きょうのことば 「わたしがいのちのパンです」ー説教・神谷光一牧師ー
先週は何をしていただろうか、一瞬記憶から何も引っかかっては来ないという瞬間が。こんなことでは、と思ううちに、やはり先週の日曜日は聖餐式から始まっている。最後の晩餐にイエス様が行ったこのパンと葡萄酒、この教会では葡萄液だけれども、主牧の祈りによって聖別されたパンと葡萄液をいただくこの儀式、2000年の間、脈々と受け継がれてきている実に驚くべきこの儀式に与った、記憶はここからよみがえり始めた。教会からはこの日は3時帰宅。2か所に遠隔にいながらも礼拝を覚えている方々お二人に週報、教団発行の月刊小冊子、教報、神学院報などを一週間分まとめて発送。
月曜日は真夏並みの暑さ。午前中はさるご夫妻のお見舞い。午後は入院中の姉妹の病院へ。引退した國光牧師先生が、盛岡の教会員全員に当てた書簡を神谷先生に一括して託したものが、この日皆様の手に届いたのだが、それ等々を入院中のさる方の病院に届ける。
火曜日も暑い日だった。午前の30分間、プチ祈祷会にスマホで参加。午後はほんのすこしだけ原稿書き。夕方1時間、孫の預かり。楽しいひととき。
水曜日、午前、家事、と家事を特別に書く時には、けっこう掃除に時間をかけた場合の事。その家事。午後は問い合わせの回答。これが送信がうまくいかず、二回も失敗。これ以上延ばせないこともあり、手書きで認めて依頼の方を訪れ、不在だったので投函。その後、デパ地下で買い物。けっこう格安でおいしいものを手に入れる。途中大通りの喫茶店でコーヒーブレイク。長居は禁物。
木曜日、午前、読書。読書とわざわざ書く時は、このために結構な時間を割いた場合の事。この日は1,2時間散歩。熊出没情報以来、街中中心。
金曜日、小雨の中、かつてお仲間に入れていただいていたママ友と言えるかもしれない方々とバイオリン。といっても私はきちんと弾けるわけではなく皆さんの美しい調和に雑音を入れに行っている。続けていれば讃美歌の一つ二つは弾けるだろうとお誘いを受けたのだけれども、指の動き、譜面の読みも忘却の彼方。それを呼び戻しての悪戦苦闘。汗だく。前日1時間は練習したのだけれども。しかしあきらめない。
土曜日、昨日は、ちゃぐちゃぐ馬っこを見に八幡通りに。これは主人の声掛けで。夕方神奈川の友達から「ニュースで見ました。4年ぶりだって。懐かしかった」とメール。そして本1冊読了。
有名人でもない者の一週間、果たして誰が読むだろうかの懸念をよそに、一応簡略に書きだしてみた。
☆
ここでロシア民謡「一週間」が心の中で鳴りだす。
日曜日に 市場(いちば)へでかけ
糸と麻(あさ)を 買ってきた
<コーラス>
テュリャ テュリャ テュリャ
テュリャ テュリャ テュリャリャ
テュリャ テュリャ テュリャ
テュリャリャ
月曜日に おふろをたいて
火曜日は おふろにはいり
水曜日に ともだちが来て
木曜日は 送っていった
金曜日は 糸まきもせず
土曜日は おしゃべりばかり
ともだちよ これが私の
一週間の 仕事です
ロシア、一週間の仕事が戦争という悲しい現実。ロシアとググると、ばっと出てくる戦車の写真。こんな楽しい歌もあるじゃない。平和よはやく! 遅すぎる。遅い! 何とかしてください神様!
☆ ☆ ☆
神谷先生ご夫妻
インマエル秋田・盛岡教会の神谷光一牧師の説教をおつなぎします。
2023年6月4日(日)
説教題『わたしがいのちのパンです』
聖書朗読 ヨハネの福音書6章26~58節
26 イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。
27 なくなってしまう食物のためではなく、いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それは、人の子が与える食べ物です。この人の子に、神である父が証印を押されたのです。」
28 すると、彼らはイエスに言った。「神のわざを行うためには、何をすべきでしょうか。」
29 イエスは答えられた。「神が遣わした者をあなたがたが信じること、それが神のわざです。」
30 それで、彼らはイエスに言った。「それでは、私たちが見てあなたを信じられるように、どんなしるしをおこなわれるのですか。何をしてくださいますか。
31 私たちの先祖は、荒野でマナを食べました。『神は彼らに、食べ物として天からのパンを与えられた』と書いてあるとおりです。」
32 それで、イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。モーセがあなたがたに天からのパンを与えたのではありません。わたしの父が、あなたがたに天からまことのパンを与えてくださるのです。
33 神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものなのです。」
34 そこで、彼らはイエスに言った。「主よ、そのパンをいつも私たちにお与えください。」
35 イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。
36 しかし、あなたがたに言ったように、あなたがたはわたしを見たのに信じません。
37 父がわたしに与えてくださる者はみな、わたしのもとに来ます。そして、わたしのもとに来る者を、わたしは決して外に追い出したりはしません。
38 わたしが天から下って来たのは、自分の思いを行うためではなく、わたしを遣わされた方のみこころを行うためです。
39 わたしを遣わされた方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしが一人も失うことなく、終わりの日によみがえらせることなのです。
40 わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです。」
41 ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から下って来たパンです」と言われたので、イエスについて小声で文句を言い始めた。
42 彼らは言った。「あれは、ヨセフの子イエスではないか。私たちは父親と母親を知っている。どうして今、『わたしは天から下って来た』と言ったりするのか。」
43 イエスは彼らに答えられた。「自分たちの間で小声で文句を言うのはやめなさい。
44 わたしを遣わされた父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとに来ることはできません。わたしはその人を終わりの日によみがえらせます。
45 預言者たちの書に、『彼らはみな、神によって教えられる』と書かれています。父から聞いて学んだ者はみな、わたしのもとにきます。
46 父を見た者は誰もいません。ただ神から出た者だけが、父を見たのです。
47 まことに、まことに、あなたがたに言います。信じる者は永遠のいのちを持っています。
48 わたしはいのちのパンです。
49 あなたがたの先祖たちは荒野でマナを食べたが、死にました。
50 しかし、これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがありません。
51 わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。そして、わたしが与えるパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。
52 それで、ユダヤ人たちは、「この人は、どうやって自分の肉を、私たちに与えて食べさせることができるのか」と互いに激しい議論を始めた。
53 イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。
54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。
55 わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物なのです。
56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしもその人のうちにとどまります。
57 生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。
58 これは天から下って来たパンです。先祖が食べて、なお死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます。」
⏰6時55分更新
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