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2023年6月

きょうのことば 「最後のアダムはいのちを与える御霊」ー説教 神谷光一 牧師ー

詩「アガパンサス」  中ぶんな

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アガバンサスよ
ことしは
ほんとうに立派に咲いてくれたね
去年
花がつかなかったとき
これはもうダメかな
もうこれっきり咲かないのかな
そう思ってしまった


けれども
それから

葉の間から3本の花の支柱がのびていたのを見たときは
手を打ち小躍りしてしまった
それがその後また2本
すこし弱々しかったけれども
先っぽに小さなつぼみが26,7個もついて

次つぎにユリのように咲きはじめて
それは驚きと感動
淡い水色を陽にかざしながら
小さな花弁を楚々とひらいていく


おまえは知らないよね
戦争があることも
海に沈んだ難民の人たちがいることも
地震や水害、干ばつがあることも
妬み、争い、敵意があることも

だけど

おまえは知らなくたっていい
なにも知らずに
ただしずかに
そこに咲いていて欲しい


おまえを見るとき

その優しさに
心和み癒されるために
たまに過る風に
微かに相槌を打ちながら
じっと

そこに咲いていてほしい 

 

 

       ☆  ☆  ☆  ☆

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神谷先生ご夫妻

インマエル秋田教会・盛岡教会の神谷光一牧師の説教をおつなぎします。

2023年6月18日(日)
説教題『最後のアダムはいのちを与える御霊』
聖書朗読 コリント人への手紙第一 15章20~49節

20 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
21死が一人の人を通して来たのですから、死者の復活も一人の人を通して来るのです。
22アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストにあってすべての人が生かされるのです。
23 しかし、それぞれに順序があります。まず初穂であるキリスト、次にその来臨のときにキリストに属している人たちです。
24 それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、王国を父である神に渡されます。
25 すべての敵をその足の下に置くまで、キリストは王として治めることになっているからです。

26 最後の敵として滅ぼされるのは、死です。
27 「神は万物をその方の足の下に従わせた」のです。しかし、万物が従わせられたと言うとき、そこには万物をキリストに従わせた方が含められていないことは明らかです。
28そして、万物が御子に従うとき、御子自身も、万物をご自分に従わせてくださった方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。
29 そうでなかったら、死者のためにバプテスマを受ける人たちは、何をしようとしているのですか。死者が決してよみがえらないのなら、その人たちは、なぜ死者のためにバプテスマを受けるのですか。
30 なぜ私たちも、絶えず危険にさらされているのでしょうか。
31 兄弟たち。私たちの主キリスト・イエスにあって私が抱いている、あなたがたについての誇りにかけて言いますが、私は日々死んでいるのです。
32 もし私が人間の考えからエペソで獣と戦ったのなら、何の得があったでしょう。もし死者がよみがえらないのなら、「食べたり飲んだりしようではないか。どうせ、明日は死ぬのだから」ということになります。
33 惑わされてはいけません。「悪い交際は良い習慣を損なう」のです。
34 目を覚まして正しい生活を送り、罪を犯さないようにしなさい。神について無知な人たちがいます。私はあなたがたを恥じ入らせるために言っているのです。
35 しかし、「死者はどのようにしてよみがえるのか。どのようなからだで来るのか。」と言う人がいるでしょう。
36 愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ生かされません。
37 また、あなたが蒔くものは、後にできるからだではなく、麦であれ、そのほかの穀物であれ、ただの種粒です。
38 しかし神は、みこころのままに、それにからだを与え、それぞれの種にそれ自身のからだをお与えになります。
39 どんな肉も同じではなく、人間の肉、獣の肉、鳥の肉、魚の肉、それぞれ違います。
40 また、天上のからだもあり、地上のからだもあり、天上のからだの輝きと地上のからだの輝きは異なり、
41 太陽の輝き、月の輝き、星の輝き、それぞれ違います。星と星の間でも輝きが違います。
42 死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、
43 卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、力あるものによみがえらされ、
44 血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。
45 こう書かれています。「最初の人アダムは生きる者となった。」しかし、最後のアダムはいのちを与える御霊となりました。
46 最初にあったのは、御霊のものではなく血肉のものです。御霊のものは後に来るのです。
47 第一の人は地から出て、土で造られた人ですが、第二の人は天から出た方です。
48 土で造られた者たちはみな、この土で造られた人に似ており、天に属する者たちはみな、この天に属する方に似ています。
49 私たちは、土で造られた人のかたちを持っていたように、天に属する方のかたちも持つことになるのです。

 

⏰6時25分 更新

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音楽雑感ー辻井伸行さんの世界ー

クラシック倶楽部の番組予告を見てなかったなと思いながらスイッチオンすると、辻井さん。瞬間爽やかな気分になった。意識せずとも、もう耳が聴こうと素直になっている。今演奏を聴きながら書いている。「子どもの領分」は終わり、「くるみ割り人形」。辻井さんの中でイメージされる舞い降りる雪にも、人形にも、シルエットに柔らかく透明なコーティングあるように感じられる。ピュアな響きが心を癒してくれる。
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 アンコールは「亜麻色の髪の乙女」、「花のワルツ」。再放送に継ぐ再放送、しかし鮮度が落ちない。聴くごとに、この笑顔に出会うたびに嬉しくなる。ドビュッシー、チャイコフスキーを有難う!

⛳5時55分更新

 

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きょうのことば 「私たちの国籍は天に」-説教 神谷光一 牧師ー

 あの人に、この人に、ごちゃごちゃと言いたくなる時がある。あれはこうじゃない、そうじゃなくてこうなんだ、ああなんだ。しかし聖霊のさとしはすばらしい。そんな口を封じてしまうというのではなく、命令ではなく戒めではなく、闘争心を溶かして解かして融かして、心に平和をもたらしてくれるのだ。これが神の愛が満ちるとき。そのとき、愛は律法の完全であることを知らされる。

                     ♪とうときわが主よ罪の身は


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       ☆  ☆ ☆ ☆ ☆

 

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インマエル秋田教会・盛岡教会の神谷光一牧師の説教をおつなぎします。

2023年6月11()

説教題『私たちの国籍は天に』
聖書朗読 ピリピ人への手紙3章17~21節

17 兄弟たち。私に倣う者となってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。
18 というのは、私はたびたびあなたがたに言って来たし、今も涙ながらに言うのですが、多くの人がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。
19 その人たちの最後は滅びです。彼らは欲望を神とし、恥ずべきものを栄光として、地上のことだけを考える者たちです。
20 しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。
21 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。

 

5時35分 更新

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きょうのことば 「わたしがいのちのパンです」ー説教・神谷光一牧師ー

 先週は何をしていただろうか、一瞬記憶から何も引っかかっては来ないという瞬間が。こんなことでは、と思ううちに、やはり先週の日曜日は聖餐式から始まっている。最後の晩餐にイエス様が行ったこのパンと葡萄酒、この教会では葡萄液だけれども、主牧の祈りによって聖別されたパンと葡萄液をいただくこの儀式、2000年の間、脈々と受け継がれてきている実に驚くべきこの儀式に与った、記憶はここからよみがえり始めた。教会からはこの日は3時帰宅。2か所に遠隔にいながらも礼拝を覚えている方々お二人に週報、教団発行の月刊小冊子、教報、神学院報などを一週間分まとめて発送。
 月曜日は真夏並みの暑さ。午前中はさるご夫妻のお見舞い。午後は入院中の姉妹の病院へ。引退した國光牧師先生が、盛岡の教会員全員に当てた書簡を神谷先生に一括して託したものが、この日皆様の手に届いたのだが、それ等々を入院中のさる方の病院に届ける。
 火曜日も暑い日だった。午前の30分間、プチ祈祷会にスマホで参加。午後はほんのすこしだけ原稿書き。夕方1時間、孫の預かり。楽しいひととき。
 水曜日、午前、家事、と家事を特別に書く時には、けっこう掃除に時間をかけた場合の事。その家事。午後は問い合わせの回答。これが送信がうまくいかず、二回も失敗。これ以上延ばせないこともあり、手書きで認めて依頼の方を訪れ、不在だったので投函。その後、デパ地下で買い物。けっこう格安でおいしいものを手に入れる。途中大通りの喫茶店でコーヒーブレイク。長居は禁物。
 木曜日、午前、読書。読書とわざわざ書く時は、このために結構な時間を割いた場合の事。この日は1,2時間散歩。熊出没情報以来、街中中心。
 金曜日、小雨の中、かつてお仲間に入れていただいていたママ友と言えるかもしれない方々とバイオリン。といっても私はきちんと弾けるわけではなく皆さんの美しい調和に雑音を入れに行っている。続けていれば讃美歌の一つ二つは弾けるだろうとお誘いを受けたのだけれども、指の動き、譜面の読みも忘却の彼方。それを呼び戻しての悪戦苦闘。汗だく。前日1時間は練習したのだけれども。しかしあきらめない。
 土曜日、昨日は、ちゃぐちゃぐ馬っこを見に八幡通りに。これは主人の声掛けで。夕方神奈川の友達から「ニュースで見ました。4年ぶりだって。懐かしかった」とメール。そして本1冊読了。

 有名人でもない者の一週間、果たして誰が読むだろうかの懸念をよそに、一応簡略に書きだしてみた。

  ☆

ここでロシア民謡「一週間」が心の中で鳴りだす。
 

日曜日に 市場(いちば)へでかけ
糸と麻(あさ)を 買ってきた

<コーラス>
テュリャ テュリャ テュリャ
テュリャ テュリャ テュリャリャ
テュリャ テュリャ テュリャ
テュリャリャ

月曜日に おふろをたいて
火曜日は おふろにはいり

水曜日に ともだちが来て
木曜日は 送っていった

金曜日は 糸まきもせず
土曜日は おしゃべりばかり

ともだちよ これが私の
一週間の 仕事です

 

 ロシア、一週間の仕事が戦争という悲しい現実。ロシアとググると、ばっと出てくる戦車の写真。こんな楽しい歌もあるじゃない。平和よはやく! 遅すぎる。遅い! 何とかしてください神様!

 

         ☆  ☆  ☆

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神谷先生ご夫妻

インマエル秋田・盛岡教会の神谷光一牧師の説教をおつなぎします。

2023年6月4日(日)
説教題『わたしがいのちのパンです』
聖書朗読 ヨハネの福音書6章26~58節
26 イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。
27 なくなってしまう食物のためではなく、いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それは、人の子が与える食べ物です。この人の子に、神である父が証印を押されたのです。」
28 すると、彼らはイエスに言った。「神のわざを行うためには、何をすべきでしょうか。」
29 イエスは答えられた。「神が遣わした者をあなたがたが信じること、それが神のわざです。」
30 それで、彼らはイエスに言った。「それでは、私たちが見てあなたを信じられるように、どんなしるしをおこなわれるのですか。何をしてくださいますか。
31 私たちの先祖は、荒野でマナを食べました。『神は彼らに、食べ物として天からのパンを与えられた』と書いてあるとおりです。」
32 それで、イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。モーセがあなたがたに天からのパンを与えたのではありません。わたしの父が、あなたがたに天からまことのパンを与えてくださるのです。
33 神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものなのです。」
34 そこで、彼らはイエスに言った。「主よ、そのパンをいつも私たちにお与えください。」
35 イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。
36 しかし、あなたがたに言ったように、あなたがたはわたしを見たのに信じません。
37 父がわたしに与えてくださる者はみな、わたしのもとに来ます。そして、わたしのもとに来る者を、わたしは決して外に追い出したりはしません。
38 わたしが天から下って来たのは、自分の思いを行うためではなく、わたしを遣わされた方のみこころを行うためです。
39 わたしを遣わされた方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしが一人も失うことなく、終わりの日によみがえらせることなのです。
40 わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです。」
41 ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から下って来たパンです」と言われたので、イエスについて小声で文句を言い始めた。
42 彼らは言った。「あれは、ヨセフの子イエスではないか。私たちは父親と母親を知っている。どうして今、『わたしは天から下って来た』と言ったりするのか。」
43 イエスは彼らに答えられた。「自分たちの間で小声で文句を言うのはやめなさい。
44 わたしを遣わされた父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとに来ることはできません。わたしはその人を終わりの日によみがえらせます。

45
預言者たちの書に、『彼らはみな、神によって教えられる』と書かれています。父から聞いて学んだ者はみな、わたしのもとにきます。
46 父を見た者は誰もいません。ただ神から出た者だけが、父を見たのです。
47 まことに、まことに、あなたがたに言います。信じる者は永遠のいのちを持っています。
48 わたしはいのちのパンです。
49 あなたがたの先祖たちは荒野でマナを食べたが、死にました。
50 しかし、これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがありません。
51 わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。そして、わたしが与えるパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。
52 それで、ユダヤ人たちは、「この人は、どうやって自分の肉を、私たちに与えて食べさせることができるのか」と互いに激しい議論を始めた。
53 イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。
54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。
55 わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物なのです。
56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしもその人のうちにとどまります。
57 生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。
58 これは天から下って来たパンです。先祖が食べて、なお死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます。」

 

 

⏰6時55分更新

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きょうのことば「私たちはどうしたらよいでしょうか」ー説教・神谷光一 牧師ー

 先週28日はペンテコステでした。この日によく引証される聖句は使徒2:4「すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた」という箇所です。
 さて、私の実体験したペンテコステはどんなものであったか。どうまとめるべきかを考えていたときに、そんなことを思い巡らすよりも、ありのままを書けばいいじゃない、と。
 洗礼式がありました。ほんとうに祈りこんで洗礼槽の傍らに立つ姉妹。信仰を確認する牧者の質問の一つ一つに答えます。その姿がほんとうに輝いています。そして洗礼槽におりて、写真はまだ水に浸かってはいませんが、この後すぐに牧者の祈りと共に水に浸されました。
 私はといえば、近頃は自分に血はあるか? 涙はあるか? こう自問自答する日も。しかしこの時には滂沱の涙が流れました。自分にまだこれほどたくさんの涙がのこっていたことに驚きました。聖霊は理屈をかざさずに神が生きておられることを心のうちに証明してくださる、そう思いました。
 戦争が、災害が、禁欲を嗤う金欲が、新興宗教団体がそちこちの土地を買い占め潤沢な設備投資で大腕を振るい、貧しくとも清貧に屈することなく伝道する教会が次つぎに閉ざされ、統合されていく現実があるはある。しかし神はその昔から変わりなく今も生きておられる。神は生きておられる。そのことに涙がとまりませんでした。

 教会つぶし、キリスト者つぶしに余念がない勢力もあります。その人々は罰を受けるだろうと私には言えない。この世にあって罰を受けるか受けないか、それは神のみぞ知る。たとえそういった人々が罰を受ける場面を私が見ることがなかったとしても、この事実、神は生きておられる。自分の願うとおりに事が運ぼうと運ぶまいと神は生きておられる。聖霊はそれを私に教えてくださいました。

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この日の午後に行われた納骨式 

 

 

          ☆  ☆  ☆

 

インマヌエル秋田・盛岡教会の神谷光一牧師の説教をおつなぎします。

2023年5月28日(日)
説教題『私たちはどうしたらよいでしょうか』ー五旬節礼拝ー
聖書朗読 使徒の働き2章22~42節

22 イスラエルの皆さん、これらのことばを聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと不思議としるしを行い、それによって、あなたがたにこの方を証しされました。それは、あなたがた自身がご承知のことです。
23 神の定めた計画と神の予知によって引き渡されたこのイエスを、あなたがたは律法を持たない人々の手によって十字架につけて殺したのです。
24 しかし神は、イエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、あり得なかったからです。
25 ダビデは、この方について次のように言っています。『私はいつも、主を前にしています。主が私の右におられるので、私は揺るがされることがありません。
26 それゆえ、私の心は喜び、私の舌は喜びにあふれます。私の身も、望みの中に住まいます。
27 あなたは、私のたましいをよみに捨て置かず、あなたにある敬虔な者に滅びをお見せにならないからです。
28 あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前で、私を喜びで満たしてくださいます。』
29 兄弟たち。父祖ダビデについては、あなたがたに確信をもって言うことができます。彼は死んで葬られ、その墓は今日に至るまで私たちの間にあります。
30 彼は預言者でしたから、自分の子孫の一人を自分の王座に着かせると、神が誓われたことを知っていました。
31 それで、後のことを予見し、キリストの復活について、『彼はよみに捨て置かれず、そのからだは朽ちて滅びることがない』と語ったのです。
32 このイエスを、神はよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。
33 ですから、神の右に上げられたイエスが、約束された聖霊を御父から受けて、今あなたがたが目にし、耳にしている聖霊を注いでくださったのです。
34 ダビデが天に上ったのではありません。彼自身こう言っています。『主は、私の主に言われた。
 あなたは、わたしの右の座に着いていなさい。』
35わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで。』
36 ですから、イスラエルの全家は、このことをはっきりと知らなければなりません。神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」
37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。
38 そこで、ペテロは彼らに言った。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。
39 この約束は、あなたがたに、あなたがたの子どもたちに、そして遠くにいるすべての人々に、すなわち、私たちの神である主が召される人ならだれにでも、与えられているのです。」
40 ペテロは、ほかにも多くのことばをもって証しをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って、彼らに勧めた。
41彼のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。
42 彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。



 

⏰6時25分更新

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