてお聞きください。

2023年11月19日(日)
説教題 『主の日を待ち望む者に』世界宣教局DVD

聖書朗読 ペテロ第二の手紙3章3、4、8~13節  田辺寿雄師
3 まず第一に、心得ておきなさい。終わりの時に、嘲る者たちが現れて嘲り、自分たちの欲望に従いながら、
4 こう言います。「彼の来臨の約束はどこにあるのか。父たちが眠りについた後も、すべてが創造のはじめからのままではないか。」
8 しかし、愛する人たち。あなたがたはこの一つのことを見落としてはいけません。主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。
9 主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
10 しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は大きな響きをたてて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地にある働きはなくなってしまいます。
11 このように、これらすべてのものが崩れ去るのだとすれば、あなたがたは、どれほど聖なる敬虔な生き方をしなければならないことでしょう。
12そのようにして、神の日が来るのを待ち望み、到来を早めなければなりません。その日の到来によって、天は燃え崩れ、天の万象は焼け溶けてしまいます。
12 そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。
13 しかし私たちは、神の約束に従って、義の宿る新しい天と新しい地を待ち望んでいます。


⏰6時20分更新

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きょうのことば「散らされた人々は」ー説教 インマヌエル秋田・盛岡(兼牧)教会・神谷光一牧師ー

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 このブログが斬られ始めてから何年になるか。もう少なくとも6年は経っている。誰が何の目的で斬っているか。それも私にはわかっている。しかし、すこしでも指が動くあいだは、わたしはたぶん止めないだろう。止めさせたい方には、わたしの息の根が止まるまで待っていただくよりほかない。眼が見えなくなるまで待っていただくよりほかはない。その時はすぐに来るかもしれない。いましばらく待っていただくことになるかもしれない。或いは、まだやってるかと呆れられるほど先になるかもしれない。その時がいつであるのかは神のみがご存じ。たとえすぐそこでも、ずっとはるか向こうでも、わたしは悔い改めと信仰とを更新し続ける。ー老いたるこのブログ管理人よりー

 

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インマヌエル秋田キリスト教会・盛岡教会(兼牧)の神谷光一牧師の説教をおつなぎします。
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2023年11月12日(日)
説教題 『散らされた人々は』
聖書朗読 使徒の働き11:19~26

19 さて、ステパノのことから起こった
迫害により散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンティオキアまで進んで行ったが、ユダヤ人以外の人には、だれにもみことばを語らなかった。
20 ところが、彼らの中にキプロス人とクレネ人が何人かいて、アンティオキアに来ると、ギリシヤ語を話す人たちにも語りかけ、主イエスの福音を宣べ伝えた。
21 そして、主の御手が彼らとともにあったので、大勢の人たちが信じて主に立ち返った。
22 この知らせがエルサレムにある教会の耳に入ったので、彼らはバルナバをアンティオキアに遣わした。
23 バルナバはそこに到着し、神の恵みを見て喜んだ。そして、心を堅く保っていつも主にとどまっているようにと、皆を励ました。
24 彼は立派な人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大勢の人たちが主に導かれた。
25 それから、バルナバはサウロを捜しにタルソへ行き、
26 彼を見つけて、アンティオキアに連れて来た。彼らは、まる一年の間、教会に集い、大勢の人たちを教えた。弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。

 

【神谷師による説教の要約】
 迫害を逃れてきた人々が、ギリシャ語を話す人々にも福音を伝えたためにアンティオキアに異邦人の教会が生まれたことは、キリストの言われた、聖霊によって地の果てまで証人となることが始まったことを意味しており、それは迫害を逃れた彼らが、そこでも共に集うことをやめなかったことから生み出されたと言える。また「主の御手が彼らとともにあった」とは、神さまがそこに彼らを遣わされ、出会う人々と共に、語ることばを用意しておられたということである。
 主は人の目には災いと見えることさえも、ご自身の御手の中で、益と変えることのできる全能者であることを覚えて祈り、期待したい。

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きょうのことば「彼らと共にいて」説教 インマヌエル秋田・盛岡(兼牧)教会 神谷光一・牧師

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争い、憎しみが、火によって焼き尽くされますように! この心の内にあるマイナスの想いがことごとく御霊の火によって焼き尽くされますように!(写真は今朝のBS2から)

 

 

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インマヌエル秋田キリスト教会・盛岡教会(兼牧)の神谷光一牧師の説教をおつなぎします。
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2023年11月5日(日)
説教題 『彼らと共について』
ー召天者記念礼拝ー
聖書朗読 黙示録14:13
13 また私は、天からの声がこう言うのを聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』と。」御霊も言われる。「しかり。その人たちはその労苦から解き放されて安らぐことができる。彼らの行いが、彼らとともについて行くからである。」


【神谷師による説教の要約】
 信仰者がそれぞれ置かれた状況の中で、主にあって注ぎだした愛の労苦と忍耐は、主の御前に残りなく覚えられ、この地上の歩みを終えるとき、その行いは信仰者についていくものであり、また豊かな報いを証しするものであると、すべての終わりをご存じであるお方は約束しておられる。
 私たちの記憶に刻まれた懐かしい人たちの人生に、その人でなければできない働き、家庭、お世話をすべき人々があり、それぞれ持前の個性や、生まれながら担った重荷を通して、それぞれの心に刻まれる出来事があった。
 今を生きる私たちもまた地上のコースを主から与えられた賜物として捉え、託された良きわざに伴う労苦を忍びつつ、かの日にはその行いを引き連れて御前に立たせていただきたい。

 

6時半 更新

 

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音楽雑感

きのうのクラシック倶楽部にラヴェル、きょうは進藤美優さんのラヴェル。「鏡」からの3曲、おもしろかった。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ23番の曲名「熱情」はどうも後日に出版社がつけたものらしい。「熱」とか「炎」といった言葉にはなぜか惹かれる。久方ぶりに「熱情」を聴いた。思えばベートーヴェンは〝立派な〟障害者だったのだ。その苦しみは、ハイリゲンシュタットの遺書にあらわれている。しかも彼の女性への思いはことごとく成就しなかった。神は苛酷なまでの試練をベートーヴェンに負わせたが、しかし、かれはそのすべての想いを音楽に投入、懊悩を偉大な音楽に作り替えた。けさは改めてその苦悩と曲がもたらしてくれる感動に涙が流れた。神は彼を苦しめたが、偉大な作曲家として創造させ、この荒れた時代にも心の休みどころを与えてくださった。彼の苦しみは無駄ではなく、むしろ賞賛と栄光につながっていた。ここまではもう多くの方々が語りつくしている。今更わたしが、ただ今更でも何でも、その事実に涙が止まらない。

 もう一つ名曲アルバムのフィンランド、カレリアの冬の自然の美しさ。シベリウスは26歳で当地を訪れ、組曲「カレリア」を作曲。冬の映像を、しかもこれら一瞬一瞬の最も美しい瞬間をとらえるためには、どれほどの時間を費やしていることか。

 そして今一つ、クラシック倶楽部、名曲アルバムが始まる前の血圧は150。感動し聴き終えた後の血圧は130。これはほんとうのこと。

 

⏰6時42分更新

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きょうのクラシック倶楽部はユーハン・ダーレネと小井土文哉

 クラシック倶楽部、7日のアレクサンドル・カントロノフのモンポウ「歌と踊り 第6番」、そして8日のマレー「スペインのフォリア」これは古楽器、ルーシー・ホルシェのフルートとトーマス・ダンフォードのリュート。この静かな空気を震わす響きに遠い日の懐かしい人情、日差しが通う。心穏やかになる調べ。

 そして今日はと見れば、岩手県出身のピアニスト小井土文哉さんとユーハン・ダーレネさんの共演。バイオリンのユーハン・ダーレネを先に書くべきなのかもしれないが、そこは向こうにとっては知り合いでも何でもない私だが、同郷のよしみというところ。お母さまのお顔も存じ上げている。向こうは私を知らない。それでいい。これはそういうブログだ。
 ラヴェルの「ソナタ ト長調」、今はあまり演奏されないというが、昔はハイフェッツ、パールマンもよく取り上げ演奏したというシンディングの「古風な様式の組曲」これが何とも北欧的なところに共感。そしてクララ・シューマンの「三つのロマンス 作品22」、これは子育てで大変なクララが34歳で作曲したもの。もしクララに十分な時間があったなら、果たしてどんな作曲を残したものやら。クララは優れたピアニストというばかりでなく、コンサートのプロデュースにも手腕があった。むしろ男性的な女性ではなかったかというのが私の感触。
 穏やかな音色の企画のあとの技巧的な音色が散りばめられた新鮮な息、躍動のある企画。きょうは運転免許更新に行くが、久方ぶりに足取りは軽くなりそう。

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⏰7時更新

 

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きょうのことば「天国の御国はこのような者たちのもの」ーインマヌエル秋田・盛岡(兼牧)キリスト教会  神谷光一 牧師ー

 おはようございます! 
 神さまの時は休むことなく、滞ることなく、厳粛に刻々と進みつつあります。一つ一つの事象の影響下にありながらも、こうして新しい朝を迎え、薄雲る今朝の空の底にも、いまこの瞬間に、いまこうして神さまの明るみを心の内に感じて、大したことはできないけれども、何とか神さまに日曜日のおささげもの、信仰の証しを記したく座し、文字を連ねています。バッハなら一週間をかけて作曲した曲をおささげできるでしょう。しかしそのような才を持たない者の小さな想いをも神さまはお受けくださる。感謝なことです。

 

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インマヌエル秋田キリスト教会・盛岡教会(兼牧)の神谷光一牧師の説教をおつなぎします。
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2023年10月29日(日)
説教題 『天の御国はこのような者たちのもの』

聖書朗読 マタイの福音書19章13~26節
13 そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、子どもたちがみもとに連れて来られた。すると弟子たちは、連れて来た人たちを叱った。
14 しかし、イエスは言われた。「子どもたちを来させなさい。わたしのところに来るのを邪魔してはいけません。天の御国はこのような者たちのものなのです。」
15 そして、手を子どもたちの上に置いてから、そこを去って行かれた。
16 すると見よ、一人の人がイエスに近づいて来て言った。「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをすればよいのでしょうか。」
17 イエスは彼に言われた。「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方はおひとりです。いのちに入りたいと思うなら戒めを守りなさい。」
18 彼は「どの戒めですか」と言った。そこでイエスは答えられた。「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽りの証言をしてはならない。
19 父と母を敬え。あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。」
20 この青年はイエスに言った。「私はそれらすべてを守ってきました。何がまだ欠けているのでしょうか。」
21 イエスは彼に言われた。「完全になりたいのなら、帰って、あなたの財産を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。そのうえで、わたしに従って来なさい。」
22 青年はこのことばを聞くと、悲しみながら立ち去った。多くの財産を持っていたからである。
23 そこで、イエスは弟子たちに言われた。「まことに、あなたがたに言います。金持ちが天の御国に入るのはむずかしいことです。
24 もう一度あなたがたに言います。金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうが易しいのです。」
25 弟子たちはこれを聞くと、たいへん驚いて言った。「それでは、だれが救われることができるでしょう。」
26 イエスは彼らをじっと見つめて言われた。「それは人にはできないことですが、神にはどんなことでもできます。」


 

【神谷師による説教の要約】
キリストが子どもたちを指して「天の御国はこのような者たちのもの」と言われたのは、自分の弱さや無力さを認めてへりくだることであり「永遠の命を得るために~」と尋ねてきた青年に、財産を売り払うように言われたのは、彼がその心の中のうちにあるものに向き合うことで、自分自身をキリストにお任せする必要があることに気づかせるためだといえる。
 それは、本来、神さまに造られたひとときの自然な姿であり、それゆえに無力な自分が、全能者である神さまに全面的に信頼し、安堵することが可能となる。

 

6時55分更新

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クラシック倶楽部 「真田丸のテーマ」を作曲した服部隆之氏の祖父・服部良一の恩人の一人は

 きょうのクラシック倶楽部、江口玲さんの伴奏で三浦文彰さんのデジタルアートとのコラボ。最後の「真田丸のテーマ」に、初めてこの曲を聴いた時の鮮烈驚きがよみがえった。作曲は服部隆之氏。あの有名な服部良一は隆之氏の祖父。この番組に続く名曲アルバムは「東京ブギウギ」で、これが良一の代表作の一つ。朝ドラのブギウギで服部ブーム到来か。
 実は押しも押されもせぬ作曲家服部良一を世に出す足掛かりをくれたのは、岩手県出身の作曲家・鳥取春陽(「籠の鳥」の作曲者)だった。その紹介記事を盛岡タイムス紙の連載56回に書いたことがあるのでアップしてみます。

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 このところのクラシック倶楽部の流れは、2日は武満徹。「星の世界」の編曲が、これが讃美歌にもあるせいか、心に沁みた。雲一つない夜空にまたたく星、そして武満版ではこの星がくぐもったり、泣き出しそうだったり、優しかったり。
 その前日はつのだたかしのリュート。朝の空気に静かに流れる。10月30、31日とテレマン室内オーケストラ60周年のバロックの響き。バロックをやりたくともチェンバロが手に入らないというところからの出発だったらしい。明るく冴える控えめな響きがひと時、イスラエル、ガザ、ハマス、ウクライナ、ロシアの惨状がのっちりと堆積する憂鬱から救ってくれる。
 ビオラの五重奏も何か底を洗ってくれる感じが。毎回のビオラには癒された。
 ここまで書かないでいると、もうあれこれが前後しているけれども、滝廉太郎の「荒城の月」をウィーン少年合唱団ハイドン組が歌ったとき、滝の「憾み」を思い出し、「1498年に神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世が、宮廷礼拝堂少年聖歌隊として創設した合唱団である。原型はインスブルックヴィルテン少年合唱団で、マクシミリアン1世がウィーンでの新宮廷礼拝堂少年聖歌隊設立の際に、ヴィルテン少年合唱団のメンバーをウィーンに連れてきたものである。」(wiki)というこの世界中で愛される伝統525年の澄んだ美しい声で今もって「荒城の月」が演奏されている。これで彼の憾みも晴れているに違いないと落涙。結局、滝がドイツのライプツィヒにいたのは1年半足らず、そして音楽院で学んだのは2か月に満たなかったという。病を抱えて帰国。確かライプツィヒに彼の碑があるはず。どこにあるのかわからないほどらしい。著書に確かめると、かつて彼の下宿があったフェルディナント・ローデ通り七番地の歩道上にあるらしい。(海老澤敏「瀧廉太郎」)
 もう23時が迫る、で、どんと晴れ。 

⏰22時54分再更新


 

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