« 2023年6月 | トップページ | 2023年8月 »

2023年7月

きょうのことば 「あなたに地の高い所を踏みゆかせ」ー説教・神谷光一 牧師ー

Dsc01847

 厳しい暑さが続いています。冷房が無ければピーク時をやり過ごせない、もうこうなるともし電気が無ければ人は生きられない。それでもありとあらゆる手段を尽くして生き延びてきている。自然が優しいと感じられる日は年ごとに少なくなっている。不安要素は多いけれども、しかし変わりまさぬイエス・キリストがこの道の最終地点にいまして、両の手を広げ待っておられる。感謝です。

 きょう掲載の説教は先週分ですが、実はインマヌエルでは、今東北聖会の真最中。昨日の午後は2時から聖潔(きよめ)についてのおはなしがありました。今回のホスト会場は秋田教会。いちどは秋田教会に行ってみたかったのですが、盛岡の自宅でズームを通しての参加となりました。きょうはその2日目です。きょうは盛岡の教会に行って、皆様方とズームで参加です。

 

 ☆   ☆   ☆

 

20230611_05314375_20230625062701Img_20230115_111317_20230709061001
神谷光一・美津子牧師夫妻

インマヌエル秋田教会・盛岡教会の神谷光一牧師の説教をおつなぎします。

2023年7月23日(日)
説教題『あなたに地の高い所を踏みゆかせ』
聖書朗読 イザヤ書58章6~14節

6 わたしの好む断食とはこれではないか。悪の束縛を解き、くびきの縄目をほどき、虐げられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか。
7 飢えた者にあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人を見てこれに着せ、あなたの肉親を顧みることではないか。
8 そのとき、あなたの光が暁のように輝き出て、あなたの回復は速やかに起こる。あなたの義はあなたの前を進み、主の栄光があなたのしんがりとなる。
9 そのとき、あなたが呼ぶと主は答え、あなたが叫び求めると、「わたしはここにいる」と主は言う。もし、あなたの間から、くびきを除き去り、虐げの指をさすことや、邪悪なことばを取り去り、
10 飢えた者に心を配り、苦しむ者の願いを満たすなら、あなたの光は、やみの中に輝き上り、あなたの光は闇の中に輝き上り、あなたの暗闇は真昼のようになる。
11 主は絶えずあなたを導いて、焼けつく土地でも食欲を満たし、骨を強くする。あなたは、潤された園のように、水の涸れない水源のようになる。
12 あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、あなたは代々にわたる礎を築き直し、「破れを繕う者、通りを住めるように回復する者」と呼ばれる。
13 もし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、わたしの聖日に自分の好むことをせず、安息日を「喜びの日」と呼び、主の聖日を「栄えある日」と呼び、これを尊んで、自分の道を行かず、自分の好むことを求めず、無駄口を慎むなら、
14 そのとき、あなたは主をあなたの喜びとする。「わたしはあなたに地の高い所を踏み行かせ、あなたの父ヤコブのゆずりの地であなたを養う」―主の御口がそう語られる。」

 

6時26分

| | コメント (0)

きょうのことば 『途方に暮れますが、行き詰まることはありません』ー説教 神谷光一 牧師ー

 一旦、説教とみことばを更新しておいてから、地球の、あの青く浮かぶ地球の写真の画像を載せようとしたけれどもうまくいかず、それでも頭の中で、この青い地球がガタガタ、ガタガタと音をたてているのを思い巡らしていた。平和が無い。壊れていく一方。地球上に綿密にしつらえられたドミノが日々カタカタ、カタカタと音を立てて倒れていく気配。心の平和はどこに。大谷のホームランに、奪三振に、一時心が湧き立つ。世界も湧き立つ。思えば大変な傑物が岩手から出たもの、いまだにホントかなと思ってしまう。ホントらしい。音楽にも癒される。人の言葉にもホッと。被災地のボランティア、このすがたを見るたびに、まだ地球は終わってはいない、そんな気持ちにさせられる。しかし、これがあれば。それは神との平和。闇を光に。神様と握手しよう。最近のコンサートで、握手の手を差し出してくださった方がいらした。あららら、もうとっくに忘れられてると思ってたのに。何か砂の中の砂粒を拾い上げていただいた思い。神様と握手するには、イエス・キリストを信じることが近道。片手を差し出して、神様、きょうも一日宜しくお願いします。神との平和が心の平和でありますように。

 

☆   ☆   ☆   ☆

 

 

20230611_05314375_20230625062701 Img_20230115_111317_20230709061001

インマヌエル秋田教会・盛岡教会の神谷光一牧師の説教をおつなぎします。

2023年7月16日(日)
説教題『途方に暮れますが、行き詰まることはありません』
聖書朗読 コリント人への手紙第二4章6~18節

6 「闇の中から光が輝き出よ」と言われた神が、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせるために、私たちの心を照らしてくださったのです。
7 私たちは、この宝を土の器の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです。
8 私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれますが、行き詰まることはありません。
9 迫害されますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。
10 私たちは、いつもイエスの死を身に帯びています。それはまた、イエスのいのちが私たちの身に現れるためです。
11 私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されています。それはまた、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において現れるためです。
12 こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働いているのです。
13 「私は信じています。それゆえに語ります」と書かれているとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語ります。
14主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださることを知っているからです。
15 すべてのことは、あなたがたのためであり、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためなのです。
16 ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
17 私たちの一時の軽い患難は、それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです。
18 私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。

 


インマヌエル盛岡キリスト教会
住所 〒020ー0147 盛岡市大館町12-26
電話 019-646-2924

カーナビに入力していただくと十字架が見えてきます。

 

6時35分更新

| | コメント (0)

音楽雑感 クラシック倶楽部&名曲アルバム まぜこぜ

ザルツブルク音楽祭でイゴール・レヴィットのベートーベンのピアノ・ソナタ第32番を聴いてから数日後であったか、名曲アルバムで同じこの曲の抜粋が流れた。それが、ぐっと来るほどやさしい。弾いていたのは小山実稚恵さん。小山さんの時折人を素直に無垢にさせてしまう優しい響きにはまいってしまう。
続くザルツブルクはアンドラーシュ・シフ。ヤナーチェクの「霧の中」を改めて名曲と聴いた。そしてまたまた音楽祭、ヴェルヴィエ音楽祭藤田真央のモーツァルトが二回。若く瑞々しく明るい喜びにあふれるモーツァルトが印象的。
Img_20230713_053758
  なぜかここで名曲にいつか入った郡上踊りが思い出されて、30夜以上も踊りまくり盆の4日間は徹夜で踊る。祭りが終わった後は皆死んだように眠るんだろうか、などなど、盛岡のさんさ踊りはけっこうたおやかさと品格もある感じがすると、どうしても盛岡びいきに。
 今週の月曜からは合唱。東京オペラシンガーズ、新国立劇場合唱団、今朝は東京混声合唱団と聴きながら、
Img_20230717_053727

次には盛岡バッハ・カンタータ・フェラインとならないかと勝手に訝しむ。何でもかんでも盛岡びいき。盛岡バッハ・カンタータ・フェライン、大曲を歌うときのあのパーンと目を覚まさせるような、洗顔後のぱりっとした感じの出だし、それと一本芯の通った響きのあるところが何とも。
 またTVに戻って、こんどは江間章子さん、これは名曲の方だった。章子さんの写真を撮り置く。
 さて、明朝はと予告を覗いてみれば、スウェーデン放送合唱団。寝過ごすわけにはいかない。明朝画面の上の方に「朝鮮ミサイル発射」とか、「大雨警報、土砂災害警報」の文字が流れないことを願う。そして核に異変がないことを祈る。気象、軍事上の監視、見張り人には眠る暇もなさそう。お陰でか、今のところ市民の側は眠っているけれども。ウクライナにもロシアにも安眠の来たらんことを!

 

⛳22時更新

| | コメント (0)

きょうのことば 「光の子どもとして」 ー説教・神谷光一 牧師ー

 毎日曜日7時前の更新を心掛けているのですが、今朝は久方ぶりに誤操作、画面が消えてしまい、またやり直しました。
日本全土はぐっしょり水浸し。ニュース画面から濁流が各家庭に流れ込みそうな勢いです。しかし、こんなときにこそ、どうぞ何時いかなる時にも神様が世の中に立てておられる説教者のお話に耳を傾けていただければ幸いです。

 

20230611_05314375_20230625062701Img_20230115_111317_20230709061001
神谷光一・美津子 牧師

インマヌエル秋田教会・盛岡教会の神谷光一牧師の説教をおつなぎします。


2023年7月9日(日)
説教題『光の子どもとして』
聖書朗読 エペソ人への手紙5章1~20節

1 ですから、愛されている子どもらしく、神に倣う者となりなさい。
2 また、愛のうちに歩みなさい。キリストも私たちを愛して、私たちのために、ご自分を神へのささげ物、またいけにえとし、芳しい香りを献げてくださいました。
3 あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、淫らな行いも、どんな汚れも、また貪りも、口にすることさえしてはいけません。
4 また、わいせつなことや、愚かなおしゃべり、下品な冗談もそうです。これらは、ふさわしくありません。むしろ、口にすべきは感謝のことばです。
5 このことをよく知っておきなさい。淫らな者、汚れた者、貪る者は偶像礼拝者であって、こういう者はだれも、キリストと神との御国を受け継ぐことができません。
6 だれも空しいことばでだまされてはいけません。こういう行いのゆえに、神の怒りは不従順の子らに下るのです。
7 ですから、彼らの仲間になってはいけません。
8 あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。光の子どもとして歩みなさい。
9あらゆる善意と正義と真実のうちに、光は実を結ぶのです。
10 何が主に喜ばれることなのかを吟味しなさい。
11 実を結ばない暗闇のわざに加わらず、むしろ、それを明るみに出しなさい。
12 彼らがひそかに行っていることは、口にするのも恥ずかしいことなのです。
13 しかし、すべてのものは光によって明るみに引き出され、明らかにされます。
14 明らかにされるものはみな、光だからです。それで、こう言われています。
「眠っている人よ。起きよ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストがあなたがたを照らされる。」
15 ですから、自分がどのように歩んでいるか、あなたがたは細かく注意を払いなさい。知恵のない者としてではなく、知恵のある者として、16 機会を十分に活かしなさい。悪い時代だからです。
17 ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、悟りなさい。
18 また、ぶどう酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。むしろ、御霊に満たされなさい。
19 詩と賛美と霊の歌をもって互いに語り合い、主に向かって心から賛美し、歌いなさい。20 いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって、13 けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。
14 明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」
15 そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、
16 機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。
17 ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。
18 また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。
19 詩と賛美と霊の歌をもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。
20 いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。

 

⏰9時25分更新

| | コメント (0)

音楽雑感 イーゴル・レヴィットの32番

Img_20230710_052930

Img_20230710_052922

 

 

 

 

 


 下の写真はカメラが鍵盤の下から捉えた写真。惜しいことに、あと5分でこの響きが終わろうとしているクラシック倶楽部。20年8月、ザルツブルク祝祭大劇場大ホール。数日前、名曲アルバムでこのベートーヴェンのソナタ32番の一部のみ聴いて、なにか充足感に欠けたのだけれども、これは番組制作の意図が違うわけで仕方がない。それを今埋め合わせている。
 今朝の名曲はメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第一番で、ライプチヒの映像。で、ライプツィヒで思い出すのは、バッハ祭。レヴィットの演奏はザルツブルク音楽祭だけれども、バッハ祭の方が音楽祭そのものに何か格調の高さを感じる。24年に招かれているのが盛岡バッハ・カンタータ・フェライン、これは盛岡、仙台、岡山の選抜なのか、オーデションはない団体であるらしいから、希望者は全員ドイツに行くことができるのだろう。その準備、練習の様子を勝手に想像している。地元の、或いは欧州各地で書いてくれる新聞はあるだろうけれども、どんな評価が得られるのか、というよりも、バッハ先生には、聴いてにっこりと肯いていただきたいもの。何かすばらしい予感が。


6時15分更新

| | コメント (0)

きょうのことば 「平和ではなく剣をもたらすために」ー説教 神谷光一 牧師ー 

 けさまだ薄暗い外を見ると、路上にできた水たまりに街灯の光が映じている。網戸には水滴が辛うじて残っていた。どれぐらい降ったのだろう。天気予報を確かめると弱雨。それほど強くは降らなかったのだ。
 昨日、エゼキエル書2章で「そこに嘆きと、うめきと、悲痛が記されていた」とあるのを読んで思った。神を信じる者は、たとえどん底にあろうとも、その苦しみことごとく神に書き留められている。忘れ去られているのではないと。

 そしてエゼキエルの1章に戻り読み直してみると、改めてエゼキエルの見た神の幻視の物凄さが迫ってきた。絵を描ける方々がこの場面を読んだら果たしてどのように描き表すものだろうか。ググってみると幾通りか出てきたけれども。とても全貌を表し得るとは思われない。

   ☆   ☆   ☆

 

20230611_05314375_20230625062701Img_20230115_111317_20230709061001
神谷光一・美津子 牧師夫妻

インマヌエル秋田教会・盛岡教会の神谷光一牧師の説教をおつなぎします。

2023年7月2日(日)

説教題『平和ではなく剣をもたらすために』
聖書朗読 マタイの福音書10章34~40節

34 わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはいけません。わたしは、平和ではなく、剣をもたらすために来ました。
35わたしは、人をその父に、娘をその母に、嫁をその姑に逆らわせるために来たのです。
36 そのようにして家の者たちがその人の敵となるのです。
37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。
38 自分の十字架を負ってわたしに従って来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。
39 自分のいのちを得る者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを得るのです。
40 あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れるのです。また、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。

 

 

6時8分更新

| | コメント (0)

音楽雑感 ユーハン・ダーレネ & 小井土 文哉

今朝のクラシック倶楽部、小井土文哉の伴奏でユーハン・ダーレネのバイオリン。
ノルウェーの作曲家シンディングの「古風な様式の組曲」、これがハイフェッツやパールマンがよく取り上げていたという。弦が熱を帯びた感じが。ハイフェッツがらみで興味深く。それとクララ・シューマン作曲の「3つのロマンス作品22」第一曲にロベルトの旋律がちょっと出てくる。ここぞというくっとくる部分はないけれども、当時34歳、すでに子育ての渦中にあったクララがこれだけの作曲を。

Img_20230707_055026 Img_20230707_054325
小井土さんのピアノ、明晰な感じでよかった!

続く名曲の方はベートーヴェンの32番。何しろたった5分の枠。もう終わりか、と無念な、しかし続きはユーチューブででも。

 

⛳けさは屋久島の巨樹が。6時18分更新

 

| | コメント (0)

音楽雑感

Img_20230704_052014

 

クラシック倶楽部だけは習慣的に視聴している。身に着いたものが残っていくというのはその通りで、厳寒の朝もこの番組だけは聴き通した成果であるのかもしれない。
 メナヘム追悼番組は先々週であったか、そして先週はずっと声楽。これは歌詞の内容がどうのというよりも、人の声、昔は人の声よりも楽器だったのが、いつしか鍛錬された人の声を聴くためにアリア、歌曲を週間聴き通した。今週はバイオリンが続いている。いま流れているのはフランクのバイオリン・ソナタ。あと5分もすれば終わるというところ、これを書いているうちに終わるだろう。「Post Festum 無伴奏バイオリンのための 作品172」権代敦彦さんの作曲、辻彩奈さん奏するこの曲が何か今朝の朝の空気に、薄曇りの空に、たまたま聞こえてきた鶯の鳴き声を震わせたというか、そんな理由で久しぶりにキーを打っている。
 きのうの岩手出身の江間章子の、これは名曲アルバムのほうだけれども、この取り上げも有り難かった。きょうの名曲アルバム、流れるはヴィラ・ローボス。リオデジャネイロのギター工房が映っている。たった5分のこの番組、ほんとうに驚きの5分といってもいいくらいなのだ。

 朝の音楽番組は終わり、日本の巨樹の映像が出たところで締め括る。


⛳6時3分更新

| | コメント (0)

きょうのことば 「しかし、主はヨセフとともにおられ」ー説教 神谷光一 牧師ー

 きのう、この教会恒例の大掃除があった。都合がつかない方からは朝のうちに連絡が。駆け付けたいのだけれども云々。それはもうそちらを優先に、それが大切。掃除の段取りが告げられ、ではスタート。で、動きがいちばん緩慢になっているのが私か。ちょっと高いところから見れば、たぶんそれは一目瞭然。ある方は蛍光管を外して拭く。ある方は折り畳み式のテーブルを裏まで拭く。ある方はガラスを磨く。ある方は掃除機をかける。数人が床を水拭きする。皆でワックスを掛ける。駐車場の草取りをする。一段落かなと思うところで、ある方が準備してくださった冷たい飲み物を皆さんでいただく。ある方がごみの始末に不燃、可燃を自分のクルマに積み込む。9時開始、11時終了。教会の内側も外側もスッキリ、さっぱり。
 そしてこのお一人おひとりのすがた、気負わず淡々と懸命なすがたは、私には箴言に匹敵する影響力がある。

 

☆  ☆   ☆ 

 

 

20230611_05314375_20230625062701

神谷光一 牧師夫妻

インマヌエル秋田教会・盛岡教会の神谷光一牧師の説教をおつなぎします。

2023年6月25日(日)
説教題『しかし、主はヨセフとともにおられ』
聖書朗読 創世記39章19~23節
19 彼の主人は、「あなたの奴隷がこのようなことを私にしました」と告げた妻のことばを聞いて、怒りに燃えた。
20 ヨセフの主人は彼を捕らえ、王の囚人が監禁されている監獄に彼を入れた。こうして彼は監獄に置かれた。
21 しかし、主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。
22 監獄の長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手にゆだねた。ヨセフは、そこで行われるすべてのことを管理するようになった。
23 監獄の長は、ヨセフの手に委ねたことには何も干渉しなかった。それは、主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。

 

6時25分更新

| | コメント (0)

« 2023年6月 | トップページ | 2023年8月 »